遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

そもそもの発端は 伴大納言絵詞

2014-11-08 17:35:34 | ただの記事

なぜこの絵巻物を 後白河は作らせたのか?

というのが私の関心の発端だった

↓の記事を読むと ますますわからなくなる

http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/1-29.htm

 

分かったのは 平安末期というのは

これは 関心を抱かないではいられない

すさまじい時代の転換期だったのだなということだ

伴大納言絵詞に描かれている応天門の変(866)

これは貞観期 

20100619234817f09

貞観彫刻↑ というようなのが

私にとっては平安前期のイメージ

王朝雅な時代というのは

遣唐使を廃止して以降のことではないか?

ともあれ

応天門の変では伴氏 紀氏を退け

そのあとも王権と摂関家の権力争いから

菅原道真も追いやられたり ・・・

その摂関家の権力のありようは

後白河の時代は 明らかにもはや古くて話にならん状態と思うけれど

武門と貴族の闘争もあれこれを手玉に取った

後白河が 何を目指したんだか

目指しもしなかったのか

訳が分からない

 

 

ともあれ

応天門の変で

藤原摂関家の権力が確立したのだ

 

 

応天門の変の 真犯人が

↑藤原の良房なのか

伴大納言↓なのか

 

分らないけれど

推理小説好きの私としては

この事件の勝者 良房が犯人だろうよと思い

なぜ その藤原氏が権力を確立した事件を

後白河は絵巻に遺そうとしたのか?と思ったのだ

 

上のリンク先の記事によると

和漢の間、比類なき暗主なり

と言っていたそうだし

まず帝王の器ではないと そういう評はいろいろあって

ドラマ 平清盛でも イカレポンチ風の表現が多かった

 

上のリンク先の方の意見のように

古の 王権 雅 華やかな時代への逆行復興を目指した

というとらえようならば

おバカな妄想体制派?みたいなものかもしれないけれど

でも 

1127年から1192年という時を

儚くはなく かなり濃厚に生きていたのが

面白いなあ と 興味は尽きない

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