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今宮祐貴 〜活動日記passion 〜

相模原市議会議員 passion for the best

終戦から74年

2019-08-15 23:15:16 | 日記
 終戦から74年を迎えました。日本が進めた、侵略戦争、植民地支配の終結から74年が経ちました。

 この戦争によって、アジア太平洋地域で2000万人以上、日本人300万人以上が犠牲になりました。犠牲となったすべての方々に、心からの哀悼の意を表します。

 私はこれからも、憲法9条を守り、9条を活かした外交によって世界平和に貢献する日本を目指すべく、みなさんとともに活動して参ります。

 写真は淵野辺公園にある、被爆樹木二世、平和の木アオギリ。





第41回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会に参加しました

2019-07-29 08:30:14 | 日記
 昨日、13時30分から、神奈川県立相模湖交流センターで執り行われた、第41回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会に参加しました。

 ダム工事殉職者83名とともに、やまゆり園事件でお亡くなりになった19名の方に対して黙とうを捧げました。

 日本、中国、韓国、朝鮮の人々が主体となり合同で執り行われてきた追悼会ですが、歴史に学ぶことの大切さをあらためて感じました。参加者からの発言は胸に刺さるものが多くありました。過酷な状況で建設されたダムですが、中国、韓国、朝鮮の方々が強制連行され、その中で働き命を落とされました。二度とあってはならないことです。哀悼の意を込めて献花いたしました。あらためて、ダム建設において、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 
 

津久井やまゆり園事件追悼式に参列しました。

2019-07-22 23:55:54 | 日記
 今日の午後、相模女子大学グリーンホールで執り行われた、津久井やまゆり園追悼式に参列しました。

 19人の尊い命が奪われ、26人の方が重軽傷を負った、やまゆり園事件からもうすぐ3年が経とうとしています。

 追悼式では、入所者が亡くなった19人を偲んで描いた絵が祭壇に飾られ、黙とうを捧げ、献花をしました。

 どれほど怖かったか、どれほど無念だったか、深い悲しみが消えることはありませんが、この事件に屈することなく、ともに生きる社会を実現するために、力を合わせて、あらゆる努力をしていくことが必要です。

 あらためて、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、被害に遭われ負傷された方々、深い悲しみにあるご家族、関係者のみなさんに心よりお見舞い申し上げます。

2018年最後のブログ

2018-12-31 19:16:43 | 日記
 みなさん、こんばんは。今宮ゆうきです。今年一年、大変お世話になりました。皆さんに支えられた一年でした。本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。

 

 

33歳最後の記事 

2018-12-09 23:59:14 | 日記
 明日、12月10日で34歳になります。この一年、皆さんのおかげで無事にやってこられました。心より感謝申し上げます。

 生きていることが、どれだけ尊いことか日々感じています。良いこともわるいこともたくさんあった一年でした。今年は小中学校時代の同級生が病気で亡くなり、中学時代よく遊んでいた友人は事故で亡くなりました。二人とも私と同い年です。
 
 私は、同級生のお通夜に参列したのですが、その時、ずっと言えずにいたことをそのお母様に伝えました。中学二年の時に、私は一度だけ学級委員長をしたことがあります。二学期でした。一学期の学級委員長は、その亡くなった友人でした。勉強も非常にできて、人望もあり、誰がどう考えても彼が二学期も再選するだろうと思っていました。私もそう思っていました。しかし、学級委員長を決める日、私は何故か、本当に何故か説明がつかないのですが、手を挙げてみようかという気に一瞬だけなったんです。それで、担任のM先生が教壇で、「はい、じゃあ学級委員長に立候補する人はいますか?」と、言い終えると直ぐに、これはどうしてなのか、私は手を挙げていたんです。教室がざわつくのが分かりました。二人以上の場合は、投票になります。そうすれば、成績でも実績でも劣る私には勝ち目がないのですが、恐る恐る、彼の方をチラッと見ると、こっちを見て、親指を立ててくれたんです。お前がやれと。私はその時、学級委員長になりました。一際大きな拍手を送ってくれたのは彼でした。その二学期に、学園祭があって、劇をすることになりました。それで、今度はまず監督を決めることになり、この時も、その動機が思い出せませんが、私が手をあげました。そのまま決まりました。そして、主演のパン屋さんの店主役に手を挙げたのが、その彼でした。私はその時の気持ちを覚えています。嬉しかったです。劇は大変うまくいきました。彼は素晴らしい演技力で主役を演じ切りました。劇のことで、私は彼と何度も打ち合わせをしました。何をするにしても、真面目で努力家。心から尊敬していました。そして、いつか、学級委員長の件のお礼を言おうと思っているうちに何故かそれが歯がゆくて言えずに、思春期のなにかでしょうか、とうとう進級してクラスが離れてしまいました。中学三年生になれば、受験本番です。彼は学年でも5本の指に入る秀才でした。中学卒業後、市内のトップ校に進学しました。それから、次に会ったのが五年後の二十歳の同窓会でした。私は大学生でした。二次会で彼と隣の席になり、何か短い話をした記憶があります。それから13年後、突然の訃報でした。その彼が、引き合わせてくれた友人たち。思いがけない再会でした。皆、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいます。尊いですね。ありがとうと、心から思います。