本日はここからスタート
では味方の本 今日も щ(゚ー゚щ)カモーン!
今日は晴れなれど雲多しです。
さて味方の本によると、
ここからです。
旧北国街道は国道159号線から少し山手を沿って走ることになります。
この地は百坂(ももさか)と呼ばれており
左手の山へとつながる、
このような坂が百ほどあったからかな。
おや
大きな樹木。
保存樹指定番号111号、タブノキ、21mとある。
ここは熊野神社です。
おっいいね。
2024年に開封です。
オイラも小学校時代にタイムカプセル埋めたかったなぁ。
しばらくいくと、柳橋のバスターミナル。
ここは北陸鉄道バスの北部営業所。
どんどん進む。
山側環状線の神谷内ICにつながる道路を越えていきます。
お地蔵様だ。
その横に水準点!
水準点・・・水準測量に用いる際に標高の基準となる点のことである。測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。
このあたりは少し高台になりますね。
このあたりにかって刑場があったはずです。
といっても江戸時代の話だからねぇ・・・。
右手に浅野川病院が見えます。ちょんと159号線に接して、
バウンドして、
わお!
再度くっつく。
旧街道は少しだけ159号線と重なります。
陸橋だ。
この陸橋には思い出があるなぁ、
可愛がってもらったお婆ちゃんの家から、近くの神社のお祭りへ連れていってもらった時に渡る陸橋。
ワクワクして登ったもんだ。
オイラは初孫だったから特に可愛がってもらったんです。
そのお婆ちゃん今は老人ホームに入居しています。
うん懐かしい風景だ・・・。
火の見やぐら
ここを進むと、野間神社があります。
ここはお婆ちゃんに、お祭りの出店でお面を買って貰ったというオイラにとっては懐かしい神社なのだが、
戦後しばらくだけ、あの悪名高き731部隊が滞在したというのです。
最近その事実を知って衝撃を受けた。
この用水にも思い出がある・・・。
お婆ちゃんが、「昔ここで河童を見た」って、嘘か真かそんなことも言ってたっけ。
ももの湯か
最近ではこういう銭湯がめっきり減りました。
右から読みますが「創業嘉永元年」とあります。
ちなみに嘉永元年は西暦1848年ですから、今から170年前ですね。
帰って調べると、ここは金物のお店で、鋸、鋏、鎌があって、売れ筋商品は爪切りということです。
ここから旧街道は左に入ります。
旧北国街道の案内石標もあります。
ちなみにこの建物
昔バーガーキングというハンバーガー店だった。
無茶苦茶美味かったなぁ~
大樋橋を渡り、
この地を大樋町と呼ばれるが、
あの焼物の大樋焼と関係あるのかな?
旧街道の名残が少し残ってますね。
神社がある。
児安神社
ここには子授石なるものがあるようです。
入ってみよう。
なかなかの雰囲気があります。
ありました。
これが子授石。
旧街道を進もう。
出ました!
左の一本の松が有名なんです。
ここになりますが。
大樋松門
ふむふむ
味方の本にはこうあります。
昔はここからが金沢の城下町だったということ。
説明板をズームアップ。
こんな感じだったのかな。
では、城下に入ろう。
う~む、昔の建物ですよね。
米酒店とある。
おや
石柱が立っている。
「石川県十名所義経旧蹟鳴和瀧」とあります。
義経というのはあの源義経のことである。
そうだね旧北国街道は義経・弁慶一行が京都から奥羽へ逃げ延びた道のりだから。
あの勧進帳で有名な安宅関を越えて、ここまでやって来た一行は、
この地にある滝の前で宴を開いたとされています。
ぜひ寄ってみよう。
少し坂道を登ります。
ここです。
鳴和の滝とは?
これです!
でこれが滝つぼ
この付近で義経弁慶一行が宴会されたということだが、
盛り上がったか怪しいもんである。
石川県十名所とあったけど、今では50番にも入るまいて・・・。
だって、これだもん・・・ちょろちょろちょろ・・・。
このあたりは狭い路地が延びてます。
また街道に戻って進みます。
おっ!
また火の見やぐら
国道159号線に接続。
ここです。
今日はここまで
今回はこれだけ進みました。
グーグルマップではこう
次回は金澤東山編に続く。
メイン画面に戻る
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では味方の本 今日も щ(゚ー゚щ)カモーン!
今日は晴れなれど雲多しです。
さて味方の本によると、
ここからです。
旧北国街道は国道159号線から少し山手を沿って走ることになります。
この地は百坂(ももさか)と呼ばれており
左手の山へとつながる、
このような坂が百ほどあったからかな。
おや
大きな樹木。
保存樹指定番号111号、タブノキ、21mとある。
ここは熊野神社です。
おっいいね。
2024年に開封です。
オイラも小学校時代にタイムカプセル埋めたかったなぁ。
しばらくいくと、柳橋のバスターミナル。
ここは北陸鉄道バスの北部営業所。
どんどん進む。
山側環状線の神谷内ICにつながる道路を越えていきます。
お地蔵様だ。
その横に水準点!
水準点・・・水準測量に用いる際に標高の基準となる点のことである。測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。
このあたりは少し高台になりますね。
このあたりにかって刑場があったはずです。
といっても江戸時代の話だからねぇ・・・。
右手に浅野川病院が見えます。ちょんと159号線に接して、
バウンドして、
わお!
再度くっつく。
旧街道は少しだけ159号線と重なります。
陸橋だ。
この陸橋には思い出があるなぁ、
可愛がってもらったお婆ちゃんの家から、近くの神社のお祭りへ連れていってもらった時に渡る陸橋。
ワクワクして登ったもんだ。
オイラは初孫だったから特に可愛がってもらったんです。
そのお婆ちゃん今は老人ホームに入居しています。
うん懐かしい風景だ・・・。
火の見やぐら
ここを進むと、野間神社があります。
ここはお婆ちゃんに、お祭りの出店でお面を買って貰ったというオイラにとっては懐かしい神社なのだが、
戦後しばらくだけ、あの悪名高き731部隊が滞在したというのです。
最近その事実を知って衝撃を受けた。
この用水にも思い出がある・・・。
お婆ちゃんが、「昔ここで河童を見た」って、嘘か真かそんなことも言ってたっけ。
ももの湯か
最近ではこういう銭湯がめっきり減りました。
右から読みますが「創業嘉永元年」とあります。
ちなみに嘉永元年は西暦1848年ですから、今から170年前ですね。
帰って調べると、ここは金物のお店で、鋸、鋏、鎌があって、売れ筋商品は爪切りということです。
ここから旧街道は左に入ります。
旧北国街道の案内石標もあります。
ちなみにこの建物
昔バーガーキングというハンバーガー店だった。
無茶苦茶美味かったなぁ~
大樋橋を渡り、
この地を大樋町と呼ばれるが、
あの焼物の大樋焼と関係あるのかな?
旧街道の名残が少し残ってますね。
神社がある。
児安神社
ここには子授石なるものがあるようです。
入ってみよう。
なかなかの雰囲気があります。
ありました。
これが子授石。
旧街道を進もう。
出ました!
左の一本の松が有名なんです。
ここになりますが。
大樋松門
ふむふむ
味方の本にはこうあります。
昔はここからが金沢の城下町だったということ。
説明板をズームアップ。
こんな感じだったのかな。
では、城下に入ろう。
う~む、昔の建物ですよね。
米酒店とある。
おや
石柱が立っている。
「石川県十名所義経旧蹟鳴和瀧」とあります。
義経というのはあの源義経のことである。
そうだね旧北国街道は義経・弁慶一行が京都から奥羽へ逃げ延びた道のりだから。
あの勧進帳で有名な安宅関を越えて、ここまでやって来た一行は、
この地にある滝の前で宴を開いたとされています。
ぜひ寄ってみよう。
少し坂道を登ります。
ここです。
鳴和の滝とは?
これです!
でこれが滝つぼ
この付近で義経弁慶一行が宴会されたということだが、
盛り上がったか怪しいもんである。
石川県十名所とあったけど、今では50番にも入るまいて・・・。
だって、これだもん・・・ちょろちょろちょろ・・・。
このあたりは狭い路地が延びてます。
また街道に戻って進みます。
おっ!
また火の見やぐら
国道159号線に接続。
ここです。
今日はここまで
今回はこれだけ進みました。
グーグルマップではこう
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