歯科医物語

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角松敏生 コンサート(コンサート大好き1142)

2022-02-21 22:51:00 | ☆コンサート 大好き


 
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西郷輝彦さんの前立腺がん

2022-02-21 22:42:02 | ☆がん闘病記
西郷輝彦さんの前立腺がんは

6年目に再発とのこと

私は大腸がん術後4年 (STAGE3B)

普通 術後 5年で 治癒とされる (5年生存率)

あと1年と思っっていたが

術後 5年では安心できないな

最近は 10年生存率といわれる。



 


 
 
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木村拓哉 vs 山下達郎

2022-02-21 22:35:02 | ☆山下達郎 大好き


 
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命がけでよく呑みよく揉めた 高田文夫氏が急逝の西村賢太さんを悼む

2022-02-21 22:28:09 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
命がけでよく呑みよく揉めた 高田文夫氏が急逝の西村賢太さんを悼む
2/21(月) 19:15配信

54歳で急逝した作家・西村賢太さん
 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、2月5日に54歳で急逝した作家・西村賢太さんについてつづる。
 * * *  賢太の苦役列車がやっぱり早々と脱線してしまった。54歳での急死はあまりにも早い。  この時代どうしたって流行らない「私小説家」「無頼派」を名乗り、文学界からも珍しいので少しはちやほやしてもらった。犯罪者を父に持ち、母はどこにいるのか。「東京っ子だ」と胸を張るが江戸川である(別に江戸川が悪い訳ではないが)。中学を卒業してから、アルバイトの肉体労働に明け暮れ、若さゆえ酒、買春、反省の日々。あの強面でびっくりするほどの小心、繊細すぎる神経からいつも仕事では周りとぶつかっていた。  それでも常にラジオ(『ビートたけしのオールナイトニッポン』『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』)だけは欠かさず聴き、私が何を言い、どう行動していたかを知る“耳だけストーカー”の大男であった。顔とは、そぐわないが人一倍江戸のユーモアを理解し、洒落を愛する男だった。  時間があくと浅草演芸ホールへ行く日常である。そして大正時代の藤澤清造に心酔し、闇に葬られた作家の墓を建て、全集を作った。芥川賞受賞時の記者会見「そろそろ風俗へ行こうと思ってました」に日本中が爆笑。ここ一番で必ず笑いを取るというこの「高田イズム」をキチンとマスターしておりました。  文芸誌の編集者達からは「西村さんが会いたがっています」やら「ケンタが“傍流弟子”になりたがっています」なんて声をきくようになったので、私のラジオ番組で会えるようお膳立てしてもらった。  互いの都合もあって生放送の前にあらかじめケンタのコーナーは録音。緊張してるのか少し遅れてるのでスタジオ前のロビーにいると鶴瓶が私を見つけ「センセ、誰待ってはるの?」ときくから、ナイスタイミング。その日の東京スポーツの一面を見せ「この男を待ってるんだよ」。そこには大きな大きな、これ以上大きな文字はない大きさで「芥川賞 西村賢太 風俗3P」とありその下に小さく「印税で悲願実現します」とあった。
 それを見た鶴瓶ひっくり返って喜び「この男、相当頭おかしいやろ、ギャハハ」と笑った。「センセ、猛獣使いみたいにこんなん好きやな」と言った。  カメラの前でチンチン出した芸能界一頭のおかしい男から「頭おかしい」という日本一のほめ言葉をもらって賢太も幸せ。  以来、ケンタと同い年の東京っ子、玉袋筋太郎とでよく呑みよく揉めた。鶯谷の24時間やっている「S」へも危険をかえりみず行ったっけ。  桃太郎とキジのごとく、石原慎太郎のお供でちゃんと三途の川も渡ったろう。まさに「火事とケンタは江戸の華」である。 イラスト/佐野文二郎 ※週刊ポスト2022年3月4日号
 

 

 
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西郷輝彦さん、豪州での日本未承認治療でがん消えるも腫瘍マーカー大幅増

2022-02-21 22:12:54 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
西郷輝彦さん、豪州での日本未承認治療でがん消えるも腫瘍マーカー大幅増に首かしげていた
2/21(月) 14:56配信
257コメント257件

西郷輝彦さん(2017年7月撮影)
歌手で俳優の西郷輝彦(さいごう・てるひこ)さん(本名・今川盛揮=いまがわ・せいき)が20日午前9時41分、前立腺がんのため都内の病院で亡くなった。75歳だった。所属事務所サンミュージックが21日、発表した。葬儀は近親者のみで営む。 【写真】娘・辺見えみりとテレビ初共演で涙をぬぐう西郷輝彦さん 西郷さんは11年に前立腺がんと診断され、全摘出手術を受けたが17年に再発を告白。21年4月23日にはコロナ禍の中、腫瘍マーカーの数値PSAが上がったため主治医と話し合い、がんの最先端治療を行うためオーストラリアに渡った。


放射性物質を使うため、日本では未承認の「PSMA標的内用療法」を受けるためだった。 西郷さんは、愛用する米アップルのパソコンを用いてYouTubeチャンネルを立ち上げ、自ら撮影、編集した映像で治療の報告を行った。21年8月22日には日本テレビ系「24時間テレビ」に中継で出演し「元気ですよ」と口にしていた。 同8月29日の動画「第4弾 がんが消えた編 衝撃の画像公開 完」では、治療経過が収められたDVDを見ながら、妻とともに「(がんが)消えてる…やった!」と喜び合った。一方で、基準値が0~4ナノグラムパーミリリットルとされる前立腺腫瘍マーカー(PSA)の値が、同7月29日に510、同8月16日には800と大幅に基準を超え「がんが消えて、PSA(前立腺腫瘍マーカー)が上がる?」と首をかしげた。 さらに動画の中で、オーストラリア側から「治療を中止して日本で調べたらどうか」と言われたこと、一方、日本側は「がんは消えている。あとはあなたの判断」と告げられたと画像で説明。その上で、海外に出て「PSMA治療を中止して、日本へ帰るなんて、とんでもない。こっちで調べて、調べて、検査して、検査して、必ず3回目の治療をやる。いいね!」と宣言していた。 動画の投稿は、それが最後となった。同9月7日にはTBS系「あさチャン!」に出演し「完全に治るわけじゃないと私も思っています」と語り、帰国する方向性も示していた。 ツイッターも、21年9月5日に「明後日7日(火)の『あさチャン!』にシドニーから中継で出演します。日本時間6:20ごろからの予定です。早いけど是非ご覧下さい」と投稿したのが、最後となった


 

 
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