仲良し 仲良し してるのね
かなちゃんは
なんとも大物だなあ
このゆったりした妹へのまなざし
妹はぎゃん泣き少女だけど
いつもお兄ちゃんはマイペース
子どもって不思議
仲良し 仲良し してるのね
かなちゃんは
なんとも大物だなあ
このゆったりした妹へのまなざし
妹はぎゃん泣き少女だけど
いつもお兄ちゃんはマイペース
子どもって不思議
わが市で またコロナ感染者出た
70代男性
都内勤務 って遠くまでお勤めねえ
重症のようだ
年寄りだとそうなるのだな
私の先生都内からこちらにご出勤
これまた70代だよ
心配だなあ
茨城県知事は東京との相互移動自粛しろって
要請を出した
先生はもういらっしゃれないかな
紹介状書いてもらってないぞ
庭のユリ見たら
!???
ムカゴがついてる
前描いたのと同じユリだと思ってたが
ふうん
ほら葉っぱの付け根に ムカゴ
わが家は引っ越し魔
地盤がないからしょうがない
私は生まれたのは
下町住吉
隅田川と荒川を結ぶ小名木川のそばだ
どんな住まいだったか
赤ん坊だった私に記憶はない
戸籍上の本籍は墨田区
今大相撲をやってる辺り
そこが親たちの育った場所
やがて戦争が激しくなり空襲も激しくなり
戦死した父の恩師に誘われ高田馬場に引っ越した
先生の家のそばに間借り生活
これが一番古い記憶
空襲はますます激しくなり
その恩師が もうこっちに来て一緒にお暮し
と高田馬場内で引っ越した
こっちゃんより小さいころだな
この後 私は祖母方の田舎
小川町に預けられたが
赤ん坊の私の扱いが気に入らないと
母は私を取り戻した
この小川町の記憶もある
梯子を上ると天井に降り口のある屋根裏部屋が
あった
こういうの
赤子の私には面白かった
母は私を預けるのはあきらめて
抱いて仕事をした
当時 飢えが我が国を襲っていたが
かわいい私を抱いて働く母に
顧客はいろいろ食べ物をくれたそうだ
二人家族 少々の食べ物で十分だから
くださる方も気軽だったのよ
と母は言っていた
だから 戦後の飢えに苦しんだ方も多かった庶民だが
われらは飢えに苦しんだことはない
やがて 知り合いの仲人で 養父と母は再婚
最初は御徒町に住んだ
ここは間借りだったと思う
その界隈は朝鮮の人が多く
思えば アメ横の風情は
韓国ドラマの商店街の姿とよく似てるな
私はここで手に入れる
クミンシードが欲しいのよ
いつになったら行かれるだろう
アメ横は 本郷に住んだ時の買い物場所でもあった
然し直に池袋に引っ越した
これは長屋
ったってニ軒つながってる短い長屋集落の一角
幼稚園への通園道は麦畑の中
今は昔だ
そこから 今怪獣の住む所へ引っ越した
まだ 甲州街道が未舗装で
調布のほうから
おわい車が ボッチャンボッチャン通っていた
20歳過ぎ おやじとけんかして家出
西の方へとさまよったけど
結局大田区の友人宅に転がり込んで
お納戸にお世話になった
やがて近くのアパートに移った
多摩川の下流のほとりだ
いろいろ職を転々
女がこれから生きていくには
職業を考えないとと と思って
かなり年食ってから 大学に行った
そのうち 母が持病の腎臓病が悪化
(この病気は私が生まれたせいなのだ)
おやじに任せてたら殺されちゃうと
松原の家に戻った
卒業制作のころは家に帰る暇もないので
学校のそばに下宿した
それは東京西部の三多摩地区
最初に赴任したのが 文京区
そこで 合法的に干渉がましいおやじから逃れるため
武蔵と結婚した
(この酔っ払いおやじとは 喧嘩もするが
血がつながってないとはいえ
一人っ子同士で実によく似てるんで
喧嘩が絶えなかったのだ)
最初 文京区で間借りしたが
職員住宅が空いて そこに入居できた
ここのそば
もうここの風景もすっかり変わってしまった
江戸川区に転勤することになって
江戸川区に転居
埋め立て地帯に立った マンション型の
勤労者福祉住宅5階が我が家
酔っ払いおやじも亡くなって病身の母を引き取って
共に暮らしてた
そのあと 浦安 ディズニーランドのそばに引っ越した
だからその時は千葉県民
↓は浦安の清瀧神社
この絵をかいてるちびが 小さいころの怪獣だ
さてそのあとは東京西部に転勤
それで
埼玉県の高麗に転居
ま この転居が子供たちに与えた影響が大変だった
でもあのあたりの景色は 私は好きだがな
武蔵は東京に通勤だし
私は豊島区に転勤
遠いので
主治医の家(練馬区)を借りて引っ越した
この青梅街道近く
退職後
一人で田舎で暮らしてるおばさんの世話する人はいないので
(彼女は独り者 血縁は甥姪しかいない)
老人にやさしい武蔵が田舎に行くべ と
田舎のない私も
田舎 いいな と思って
こっちに転居してきた
引っ越し魔の一生は ここが終の棲家かな?
耳がだめだからテレビは見ないが
武蔵はコロナ情報が欲しいか
よくテレビ見てる
おばさんはもっぱらテレビ
音が聞こえないで見てると
そのしゃべり方 すごくパターン化されてて
気持ち悪い
昔からそうだったか?
言葉の使い方も なんかどんどん変になってくる
カタカナ語がやたら
ということもあるけれど
例えば おうちで・・・って言い方
おかしくないか?
子どもに言って聞かせるとき
おうちにかえろうね とか
おうちでご飯食べた?とかいうけど
大人が家で何かするの おうちで
なんてこれまでこんなに言ったか?
ま 私の頭もどんどん劣化して
感じパズルも星三つでも知らない言葉が多すぎるしな
いいわ
マイペースで行くわ
然し
かわいいのはカエル
鳥
猫
虫
こういうので
ちびたちに絵本作ろう
今日は
誰かさんの誕生日 💛
おめでとう!
あああ 土曜の丑の日だってね
ウナギ屋にでも行きたいけどね
この4か月後が かなちゃんの誕生日だ
そこを目指して作るよ
ま 青息吐息で生き返った
メモリーは外付けのに入れてあるから
ま何とかなるだろうけどね
あまりに暑くて シャワー浴びたが
今日は涼しいみたいだ
なんか鬱になるって わかってきた気がする
もう絶滅のことばかり考えてるし
自分の老化のすごいことばかり
考えて こういう風にして 人間は鬱になっていくのだな
という感じがした
別に人に会わなくても(子供と孫は別だが)
一人で遊べるタイプだと言ってはいても
想像するに やっぱりみんな大変だ
東京で暮らすもの 都会で暮らすものが
ホント
大変だ
然し 社会の在り方について
これを機に
主人公が誰であるかを把握して転換していかないといけない
自分が王だと思ってる
あるいは女王だと思ってる者たちは
さっさと島流しにしろだわ
夕べツイッターで
障害児教育のことを書いてる記事を見た
その先生の名前を見て
珍しい名前だし
??
と
かつての友達の弟か?と思ったが
検索しても違うみたいだ
かなちゃんが障害を持ってるからではない
前も書いたが
美術教育の研究会では
障害児の分科会の方たちの研究はものすごく勉強になった
こういうのは教育に携わる者には必須だ
かなちゃんが通う保育園の先生たちも
非常によく勉強なさってて
かなちゃんママはいろいろ教えてもらっているらしい
然し 教育関係のツイートを見ると
全体としては すごく変な方向に行ってる
子どもを型にはめて しつけて 社会の(ったてその社会の主人公に設定されてるものがおかしい)しもべを作るようにしつけるのが教育みたいな傾向が
また ゾロ 出てきてるのか 心配だ