人生の放課後

雑記・・・・・

今年も残り少なくなりましたぁ~

2015-12-27 13:46:54 | Weblog

 

今年は年明け早々、福島、いわき市に住む 兄(87才)を亡くし

12月には直ぐ上の姉(71才)が亡くなり

こんなに淋しい年の瀬になるとは・・・・・

皆様からはお悔やみ賜り 誠に有難うございました。

多くの方々から励ましのお言葉を頂き

今後は 私も前向きに

兄、姉の生き方を見習っていこうと思います^^

 

喪中の為、年末年始のご挨拶は失礼させていただきます。
本年中に賜りましたご厚情を深く感謝いたします。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください !

 

 

大掃除 しながら、ステキな曲を見つけましたので編集しました♪

まだ~歌い込みが足りませんが

お時間がありましたらお聴きください^^

 

聴かせて・・・・・ / cover


姉から電話のこない寂しさ・・・

2015-12-18 09:34:29 | Weblog

 

姉との想い出を綴ると決め

拙い文章で恥ずかしながら少しづつ書いてきましたが

気持が落ち着くどころか、日に日に寂しさが募り

この作業が思いのほか辛く、

今回で一応 一区切りとさせて頂きます。

 

姉と私、お互い結婚を機に遠く離れましたが

連絡だけは密にとっていました。

殆ど姉からの電話です、

通話時間が1時間は軽く超え

義兄に「長いぞー!」といつも怒られるほど(笑

(今は携帯、使い放題 気にせず長話してますが・・・)

そんな訳でPCでメールでもしない?と姉に誘われ

その後、このブログまで発展しました。

そして約10年

姉のように こだわった写真と記事には程遠い私のブログですが

姉のいない今、今後続けていけるかどうか不安ですー

 

華やかなまま逝ってしまった姉、

姉らしい!とは思うのですが

私にとっては大きな~~存在でしたので

まだ~深い喪失感が・・・

何より頻繁にあった電話が来ない寂しさ、

(亡くなる数日前、明るくしてきた電話に私は言葉にならず泣き通しでした)

いつも聞き役だった私、

もっと~~話したかったのに・・・・

 

そして最期まで

病床の姉は、穏やかに~~と 言葉にし 手を胸にあて

自分に言い聞かせていた仕草が忘れられません。

そしてその通り、全うしました。

天国のtaeさん!

皆を見守って下さいネ!

 


幼いころの二人(姉と私)

2015-12-14 18:17:24 | Weblog

八人兄弟の末娘の二人(姉と私)は

2才違いですが双子のように育ちました。

お揃いの服を着て、小さい頃の私は姉の後ばかり追いかけていました。

尺八を嗜む父に合わせて姉がお琴、私は日本舞踊を習い、

自主的ではなかったような?(笑

当時の頃がとても懐かしく思い出されます^^

小学生の頃、私は虚弱体質というか時折学校を休むことがありましたが

姉は元気そのもの、確か欠席もなく健康優良児に選ばれたと言っていました。

小学高学年でしたか、姉のあだ名は大仏様、

二人とも大きくて目立ったのでしょうね、

そのせいなのか、私まで小大仏と言われイヤでしたね(笑

中学に進むと、姉はガリ勉タイプで常に机に向かって,

私は部活動ばかり、少しづつ方向が違ってきました。

姉が高校に進むと

女子高だったせいか、小中学校とはまるで違い

別人になった様に青春を謳歌し、

当時で言う男女グループ交際とやらまで^^

毎日真っ黒になって部活動で汗を流す私とは違い

羨ましい青春時代を送っていたように思います^^

そしてその後 姉は東京の短大へと~~~

帰省する度、楽しい学生生活の話が盛り沢山!

私は夢中になって聞き入っていましたぁ~

姉の卒業と同時に今度は入れ代わりに私が東京へと~~

実家を離れ18才で初めての東京暮らしの私

母と姉が心配して、わざわざ神奈川の学生寮まで送ってくれ

三人で大泣きしながら別れたのが

ついこの間のよう~~(50年前の話ですゥー)

昔話をすると 必ずこの話題になりました^^

  


笑みを絶やさなかった姉

2015-12-09 00:19:40 | Weblog

姉と最後のお別れをして帰宅後

何も手に付かず、ボーと過ごしています。

今思えば~~

最後の入院となった40日間、

姉は決して笑顔を忘れませんでした。

とても印象に残ってるのは最後に病院を訪れた時のこと、

病室のドアを開けると、

「何というタイミングで来てくれたの!嬉しい~~」と

凄く喜んでくれたのです。

Tさん(夫)が疲れているのでは?と

一晩でも休ませてあげたいとの姉の思いが伝わりました。

今回の入院では姉の様子が今までと違ってましたので

毎回、今度が~~最後かも知れないと の思いが強く

姉の枕元に寄り添い、二人で出来る限り いろんな話をしましたぁ~

病気を告知された2年前から覚悟を決めていた姉は

終活の日々、いつにも増して家の中を整理整頓し

遺影にも拘り、お葬式の段取りまで兄に頼んでいました。

その都度私に電話で相談してくる姉に

私は何と言葉を掛けて良いやら、私にとっては一番辛いことでした。

そんな姉が病床で私に

「私は病名を告知されてから一度も泣かなかった・・・」と、

「どこにそんな強さがあったのかと?」とふっと笑ったのです。

私は言い返しました~~

「taeさんの分までどれだけ私が泣いたことかと!」

すると姉は

「ごめんね、泣かせた上に何回も来てもらって看病して貰ったのに恩返し出来ないね・・・」

私は言葉になりませんでした・・・・・

黙って姉の爪を切ってあげたり、顔を剃ってあげたり、

一晩付き添い「又来るね!」と別れたのが最後でした・・・・・

 (今回より少しの間 コメント欄閉じさせて頂きます)


お知らせ

2015-12-04 10:02:50 | Weblog

最愛の姉(taeさん)が12月1日午後9時23分永眠致しました。

皆様から温かな励ましを頂き、一時は持ち前の体力で懸命に頑張ってくれましたが

家族に見守られ安らかな最期でした。

享年71歳、まだ~若過ぎると思いますが

2年前に発症した難病「急性骨髄性白血病」と告げられてからの姉は

しっかり病気を受け止め、それは~気丈に そして充実した生活を送りました。

それというのも、連れ添う義兄と甥 姪の懸命なサポートがあればこそ、

家族皆でこの病気の事を勉強し、あらゆる手段で治療に加わり

懸命な看病が最後まで続きました。

義兄は姉にとっては主治医のような存在となり「先生!」と呼んでいました^^

病院の中でも評判になるほどの家族の手厚い介護で

誰がみても羨ましい程でした。

又昔から姉は、妹の私からみても、又友人知人からも

「taeさんぐらい幸せな人はいないよ!」と言われ続け

本人もしっかり「そうなのよ!」そう応えていた笑顔が忘れられません。

せめてもう10年15年は!と思うと

哀しく辛く思いますが、

常々「ダラダラ長生きせず、太く短く!」と・・・・・

姉らしい人生だったとも思えます。

一昨日、一先ずお別れに日帰りで行ってきました。

とても~~綺麗でした!

最期まで自慢の姉でした(涙

今後、少しづつ想い出話綴っていきたいと思います。

姉と長い間ご交流頂いた皆様、本当に心より感謝申し上げます。