日々これから日記

口を中心とした身体の健康について役立つ内容を目指します

人を知らざるを憂うるなり

2010-08-04 07:29:19 | Weblog
仮名論語細々続いています。

子曰わく、人のおのれを知らざるを憂えず、人を知らざるを憂うるなり。

人が自分を知らなくても憂えないが、自分が人を知らないのを憂える

もっと自分を知って知ってガ多いのですが・・・。

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2 コメント

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おもしろい話を聞きました! (win_chan)
2010-08-05 07:00:18
こんにちは。
論語について、おもしろい話を聞きました。
能楽師の安田登さんというかたが、
当時の言葉(漢字)で論語を読もう、という試みをされていて、
有名な「不惑(=40歳にして惑わず)」という言葉が、
今広く理解されている意味とはまったく異なる意味だった…
ということを解き明かしている、というものです。
つまり、一般的な理解⇒40歳になったら、世の中の娯楽に惑わされない芯のある生き方をする
(だが、実際に40歳になった人でもまだイケイケで、仙人のようにはなりきれない)
安田さんの解釈⇒実は孔子が生きていた当時、「惑」という漢字は存在しなかった。
分解して、「或」+「心」(心もなかったらしい)
ここから、「域」=境界を定めない、つまり、
40歳になったからもう自分はこんなものだ、と限界を決めてしまわず、
まだまだ可能性がたくさんあると考えて、
積極的にいろいろな経験をするのだ、という解釈。

おもしろくないですか?
安田さんの著作
⇒「身体感覚で「論語」を読みなおす。―古代中国の文字から」
Unknown (yujiK)
2010-08-05 18:55:11
win chanさんいつもありがとうございます。

いつもブログも含めて本当に参考にさせていただいています。

論語は面白くないのですが、まあ朝目を覚ますのにはいいかなあと。習慣化できればと思っています。

不惑の部分はちょうど今日読んでいました。

参考になります。ぜひ、安田さんの本も読んでみます。

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