論語を現代語訳してみました。
雍也 第六
《原文》
子曰、雍也可使南面。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、雍〔よう〕や南面〔なんめん〕せ使〔し〕む可〔べ〕し。
子 曰〔のたま〕わく、雍〔よう〕や南面〔なんめん〕せ使〔し〕む可〔べ〕し。
《 はじめに 》
そもそも『君子』とは何なのか、ということについてお話したいと思いますが、中庸 第十四章のなかで、『君子』について次のように記されています。
「君子は、其〔そ〕の位に素〔そ〕して行ない、其の外〔ほか〕を願わず。富貴〔ふうき〕に素しては富貴に行ない、貧賤〔ひんせん〕に素しては貧賤に行ない、夷狄〔いてき〕に素しては夷狄に行ない、患難〔かんなん〕に素しては患難に行なう。君子 入〔い〕るとして自得〔じとく〕せざる無きなり。」
つまり君子たる人物というのは、① 自分の立ち位置をしっかりと認識し、その中で多くを望まない人。
② 高い地位や身分にある人物のなかで、その気風〔きふう〕を損なうような言動をしない人。
③ 低い地位や身分にある人物のなかで、善い時もあれば悪い時もあるということを心掛け、いちいち嘆〔なげ〕いてみたり、愚痴〔ぐち〕をこぼしたりしない人。
④ 如何〔いか〕に習慣や環境が合わない地域で暮らすことになったとしても、決して、古くから暮らす人に対して差別的なことを言ってみたり、改善を要求したりをせず、きちんとその習慣や環境に適応〔てきおう〕できる人。
⑤ 如何に自分の思うように事が進まないからといって、決して怯〔ひる〕んだり、嘆いたりせず、その事象や事柄の中で黙々〔もくもく〕と生きていくことのできる人、ということです。
いずれにしまして、どんなに過酷な環境の中にその身があったとしても、決して挫〔くじ〕けず、自分のやるべきことをきちんと行なっている人物のことを『君子』という、とあります。
そんななかでも、孔門十哲の中のひとりとして数えられている冉雍〔ぜんよう〕さんは、まさに、孔先生が望まれたような『君子』であり、中庸のいう『君子』だったんでしょうね。
雍也 第六
《現代語訳》
孔先生が、次のように仰られました。
元来、宮殿内における天子や諸国の君主は、南向きの座につくものではあるが、冉雍〔ぜんよう(=雍のこと)〕もまた、その座につくに相応〔ふさわ〕しい人物だったんだよ、と。
冉雍 仲弓
(維基百科より)
〈つづく〉
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こういうふうに、相手に自分の本心を悟らせないことも、君子たる者の資質なのかもしれません。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考