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〝プーチン暗殺〟米上院議員が呼びかけ 

2022-10-03 23:37:57 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)


わたしも前にも書いたが 同意見




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〝プーチン暗殺〟米上院議員が呼びかけ 「あの男を殺すしかない」ニュースのインタビューで発言 露出身の実業家は懸賞金も
2022/3/5 15:00

ウクライナ侵攻反応

米議会上院の有力議員、リンゼー・グラム氏がロシアのウラジーミル・プーチン大統領の「暗殺」を呼びかけた。ウクライナに軍事侵攻、原発を攻撃するなど暴走するプーチン氏だが、現職議員が他国の元首の暗殺に言及するのは異例だ。


「ロシアの侵攻をどうやって終わらせるか? ロシアの誰かが名乗り出て、あの男(=プーチン氏)を殺すしかない」
グラム氏は3日夜、米保守系FOXニュースのインタビューで、こう発言した。ツイッターでは古代ローマ帝国の英雄、ジュリアス・シーザーを暗殺した首謀者のブルータスらを引き合いに、「ロシアにブルータスはいないのか?」「プーチン氏を暗殺すればロシアに限らず、世界に大きく貢献することになるだろう」と発信した。
ロシア出身の実業家、


アレックス・コナニキン氏は1日、ウクライナを侵攻した戦争犯罪は法で裁かれるべきだとして、プーチン氏の首に100万ドル(約1億円)の懸賞金をかけると表明している。
世界の「お尋ね者」になったプーチン氏はいま、どこにいるのか

 
 
 

 

 

 


 

 
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坂本龍一が生んだ映画音楽作品7選

2022-10-03 22:59:47 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
『戦メリ』から『レヴェナント』

 


『アフター・ヤン』まで坂本龍一が生んだ映画音楽作品7選

『アフター・ヤン』(C)2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.
 



A24が製作、前作『コロンバス』が世界中で話題となったコゴナダ監督による最新作『アフター・ヤン』。本作のオリジナル・テーマ曲を手掛けたのは、映画史に数々の名曲を残し続ける坂本龍一。コゴナダ監督にとって坂本龍一は「ずいぶん昔からお気に入りの作曲家でした」と語るほど敬愛する存在。 【画像】『アフター・ヤン』コゴナダ監督にとって夢のタッグが実現 また、「僕たちの映画のためにサカモトがテーマ曲を作ってくれたなんて、今もまだ信じられない」と胸の内を明かし、「本人に会い、サカモト自身と彼の音楽が僕にとっていかに大切なものかを伝えることが夢だったんです。サカモトが時間を割いてこの映画に関わってくれたこと、彼と交流できたこと、彼が本を買ってくれたこと。何もかも素晴らしすぎました。墓場まで持っていって微笑むか、鼻歌を歌いますよ」と本作によって叶えられた“夢の実現”に喜びの声をあげている。 日本公開を迎える『アフター・ヤン』をはじめ、坂本さんが生んだ映画音楽の世界を堪能できる作品を7本ピックアップした。



 ◆『アフター・ヤン』10月21日(金)公開 【動かなくなったAIロボット・ヤンのメモリには、彼だけのまなざしとある“秘密”が残されていた】 “テクノ”と呼ばれる人型ロボットが、一般家庭にまで普及した未来世界。茶葉の販売店を営むジェイク、妻のカイラ、中国系の幼い養女ミカは、慎ましくも幸せな日々を送っていた。しかしロボットのヤンが突然の故障、そのメモリバンクに保存された映像には、ジェイクの家族に向けられたヤンの温かな眼差しと、ヤンがめぐり合った素性不明の若い女性の姿が記録されていた…。 オリジナル・テーマ曲を坂本さんが作曲、音楽を手掛けたAska Matsumiyaの美しいアレンジに加え、岩井俊二監督作品『リリイ・シュシュのすべて』で多くの

 

映画ファンの胸に刻まれた名曲「グライド」をMitskiが歌う新バージョンで甦らせるなど、日本と縁深い側面を多く持つ本作。 小津安二郎の信奉者としても知られる韓国系アメリカ人のコゴナダ監督自身が「アジア人としてのアイデンティティ」をSFの世界観を通して探求するとともに、人間と人工知能のあわいを伏線豊かに描いたことで、静謐な映像と心に響く音楽が観る者を魅了する。 監督からオファーを受けた坂本さんは「コゴナダのvideo blogは以前からよく見ていました。それらはとても素晴らしいもので、小津への愛が尋常ではないことがよく伝わります」と感動した様子で、「その点で非常に興味をもっていましたし、一度L.A.でコンサートをした時にお会いしたことがあり、とても好印象を持ちました。彼の前作『Columbus』はとても静かで美しい映画でしたので、今作にも期待していました。関わることができて幸せです」とコメントを寄せている。




 ◆『MINAMATA-ミナマタ-』(2021年公開)
 


 【共同製作・主演のジョニー・デップがキャリアをかけて伝えたかった、世界への警告と希望の光】 20世紀半ば、雑誌「ライフ」を中心に数々の優れたフォト・エッセイを発表して活躍したアメリカを代表する報道写真家ユージン・スミス。ある時、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。水銀に冒され歩くことも話すこともできない子どもたち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側。そんな光景に驚きながらも冷静にシャッターを切り続けるユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮影する。 伝説の写真家と水俣の実話から生まれた本作に、産業公害に強い関心を持つ坂本さんは、「ミナマタは決して過去のことではないという気持ちで音楽を担当しました」と同じ志を持つ者としての想いを語っていた。


 ◆『母と暮せば』(2015年公開) 【山田洋次監督が作家・井上ひさしに捧げる――長崎の原爆で亡くなった息子と残された母親の<愛>】 1948年8月9日。長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で亡くしたはずの息子・浩二がひょっこり現れる。2人はたくさんの話をするが、一番の関心は浩二の恋人・町子のことだった。「いつかあの子の幸せも考えなきゃね」。その幸せは永遠に続くようにみえたが…。 「父と暮せば」の劇作家・井上ひさしが長崎を舞台に描きたいと強く考えていた構想を、日本映画界を代表する名匠・山田洋次監督が映画化し、第89回アカデミー賞で外国語映画賞(当時)の日本代表作品に選ばれた。14年より病気療養中だった坂本さんの復帰第1作で、“原爆の犠牲者を含めた戦争の犠牲者への鎮魂の思いを込めた演奏を”という監督の願いを汲み、本作の音楽を手掛けた。

 


 ◆『レヴェナント: 蘇えりし者』(2016年公開) 【生きる糧は“復讐心”…レオナルド・ディカプリオの鬼気迫る演技に息をのむサバイバル・アドベンチャー】 1823年、毛皮ハンターの一団の隊長・ヘンリーを先頭に、ガイド役のヒュー・グラスと息子のホーク、そしてグラスに対して敵意を抱くフィッツジェラルドたちはアメリカ西部の未開拓地を進む。しかし、グラスは巨大な熊に襲われて瀕死の重傷を負い、隊長・ヘンリーは余命わずかに見えるグラスを残して行くことを決断。フィッツジェラルドたちにグラスの最期を看取るよう命じるが…。 第88回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞を受賞するなど、その年の各ショーレースを総なめにした。「この映画の主役はあくまで自然。音楽が空気のように存在し、映像が捉えた自然の素晴らしさを下支えしたかった」と語るように、大自然と対峙するディカプリオ演じる主人公グラスの息づかいにシンクロする“呼吸する音楽”は英国アカデミー賞にノミネートされるなど高い評価を得た。



 ◆『シェルタリング・スカイ』(1991年公開) 【壮大な砂漠の旅の果てにたどり着く先は?――人間の喪失と虚無を描いたヒューマンドラマ】 第2次世界大戦後、ニューヨークでの文明生活に倦怠感を覚えていた作曲家のポート・モレスビーと妻で劇作家のキットは友人のタナーとともに北アフリカに降り立つ。かつてのような激しい愛も夢も色あせてしまった夫婦は、この異国の地で失った何かを取り戻そうとするが、互いの想いはすれ違うばかり。サハラ砂漠の奥深くへと足を踏み入れるうちに過酷な運命に翻弄されていく2人の愛の行く果ては…? 坂本さんは、第16回ロサンゼルス映画批評賞家協会賞音楽賞を受賞し、アジア人の受賞は第11回の『乱』武満徹に続いて2人目の快挙を飾る。また、2019年にフィギュアスケーター・高橋大輔の演技でテーマ音楽が起用されたことも話題を呼んだ。 

 

◆『ラストエンペラー』(1988年公開) 【アカデミー賞9部門を制覇した、清朝最後の皇帝の波乱に満ちた生涯を描いた歴史大作】

 


 『ラストタンゴ・イン・パリ』『1900年』で知られるイタリアのベルナルド・ベルトルッチ監督が清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の自伝「わが半生」を原作に映画化。わずか3歳で清朝皇帝の地位につきながらも、近代化の嵐にもまれ、孤独な日々を送らざるを得なかった溥儀。彼が即位してから文化大革命以降に至るまで、激動の近代史に翻弄された彼の人生を壮大なスケールと色彩豊かな映像美で描き出した。 第60回アカデミー賞ではノミネートされた9部門(作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣裳デザイン賞、美術賞、作曲賞)全て受賞。本作で坂本さんはアジア人として初めてアカデミー作曲賞を受賞した。 ◆『戦場のメリークリスマス』(1983年公開) 【“戦闘シーンのない戦争映画”がみせる戦争の闇を容赦なく描く――大島渚監督最大のヒット作】 大島渚監督が第二次世界大戦下のジャワ島を舞台に、日本軍のエリート士官と捕虜の連合軍将校らの交流を描いた、極限の群像ドラマ。 1942年、太平洋戦争下のジャワ島。日本軍の捕虜収容所では厳格なエリート士官の所長・ヨノイ大尉、粗暴ながらもどこか憎めない古参のハラ軍曹らのもと、英軍将校ロレンスら数百人の連合軍捕虜が日々を過ごす。ある時、軍律会議に出席したヨノイは、新たに捕虜となった英軍少佐セリアズと出会う。死を覚悟してなお誇りを失わない彼の姿に、ヨノイは不思議と魅せられるが…。 デヴィッド・ボウイ、坂本さん、ビートたけしら国内外の異色スターたちが共演。また、本作は坂本さんが初めて映画音楽を手掛けた作品であり、テーマ曲「Merry Christmas Mr. Lawrence」は誰もが知る名曲となった。 『アフター・ヤン』は10月21日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開。
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スバンテ・ペーボ氏(その2)

2022-10-03 22:40:46 | ☆医療・歯科(口腔外科)医療について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スバンテ・ペーボ生誕国籍研究分野研究機関出身校主な受賞歴
スバンテ・ペーボ(2016)
1955年4月20日(67歳)
 スウェーデン ストックホルム
 スウェーデン
遺伝学
マックス・プランク進化人類学研究所
沖縄科学技術大学院大学
ウプサラ大学
ライプニッツ賞 (1992)
グルーバー賞 (2013)
生命科学ブレイクスルー賞 (2016)
慶應医学賞 (2016)
ノーベル生理学・医学賞(2022)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2022年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:絶滅したヒト族のゲノムと人類の進化に関する発見
スバンテ・ペーボ(Svante Pääbo [ˈsvanˈtɛ ˈpɛːbʊ]、1955年4月20日 - )は、スウェーデン生まれの生物学者。専門は進化遺伝学。沖縄科学技術大学院大学客員教授



2022年、ノーベル生理学・医学賞受賞





経歴[編集]

1955年にストックホルムでノーベル賞受賞者スネ・ベリストロームと、彼の愛人だったエストニア人の化学者カリン・ペーボとの間に婚外子として生まれる。父親のべリストロームと正妻との間に生まれた同い年のビジネスマンの兄は、2004年に父親が亡くなる直前の告白により、初めてペーボと自分が兄弟であることを知った。
エジプトのミイラに強い興味を持ち、ウプサラ大学の文学部で科学史・エジプト学・ロシア語を学んだ後に、父親のアドバイスに従い同大学の医学部に転部した。ウプサラ大学で1986年に学位を取り、1997年からドイツのマックス・プランク進化人類学研究所で遺伝学部門のディレクターを務めている。 アメリカ人の霊長類学者との間に二人の子供がいるが、実はバイセクシャルだとカミングアウトをしている。



業績[編集]

ペーボの部門は2002年に”言語遺伝子”FOXP2を報告した。この遺伝子は言語障害のある人々で欠損している。ペーボは古代人類に遺伝学の手法を用いる分野、古遺伝学の創始者の一人として知られている。2006年にはネアンデルタール人のゲノムの復元計画を発表した。2007年にはタイム誌で、もっとも影響力のある100人に選ばれた。
2010年3月、ペーボと共同研究者はシベリアのデニソワ洞窟(英語版)から見つかったデニソワ人の指の骨をDNA分析し、未発見のヒト属のものである可能性を発表した。2010年5月にペーボらのチームはネアンデルタール人のドラフトゲノム配列をサイエンス誌に発表し、ネアンデルタール人と現生人類の間で交雑があった可能性が高いことを報告した。しかし一部の考古学者はこの発表を疑問視している。




受賞・叙勲[編集]

  • 1992年 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞
  • 2003年 エルンスト・シエーリング賞
  • 2005年 ルイ=ジャンテ医学賞
  • 2009年 キスラー賞
  • 2010年 Theodor Bücher賞(ヨーロッパ生化学学会連盟から)
  • 2013年 グルーバー賞遺伝学部門
  • 2014年 ロモノーソフ金メダル
  • 2016年 生命科学ブレイクスルー賞、慶應医学賞
  • 2017年 ダン・デイヴィッド賞
  • 2018年 アストゥリアス皇太子賞 学術・技術研究部門
  • 2018年 HFSP中曽根賞、ケルバー欧州科学賞
  • 2019年 ワイリー賞、ダーウィン=ウォレス・メダル
  • 2020年 日本国際賞[7]
  • 2021年 マスリー賞
  • 2022年 ノーベル生理学・医学賞
2000年にスウェーデン王立科学アカデミーのメンバーに選ばれた。2008年にはプール・ル・メリット勲章、2009年にはドイツ連邦共和国功労勲章を受勲した。

著作[編集]

  • 『ネアンデルタール人は私たちと交配した(原題 Neanderthal man)』 野中香方子 訳 文藝春秋 2015年 ISBN 978-4-16-390204-3
 
 
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ノーベル医学生理学賞に独研究所のスバンテ・ペーボ教授

2022-10-03 22:28:21 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
ノーベル医学生理学賞に独研究所のスバンテ・ペーボ教授 人類の進化の研究に貢献、沖縄科学技術大学院大学にも在籍

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今年のノーベル医学生理学賞が発表され、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授が選ばれました。ペーボ氏は沖縄科学技術大学院大学の客員教授も務めています。

 

 スウェーデン・ストックホルムのカロリンスカ研究所は、今年のノーベル医学生理学賞をスウェーデン出身でドイツのマックス・プランク進化人類学研究所・教授のスバンテ・ペーボ氏に授与すると発表しました。

 


 ペーボ氏は、絶滅した人類であるネアンデルタール人のゲノム=遺伝情報の解析に成功し、現代の人類にも絶滅した人類のゲノムが受け継がれていることを発見。人類の進化の研究に貢献したことが評価されました。 ペーボ氏は沖縄科学技術大学院大学の客員教授も務めていて、おととし、科学技術の進歩に貢献した研究者を表彰する「日本国際賞」の受賞者に選ばれています。


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日本初の週刊少年マンガ誌はどのように発展していったのか

2022-10-03 22:18:16 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
日本初の週刊少年マンガ誌はどのように発展していったのか――その半世紀の歴史に迫る

『「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959ー2009 (星海社新書)』伊藤 和弘 星海社

 

 創刊以来、数え切れないほどのヒット作品を生み出してきた『週刊少年マガジン』。その1959年から2009年までにおけるおよそ50年の歴史に迫った一冊が、今回ご紹介する『「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959‐2009』です。  今ではマンガは大人が読むのも当たり前になっていますが、『週刊少年マガジン』が創刊された当時は、マンガであるというだけで「子どもをダメにする悪書」「有害図書」とされるほど風当たりの強い時代でした。  そうした声への対策として、創刊号の表紙に起用されたのは当時大関だった力士の朝汐。掲載作品もスポーツ・科学記事や小説が多く、本誌の連載マンガは5本のみだったというから驚きです。それを変えようとしたのが、のちに第4代目編集長となる宮原照夫さん。「これからの漫画には"人間を描く"ことが必要だ」という思いのもと、「高校生も読める作品」を目指して描かれたのが1961年にスタートした『ちかいの魔球』という野球マンガでした。 

 

 このヒットが『巨人の星』

 

『あしたのジョー』といった"スポ根マンガ"ブームへとつながり、『週間少年マガジン』は怒涛の快進撃を見せます。同書の著者・伊藤和弘さんは、「『週間少年サンデー』と並んで最長の歴史を持ち、『巨人の星』や『あしたのジョー』

 

といった『大人も夢中になるマンガ』を生み出した『週刊少年マガジン』がはたした役割は極めて大きい」(同書より)と記します。  ほかにも、"日本初の少年週刊誌"の名をかけて『週刊少年サンデー』と繰り広げた創刊レース、手塚治虫がライバル誌『サンデー』へと移籍した「W3事件」、

 
『あしたのジョー』を生み出した"水と油"コンビ、遅れて市場に参戦した『少年ジャンプ』との首位争いなど、同書には興味深い実話の数々が時代とともに記されています。  ちばてつやや川崎のぼるといったレジェンド、歴代編集長やマンガ原作者の樹林伸にロングインタビューもおこなっているため、エピソードの臨場感もひとしお。



本邦初公開の情報も盛り込まれており、マンガファン必読の内容となっています。  2022年現在、1月から3月の『週刊少年マガジン』の発行部数は48万部。数字だけ見ると、史上最大部数となった1998年の445万部からおよそ10分の1にまで激減していますが、これにはインターネットや電子書籍の隆盛により、紙の雑誌自体が売れなくなってきていることが挙げられます。『週刊少年マガジン』現編集長の栗田宏俊さんが言うように、「マンガの捉えられ方というか、マンガの嗜好がどんどん細分化されている」(同書より)というのも大きいでしょう。 



 しかし電子書籍も含めればマンガそのものは昭和や平成の頃より売れているのが実情。「マガジン編集部だけ見ても、単行本は売れているし、雑誌の部数が落ちても利益は十分に出ています」(同書より)と栗田さんは話します。日本独自のマンガ文化はまだまだ終焉を迎えることはなさそうです。毎週の連載を心待ちにしていた子ども時代に思いを馳せながら、みなさんも同書で『週刊少年マガジン』の半世紀の歴史をたどってみてはいかがでしょうか。 [文・鷺ノ宮やよい]
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