てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

義母の最後から・・・

2017年11月07日 22時31分15秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
夜中の12時頃に
義母が入院している病院からカミさんのスマホに電話がかかってきた。

不覚にも充電切れ寸前だったので、
カミさんが電話に出るとすぐさま切れてしまった・・・。

充電器につなぎ充電しつつ再連絡を待つ・・・。

ただオイラにはもう答えはわかっていた。
こんな夜中に病院から電話がかかってくるなんて、伝えられる内容は決まっている・・・。

病院からの緊急連絡先の第一順位のカミさんへつながらなかったので、
第二連絡先の義弟へ連絡しているはずである。

その義弟からカミさん宛てにLINEが送られてきた。

カミさんは小さい悲鳴をあげた・・・。


すぐさま車で病院へ向かう。

オイラも最初は動揺しながらの運転ではあったが、しばらくすると徐々に落ち着いてきた。

この日が年内に来ることはわかってはいたがもう少し、もう少しだけ後だと思っていた。


病院の病室に着くと、薬品の匂いがしている。
二人の看護士さんが、義母の体を洗浄しているようだった。

すでに義弟も到着していた。
少し会話し、病室の様子を見守る。

泣き叫ぶわけでもない。
冷静に義母の姿を見た。

残念ながら、結局誰も死に際に会えなかった。

看護士さんの話では、
深夜の定期巡回で病室に来た際は、義母は痛みに苦しんでいるものの呼吸をしていたのだが、
数分後に訪れた時には呼吸が停止していたという・・・。

看護士さんが当直の医師を呼び、診察し、死亡が確定されたのだ。

不謹慎ながらオイラはこの経過を聞いてほっとした。
もしあの電話が義母の生前での電話だったなら、きっとカミさんは一生悔やんでいたからだ。


義母の最後はそういう状況だった。
誰一人死に際を確認できず静かに逝ってしまった・・・。


不思議と悲しみは湧いてこない。

ここ数日は相当苦しかったはずだ。
呼吸をする度に痛みに苦しんでいたので見ているこっちが辛かった。
やっと楽になれたんだという思いの方が強かった。

病室にて、
カミさんも看護士さんと一緒に義母の顔にお化粧を塗っている。


看護士さんから促され、義弟が葬儀社へ電話をする。
会員に加入していた葬儀社があったので、ここは速やかなものだった。
オイラは知らなかったが、こんな真夜中の臨終の場合は、
翌朝より行動するのかと思いきや、できるだけすぐに行動するものらしい。

なんと葬儀社の人も30分後には病院来たのである。

遺体を専用の車に乗せ、実家へ運ぶ。

まさか午前中に掃除していたその夜に、さっそく義母を運んでくるとは思わなかった。
苦しんでいる義母の様子を天国から見ていた義父が、命日の日に連れていったのだろう。

深夜の2時過ぎに、実家にて葬儀社の方と早速打ち合わせを行う。

通夜の日時と葬儀の日時がこの時点で決まった。
日付けが変わったこの時点では、本日の通夜は難しく翌日の通夜、翌々日が葬儀と決定された。

その他にも、
お寺はどこですか?
家紋はありますか?
お手伝いしていただける方はおられますか?
中日新聞用のコメントを考えといて下さいなど、
確認することはいっぱいあるのだ。

ただ一般的なパターンより1日分余裕がある日程なので良かったのかもしれない。


葬儀社の方が帰られて、一旦オイラ達も自宅に帰ったが、

カミさんは、黒っぽい服装に着替えて義母が居る実家へ舞い戻った。

オイラはしばし仮眠を取った後、朝に息子と娘に義母の死を報告した。

その後、実家に向い、
いろいろと喪主の長男さんと準備に入る。

お寺へ連絡、院号のお願い。
親戚の方へ連絡。
町内会長さんへ連絡。

10時になると葬祭社の担当者さんとの打ち合わせが始まる。

祭壇の決定。
香典返しの内容と数の決定。
中日新聞用のコメント決定。
遺影の写真も前もって決めてあったので、背景色も含めて決めた。
納棺師の採用も決めた。

その間にも、連絡を受けた親族や近所の方がお参りにみえられる。
田舎だから近所との繋がりも強く、多くの方が来られる。

町内の方よりお世話いただく方も決まった。
供花供物の仮決定。
中陰出席者の仮決定。

どんどん決まって行く。
そんな感じであっという間に一日が過ぎた。


翌日の朝に葬儀社の方と打ち合わせ。
供花供物の依頼。
中陰出席者の決定。

午後になり、納棺師の2名が来られた。

お二人が義母を白装束を着せていく様を何人かで見ていた。
足袋を履かせる際やお化粧をする際などは親族も少しお手伝いをする。

以前に「おくりびと」という映画があったが、
まさにその動きには無駄なものが無く、見入ってしまった。

納棺。
義母の愛用した物、病気回復を願った千羽鶴も一緒に入れた。

夕方に斎場へ

斎場に場所を移し、
お通夜、
通夜振る舞いとその日は慌ただしく終わった。

翌日に
葬儀、告別式から出棺、

火葬場にて火葬、骨上げ、
斎場に戻って中陰と、
悲しむ暇もなく事が進行していきました。


親戚も多いので県外からも多くの方が来ていただいた。
ご無沙汰している方ばかりでした。

また、ご近所の方も多くの方が参列していただき、お手伝い頂いたことも含めて本当にお世話になりました。
さっそく明日には、お礼を言って周らなければなりません。


義母の葬式はお天気が良かったとしか記憶に残らないのも嫌だったので、忘れないうちに記録した。
後々にこれが貴重な記録となればいいけれど。




あの真夜中の電話から、一気にここまできましたが、
カミさんもこれから徐々に寂しさが募ってくるんだろうね・・・。

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コメント (2)
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