シリコンバレーからの脱出 ①引っ越したいの
2週間半の冬休みをカリフォルニアで過ごしたせいか、シリコンバレーからの脱出を試みていた10数年前のことを思い出した。
あの頃は私も今より10歳以上も若かったわけで、エネルギーもあったし、住宅市場などは今では考えられないくらい活況を呈していた。
息子が生まれてから、私たちは3回シリコンバレーからの脱出を試み、2回失敗している。そして3回目にして、引っ越しが現実となった。
2ベッドルームのコンドミニアム。 マウンテンビューにはコンドミニアムがたくさん建っていた。
引っ越したかった理由は、子供ができたのだから、いい学校区に住みたい(日本人のお母さんたちの共通の話題)、庭付き一軒家が欲しい、などなど。
私たちはシリコンバレーの真中あたりのマウンテンビュー市に住んでいた。 サンノゼに行くにも、サンフランシスコに行くにも便利で、日本のマーケットにも近いというので、結婚してすぐにコンドミニアムを買った。
コンドミニアムは日本でいうと、マンションのようなものだが、シリコンバレーではあまり高層のものはない。私たちが住んでいたコンドミニアムは、敷地内に2階建ての建物が2棟、全部で15ユニットのこじんまりしたものだった。
それなりに快適な住まいだったが、子供が生まれたとたん、なぜか庭付きの家が欲しくなった。 しかも学校のいいところで。 しかし、このシリコンバレーでは1997年頃から、住宅の価格が驚くほど急騰し、夫婦ふたりが高給取りでなければ手が届かない価格になっていた。
一回目の脱出計画は、1998年2月。 息子は生後9ヶ月だった。 脱出地は、コロラド州のフォートコリンズ。
下見に行って、家の安さに驚いた。 リアルター(不動産仲介者)が見せてくれた家は、会社まで20分くらいの所の新築の家だった。 周りはまだ開発途上という感じだったが、家自体はすべてがグレードアップされていて、広く、美しかった。
1998年当時のフォートコリンズ。 今ではこのあたりはすっかり開発され、住宅が建ち並んでいる。
しかし、こんなすばらしい家を私たちが買えるのだろうか。 私は主人に耳打ちした。
「リアルターに私たちの予算を伝えたの? 買えない家を見ても仕方ないんだからね。」
家の価格を聞いて、びっくりした。
シリコンバレーにある私たちの2ベッドルームのコンドミニアムと、同じ値段なのである。
しかも、この家の地下室と私たちのコンドミニアムが、同じ広さ。
フォートコリンズでは仕事のオファーももらったが、諸事情が重なって、断念した。
私はしばらくの間、このフォートコリンズの家が目に焼き付いて、離れなかった。
うっ、この家広い。 シリコンバレーではボロ家でも手が出ないが、コロラドなら買えるかも。 家を見るたび同じ言葉をつぶやいた。
二回目は、1999年の夏。 息子は2歳と数ヶ月。 学校の事や、子供を育てる環境を考えると、やはり引っ越したい。 ふたたび家を探し始めて、主人の両親が住むリバモアに新築の家をみつけた。 通勤時間2時間。 ちょっと遠いが仕方ない。 シリコンバレーの中心地に新築の家など買えないのだから。
予約金を入れ、ローンもOKが出た。 デザインセンターに足をはこび、カーペットやキッチンカウンターの素材なども選んだが、ドタキャンしてしまった。
この時も、諸事情が重なった。 というより、何かすべての事が強い向かい風になって、やっぱりやめたほうがいいのかも?という第六感が働いた。
アメリカでは家を売りに出すと、For Saleのサインを家の前に立てる。 サインの下に小さなボックスをつけて、希望販売価格や家の広さ、間取りなどを説明したチラシを入れたりする。 週末ともなると、家を探している人たちが、お気に入りの地域を車でぐるぐる回り、チラシを集める。(今ならリアルタードットコムなどで物件を調べるが、当時はまだ20世紀)。
そして、よさそうな物件が見つかると、リアルターに電話して家の中を見せてもらう。 もちろん不動産屋のコンピュータにも情報が入っているので、買い手側のリアルターが自分の顧客をつれて物件を見にくる。
もちろん売る側にすれば、なるべく多くの人に見てもらいたいので、週末にオープンハウスをしたりするのだが、困ったことに私たちのコンドミニアムを売りに出したとたん、息子が病気になってしまった。
オープンハウスをしたすぐその後、「申し訳ありませんが、この先3-4日程、家をお見せできません。」と、留守電にメッセージを流した。 最初から、大きくつまずいた。 今では信じられない話だが、当時は家を売りに出して最初の2-3日が勝負。 コンドミニアムなら1-2週間で売れてしまうのが普通だった。
それに、一般のオープンハウスに先立って、リアルター向けのオープンハウスをしたときも、事件が起こった。
同じコンドミニアムに住む女性が、「このコンドミニアムは問題があるのを知っているか?」と、ずかずか入りこんできたのだ。 彼女は、同じ棟の端の一階に住んでいた。 リビングルームをハードウッドフロアーにリモデルして売りに出そうとしていたが、カーペットをはがしてみると、コンクリートの床が割れて少し段になっていた。 これでは木の床は張れない。 それに修理費は誰が払うのか。管理組合が払ってくれるのかーーと、えらくご立腹だったのだ。
彼女にしてみれば、私たちがさっさっと自分たちのユニットを売りに出すのが、がまんならなかったのだろう。 しかし、迷惑な話だ。 彼女のおかげで買い手側のリアルターは引いてしまったようだ。 積極的にわたしたちのコンドミニアムを紹介してくれたとは思えなかった。
コンドミニアムを売りに出すというのは、想像以上に大変なことだった。
前日に「お客さん連れて見に行きますよ」と、連絡してくれるリアルターはいい方で、ほとんどの場合、一時間前とか30分前に「行くよ」の電話がはいる。 10分前というのもあった。
私はリアルターから電話が入るたびに、床にころがっているオモチャを拾いあつめ、キッチンを片付け、掃除機をかけ、紙オムツを含むゴミ類すべてを捨てに行った。 しかも子供が病気であろうが眠っていようが、家から出ていかなければいけない。 一日に何度もこういう事をやっていると、本当に疲れる。 子供を抱えながら車のなかに隠れている自分が、とても情けなく思えてきた。
そうこうしているうちに、住宅ローンの利率がどんどん上がりだした。
主人の勤務場所が変わるかもしれないという情報も入ってきた。
普通に通勤して、リバモアからサンノゼのオフィスまで、2時間弱。 勤務地が少し離れれば、片道2時間から2時間半かかってしまう。 これはもう、通勤不可能だ。
大きな買い物なのだから、強い向かい風を感じたり、頭に?マークがいっぱい浮かんできたら、やめたほうがいい。 二人で話し合い、勇気をもってキャンセルしようということになった。
結局、戻ってきた予約金や、家を買う資金にと株を売ったお金で、ヨーロッパに3週間、ネパールにも3週間の旅行をした。 こんな長期の旅行は、家を持っていたらできない。 コンドミニアムに住んでいてよかったね、などと言いながら。
<つづく>
にほんブログ村
2週間半の冬休みをカリフォルニアで過ごしたせいか、シリコンバレーからの脱出を試みていた10数年前のことを思い出した。
あの頃は私も今より10歳以上も若かったわけで、エネルギーもあったし、住宅市場などは今では考えられないくらい活況を呈していた。
息子が生まれてから、私たちは3回シリコンバレーからの脱出を試み、2回失敗している。そして3回目にして、引っ越しが現実となった。
2ベッドルームのコンドミニアム。 マウンテンビューにはコンドミニアムがたくさん建っていた。
引っ越したかった理由は、子供ができたのだから、いい学校区に住みたい(日本人のお母さんたちの共通の話題)、庭付き一軒家が欲しい、などなど。
私たちはシリコンバレーの真中あたりのマウンテンビュー市に住んでいた。 サンノゼに行くにも、サンフランシスコに行くにも便利で、日本のマーケットにも近いというので、結婚してすぐにコンドミニアムを買った。
コンドミニアムは日本でいうと、マンションのようなものだが、シリコンバレーではあまり高層のものはない。私たちが住んでいたコンドミニアムは、敷地内に2階建ての建物が2棟、全部で15ユニットのこじんまりしたものだった。
それなりに快適な住まいだったが、子供が生まれたとたん、なぜか庭付きの家が欲しくなった。 しかも学校のいいところで。 しかし、このシリコンバレーでは1997年頃から、住宅の価格が驚くほど急騰し、夫婦ふたりが高給取りでなければ手が届かない価格になっていた。
一回目の脱出計画は、1998年2月。 息子は生後9ヶ月だった。 脱出地は、コロラド州のフォートコリンズ。
下見に行って、家の安さに驚いた。 リアルター(不動産仲介者)が見せてくれた家は、会社まで20分くらいの所の新築の家だった。 周りはまだ開発途上という感じだったが、家自体はすべてがグレードアップされていて、広く、美しかった。
1998年当時のフォートコリンズ。 今ではこのあたりはすっかり開発され、住宅が建ち並んでいる。
しかし、こんなすばらしい家を私たちが買えるのだろうか。 私は主人に耳打ちした。
「リアルターに私たちの予算を伝えたの? 買えない家を見ても仕方ないんだからね。」
家の価格を聞いて、びっくりした。
シリコンバレーにある私たちの2ベッドルームのコンドミニアムと、同じ値段なのである。
しかも、この家の地下室と私たちのコンドミニアムが、同じ広さ。
フォートコリンズでは仕事のオファーももらったが、諸事情が重なって、断念した。
私はしばらくの間、このフォートコリンズの家が目に焼き付いて、離れなかった。
うっ、この家広い。 シリコンバレーではボロ家でも手が出ないが、コロラドなら買えるかも。 家を見るたび同じ言葉をつぶやいた。
二回目は、1999年の夏。 息子は2歳と数ヶ月。 学校の事や、子供を育てる環境を考えると、やはり引っ越したい。 ふたたび家を探し始めて、主人の両親が住むリバモアに新築の家をみつけた。 通勤時間2時間。 ちょっと遠いが仕方ない。 シリコンバレーの中心地に新築の家など買えないのだから。
予約金を入れ、ローンもOKが出た。 デザインセンターに足をはこび、カーペットやキッチンカウンターの素材なども選んだが、ドタキャンしてしまった。
この時も、諸事情が重なった。 というより、何かすべての事が強い向かい風になって、やっぱりやめたほうがいいのかも?という第六感が働いた。
アメリカでは家を売りに出すと、For Saleのサインを家の前に立てる。 サインの下に小さなボックスをつけて、希望販売価格や家の広さ、間取りなどを説明したチラシを入れたりする。 週末ともなると、家を探している人たちが、お気に入りの地域を車でぐるぐる回り、チラシを集める。(今ならリアルタードットコムなどで物件を調べるが、当時はまだ20世紀)。
そして、よさそうな物件が見つかると、リアルターに電話して家の中を見せてもらう。 もちろん不動産屋のコンピュータにも情報が入っているので、買い手側のリアルターが自分の顧客をつれて物件を見にくる。
もちろん売る側にすれば、なるべく多くの人に見てもらいたいので、週末にオープンハウスをしたりするのだが、困ったことに私たちのコンドミニアムを売りに出したとたん、息子が病気になってしまった。
オープンハウスをしたすぐその後、「申し訳ありませんが、この先3-4日程、家をお見せできません。」と、留守電にメッセージを流した。 最初から、大きくつまずいた。 今では信じられない話だが、当時は家を売りに出して最初の2-3日が勝負。 コンドミニアムなら1-2週間で売れてしまうのが普通だった。
それに、一般のオープンハウスに先立って、リアルター向けのオープンハウスをしたときも、事件が起こった。
同じコンドミニアムに住む女性が、「このコンドミニアムは問題があるのを知っているか?」と、ずかずか入りこんできたのだ。 彼女は、同じ棟の端の一階に住んでいた。 リビングルームをハードウッドフロアーにリモデルして売りに出そうとしていたが、カーペットをはがしてみると、コンクリートの床が割れて少し段になっていた。 これでは木の床は張れない。 それに修理費は誰が払うのか。管理組合が払ってくれるのかーーと、えらくご立腹だったのだ。
彼女にしてみれば、私たちがさっさっと自分たちのユニットを売りに出すのが、がまんならなかったのだろう。 しかし、迷惑な話だ。 彼女のおかげで買い手側のリアルターは引いてしまったようだ。 積極的にわたしたちのコンドミニアムを紹介してくれたとは思えなかった。
コンドミニアムを売りに出すというのは、想像以上に大変なことだった。
前日に「お客さん連れて見に行きますよ」と、連絡してくれるリアルターはいい方で、ほとんどの場合、一時間前とか30分前に「行くよ」の電話がはいる。 10分前というのもあった。
私はリアルターから電話が入るたびに、床にころがっているオモチャを拾いあつめ、キッチンを片付け、掃除機をかけ、紙オムツを含むゴミ類すべてを捨てに行った。 しかも子供が病気であろうが眠っていようが、家から出ていかなければいけない。 一日に何度もこういう事をやっていると、本当に疲れる。 子供を抱えながら車のなかに隠れている自分が、とても情けなく思えてきた。
そうこうしているうちに、住宅ローンの利率がどんどん上がりだした。
主人の勤務場所が変わるかもしれないという情報も入ってきた。
普通に通勤して、リバモアからサンノゼのオフィスまで、2時間弱。 勤務地が少し離れれば、片道2時間から2時間半かかってしまう。 これはもう、通勤不可能だ。
大きな買い物なのだから、強い向かい風を感じたり、頭に?マークがいっぱい浮かんできたら、やめたほうがいい。 二人で話し合い、勇気をもってキャンセルしようということになった。
結局、戻ってきた予約金や、家を買う資金にと株を売ったお金で、ヨーロッパに3週間、ネパールにも3週間の旅行をした。 こんな長期の旅行は、家を持っていたらできない。 コンドミニアムに住んでいてよかったね、などと言いながら。
<つづく>
にほんブログ村
子どもの成長と重なるからかな~
ずっと、この頃の言ってた第六感って言うのが
気になっていたけど、この頃になって分かる様
な気がする。私もこういう気持ちで動かされて
いるかも・・・
子どもの成長と重なるからかな~
ずっと、この頃の言ってた第六感って言うのが
気になっていたけど、この頃になって分かる様
な気がする。私もこういう気持ちで動かされて
いるかも・・・
な