歯科医物語

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あしたのジョー誕生55周年

2023-01-28 13:52:41 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
ちばてつやさん、ラストシーンの燃え尽きたジョーは「力を出し切ったさわやかさ描いた」…あしたのジョー誕生55周年

自宅にある巨大パネルを背に「あしたのジョー」の思い出を語ったちばてつやさん(カメラ・矢口 亨)
 漫画史に残る不朽の名作「あしたのジョー」が誕生してから55周年を迎えた。原作・高森朝雄(梶原一騎)さん(87年死去)、漫画・ちばてつやさん(84)のタッグが世に放ったボクシング漫画は社会現象となり、累計発行部数は2000万部超、テレビアニメの最高視聴率は31・6%を記録した。デジタル全盛となった今も、その魅力は色あせない。ちばさんが梶原さんとの出会いから主人公・矢吹丈の生きざままでを語った。(久保 阿礼)  東京・練馬区にある自宅応接室には、巨大なパネルが飾られている。優しい表情の横顔。ちょうど窓から差し込んだ夕日がジョーを照らした。ちばさんはパネル前のソファに深くゆっくりと腰掛けた。「もう55年か…あっという間だよね」

 







  ジョーが世に出たのは、1967年12月15日発売(68年1月1日号)の「週刊少年マガジン」(講談社)、ちばさん28歳の時だった。梶原さんとはその数年前、漫画家や編集者らによる野球大会で初めて顔を合わせた。「たまたま、私が審判をやることになってね。帽子をかぶった梶原さんが右打席に立った。外角のきわどいコースを『ストライク~!』ってコールしたら、ギロッてにらまれた。だから、よく覚えています」  もともと、「あしたのジョー」はちばさん一人で描く予定だったという。ジムにも通い、選手やコーチの息づかいを聞いた。だがある日突然、編集者から「梶原さんと組んでみないか?」と提案された。最初は戸惑い、数回は断ったというが、「新しい作品ができるかもしれない」と共作を決めた。  



 





その予感は的中した。試合中のジョーのパンチが原因でライバルの力石徹が帰らぬ人になると、講談社の講堂で葬儀が開かれ、数百人のファンがその早すぎる死を悼んだ。挫折を経験しながら前へと進もうとするジョーの物語は寺山修司さん、三島由紀夫さん、横尾忠則さんら時代を象徴する知識人をも熱狂させる社会現象になった。  「水と油」。ちばさんは梶原さんとの違いをこう表現する。「私は、ヤクザとか、裏社会には詳しくなかった。大したものだな、と感心しながら、何度も会って、話し合った。梶原さんが持っている雰囲気を確かめました」。梶原さんの世界観が、ライバルの力石やジョーに敗れヤクザの用心棒になったウルフ金串とすれば、ジョーを慕うドヤ街の子どもたちらは、ちばさんの世界観だった。ジョーは仲間の温かい励ましで、何度も挫折から立ち上がる。「試合のような重い話が続くと、どうしても息が詰まってしまいます。だから、ジョーをホッとさせたいな、と。梶原さんも『こういう話を間に入れてくれて良かった』と言ってくれましたね」 



 




 作品には2人の女性が登場する。財閥の令嬢、白木葉子と乾物屋の林紀子。紀子はちばさんのイメージ通りだったが、梶原さんの提案だった葉子は描き進めても違和感があった。「私自身が葉子のことをよく分からなかった。お金持ちの女性は周りにいなかったのでね。ジョーも『お前は何を考えてるのか』って言っています。あの気持ちです。最後の方で、ジョーがパンチドランカーになり、体の調子が悪いのに戦い続けた。その時、葉子は『これ以上、戦うのはやめて』と言った。その辺りを描いている時、ようやく葉子の気持ちが分かってきたような気がしましたね」  今振り返れば、ちばさんも「一緒にジョーと戦っていた」という。連載終わり頃には十二指腸潰瘍になり、入院し、休載したこともあった。作品中、紀子がジョーに「もうボクシングやめたら?」と問いかける場面がある。その問いは、ちばさん自身の苦しみを反映したものだ。「私もちょうどその頃、体調が悪くなってしまい、何で漫画を描いているのか? 命と漫画、どっちが大事だ、と自問自答したんです。でも、力石のお葬式まであげてもらった。『命を縮めてもいい』と思えました」  ラストシーン。ちばさんは、灰のように真っ白になったジョーを描いた。生きているのか、それとも―。 



 






 「私も燃え尽きたところがあった。当時の自分の気持ちをそのまま描きました。連載が終わった後、ファンの方がお花を持って訪ねてきたことがあります。『ジョーは死んだんですか?』と。私は『真っ黒な炭が燃えると真っ赤になって、燃え尽きると、真っ白な灰になるでしょ』と答えました。力を出し切ったというさわやかさ、すがすがしさを自分で感じていてね。その姿を描いたんです」  73年、少年マガジン5月13日号で連載は終了。物語は読者それぞれに委ねられた。今年5月で、あのラストシーンから50年を迎える。





 




  ◆ちばてつや(本名・千葉徹弥)1939年1月11日、東京都生まれ。84歳。2歳で旧満州・奉天(現・中国遼寧省瀋陽)に渡る。終戦を迎え、引き揚げた。1956年、16歳で貸本向け単行本でデビュー。代表作に「ちかいの魔球」(原作・福本和也)、「紫電改のタカ」「ハリスの旋風」「おれは鉄兵」「のたり松太郎」「あした天気になあれ」など。2002年、紫綬褒章受章。05年から文星芸術大(宇都宮市)マンガ専攻教授。19年4月から学長。22年3月、退任。日本漫画家協会会長。
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根尾のキャッチボール

2023-01-28 11:16:37 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
「全てに感動」のキャッチボール

1月2日、砂田は根尾のキャッチボールを初めて見て「本当に凄い」

中日・根尾昂



 

 間もなくキャンプインを迎える2023年のプロ野球も楽しみが多いが、その1つといえるが中日の根尾昂投手だろう。昨季途中に野手から転向。初めて投手としてスタートするプロ5年目はキャンプ2軍スタートだが、期待は高い。DeNAからトレード加入した砂田毅樹投手が、初めてキャッチボールを見たときの“衝撃”を明かした。 






同僚も「認めざるを得ない」「感動」と釘付け… 全てが美しい根尾のキャッチボール  1月2日、ナゴヤ球場でのことだった。移籍して初めて中日の練習場を訪れた砂田は、練習に来ていた田島慎二投手とキャッチボールをしていた。しばらくすると、近くで根尾がキャッチボールを始め、砂田の視線は釘付けとなった。 「ヤバい。本当に凄い。バケモンだと思いました」  あまりの驚きを田島に伝えると「あいつは本当に凄いよ。真面目だし」と返ってきた。チームメートも認める球筋。では目を奪われるほどの「凄さ」とはどこにあるのか。砂田は「ボールからフォームから全てに感動した。お手本のような、1つ1つが『こういう投げ方をしたいな』という動き。フォーム自体も綺麗で、それに加えてボールの強さもある。バランス良すぎだろう、って見とれました」と説明した。







  DeNAで9年間プロ生活を過ごして迎える10年目のシーズン。これまでも“凄いボール”は見てきたという。「三嶋(一輝)さんも『凄いな』と思ったんですけど、根尾君はそれとはまた種類が違うんです。だから比べられないですけど、とにかく全体的に言うと一番衝撃を受けました」と言うほどだ。  さらに会話をしてみると、謙虚な姿勢やトレーニングに黙々と励む様子も伝わってきたという。「正直言うと、ずっと投手をやっていたから、野手から投手をやった選手に負けたくないと思ってました。でも、負けてもいいとは思わないですけど、印象は全然変わりました。凄いと認めざるを得ない。嫉妬より尊敬ですね」。  もちろん、練習と試合は違う。それでも、同じプロ野球選手をこれほどまでに驚かせる才能には、期待せずにはいられない。「投手・根尾昂」として始まるシーズンは、どんな1年になるのだろうか。
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布団

2023-01-28 07:43:03 | ☆エッセイ・コラム
今使っている布団は 私が信州に行くとき

寒いからと普通に布団小さいからと大きく作ってくれたもくれたものであ

母と私の祖母が 作ってくれたものであるである

祖母は生きていれば 120歳ぐらいである

 
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詩人・天沢退二郎さんが死去

2023-01-28 07:38:38 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
詩人・天沢退二郎さんが死去 「<地獄>にて」で高見順賞

 詩人で明治学院大名誉教授の天沢退二郎(あまざわ・たいじろう)さんが25日、急性呼吸不全のため死去した。86歳。通夜は2月5日午後6時、千葉市稲毛区稲毛東4の10の7のセレモ稲毛駅ホール。葬儀は近親者で営む。喪主は妻マリ林(まりりん、本名・衆子=しゅうこ)さん。

 



 
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【60代が選ぶ】「1980年代を代表する日本のロックバンド・ユニット」ランキング! 第1位は「RCサクセション」

2023-01-28 06:49:04 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)


 

 



 
 
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