聖徳太子の十七条憲法
十二年春正月戊戌朔。始賜冠位於諸臣。各有差。夏四月丙寅朔戊辰。皇太子親聿作憲法 十七条。
第一条 以和為貴、無忤為宗。
《原文》
一曰、以和為貴、無忤為宗。人皆有黨、亦少達者。是以或不順君父、乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通、何事不成。
《翻訳》
一に曰わく、和を以て貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ。人 皆 党あり、またさとれる者 少なし。ここを以て、あるいは君父にしたがわず、また隣里に違う。しかれども、上〔かみ〕 和らぎ下 睦びて、事を論ずるにかなうときは、則ち事理 自から適ず。何事か成らざらん。
《現代語訳》
一つ目の申し渡しは、天・地・民すべての大調和(=大和心)を貴〔たっと〕きものとし、道理や真理に逆らわないように心がけをしてください。
人は皆、家族・故郷・邦があります。しかしながら、その道理や真理を心得ている人は少数です。その結果、父母を敬〔うやま〕うことができず、自然と調和することも適〔かな〕いません。
しかし、目上の人が道理・真理に従いさえいれば、下の者も同調し、何事を話し合うにしても道理・真理に適〔てき〕した議論となり、どんなに難しい問題をも解決できるようになります。
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以和為貴の "和" についての語訳は、「和〔なご〕やか」であったり、「平和」であったりとする事例が多いようですが、あえて「天・地・民との大調和」と訳した理由としては、この国の伝統的な古神道を考慮した場合、「大和心、すなわち万物すべての神々と調和することが大切なんだよ」と、聖徳太子は最も伝えたかったのではないか、と個人的に強く思うところです。
「和やか」と訳するには、「論語 学而第一」で有子が述べておられますゆえ、儒教的ともいえますから、この国の国柄とは合致しにくいと思われます。
また、「平和」と訳するには、これもまた、この国の国柄とは合致しにくいと思われます。なにより臣下ごときが、「平和」を貴ぶことはあまりにも烏滸がましいし、畏れ多いことなのです。それよりも君主(=天皇)には忠誠を尽くすこと、そして、天皇陛下の民に対する真心(=大御宝または大御心)を大切にすることこそが、臣下としての最大の務めなのですから。
ちなみに、ゆぅすけの「以和為貴」のいう "和" とは、「大和心、すなわち万物すべての神々と調和することが大切なんだよ」と、これを意味合いとしてこれまでずっと綴ってきたつもりです。(尚、神道についての知識は全くといってございませんので、悪しからず…)
※ 翻訳出典:四天王寺編「聖徳太子と四天王寺」の訳文より
※ かわいいフリー画像「いらすとや」さんより