ゆにめいと⊿

乃木坂46を中心に秋元真夏(まなったん)推しだけに傾斜する記事多めのブログ。坂道縛りランキングや制作したドット絵紹介

「僕のこと、知ってる?」  いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46 鑑賞レビュー  178⊿

2019-07-07 22:29:50 | 乃木坂46


7月5日の公開初日。

乃木坂ドキュメンタリー映画の第二弾となる作品、
「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」
その舞台挨拶中継付きの回を観るべく樟葉の劇場に行ってまいりました。

行こうと決めたのはホントに前日で。
どうせ席はもう埋まってるよねと、何気なくTOHOのサイトで空席確認したら。
あらま、まだまだ空いてるじゃないか。
せっかくならまなっちゃんも出るし舞台挨拶も観てみたいよなー。
というわけで電車に乗り込みました。

舞台挨拶の感想についてはさっき上げたフェイバリの方で書いたので割愛するとして、
さぁいよいよ映画本編です。
実は余計な予備知識を持たずに観たかったので予告動画も観てなかったのですが、
確実に泣くんだろうなとは感じてましたので、
そんな始まる前から感傷的な気持ちで踊る「NO MORE映画泥棒」を遠い目で見つめてました。

さて。。。

ここからはネタバレになります。。。

これから観ようと思う人には読んでほしくないです。
それは、この映画がストーリーではなくドキュメンタリーだからなおさらなんです。

例えば物語のストーリーのオチを知るって確かにガッカリするかもしれませんが、
この作品はその姿勢で観たらむしろガッカリしてしまいます。
「あさひなぐ」とは違うのだよ、「あさひなぐ」とは。

純粋に頭を真っ白にして岩下力監督の観てきたものを追いかけるように、
乃木坂46を感じ取ってほしいからこそです。
そこから感じた物が観た人それぞれが抱く「乃木坂46」というストーリーになるのです。

なので、ここからのオイラのレビューは、
オイラが感じた「乃木坂46」というストーリーです。


【「卒業」の向こうにあるテーマ】



前作「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」ももちろん観たわけですが、
この映画は前作のアンサームービーと捉える事も出来る一方で、
未来の乃木坂46を問う映画だなと率直に感じました。

「悲しみの忘れ方」はまさにアイドルとしての苦悩に揺れる彼女たちのありのままを通して、
それでもなお、何処へ向かうのかとまだ暗中模索のなかで光を求め、みんなで坂を上り続ける彼女たちを届けてくれました。

やがて、グループとしていま、或る意味「光」を手に入れた彼女たち。
この映画ではあの悲しみの忘れ方を経てきた彼女たちが抱いた次の光。
それぞれのきっかけが描かれています。

そのひとつが西野七瀬の「卒業」という大きな出来事があったゆえ、
映画の柱になることは至極当たり前のことではありました。
予告を観ただけならば、そう感じても不思議ではありません。

ところが、単に「卒業」という出来事主体に、メンバーたちの心模様だけを映し出した映画では決してありませんでした。

映画冒頭でも語られた、監督が「アイドルとしてすでに完成されてしまった乃木坂」を前に、
この作品を撮ることの意義はどこにあるのか。
戸惑いの中で声をかけていった数名のメンバーを通して知ることが出来た、
「乃木坂46」というグループの不思議な魅力。
これがこの映画の最大の「問い」なのだと感じました。

あくまでも、「卒業」がテーマではないのです。
私は少なくともそう受け止めました。


【でもその涙の質は予想してたそれとは違った】



泣いた、泣いたよ。
映画を観る前は「きっと号泣するだろうな。もうなーちゃんとまいやんが抱き合った時点で涙がショータチョチョシビリだろうな」と。
そう思っていた私でしたが、確かに泣いた。
でも、思っていた涙とは質の異なるものでした。

寂しさからくる感情のままに流すものだけではなかった。
本当に自然に。
これこそが多分、ストーリー物と違うドキュメンタリーだからこそなのかもしれません。

だって、レコ大2連覇も、なーちゃんの卒業も。
その場面に歓喜し、そして映画から頂くなら卒業という「失恋」に泣き。
これらはすでに私たちが経てきたストーリー。
もう結末を知っているのですから。

じゃあ、それらを経てきたメンバーの内面を綴った映画なのかと言えば、
それは確かにそうなってしまう。
特になーちゃんを想う与田ちゃんのその葛藤を如実に伝えようとしていた所しかり、
メンバーそれぞれの「卒業」という事への想いや考え方が劇中で語られているように。
やはり映画には相応に起承転結が不可欠であるがゆえ、
監督がカメラを回してきたこの2年ほどの間に起きた大きな出来事である「卒業」がこの作品の核ではありました。

ただ、この作品がそこ(卒業)に向けて問い始めて、
「ほら寂しいだろ、彼女たちとともに泣こう」と、構成された作品ではありません。
この作品にはもっと壮大な、目には見えない真のテーマを伝えてくれました。
「乃木坂46」というグループの仲の良さに疑問符をつけ、そして終章の飛鳥への質疑応答で締めた流れに。


【映画として】




乃木坂46は本当に仲が良い。
「女のグループにある友情なんて薄っぺらいものだ」
映画の冒頭でそんな疑問符を突きつけ、自身もどこかでそう思っていたはずの監督。
ところが密着してどうだ、知れば知るほど関係性が現実に目の前に繰り広げられていく。

実はメンバーの誰もがものすごく弱い人たちで、だからこそ誰かがそばにいて。

これはファンだけに向けられた特典映像ではなく、全国で上映される映画。
作る側の人間とすれば、ドキュメンタリーとはいえ、単に観てきたものだけを撮ればいいわけでなく、
作品として仕上げる為に必要な物を撮りたいとまずは考えるでしょう。

ならば、もっとメンバー同士競争心でガツガツしている内情をさらけ出したり、そんなセンセーショナルな場面があればそれなりに撮れ高もあったはず。
ところが、カメラの向こうにあった光景は、本当に姉と妹のように静かに抱き合い、わちゃわちゃと女子らしくふざけ合うメンバーの姿があり、失敗に泣き崩れる傍らに寄り添う友の姿があって……。

正直、これで映画として成り立つのかと思ったかもしれない。

もっとも皆、同じように「仲は良いですね」と口をそろえる。
だが決して全てが順風満帆ではない。
溢れんばかりの笑顔で取り組むパフォーマンスのその陰で、純粋過ぎるがゆえに「アイドルらしさ」という概念に苦しんでいた者。
姉のように慕っていた人の卒業を、その時まで本人から聞かされる事もなく突然現実を叩きつけられた者。
それまで隣をみればそこに居たメンバーが巣立ってゆくことに動揺を隠せない者。

ただ、時は流れていて。
気づけばそこにはそんな時間に追われる中で、それでも「乃木坂46」の一員としてその目の前のステージに臨む。
どうして彼女たちはそれでも手を取りあえるのか。
その疑問への答えがこの映画のテーマなんだろうなと私は思った。

過去の「二人」のわだかまりを、敢えて語らせずインサートとして表現した所にも強くそう感じた。


【シンクロニシティ】



「仲が良い」
簡単に言ってしまえばそういうことでしょう。
でも、やっぱりこの大所帯のなかで、
当然のようにメンバーそれぞれが全く異なる価値観を持っている。

にもかかわらず、どういうことだろう、このメンバーたちは「共時性」に自然と動かされている。

メンバー同士の仲の良さ、関係性について、劇中キャプテンがぽつんと語った『「家族」ともちょっと違うような……』。
この妙な感覚、繋がりこそ、乃木坂46がこの8年の歳月で生み出してきた宝物なのかもしれない。
そして、その宝は乃木坂46のメンバーじゃなければ生み出せなかった宝なんだ。

「シンクロニシティ」が美しく思えるのは、顔面偏差値とか華麗なダンスとか、
そうした直感的に訴えかけられた事だけではなかった。
本質は、目に見えない「乃木坂46」の魅力。
その宝物を表現したからだったんだ。

これこそが「乃木坂46」のもつ不思議な力なのだろう。



【守ってきたもの】



卒業しなくても、たまに実家に帰ってきて、またどこかに出かける、それじゃダメなのかなと、
寂しさゆえに語った人もいる。
親友の卒業に「おめでとう」と言えなかった人もいる。
それもまた当たり前の感情。
もちろん、好きなことをしている時が一番魅力的だからこそ心から「おめでとう」を言える人もいる。

ひとつの卒業に対してそれぞれに思うことは異なる。
乃木坂46はどこのグループにでも言える、
色んな考え方を持っている人たちが集っているグループに違いは無い。
ところが決定的に違うこと。

みんながみんな「乃木坂46」が好きなんだ。

彼女たちが守ってきたものは、ひょっとすると自分自身でもあるが、その自分を守ってくれたのは、いつもそばにいてくれた周りのメンバーだった。
皆が手をつなぎ「努力・感謝・笑顔」を口にすることは、その時だけの一体感ではなく、時を経て培われていった見えない絆の再集結。
だから、心技体全てを再集結させて臨む彼女たちのパフォーマンスは、ひときわ輝いているのだと感じる。
究極の「シンクロニシティ」を持ち合わせているグループ。
それが彼女たちが守ってきた「乃木坂46」なのです。

いまある乃木坂の景色を彩ってくれたメンバーが、次々と卒業してゆくなかで、残ったメンバーが
「じゃあ、乃木坂らしさって何だろう」と壁に直面するかもしれない。
それでも言える事は、不平不満に苛まれ、納得できない事があったとしても、それでも「乃木坂やっぱり好きだ」と思える場所。
その気持ちがあれば、恐れることはなく、自分らしくあり続けても、誰もそれを否定はしない。

離れていても、私たちは心のどこかで繋がっている。
仲間の声は必ず聴こえている。



【終章に問いかけた未来】



劇中でただ一人ぽつんと佇むメンバーが居る。

齋藤飛鳥。

彼女の発する言葉を最後の章で締めくくった背景には、
この2年間の乃木坂を追いかけてきた時、
この映画を通して彼女の姿勢や言葉に耳を傾けたくなるのは必然だったのかもしれません。

人と関わらないようにしてきた飛鳥の「嘘」をその本人が解き放とうと動き出した。
この2年間がまさにそのど真ん中だった。

かといって、この終章で打ち明けられた飛鳥の「期待」に、
乃木坂の未来を託したわけではけしてないと思います。
「これからの乃木坂を頼むぞ」なんて言ったら、飛鳥はきっと否定するでしょう。

宝物を見つけたのは彼女だけではないのです。

卒業を転機に変わりたいと思う者も居れば、活動の中でその転機を見出そうとする者も居る。
ところが、そのベースに或るのは、誰もが手に入れられるわけでは無い、宝物に巡り合えたからかもしれません。

この目に見えない宝物を共有できるかどうか。
その坂の向こうを問う、そんな映画だったのだと私は思います。


【……とかなんとか偉そうなことを言ってきたけど】


つまり何が言いたいかっていうと


乃木坂46に出会えて、

ファンになれて、

本当に良かった。


「ありがとう」


ってことですわ!!!

さて、近いうちにまたでっかいスクリーンで観よう。
このレビューを覆すかもしれない発見がきっとまだまだある。


「僕のこと、知ってる?」


まだまだ知らないことだらけだ。


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