丸森町より白石市へ。
なぜか途中で道に迷い、白石に嫌われてるのかと思いました
まずは当信寺へ向かいました。
このお寺には、真田信繁(幸村)の遺児、阿梅と大八のお墓があります。
なぜ白石のこのお寺に真田さんの遺児のお墓が?って理由はお寺の説明文より。
真田阿梅・大八の墓
元和元年(1615年)大阪夏の陣のとき大阪方の名将・真田幸村は
落城と自分の最後を覚悟し、智勇兼備を見込んだ敵将片倉重長に
阿梅と穴山小助の娘の養育を託した。
重長は幸村の遺児、阿梅・阿菖蒲・おかね・大八たちを
白石城二の丸で密かに養育し、阿梅は重長の後妻に、
阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早世、
大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り伊達家に召抱えられた。
阿梅と大八守信の墓はこの当信寺に、
阿菖蒲の墓は蔵元勝坂の田村家墓地にある。
片倉重長は、真田幸村夫妻の菩提を弔うため
大平森合に月心院を建立した。
私は今回、白石に行くのに下調べをしていて、この事を始めて知りました。
さらに、大阪夏の陣で伊達と真田が戦っていたのも、同じく今回始めて知りました。
因みに、阿菖蒲の夫である田村定広は、愛姫の従兄弟の田村宗顕の息子です。
ここ当信寺ではこの阿梅と大八の墓の他に、もう1つ説明版が設置されている墓が存在しました。
その墓に葬られている人は
白石老人
誰なのこの人?すっごく気になるよ!
説明板を読んでも、どこの誰で何をした人なのか、サッパリ分からないんだけど(笑)
ぶっちゃけ、阿梅と大八よりも、白石老人の話題で大盛り上がりでした
だって気になる~。
駐車場は、あるのかどうかも含めて分からなかったので、車通りも少なく路肩も広かったので、路駐しました。
なぜか途中で道に迷い、白石に嫌われてるのかと思いました
まずは当信寺へ向かいました。
このお寺には、真田信繁(幸村)の遺児、阿梅と大八のお墓があります。
なぜ白石のこのお寺に真田さんの遺児のお墓が?って理由はお寺の説明文より。
真田阿梅・大八の墓
元和元年(1615年)大阪夏の陣のとき大阪方の名将・真田幸村は
落城と自分の最後を覚悟し、智勇兼備を見込んだ敵将片倉重長に
阿梅と穴山小助の娘の養育を託した。
重長は幸村の遺児、阿梅・阿菖蒲・おかね・大八たちを
白石城二の丸で密かに養育し、阿梅は重長の後妻に、
阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早世、
大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り伊達家に召抱えられた。
阿梅と大八守信の墓はこの当信寺に、
阿菖蒲の墓は蔵元勝坂の田村家墓地にある。
片倉重長は、真田幸村夫妻の菩提を弔うため
大平森合に月心院を建立した。
私は今回、白石に行くのに下調べをしていて、この事を始めて知りました。
さらに、大阪夏の陣で伊達と真田が戦っていたのも、同じく今回始めて知りました。
因みに、阿菖蒲の夫である田村定広は、愛姫の従兄弟の田村宗顕の息子です。
ここ当信寺ではこの阿梅と大八の墓の他に、もう1つ説明版が設置されている墓が存在しました。
その墓に葬られている人は
白石老人
誰なのこの人?すっごく気になるよ!
説明板を読んでも、どこの誰で何をした人なのか、サッパリ分からないんだけど(笑)
ぶっちゃけ、阿梅と大八よりも、白石老人の話題で大盛り上がりでした
だって気になる~。
駐車場は、あるのかどうかも含めて分からなかったので、車通りも少なく路肩も広かったので、路駐しました。