♪結婚10年目 ふたりぐらし♪にもう一人☆

同い年の夫と結婚10年目。2回の初期流産後、不育症治療開始。オルガラン注射を打ちながら4度目の妊娠中。

35歳になっちゃいましたー

2011年05月30日 | 日々あれこれ

2日前の話ですが、はい、私35歳になっちゃいました。

昔から、35歳という年齢に何かしら区切りを感じていて、

というのも、

①新入社員時代に勤めていた会社で、35歳定年説という、

誠に失礼な説を社長が推奨していたり(実際には、35歳以降の方もいますが)、また、

②派遣業界では35歳以上は厳しいという嘘だか本当だかわからない噂があったり。

そして、

③不妊治療に関して言えば、35歳を過ぎると体外受精で妊娠する確率が減ってくる、とか。

どれもこれも、現実に35歳を迎えた今、本当に失礼な話ですが、

④結婚当初から、さすがに35歳くらいまでには関東へ帰りたい、と秘かに願っていた私。

 

①は、もう辞めた会社なので関係ないし、②に関しても、派遣はともかく、パートで勤める分には、

20代~50代、と幅広い方が働いています。今の職場では、私は何と若手!

私の知り合いでも、70代、80代の方が働いています。

③については、自分の可能性を否定しかねないので、もう気にしないことにします。

(もう○○歳だから、と毎年自分の首をしめていた気がするので)

一番こたえたのは、④・・・。

誕生日数日くらい前から、「電撃異動とかないのかねー」と夫を圧迫(笑)。

結局、そんなものはなく、大阪で35歳を迎えてしまいました・・・。

35歳って、遠い先の話と思っていましたが、なっちゃいましたね。

なってしまえば、度胸が据わったというか。

 

いえいえ、ぐだぐだになったであろう私の誕生日を幸せな一日に切り替えてくれたのが、

家族や友人、そして夫。

大学以来15年の付き合いになる大切な友人からは、

 

 

 

か、可愛い~!マスキングテープという存在はここ数年気になっていて、

ちょこっと手に入れては試してみるものの、自分のセンスのなさを思い知るばかり・・・。

お手本になるこの本は、女子心をくすぐる逸品☆

早速、いろいろ貼ってみました。

(メモパッド(左)と大学ノート(右))

(文具など入れている箱。その昔、白くペイントした)

楽しくて、ホチキスの芯の箱にまで貼っちゃいましたよ。

 

そして、何と今日職場の女の子(仕事教えてもらっているので先輩ですが)から、

サプライズプレゼント!

ロクシタンのシャンプー&コンディショナーセット。

そして、

何ともタイムリーな、マスキングテープでデコレートされた、可愛いカード付き!

ははーん、ただ貼るだけでなく、手で破ってから貼ったり、マジックで上から書いたり、

行のラインにしたりするのね~。いやはや、若い子(25歳)はやっぱりセンスが違う!

(ちなみにカラフルな鍵盤の模様もテープです)

友人からもらったマスキングテープを存分に活かして、素敵女子目指します♪

 

一年に一度の誕生日。

プレゼントそのものも勿論嬉しいですが、私なんかのために品物を選んでくれ、

包装してくれたり、カードを作ってくれたり、と時間を持ってくれたその気持ちがとても

嬉しいです。年齢は増えてしまうけれど、誕生日はやっぱり良いものですね☆

感謝、感謝です。


命のつながり

2011年05月23日 | 日々あれこれ

皆様、 お久しぶりです。

2週間程前、夫のおばあさんが101歳で亡くなりました。

結婚して9年なので、おばあさんの人生の1/10弱にお邪魔しただけですが、

話し方、笑顔の温かさが、ここ7年の間に亡くなった私の祖父母に似ていたのもあり、

慕っていました。

おばあさんは、90歳を過ぎたころ、自分史をまとめ、本にしていました。

結婚当初、読ませてもらいましたが、おばさんに借りて、もう一度読んでいます。

明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生きたおばあさん。

女に職業は必要ない、と言われる時代に、隠れて猛勉強して看護師の国家試験に合格し、

戦時中は従軍看護師として、中国へ渡ったおばあさん。

激動の時代に、就職し、結婚し、子供を産み育て・・・。

 

おばあさんの100年以上の人生に想いを馳せる日々に、

命のつながりの大切さ、というものを強く感じます。

 

結婚して以来ほとんどずっと、21時よりも前に帰ってくることのない夫。

ここ何年かは、平均23時前後。

 

帰宅したら、ご飯を食べて、(お風呂に入って)寝るだけ。

 

手をつないでるだけでは、子供は出来ません。

 

平日は、朝と夜と合わせても2時間も一緒に過ごせない毎日。

そんな毎日に、ほとほと嫌気がさしていて(何年かに一度、気分が底に落ちます)、

つい、あたってしまって言った言葉。

「子供がいないということは、

お父さんやお母さん、そしておばあさん達から脈々と継がれて

きた血が途切れる、ということだ」

 

自分で言っておきながら、果てしなく恐ろしく、寂しくなり、号泣。

生物学的な血だけではなく、祖父母、父母世代の気持ちも途絶えてしまうようで。

大好きな祖父母が亡くなった時、寂しくて寂しくてたまらなかったけれど、

「祖父母にしてもらって嬉しかったことを自分の子供や孫にしてあげよう、

それが祖父母への孝行にもなるのではないか」と思えるようになって、

気持ちを少し前向きに持てるようになりました。

結局、自分が育てられたように、自分も子育てするんだろうし、

親や祖父母の生きる姿は自分の価値観にも大きく影響を受けているんだろうな、と

あらためて思います。

 

上手く表現出来ませんが、祖父母や両親の「気持ち」を後世に伝えていくことは、

自分のルーツを尊重することにもなるのかな、と。

後世に伝えることが出来ないのは、寂しいなあ、と感傷的になっている今日この頃です。

 

たまに書くブログがとりとめなくて、すみません・・・。


不育症検査へ

2011年05月04日 | 不育症検査

今週月曜に、不育症の検査をするために、某クリニックへ行って来ました。

2度の流産手術でお世話になった産婦人科の先生の紹介。

GWの休みに入っていた夫と待ち合わせ(私は仕事)、行って来ました。

 

産婦人科の先生から紹介状出してもらってすぐに予約の電話を入れましたが、

すでに2週間以上先まで予約がいっぱい。

「そうこうしているうちに、次の生理が始まっちゃうんですけど・・・」と言い、

17日後の2日に予約を取れました。

 

予約の17時を1時間過ぎ、ようやく呼ばれました。

不育症の原因と言われている要因を円グラフで説明していただきました。

「不妊治療のクリニックでは、染色体の検査をしましたか?」と聞かれた時、

恥ずかしながら、私も夫も、

(治療を再開した時と、体外受精の前に、いろんな検査をしたから、多分しているんだろうけど、

絶対しているか、と言われると、自信がない・・・)という状況でした。

何か問題がある時は、細かく説明してくれても、問題ない時は、

「○○と、○○の検査は、何も問題なかったですから」とさらりと終わっています。

なので、検査自体をしたのかどうかの記憶がない・・・。

長く病院に通っていながら、きちんと把握していない自分が恥ずかしかったです。

 

この日は、抗リン脂質抗体などの検査のため、血液を少し多めに抜き、

結果を聞く2週間後までに、染色体検査をしたか否かを不妊クリニックへ聞くように、と言われ、

終わりました。

 

参考にもらった資料に、

「流産を繰り返す夫婦のうち、200組に1組、染色体に何らかの異常(転座)があるとのこと。

転座があっても、その人自体には何ら問題はなく、子供を持つ段階で流産の可能性が50%上が

ってしまう」と書いてありました。

読んだ瞬間、そんな大事な検査なら、何故、治療を始めた早い段階で検査してくれないの?!と

もし、それが原因で、2度も流産していたとしたら、あの悲しみ、苦しみ、痛みはどうしてくれるの?

泣きたいような怒りたいような気持ちになりました。

 

ただ、逆に、人間として何ら問題ない「転座」があったとしたら、

その事実を知ってしまうことも、それはそれで怖い。

染色体異常なんて、自分ではどうにもならない問題。

知らずに済むなら、知らない方がいい。さしたる治療方もないのに、

その現実を突きつけるのは酷なこと、と、

医師側も、積極的に検査を勧めたりしないのかも、と

思い直しました。

 

クリニックで思いの外、時間がかかったので、外で食べていくことに。

連休は、特に何の予定もないので、夫と「HUB」と「沖縄料理」の店をはしご。

2軒目のお店で、本日3杯目のお酒をまだ半分も飲まないうちに、

猛烈な眠気に襲われました!

3杯くらいでは、そうそう酔わない私(祖母ゆずり)。

薬でも盛られたのか、と思うくらいの眠気でしたが、考えてみれば、

血液検査で血を多めに取ったので、その分、酔いが早く回ったのかも。

 

2週間後の検査結果、聞くのが怖いような、早く聞きたいような。

看護師さんに、

「結果がわかるのも怖いけれど、(流産の原因が)何もわからなかったら、

対策の打ちようがなく、いずれも怖い」と打ち明けると、

「こちらに来られる方、皆さん、そうおっしゃいますよ」と優しく答えてくれました。