このたびの東北関東大震災により、甚大な被害に遭われた方々、
今尚、食糧、水分、暖房設備もなく、暗く寒い中、絶望感と不安に押しつぶされそうな
避難所生活を送られている方々に、心よりお見舞い申し上げます。
(この後、長文かつ生々しい内容が続きますので、妊娠初期の方など、デリケートな時期の方は、
ご遠慮ください)
私事に話題は変わりますが、
実は、私、妊娠していました。
過去形です。
前回、突然の大出血と激痛で、あっという間に流産してしまった6週3日をハラハラしながら過ごし、
ようやく8週を迎え、妊娠3ヶ月に入って間もなく、
日曜朝から、終日、茶褐色の出血。
今月初めに、「99%流産」という診断をはねのけ、一時は心拍が確認出来たものの、
超音波で、子宮内に出血が確認されたため、安静生活に入り、4日目のことでした。
翌日、通っている不妊クリニックに電話したところ、FAXで産婦人科へ紹介状を送ってもらい、
タクシーで、産婦人科を受診。
診察の結果、
お腹の中の赤ちゃんの心臓はすでに止まっていました・・・・・・・。
「99%流産」と言われた日に泣き尽くしたからか、現実感が湧かないからか、
どこかで予想できていたのか、あらゆる思考がストップし、涙は出てきませんでした。
昼休みに電話をくれた夫の声を聞くなり、堰を切って、涙が溢れてきました。
産婦人科の医師と
「前回、突然、出血した時の激痛、そして、麻酔なしでの処置はつらい」と訴えたところ、
次の妊娠のこともあるし、一日も早く、処置をした方が良いことになり、
昨日、処置(そうは手術)してきました。
手術前日に、夫が上司に相談したところ、一日休みを取りなさい、と言ってくれたそうで、
手術当日は、朝から夫が付き添ってくれました。
朝食を済ませ、10時前に受付。
子宮口を広げるラミセルを入れる(この段階では、麻酔なし)際、
なかなか入らず、痛さのあまり、手が震え出し、ラミセル挿入後、頭がぐらぐらし出したかと
思うやいなや、激しく嘔吐。
安静室でしばらく横になるも、回復に時間かかり、昼前にタクシーで一時帰宅。
帰宅するなり、横になり、3時間程、死んだように眠り、
16時半前に再度、産婦人科へ。
(この時、挿入されている違和感は全く感じなくなっていました)
16時半から、静脈麻酔を始め、
30カウントくらいで意識がなくなり、手術自体は10分程度だったと、
外の待合室で待機していた夫から、後で聞きました。
前回、この静脈麻酔で何とも言えない不快感と臨死体験のような幻影を見、
恐ろしい記憶しかなかったので、とにかく今回は何も考えず、
意識がなくなりそうになったら、身を自然に任せようと思いましたが、
意識がなくなりかける過程で、何か大きな力で渦の中に引き込まれるような
恐ろしい感覚には、やはり襲われました。
医師に名前を呼ばれ(返事はもう出来ない)、最初はまだ完全に麻酔が効いていないのか、
一瞬激痛が走り、顔をしかめた記憶はありますが、その後は、
知らないうちに安静室のベッドに移されていました。
麻酔が切れかかるあたりから、またしても吐き気。
朦朧とした意識の中で、口から泡や唾液が出ている感じはわかりました。
朝食は、午前中にほぼ戻しており、昼食は抜いていたので、胃液だけを嘔吐。
側に誰かいるような、誰かが声をかけているような感覚はありますが、
反応が出来ない。
目はうっすら開いているのに、目が見えるような見えないような。
側にいるのが夫とわかるまでには少し時間がかかりました。
誰かが、「大丈夫、大丈夫」「頑張ったね」「うんうん」と何度も繰り返しながら、
口の周りを拭いてくれたり、体中にかいた汗を拭いてくれたりしていたのが、
少しずつ、認識出来ていきました。
部屋が電気で明るいことも何となくわかるのですが、
目を開けていても、あまり見えず、側にいる夫を夫と認識出来るまでの時間、
気持ち悪さは勿論のこと、とても孤独で恐ろしかった・・・。
手の平、手の甲に何となく温度を感じ、それが私の手をさすってくれていた夫の手だと
認識出来るようになってから、
現実の世界にいること、おそらく自分は生きていることが実感出来るようになり、
手の温かさをどれだけ心強く感じたか。
あなたがいてくれてよかった
大学1年の時、合唱団で歌った歌に、こんな歌詞がありました。
2回目の静脈麻酔なのに、今回は、午前中の体力消耗も影響したのか、
だいぶ苦しかったので、一人では乗り越えられなかったと思います。
お腹の中を空っぽにしてしまう無残な処置について考える余裕など全くないほど、
言葉には尽くしがたい苦しい処置でした。
処置自体は午前、夕方、それぞれものの10分程のようでしたが、
静脈麻酔は生命の危機を感じるくらいの恐ろしい体験。
「眠っている間に済んじゃうからね」なんて言葉は、私には全く意味はなく、
こんな思いは一度で十分なのに、二度目の処置を終えました。
私にとって産婦人科は流産の処置をするところでしかなくなってしまっています。
あれだけ願っていた妊娠。
妊娠の「に」の字にすら近づけなかった8年余り。
しかしながら、妊娠しても、結局流産してしまい、
こんな苦しみを味わうのなら、妊娠すること自体がこわくなって
しまいました。
去年の2月に初めての採卵、体外受精をしてから、4回の移植をし、
4回のうち、3回妊娠。しかし、1回目はごく初期に化学流産。2回目も6週で流産。
3回目は陰性。最後の凍結胚を移植した今回の4回目も流産。
胚移植による妊娠率は75%と高いのかもしれませんが、
妊娠後の流産率はこれで100%。
体外受精による流産率は、自然妊娠によるそれよりも確率がやや上がるそうですが、
2度流産が続き、習慣性流産の検査をすることになりました。
ただし、習慣性流産の検査は、あくまで次に妊娠した時に流産を防ぐ、という
妊娠することを想定した検査。
妊娠自体に恐怖を感じ始めている私に必要な検査なのかどうか、今は
考える気持ちの余裕がありませんが、断固拒否する気力もなく、
おそらく受けることになると思います。
前回の記事にコメントくださった方々に何の返信も出来ず、ごめんなさい。
しばらくブログを更新していなかったのも、前回のことがあるので、
状態が安定してからご報告をしようと、それまでPC自身から離れていました。
今日は、こんなご報告だけでごめんなさい。