遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

差別

2012-11-27 07:11:11 | ただの記事

この頃ネット上で

差別的な考え方をする種族についての記事をよく読む

日本人が古代どこから来たか

ということで日本人の中に差別的な人とそうでもない

手を結べる人といるという説

私もそういう気がする

中華思想 選民思想 はその極だと思うよ

私の父は 早くに孤児になって苦労をした人だけれど

根が プライドが高すぎて

ややこしい人だった

人間に一番大事なのは誇りだ!

私を教育しようとした

幼くても私は おやじ!ばっかじゃなかろかと思ったよ

母もそういう父をばっかじゃなかろか

と思う方

これを鼻高族と 鼻ぺちゃ族という

私は鼻ぺちゃ族だと思っているけれど

もちろん混血に混血を重ねているので

色々混じっているが

学校教育の中で

成績順位をつけることに猛反対して冷や飯を食ったことは前に書いたけれど

学校というものにも

鼻高族優勢の学校と 鼻ぺちゃ族優勢の学校があったなと

思い出す

武蔵は 差別者ではないけれど

本質は鼻高族ではないかと思うことがある

ある人について 何しろ金時計組だから

と言ったのでね

金時計組なんて ふつういうか?

第一本当は銀時計組だろ?

それにその人の卒業年次にその制度はないよ

武蔵の場合 剣士だからね

しょうがないね

私が受けてきた教育は戦後の民主教育盛んな時期だったから

成績順位なんかつけられたことはなく過ごしてきた

初めて高校受験のため 戦術として必要だったからだろうか

順位を知らされたとき

仰天した

自分を序列の中で意識したのだよ

それは人を序列で見ることにつながる

痛烈に意識したので 

それ以来そういうのを弊害として意識することが身に染みたのだ

 

女の子の中には

集団にはいると

女王様になるタイプの人がいて

女王様になれないと

途端にいじめっ子になるという人いるじゃないか

これて 婆さんたちの集団にもある

これは

さっさと逃げるが 勝ちだ

 

そういうの

今はやりのムラ構造にも関係が深いかもしれない

私の出た学校には首席卒業というのはないけれど

いまだに首席卒業という制度を持っている学校は結構あるのよね

これは

鼻高族が作った制度に違いない

もっとも美術学校の場合作品を学校が買い上げてくれるのが学年一点

というせいかもしれない

全員分買うほどお金と保管場がないのだろう

 

そうだ

賞状とか順位とかはなかった私の出身小学校

終業式に暮らす代表で通信簿もらいに行く係りがあった

あれは 私が経験した学校の中で

唯一だった

ヘンだったよ

しかも生徒の間では(違うな子供はまだ小学生でポヨンとしているわ

親だ)変なことを思う原因になった

その話を母から聞いた覚えがある

しかし まだ幼い子によく母もそんな話をしたものだな

賞状といえば

私は だから賞状ってほとんどもらったことがない

ところが 東京東部のほうは

賞状だすの好きなのだよ

わが子らは賞状を山盛り持ってた

母は 両国の子だったので賞状をいっぱい持ってたらしく

おまえは何ももらえない子なのだねえと言ったことがあって

賞状というものないよ 

でも世田谷区で合唱一位になって

日比谷公会堂に歌いに行く!

と威張ったことがあった 

母は鼻ぺちゃ族だったが

競争心は強かったな

かるた大会で強かったのを自慢してた

 

でも

かるた大会で

最後に勝ちを収めるのは

運動神経がものを言うんだわ

私の親なのに

運動神経いいのかなあ?

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遊工房さん、こんにちは。 (山里の人)
2012-11-27 12:28:01
ふ~ん・・・そうだったのか。
私なんかは競争ばっかりの人生で、それが当たり前だった。
だから、負けるのが嫌いで、上を目指してきたような気がする。
それがある時、自分の無能さを知って、限界も知って、
程ほどでいいやと言う気持ちになって、頑張るのを止めたんです。

私の義理の伯父が、東大法学部を首席で卒業いることで、
それ以下を見下す人でした。
従兄弟たちも、九大・北大・東大卒で、それでも親からは
馬鹿扱いされて、みんな家を出てしまったのです。
結局、家族は全員父親から離れて、最後は伯母まで死ぬ1年前に
籍を抜いて、一人墓に入って縁を切ったのです。
東大出の三男も独身ですが、小田島から堤に姓を変えたくらいです。
一家バラバラになりました。
頭がいいだけで、人間の温かみが無い人でした。
事業には成功しましたが、晩年は認知症で哀れな末路でした。

無理しない!マイペースが今の私の心情になりました。
田舎暮らしも、都会での競争に疲れていたせいかも知れません。
自分には都会暮らしが合わないのがよ~く解かります。
競争はも~しない!戦うのも止めた!
そして、穏やかに老いぼれていきます。
山里の人様 (遊工房)
2012-11-27 13:50:35
そりゃ大変だ
鼻高族一族かあ
穏やかに老いぼれるだとぉ!
甘い甘い
猿が!婆様が!面白い奥方が!
穏やかな晩年なんか
ぶっ壊してくれるゼイ!

雪が来ましたね
ヒヒヒ
遊さんのコメント面白すぎるよ!! (natu)
2012-11-27 23:15:42
山里さんも雪では悲鳴を上げるでしょう。
natu 様 (遊工房)
2012-11-28 07:47:39
だってェ
お姉ちゃま
お兄ちゃまちゃまがふざけたこと言うんだもん

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