遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

どう生きて行けばいいのか悩んでた頃

2019-06-02 16:08:49 | 日記

私は男鹿人さんみたいに

こういうものに私はなりたい

というのは

はっきりしていなかった

絵は好きだったけど小学校の図工の先生(中学年の時専科の先生だった)

には嫌われてて

お前の絵は

子どもらしくない

俺は嫌いだ

といわれて げっそり

小学校高学年のときは

担任が図工も教えてくれて

水彩画になったけど

水彩絵の具と水の関係

手に負えなくて 嫌いだった

(今は絵を描く材料水彩が一番好き)

先生は お前クレパスで描いてていいぞ

とおっしゃったので水彩 描かず

中学の先生は 水彩絵の具苦手

と言ったら 油絵の具貸してくれて

それで描いてた

高校は 油絵だもんね

だから水彩画は苦手だったのよ


ある夜 酔っ払い親父が私を呼んでも

気が付かないで絵を描いてたら

お前は 本当に 絵描くの好きだなあ

進路美術にしてもいいぞ

とうっかり言ったのを言質にとって

進路は美術に

ったって

よくわかってない

親は 貧困だったから 食える職業につけ

という考え方

それで美術と仕事が結びつくものの科目を選べ

といわれて

ふうん

と 美大の工芸科(この中にデザイン科があるのだ)を受験始めたけど

根は 美術得意なわけでもなく

才能もなく 毎年 落ちまくり

この時の受験科目に 水彩画があったのだ

まあ 色がつかめないで 苦心惨憺


とうとう ちっとも受験に合格しないのにパニックに陥った親父と衝突

家出

というのは

何回も書いた


それでね

職歴もいっぱいあるけど

自分は 何をして生きて行こうか

いろいろ考えたのだ

ついた職では その時限りの興味はいろいろ刺激されて

面白かったけど

これでやっていこう

というのは見つからなかった

それで 当時も不況で 臨時アルバイトが

その先も生きていくのに

超不安

女一人 どうやって生きて行こうか

ずいぶん模索した


家出の時

ともかく

親から離れたい一心で

中国地方を放浪

ブログで話題の 出雲大社もその時行った

でも さて 働こうと 申し込むと

女の子が 親元離れてこんなに遠くで心配なさるでしょう

ご両親と連絡とりましょうね

なんて言われてさ

まったく 男なら そんな目に遭わなかったんじゃないの

女だと保護者がいないとだめみたいな扱い

頭にきたよ

ともかく 行く手が不安で

先行き 自力で食べていけるように

方向転換 美術がこれだけ面白がれるんだから

其れを子供と共有できる仕事だ

と思って

教師になれる学校に行くことにしたわけだ


さて 前も書いたけど

専攻は 彫塑 

彫塑なんて知らなかったけどね

この担当教師の教えが面白かったのだ

才能も乏しく

落ちこぼれではあるけれど

美術界隈 これは ものすごくおもしろい世界

ボケ防止にいいかどうか

(もうかなりやばいもん)

それはわからないけど

限りなく世界が広がってくる

面白い世界に出会えて

よかった

と思う


けど

何だって そうだよね

たぶん


ふうん

男鹿人さんが 漫画描きたかったって

面白いね

私ら子供のころ漫画 そんなになかったよね

でも

家には漫画いっぱいあるわよ

子どもたち よく読んでた

 

 


のらくろと サザエさんくらい

家は テレビも ずっとなかったもんな

どう?

これって

漫画チックじゃない?

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