旧北国街道を歩いた松尾芭蕉。
その松尾芭蕉の向こうに平安から鎌倉時代の歌人「西行(法師)」が透けて見えてくる。
そもそも芭蕉が奥の細道を決意したのも西行という存在があったからである。
その芭蕉が越前芦原で、通常なら一句詠むべきところ詠まなかった場所がある。
それが「汐越の松」。
なぜ松尾芭蕉はこの歌枕の地で詠まなかったのか?
それは西行が500年も前に有名な歌を詠んでいるから。
「終宵(よもすがら) 嵐に波をはこばせて 月をたれたる 汐越しの松」
(意味:ひと晩中嵐に波を打ち寄せさせて、枝からしたたり落ちる水に月の光を美しく輝かせている汐越の松よ)
芭蕉は、「この一首にて数景尽きたり、もし一弁を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし」と、
(意味:この一首で、汐越の松の情景は言い尽くされている。もしこの歌にひと言でも加える者がいたら、それはすでに指があるのにさらに余分な指を加えるようなものである。)
ということなのだ。
芭蕉は宮城の松島でも、あまりの美しさから作句しなかったとあるが、
いろいろ調べるてみと出来た句がイマイチだったので採用しなかったというのが本当らしい。
しかしこの汐越の松は、西行法師の歌に尽きるということでとても作句できなかった場所ということです。
そんな素晴らしい場所があるなら、芭蕉ファンならずとも訪れてみたい。
イメージ画を描いてみよう。
てへへ
出来た
西行も芭蕉も舟を出して海から見ている、だから”汐越し”なのだ。
波が打ちよせる岸壁の上に松林が並んでいて、月夜に舟から眺めるその風景はなんとも美しかったのだろう。
松からしたたる水に月光が映る。
おそらく、こんな感じだったのではないでないだろうか。
こんなに興味があるのに、
なぜオイラは今まで行っていないのか・・・?
それはゴルフ場の敷地内にあって入れなかったからです。スコーン
それでもオイラはあきらめが悪い男でありまして、
ネット情報やグーグルマップなどから付近の海岸線の道からアクセスできると見込んでいた。
ニヤリ
では行こう!
そういえば、行く途中に西行にまつわる場所があったな、
加賀市の旧街道沿いにその場所はある。
ここだ。
都もどり地蔵
フムフム
さらに進んで、
石川県から福井県吉崎に入る。
鹿島の森が見える。
あちらは吉崎御坊跡のあった高台
ゴルフ場に来ましたが、当然通過します。
風力発電の設備が多くあります。
海岸へ向かおう。
海岸沿いの道に出る。
海が綺麗です。
少し走ると、駐車できるスペースがあった。
高台を見る。
あのあたりの風景は、まさにあのイメージ画の通りだ。
では登っていこう。
足元はこんな感じ、いける
いいぞ
よいしょ
だいぶ登ってきたじょ。
もう少しだ。
登りきったぞー
下を見る。
ずいぶん高い。
さてと、
あれか・・・、
「奥の細道 汐越の松 遺跡」とある。
ちなみに松尾芭蕉が見た松は、
この松ではない。
ここに倒れているこっちなのだ
なんせ300年も前だから、もう朽ちてしまっているのだ。
倒木ながらもよくぞ保存していると褒めてあげたい。
近くで撮りたいところだが、柵内はゴルフ場敷地だからね。
でも、ようやく会えた。
850年前の西行法師も330年前の松尾芭蕉も感動した「汐越の松」
オイラも遠くから拝見できて感動です。
はい今回はここまで。
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その松尾芭蕉の向こうに平安から鎌倉時代の歌人「西行(法師)」が透けて見えてくる。
そもそも芭蕉が奥の細道を決意したのも西行という存在があったからである。
その芭蕉が越前芦原で、通常なら一句詠むべきところ詠まなかった場所がある。
それが「汐越の松」。
なぜ松尾芭蕉はこの歌枕の地で詠まなかったのか?
それは西行が500年も前に有名な歌を詠んでいるから。
「終宵(よもすがら) 嵐に波をはこばせて 月をたれたる 汐越しの松」
(意味:ひと晩中嵐に波を打ち寄せさせて、枝からしたたり落ちる水に月の光を美しく輝かせている汐越の松よ)
芭蕉は、「この一首にて数景尽きたり、もし一弁を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし」と、
(意味:この一首で、汐越の松の情景は言い尽くされている。もしこの歌にひと言でも加える者がいたら、それはすでに指があるのにさらに余分な指を加えるようなものである。)
ということなのだ。
芭蕉は宮城の松島でも、あまりの美しさから作句しなかったとあるが、
いろいろ調べるてみと出来た句がイマイチだったので採用しなかったというのが本当らしい。
しかしこの汐越の松は、西行法師の歌に尽きるということでとても作句できなかった場所ということです。
そんな素晴らしい場所があるなら、芭蕉ファンならずとも訪れてみたい。
イメージ画を描いてみよう。
てへへ
出来た
西行も芭蕉も舟を出して海から見ている、だから”汐越し”なのだ。
波が打ちよせる岸壁の上に松林が並んでいて、月夜に舟から眺めるその風景はなんとも美しかったのだろう。
松からしたたる水に月光が映る。
おそらく、こんな感じだったのではないでないだろうか。
こんなに興味があるのに、
なぜオイラは今まで行っていないのか・・・?
それはゴルフ場の敷地内にあって入れなかったからです。スコーン
それでもオイラはあきらめが悪い男でありまして、
ネット情報やグーグルマップなどから付近の海岸線の道からアクセスできると見込んでいた。
ニヤリ
では行こう!
そういえば、行く途中に西行にまつわる場所があったな、
加賀市の旧街道沿いにその場所はある。
ここだ。
都もどり地蔵
フムフム
さらに進んで、
石川県から福井県吉崎に入る。
鹿島の森が見える。
あちらは吉崎御坊跡のあった高台
ゴルフ場に来ましたが、当然通過します。
風力発電の設備が多くあります。
海岸へ向かおう。
海岸沿いの道に出る。
海が綺麗です。
少し走ると、駐車できるスペースがあった。
高台を見る。
あのあたりの風景は、まさにあのイメージ画の通りだ。
では登っていこう。
足元はこんな感じ、いける
いいぞ
よいしょ
だいぶ登ってきたじょ。
もう少しだ。
登りきったぞー
下を見る。
ずいぶん高い。
さてと、
あれか・・・、
「奥の細道 汐越の松 遺跡」とある。
ちなみに松尾芭蕉が見た松は、
この松ではない。
ここに倒れているこっちなのだ
なんせ300年も前だから、もう朽ちてしまっているのだ。
倒木ながらもよくぞ保存していると褒めてあげたい。
近くで撮りたいところだが、柵内はゴルフ場敷地だからね。
でも、ようやく会えた。
850年前の西行法師も330年前の松尾芭蕉も感動した「汐越の松」
オイラも遠くから拝見できて感動です。
はい今回はここまで。
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