赤ひげ功労賞の野尻院長に聞く 山間地医療の使命とは 岐阜・白川病院
地域医療に貢献したとして「赤ひげ功労賞」を受賞した野尻眞院長。山間地での医療の役割について思いを語った=加茂郡白川町坂ノ東、白川病院
地域医療に長年貢献した医師を表彰する日本医師会の「赤ひげ大賞」の功労賞に、白川病院(岐阜県加茂郡白川町坂ノ東)の野尻眞院長(73)が選ばれた。かつては無医村といわれた山間地にある白川町で唯一の病院として、地域住民の健康や命と向き合ってきた。「同じ健康保険証を持っているのに、山間部だから助からなかったという思いをさせたくない。医療レベルを上げ、安心できる医療の提供を目指してきた」と話す。
診療するのは、急性期の救急医療から、高齢者の慢性疾患まで多岐にわたる。野尻院長が手本としたのは、世界で初めて全身麻酔を用いて乳がん手術を成功させたことで知られる、江戸時代の医師華岡青洲。「青洲は『内外合一』という言葉を残している。良き内科医は、良き外科医でもなければいけない。今でいう総合診療の大切さを説いた言葉」と言う。
白川町の高齢化率は県内で最も高い46・8%(2020年国勢調査)。さらに人口は7400人余りと、少子高齢化に加え「少数化」も課題となっている。医療ニーズが高い一方で高齢患者の足の確保も問題となっており、白川病院では独自に無料送迎バスを走らせて医療へのアクセスを維持。また、健康寿命を延ばすための予防医学にも取り組み、「白川病院旗」としてゲートボールや野球などのスポーツ大会を多数開催してきた。「長寿社会といわれる日本だが、健康寿命をいかに延ばせるかが究極の目標」と語る。
白川病院は戦後間もない1946年、野尻院長の父の故元広氏が開業した。戦前の白川町は無医村で、元広氏は幼少期に母を亡くした。野尻院長は、十分な治療を受けられなかった母のような思いをさせたくないと医師を志した父の元広氏の遺志を継ぎ、地域医療を守ることを使命としてきた。「命は有限で人はいつか死ぬが、本人が苦しまず、残された家族が後悔しない最期を迎えてほしい」と、患者と家族が納得できるみとりも大切にしている。これからも白川町の「赤ひげ先生」として、地域医療を担っていく。