まろんのひとりごと

BPDと診断された娘とがんばる 
母さんのひとりごと。。。。
ちょっとだけトンネルの出口が見えてきたかな。

通院日

2009年10月09日 | Weblog
昨日は娘の通院の日。

前日から「熱がある~」(37度)というので
もしかしてインフルエンザ!????

しかし食欲もあるし
元気である。

精神病院は9時に予約が入れてあるので
なんとか行かねば。。。
でも もしものことを考えて娘を連れていくのは
避けたほうが無難。

近況説明とお薬をもらうだけなので
娘には 家にいなさい
精神科終わってから内科に行こうねと
娘をおいて
私だけ行ってきました。


娘からの要望は
睡眠薬を変えてほしいということ。

先生にはそれを伝えて変更してもらいました。

そして
数日前に 精神安定剤を飲んだことを伝え
もしものときのために 頓服として
安定剤を出していただけることになりました。


精神科から帰って
内科へ連れて行こうとしたら
爆睡。。。zzz

起こしても起きないので
夕方でいいか。。。と

娘は5時前まで寝てましたよ(笑)

時間ができたし 私はマラソンに行ってきました。
帰り着く頃にメールが入って 熱下がったから病院いいや とのこと。^^;


なんじゃそりゃ(笑)
もちろんその日の夕方も食欲満タンで
「知恵熱やったんかも~」と笑ってました。

やれやれ。

次女いわく
おねーちゃん ただ単に疲れとっただけちゃうの?

インフルかも??と
言ってたときは
「おねーちゃんのせいで学校休まないとアカンなったら
どーしてくれるんよ~!」
「3年間の皆勤賞やでーーー! ゆいにうつったら
おねーちゃんのせいやからな~」と
めちゃ怒ってました ^^;


長女は不規則な生活と不規則な食事のせいか
年に5回くらい風邪をひきます。

免疫力が弱いんでしょうかねぇ。

長女が ゲホゲホ ずるずる
風邪ひいだーーー。 と いってるときでも
私と次女は ぜんぜんうつりません。


まぁそんなこんなで
とりあえず また1ヶ月無事に過ぎました。
(ちょこちょこといろんなことはありましたが)


次の通院日まで 穏やかな日々が過ぎますように。


精神安定剤

2009年10月02日 | Weblog
数日前 私が起きたとき(5時半)
まだ 起きていた 娘。

(昼と夜が反対の生活です)

「お母さん 精神安定剤ある?」と
言ってきました。

ドキリ!です。

今は睡眠薬しかもらっていないので
安定剤はない! 

一瞬 自分が飲んでいる デパス(安定剤)を
飲ませようかと思いました。

すると 娘が
「前にもらってたやつとかない?」と聞いてきたので

あ!
そういえば 退院する時に
先生から渡された 薬の中に

「不穏時」 にのむように処方された薬があったのを
思い出しました。

不穏時 って 言葉もちょっと 普段使わないよね^^;


お守りみたいな 気持ちで引き出しになおしていました。
たぶん 強烈に(?)効きそうな 感じしました。

これならあるけど
のんでみる? と渡しました。


なんだろう?
どうしたのかな??
夜中何度かどたばた出入りしてたけど・・
また彼氏と何かあったのかな。。

会社に行く前に 部屋をのぞいてみたら
ベッドに寝ていたので

ほっ と 安心。

帰ったら 朝の不安はどこへやら。
にこにこ 元気でいろいろ話しかけてきました。

「今朝、大丈夫だった?」と聞くと

「薬効き過ぎたわ~。体しんどいし起きれなかったー」と
言ってました。

何があったのか聞きたかったのですが
本人もけろっとしているし
話したくなったら話してくれると思ったので
そこは さらっと流しました。

「今度病院行ったら 先生に違う安定剤もらっとこうね」
というと

「うん」と。
「今度病院いつやった?」

「8日だよ」

そんなやりとり。

不安な一日でしたが
考えてみれば
「精神安定剤がほしい」と 私に言えた事
これがまず大きな進歩です。

そして
自分のなかでのもやもやした感情の処理の仕方が
少しわかってきたのかな?

今までだったら
どうしていいかわからず
うつ状態になったり 
キレたり 暴れたりしていたけど

<薬を飲んで落ち着かないといけない> と気づけたこと

そういう(薬)対処方法もあるのだということが
わかって それをできたこと。

娘にとって 大きな成長のような気がします。

少しだけ
感情のコントロールができるようになったのかな。

そして その日は
仕事を休んでいましたが
今までと違うことは ちゃんと連絡を入れて
休みますといえるようになったこと。

いっぱいいっぱいになるまで
無理して頑張らないで
息抜き(仕事を休む) ができるようになったこと。

休むことがいいことではないけど
今までの娘の生き方や考え方は

100か 0だったのですが
(この病気特有かもしれませんね)
80とか90とかで 上手に生きれるようになってきたのかな。

どきっとした一日だったけど
娘の成長も感じられた一日でした。

どうか このまま 穏やかに・・・・。











障害者自立支援法

2009年10月02日 | Weblog
先般の選挙で
民主党が政権をとって

「障害者自立支援法の廃止」 が廃止されるかもしれません。

うちの長女も
この制度の恩恵を受けています。

医療機関窓口で 3割負担のところ
1割負担ですむのです。
(ただし通院のみ・かかっている精神病院のみで
 他の病気での医療費は3割負担です)


今では4週間に1回の通院ですんでいるので
負担はそれほどではないけど
それでも 1割負担はとてもありがたかったです。

精神的な病気は 治療に時間を有するから
(おそらく一生と言っても過言ではないかも)

患者さんやその家族の負担も大きく
それを軽減するために
こういう制度があるのかな?と思っていました

(この制度のできたいきさつとかは詳しくしりませんが)

この制度がなくなると
やっぱり 我が家も負担が大きいです。

今後が 不安。

通院しなくても よくなった~!と
言えるようになれば いいんだけど。

今までこの制度を受けていて
月に何回も病院へかかっていた人は
ほんとうに 大変だろうと思います。

病院にもいけなくなっちゃうんじゃないかなー。

精神障害のある人だと 働くのも大変な人も多いだろうしね。

幸いにもうちの娘はちゃんと働いて
自分のことは自分でできるので
まだ ましなのかな・・・。






消えないトラウマ

2009年09月03日 | Weblog
先日 会社の前で
あまり見たくない光景を見ました。

銀行へ行こうとしたら
うちに配達に来た人が
「そこで女の子が倒れて叫んでる」と。

・・・胸がぎゅっとなりました。

今朝、長女はあまりいい状態ではなかったので 
まさか・・? 
ありえないと思うけど、ドキッとして
もしや娘??

自分の携帯に着信があったのでは?と心配になる


携帯には着信はなかった。



17~18くらいの女の子が
交差点の横断歩道のところで
叫んで 倒れて(寝転がって)いました。

周りには 友達らしき子が3人ほど
困り果てていました。

近くにいた通りがかりの女性が警察に電話していました。

私が銀行で用事を済ませて出てきたら
救急車と警察が来ていて
倒れていた女の子は歩道の上に移動し
座って 警察の人から何か聞かれていました。

その子も 娘と同じような感じがしました。

通りがかった時の話の内容では
どうやら彼氏(そばに男の子がいました)と喧嘩?になったのか
友達が仲裁に入ったようで、話をしようと言ってるのに
聞かずに 暴れだしたみたい。

ほんとに 他人事ではない気がした。

あんな光景は 何度も見てきたから。

自分には関係ない事件だったけど
すごく 胸が苦しかった。

ドキドキして 怖かった。
思い出したくないことを 一瞬にして 思い出した。

================

これもまた先日、休日のこと。
15分ほど買い物に出たその間に
娘は 電話で喧嘩していたらしく
大声で叫んで、自分の部屋のテーブルか壁かわからないけど
ドンドンドンドンと叩いていたらしい。

帰ってきたら
次女が「おねーちゃん、喧嘩してた」と
教えてくれました。

それを聞いて
胸がぎゅーーーっと 苦しくなり。

しばらく そういういやな思いから遠ざかっていたけど
やっぱり まだまだなんかなぁ・・・と。

私が帰った時には静かでしたが
何か起きるのではないかとドキドキしました。

少ししたら
「行ってきまーす」と言って機嫌よく出かけていったので

ほっとしました。

仲直りしたんかな?

その翌日くらいに
長女は外出してていなかったけど
外で 若者が わーー!と大声で騒ぎながら歩いている声に
またどきっ!とし。

「あんな声聞くと お姉ちゃんじゃないかと思って
 すごく胸がドキドキするわ。。」と
私が言ったら 次女も
「私もなる! どきっー!ってなる。 あと子供が騒いでる声も
  もしかして?って思う。よく聞いたら違うんやけど 怖い」
って言ってました。

ああ、ゆいもなるんだね。

忘れたようでいて
やっぱり 消えない トラウマ。

大きな音や大きな声は 怖い。
思い出したくないこと 思い出し
胸が苦しくなる。

言いようのない 不安に陥る。











診察日

2009年08月14日 | Weblog
昨日は 娘の診察日でしたが
娘は 行きませんでした。

8時に起こしてと メモがあったので
行く意志はあったんだろう。

起こしたけど
「お母さんだけ行って薬もらってきて」
と言って また寝てしまいました。

薬は今は 睡眠薬だけ。


先生も ちょっと苦笑い。

「まぁ落ち着いてるのならね・・・」と

睡眠薬だけ出してもらえました。

とりあえず3ヶ月が無事に過ぎました。

どうかこのまま ずっと 無事に過ぎますように。

あきらめないで

2009年08月14日 | Weblog
8月の初めにBPD家族会に参加してきました。

私は今回で3回目かな?

今回初めて参加の方も多数いらしてました。
みなさんの状況を聞くと
我が娘はほんとに トンネルから抜け出しつつあるんだと
実感します。

保健所の人から
「入院させるなら少しでも早い方がいいのよ」と
いつも言われていましたが
それを 実感します。

もちろん本人の病気に対しての自覚や
入院へのタイミングなど色々あるので
早ければいいと言うものでもないとは思いますが

BPD(パーソナリティ障害)であることに
早く気づくことが大事ではないのカナ・・・と思います。

歳を経てから 病気ではないか?と気づくと
やはり色々みなさんご苦労されているみたいです。

少しでも早く医療の現場につなげることができたら・・・と
切に思います。
世間ではこの病気に対しての理解がまだまだないのだと思います。

精神科の大きな病院でありながら
この病気の患者を受け入れることを嫌がる病院もあります。
実際そのような病院にかかってきました。

BPDに理解のあるドクターはまだまだ少ないのが現状です。


私が娘を医療につなげることができたのは
本人の自覚ももちろんありますが(おかしいのではないか??と)
保健所と警察とのつながりでした。

公的機関は 自分から行かないと動いてくれません。

うちの場合は
4~5年位前に
私が一度保健所へ相談に行きました。

しかし その時に担当だった精神科のドクターに
「あなたの娘さんは異常です。即入院させなさい」と
言うようなことを言われ

その時の私の心理状態は
「藁にもすがる思い」でしたので
とにかく今のこの現状をなんとかしてほしかった。

今から思うと その時がどん底だったのかなと思います。

その先生の 入院 異常 と言う言葉が
私の心の中には入ってきませんでした。
泣きながら 「もう二度と来ない!」と 誓って帰りました。

その時は私も無知でした。

その後、心療内科や他の精神科にもかかりましたが
(本人は行きません。私が相談に行くという形です)
進展はありませんでした。

何事もなく穏やかに過ぎる日々もあるので
ああ もう大丈夫かも・・と思うのです。

そして また 崖から突き落とされるような恐ろしい思いをしたり
娘の地雷を踏んだり。

そんな繰り返しでした。

あるドクターには
「この病気は治った症例がない」とさえ言われました。

泣いて泣いて泣きました。
この娘とこの病気と一緒に 
私の人生は終わってしまうのだ。。。と

そして何年か過ぎ
おバケ屋敷かジェットコースターかというような
日々を送っていた時
娘が 自殺未遂をして 警察と保健所のお世話になることに。

その時に 保健所の方から
「お母さん、何年か前に相談に来てくれていたよね!?」と

相談のカルテ?が残っていたんです。

そして このとき警察の方と 保健所の方と一緒に
行った病院で 初めて本人を診察の上で
「"境界性"人格障害」ではないかとの診断が。

保健所の人が言いました。
「この病気をみてくれる先生がいる!
 お母さんが前回 もう二度と来ない!と
 泣いて帰った あの先生です。」と

「このあたりで人格障害を診てくれるのは
 あの先生しかいない!」との 言葉に

あの時は ココロをひらけなかったケド
もう一度 先生にあってみようと思いました。

この時 二度目のどん底だったと思います。

もう一度保健所の 無料相談を訪れました。
あの怖い先生がいました(笑)
でも 私は 「娘を入院させたい」と 言いました。

先生は 「お母さんの強い意志が大事。」
何かあった時(昼間であれば) 救急で受け入れ可能とのこと。
ただしベッドがあいていれば・・・。

なんとかして 娘をその先生のいる病院に連れて行きたいけど
どうしたものか。。。と
思っていた矢先

娘本人が 「しんどいから(心が) 病院に行きたい」と
言い出したのです。

チャンス!!と思いました。

「良い先生がいるらしいから ○○病院へ行ってみようか」と

その先生の診察日を選んで連れて行きました。


娘は先生を気に入ってくれて
先生も 上手に治療してくださいました。(カウンセリング)

それが 本当の意味での治療の始まりでした。
医療にたどりつくまで 長い長い年月がかかりました。

次に何かあったときは
絶対に入院させよう!と 思っていました。
3回目の診察予約の前日に 
事件は起き(2008年12月の日記見てくださいね)

警察で夜を明かし そのまま病院へ行き
入院となりました。

診察室で「入院して治療しよう」と私が言いました。
(私が意志表示をしないとだめらしいです)

もちろん 本人は入院の意志などなかったので
大暴れしました。
でも この "暴れる"ことが 入院のチャンスだったのです。
かっ!となった娘は診察室で私へ 暴力を振るいました。

「他者への危害が及び危険」とのことで

入院 となりました。

(事前に先生と相談の上
 本人の意志は関係なく私が入院させることができる
 医療保護入院と言う形を取りました。
 医療保護入院については こちら

正直言ってものすごく怖かったです。
鎮静剤を打たれ それでも暴れている娘を見るのは
辛くて悲しくて 怖かったです。

涙なんか 出ませんでした。

「○○ 病棟へ」 と 看護士さんたちに
抱えられ つれていかれました。

お母さんは外で待っててください。

といわれ
外にいましたが 大声で叫ぶ声がずっと
聞こえていました。

耳をふさいでしまいたかった・・・・。

でも これで いいんだ!
これでいいんだ! って 自分に言い聞かせていました。

悩んでいるお母さん ご家族のみなさま
みんな 辛い辛いどん底の思いから 這い上がっています。

大丈夫です!
きっと トンネルから出れます。
できれば医療につなげられるといいと思います。

そこに行くまでが大変だけど
考えてみたらうちも10年くらいかかりました。

この病気は 時間がかかります。
気づかないまま30代・・40代・・・と
なっていかれる方もあります。

保健所の方がおっしゃっていました。

「少しでも早いほうがいいのよ」

「20年も(娘のような状態で)ほったらかして40歳50歳になって
 今になってもっと早く気づけば・・と言う人もいるから
 お母さんの選択は間違っていないから。
 お母さん 今まで よくがんばったね」と

おかしいと思ったらとにかく 
相談してください。
市役所とか 保健所とか 警察とか・・・

自分(母親)で動かないと 誰も助けてくれません。
自分が腹をくくって 「闘う」ことが 大事だと思います。

中断中断しながら 書いたので
支離滅裂な まとまりのない文章で
ごめんなさい。

いろいろと

2009年07月31日 | Weblog
娘は日曜日の夜から いろいろありました。

その騒ぎで、夜中飛び起きて眠れなくなり胸が苦しくなってちょっとしんどかったなぁ。

水曜日くらいには落ち着いたけど
私はまた薬のお世話になることに。。。
進んだり戻ったり。


今週、日曜日は 家族会。

サンドイッチ

2009年07月22日 | Weblog
日曜日の朝はサンドイッチでした。
ゆ○と2人で作ってました。

長女は彼氏のところでいないもんだと思っていたら
帰ってきてたらしくおきてきてびっくり(笑)

サンドイッチが足りません。(げーっ)

でも ゆ○(次女)が気を利かせて
ふつうの食パンでホットサンドを作ってくれて
「おねーちゃんも手伝いよ!」 
「早く食べたかったらこれして!」
2人でがちゃがちゃやってるのですが^^;

私が よく次女に言う言葉をそのまんま
おねーちゃんに向って言ってるのがおかしかった。

その様子を 片づけをしながら
なんともほほえましく聞いてました。

何にもないことがこんなに幸せと思えることのしあわせ。
穏やかな日曜日の朝だなぁ。

なんか いいなぁ こういうの。


上手に出来たね。
サンドイッチ。

美味しかったね。


長い診察

2009年07月22日 | Weblog
先週木曜日、娘の通院日。

私が起きる時間(5時半)に帰宅した娘は
「8時半に起こして」と言って部屋に。。。

こりゃ~起きるかどうかわからんな。
と内心思いつつも 8時頃 部屋から声が聞こえるので
ノックして覗いてみたら 友達と電話で喋ってた。

電話がかかってきて 眠れなかったんだとか。
そのまま 病院へ行く(よしよし)

娘の顔を見て
先生「・・・・・」←何か言いたげ
娘「疲れた顔してるな~って言いたいやろ?先生!」

先生「ようわかったね!(笑)」
娘「寝てないねん」

という会話で始まった診察。

今回もいろいろと先生とお喋り(カウンセリング)
けっこう長い時間の診察でした。
先生はいつも娘の様子を見て上手に対応してくださるので
助かります。

今回のカウンセリングの中でのお話

寝る時間を割いてまで遊んで帰ってくる娘の話を聞いて
それではいけないよ。そういう生活を続けていたらよくないよと
言うことを説明してくださいました。

○を描いて(1日がひとつのまる(円)でその○を時間で割っていく)

一日のうちで決まっていること。
しなくちゃいけないこと。優先順位をつける。
まず 「仕事」

例えば先生の場合
仕事は9時から17時までとします。
じゃあ 朝は6時くらいに起きたらいい。

私(先生)は睡眠は7時間くらい欲しいから
逆算して寝るのは11時くらい
ということはお布団には10半くらいには入って寝る準備。

ということは?
これくらいにお風呂に入って
この時間にゴハンを食べて・・・

そういうふうに「考えて」「自分で管理」して時間を大事に使わないと
ダメだよと。

うちの娘はよくありました。
遊んだり彼氏との喧嘩で眠れなかったりして
仕事を休むことが・・・

そんなことを繰り返していてはダメなんですが
私が 何度言ってもわかりませんでした。

たまには 寝る時間を惜しんで遊んでもいいかもしれないけど
今は若いからそれで成り立っているかもしれないけど
こんな生活を続けていたら身体にも心にもよくないと言うことを
小学生の子供に言うようにわかりやすく説明してくださいました。

娘は先生の描く 『図』 を身を乗り出して聞いていました。

そして宿題を出されました(笑)
次の診察に 自分の時間のサイクルを作ってもって行くこと。

うん、うん。
とほんとに小さな子供のように聞いていました。

その横で私は、さすが先生だな~。
上手に説明されるなあと感心してました。

それと 今回から
睡眠薬以外の薬が全て 休止となりました。
飲まなくても落ち着いているということで
しばらく様子を見ることになりました。

ただ寝つきが悪いから睡眠薬だけいただいてきました。

その診察を受けてからの日々
仕事から帰ってきてから(明け方3時だったり4時だったりもするんですが)
すぐに寝るようになったね!
先生の時計の話が効いたのか?ただ単に疲れてるのか?
睡眠薬のおかげなのか?それはわかりませんが
私が起きる時間に 起きてると言うことがなくなりました。
(まぁ、 まだ1週間ですがねー)

なんだかんだ言いながらも
ここの病院へかかり続けていることそれ自体が
娘にとって進歩だと思います。

この病気の人は 病院に行かなくなるというから・・・



この日の待ち時間の間中(合計2時間くらい)
ずーーーーーーーーーーーーーーっと 喋っていました。
友達のことや仕事のことですが
私にいろいろいろいろ あーだこーだ話してくれてました。

そんな会話の中で娘が成長したなぁと思うことも
たくさんありました。

次女がたまに言います。
「おねーちゃん きっともうあんなこと(自殺未遂とか破壊行為とか・・)
しないと思う。 ゆ○はそんな気がするな」


そうだと いいな。


安定剤

2009年07月14日 | Weblog
私も 心療内科にかかっていまして
睡眠薬を処方してもらっていますが
その睡眠薬が切れてからどれくらいの日にちが経ったかな・・・

今は睡眠薬は飲まずに寝ています。

ただ 寝るときの安定剤だけは まだ飲んでいます。

この薬 デパスと言って少し眠くなる成分も入っていて
睡眠導入剤として処方されるお医者様もいらっしゃるみたいです。

ほんとうなら 1日に3回飲むように言われたのですが
昼間は必要ないと自分で判断し
今は寝る前だけ 飲んでます。

このひと粒で なんか ほっとするんです。

「 きっと だいじょうぶ 」 と思える。魔法の薬みたいな(笑)


最近 よく眠れるようになりました。

娘が夜中帰宅したら目は覚めますが すぐまた眠りにつけるようになりました。
物音がしても あまりドキドキしなくなりました。


嫌なことが少なくなってきたから
安心貯金が少しずつ増えてきて
私の心も落ち着いてきたみたい カナ?

娘の彼氏が泊まりにこなくなったことも 
私の心の安定に繋がってるみたい。

毎週毎週こられたら 私の居場所がないもの。

やっとほっとできる週末を過ごせるようになってきた。

娘もいろいろ 話をしてくれるようになったし
少しずつだけど 明かりが見えてきたかなー。

でも ちょっと油断すると
どかーーーーーーーーんと来るので
その時の衝撃は大きい。 油断大敵。(笑)

今週木曜日は 通院の日です。

どうかずっとこのまま穏やかに過ぎていきますように・・・・。

そして 今家にある安定剤が切れた時
もう 飲まなくてもだいじょうぶ!と思えるように
なっていますように。



今月の娘の給料
私と同じくらいありました!

しかしまぁ 携帯代が4万円とか!?
私には考えられません。おそろしー。

バイトのお店で NO2なんだとか^^
(ええ、そう夜のお仕事ね。)

仕事が楽しいって言ってました。
「私もがんばればできる」って きっと気づきはじめてると思う。
自信がつき始めてきたみたい。

良い環境(仕事)に感謝。
夜の仕事というだけで 白い目で見る人もいるんだろうけど
私は気にしない!!!
「働く」という事ができるようになっただけでも
成長してるんだもん。



今まで・・・・
おまえはクズだとかアホだとかバカだとか
価値がないとか 出来が悪いとか
ずっと 彼氏に言われてたみたいです。

「私なんか生きてる価値がないねん。だから死ぬねん」

そういって窓から飛び降りようとしていた娘の姿を
忘れられません。

確かに中学は不登校
高校は 中退
まともに働かずにやってきたかもしれない。

だけど その時その時をいっしょうけんめいだったんだよね。
暗闇の中でもがいていたんだよね。。

誰だってそんなこと言われ続けていたら
心が病んでしまうよ。


だいじょうぶ♪ がんばればできるんだから。
NO1になれる時だって来るよ。

だって 美容院のお姉さんが言ってた。
「え○○ちゃん 笑顔がステキ!あんなふうに にっこり笑える子いないよ」って。

だいじょうぶ♪
幸せに向って 1歩ずつね。
お母さんも一緒に 歩いてるから。