和貴の『 以 和 為 貴 』

普通とは何ぞや?

ゆぅすけです。
以前、筆者がGREEの日記に記したものを抜粋してきました。

以下。


「普通」という言葉。

みんながよく使う言葉であるが、この「普通」という言葉を用いる時には2つの意味を持つ。

一つ目は、世間一般を普通と言う場合。
二つ目は、自分の中の普通を言う場合である。

この二つの意味の中には、非常に危険な意味を含むことになるとは感じないだろうか?

一つ目は世間の押し付けであり、二つ目は個人の価値観の押し付けである。
 
押し付けは人間が最も犯してはならないことであり、真に相手を敬い尊重しようとするならば、押し付けなどは出来ないはずだと考える。

では「普通」とは何か?自分なりに考えてみた。

「普通に生きることほど難しいことはない。」と、常々思うのであるが、私のいう「普通」というのは世間一般でもなく、自分の中の価値観でもない。
 
母や祖父母が俺に教えてくれたことを実践していくことが、自分にとっての「普通」なのである。

今まで家族の教えを守り、実践していくことの難しさを痛感してきたわけだが、この家族を大切にするという「普通」のことすら出来ずにいる者が増えてしまった。

その理由をここで述べることはしないが、「普通」を世間一般や個人の価値観と捉え、相手に押し付けることは、不快感だけでなく、争いの元にも成りうるのだ。

だから、人間の謙虚な心構えを実践してきたわれわれの先人や先祖は、真の平和を願う民族であったといっても過言ではないだろう。

「普通」とはその土地、そして、その家族によって異なるものである。

さらに、そうした価値観の違う家族間の「普通」の押し付け合いをさせない、という謙虚な想いが詰まった憲法が、本来、国家の最高法規として制定されていなければならないはずが、現行憲法の条文にはそうした謙虚な想いというものが全くと言って感じられないのである。

教育勅語にはこう書き記されている。
「是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス  又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」

簡単に訳せば、「皇家だけでなく国民の皆様も、先人先祖の遺して下さったものを大切にしていきましょうね。」

こうした明治天皇の呼びかけを無視し、家族の繋がりを放棄するならば、日本人や日本の誇りを語るに非ずであり、他者に「普通」を語るに非ずであると感じて仕方がない。

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