花韮
昭和47年10月○日、その一年前お見合いしたMさんと私は結婚した。
浅草と山形、遠く離れてデートも数えるほどだった・・・
当時Mさんの事を私はどれだけ理解していたかしら?お互いに・・・
唯~不安だけがつのり、結婚式を前にゲッソリ痩せてしまっていた。
今で言うマリッジブルーとでもいうのかナ?
何とか無事に結婚式も終わり、一週間の新婚旅行九州へ
アッという間に楽しく旅行も終わり、
新居に戻ると、一通の手紙が届いていた。
それは母から・・・
「結婚式の後、母は寂しくて 私の部屋だった四畳半の部屋の明かりを
消せずにいる・・・・・と、私がそこにいるような気がする、と・・・
イヤなことがあったら、いつでも帰ってくるように!
いつまでも私の部屋をそのままにしておくから・・・・・」
そんな内容の手紙だった。
不安で一杯の私は母の手紙に大泣きしてしまった
今も鮮明に覚えている。
あれからもう今年で35年、この手紙が心の支えであったろうか?
四畳半の部屋に戻らずに、ここまで来れた
時々思いだしては・・この黄ばんだ封筒と手紙を手にし、母の温もりを感じ
何度読んでも又・・・
相変わらず、写真ですね。
何処かに出かけて、思いっきり写真撮ってみたいな~
ところでyunさんは、お母さんっ子で、お母さんも可愛がっていたから、本当に淋しかっただと思うよ。
yunさんがお嫁に行く頃は70歳位だったはず・・・
8人全員の結婚式をしてくれた両親は、今思うと凄いね。明治生まれは何処か違うよね。
私はあれから○桑さんとランチしながら
グルグル歩き回ってきました
書くことの好きだったお婆ちゃんから
手紙をいっぱいもらってます
中でもこの手紙は一番印象に残り
この時期部屋の中を片付けると必ずこの手紙を読んでは
いつも涙がでます。
村○のお婆ちゃんの日記、山形の母の手紙が
私の宝物かな
私が この間見た 植物園では
ポツリポツリでした
お母様の手紙 よいですね
いつでも帰ってくるように・・
お母様の思いが伝わってきます
yunさんと お母さんの関係が
とても いいものだったのでしょうね
私は1日も早く 家を出たかったです
だから 最初の結婚は
家を出るため、も あったかもしれません
35年 一緒に過ごされてきてるのは
やはりyunさんとご主人の
お互いを思いやる気持と努力と相性でしょうか?
お母様も 仲の良いご夫婦に
喜んでおられるでしょうね
私、小学校高学年までベッタリ母の傍で寝てました
明治生まれの両親ですから、父は頑固で
その父に母は一度も逆らったことありませんでした。
そんな両親をお手本との思いで見てましたから、
私の結婚観は一昔前の感覚でした。が
夫は父と正反対の人とっても気楽な人です。
ついつい比較してしまうこともありましたが、
35年も一緒にいるわけですから、
きっと相性が良かったのでしょうネ
今は一番頼りになる夫です
母は亡くなるときに、聞こえなくなった私をよろしくと夫に書き残しました。おかげで?30年以上持ってます。
私も新婚旅行から帰って、侘しい借家に2人きりになったときは実家に帰りたくて泣きましたね。
今は、実家に行っても早々に我が家に帰りたくなります。
手紙にはいろんな思い出がありますね♪
学生時代に母はよくダンボールに季節の食べものを詰め
送ってくれましたが必ず手紙が添えてありました。
その真似をして息子に同じ様にしたら、
「母ちゃん、手紙はいいから・・」と断られました
今頃の時期、窓を開け放し家中大掃除したくなりませんか?
こんな時、必ず昔~の思い出の物と出会い
再び思い出が甦ります
yunさんの気持がすごく理解できて。
私も末っ子で、いつまでも母と一緒に寝てました。
私にとって、今も母の日記が宝物で、
落ち込んだとき、何時も読んではたり、を、もらっています。
いくつになっても私なんか孫のいる歳になっても、
母を何時も思い出しています。
ミサさんも末っ子でしたね
やはり同じ思いなのですね
母は晩年動けなくなっても、書くことが好きで
孫達とも手紙の交換してました
孫の年齢差が上はもう50歳以上で下はウチの息子
30歳ですから
ウチの子供達が一番小さかったので記憶があまり
ないようで寂しいです。
が、父方の母、お婆ちゃんとはつい最近まで一緒に
暮らしました