和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:雍也第六 〔2〕 敬に居りて簡を行なう


論語を現代語訳してみました。



雍也 第六

《原文》
仲弓問子桑伯子。子曰、可也。簡。仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大簡乎。子曰、雍之言然。

《翻訳》
仲弓
〔ちゅうきゅう〕 子桑伯子〔しそうはくし〕を問〔と〕う。子 曰〔のたま〕わく、可〔か〕なり。簡〔かん〕なればなり、と。仲弓 曰〔い〕わく、敬〔けい〕に居〔お〕りて簡を行〔おこ〕ない、以〔もっ〕て其〔そ〕の民〔たみ〕に臨〔のぞ〕まば、亦〔また〕 可ならずや。簡に居りて簡を行なわば、乃〔すなわ〕ち大簡〔だいかん〕なること無〔な〕からんや、と。子 曰〔のたま〕わく、雍の言〔げん〕 然〔しか〕り、と。 




《現代語訳》


ある時、仲弓(=冉雍の字)さんが、子桑伯子という人物について問われ、孔先生は次のように答えられました。


申し分〔ぶん〕ないのではないか。何と言っても、彼が書き綴〔つづ〕った書簡〔しょかん〕は誰の目から見ても分かりやすいところがいいよね、と。


古代シナの木簡
(ウィキペディアより)



すると仲弓さんが、さらに尋ねられました。


読み手のことにまで深く気を配り、そして、書簡を綴るということは、すなわち、為政者として、〈文字を読み書きできない〉民に対しても深く気を配ったこと〈政治〉へと通じてきます。

しかしながら、読み手のことを考えないで綴った書簡というのは、民に対する気配りさえも感じられないでしょうね、と。


先生は深く頷〔うなず〕き、次のように仰られました。


雍のいうこと、まさにその通りじゃよ、と。





〈おわり〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

う~~ん(>_<) これを語訳していてですが、強烈に自分のブログに嫌気がさしてきます…。

自分なりにですが、文章構成なども気を配りつつも、しかしながらその素質が全くといってないわけで、その分、出来るだけ文字を大きくしてみたり、イラストなんかも貼り付けたり、また、段落や句読点なども色々と試行錯誤してみたりと、Gooブログの作成フォーム内で、出来るかぎり分かりやすい文面に仕上げていこうとは心掛けてはいるつもりなのですが…。

まぁ、そうこうしているうちに、内容そのもがくだらいものへとなっているのも承知しているつもりなんですがね…。(T_T)

けれども、自分の出来る範囲内で頑張ってはいるつもりなので、ある程度の妥協は已む無しです!!(*'ω'*)


それにしても、私なんか(文系でも理系でもない単なる凡人)とはちがい、文才のある人というのは、とても羨ましいかぎりです。(*'▽')


※ 子桑伯子という人物については謎が多い。よってここでは、何かしらの書簡を纏めたことのある賢人として扱うことにした
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考
※ イラストは『かわいいフリー素材集 いらすとや』さんより


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