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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

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「桜姫東文章」を観て思い出すことなど

2021-06-27 16:13:30 | 映画・演劇
坂東玉三郎丈の桜姫、片岡仁左衛門丈の権助という配役の「桜姫東文章」をついにじかに見ることが出来た。
思い起こせば1982年の大みそかの夜、何の気なしに見たのが始まりだった。

当時わたしはまだ高校生ながら既に耽美的なものを愛する性質を露わにしていた。
歌舞伎を観に行くことは到底出来ない状況だったが、TV放映があれば観ることもあり、また図書館があるので資料を調べることも出来た。
その頃のわたしは玉三郎丈の美貌にときめいていたが、全てTVそれまでにまたは雑誌の上でのことだった。お芝居で観ていたものは「蒼き狼」のヒロイン役、映画「夜叉が池」のお百合さんと白雪姫の二役、それくらいだったろうか。あとは細切れである。
そして当時片岡孝夫だった仁左衛門丈は1981年のTVドラマ「鉄鎖殺人事件」の藤枝探偵役で初めて見て「なんと素敵な男性だろう」と強く打たれた。
まだ中学生だったが、その頃から好きになった俳優は今も好きなままなので、人生上の嗜好は広がっても変遷することはないらしい。
他に「わるいやつら」を見てそれにも随分ときめいた。
またわたしの読んでいた「ALLAN」という隔月刊の雑誌は「少女のための耽美派マガジン」と銘打たれており、そこでは孝夫丈も玉三郎丈もよく取り上げられていた。
孝夫丈は白塗りで顎に青黛も鮮やかな無類のいい殿御ぶりで、しかも善人より悪人役が素晴らしく魅力的に見えた。

雑誌にも特集が組まれていたが、それだけでなく「孝玉コンビ」の権助と桜姫の関係には本当にときめいた。
その前段階の若き所化・清玄と桜姫の前世である稚児・白菊丸との悲恋には案外興味がわかなかった。
その頃とっくにやおい好きな、今でいうフジョシだったというのに。
そう、桜姫と権助の悪縁としか言いようのない関係にときめいてときめいて…

TVで「桜姫」を見ることが出来たのも実に今回の上演「下の巻」からだった。
この偶然にはびっくりする。
なので四月の「上の巻」はあえて諦めた。

「桜姫」の通し公演は1993年10月の国立劇場で観ている。
亡くなった雀右衛門が桜姫、九代目幸四郎の清玄である。
雀右衛門は1967年の復活上演の時以来だそうで、その当時の写真や資料は雀右衛門の芸談や相手役の八世三津五郎の著作辺りで見ている。
この雀右衛門の桜姫も可愛かった。お姫様の頃の愛らしさ、「会いたかった、会いたかった」と権助に縋りつく様子など、今も目に残る。
残月が十世半四郎で、庵室から追われるときの様子が面白く、あの人は声もいいので、それが耳に活きている。こういう役が半四郎はうまかった。

2000年の「桜姫」の通しも国立劇場だった。この時は九代目幸四郎が前回に続いて清玄と権助、桜姫が息子の七代目染五郎。父子でこういう官能的な役柄をする、と言う二重三重の倒錯美に絡めとられ、こちらもよかった。
実は当時の幸四郎は権助より清玄がよく、清玄の方は魅力が足りなかったが。

2004年のは観ていないと思う。市川段治郎丈が権助と清玄を演じたが、その抱負を語るのを雑誌で見ていたが、チケットが取れなかったか何かで諦めたはずだ。

またこの頃から芝居と映画を見ることが極度に難しくなった。
展覧会に行くのが忙しく、建築を探訪するのに熱心になり、長いこと黙って座っているということが出来なくなったのだ。

そして去年三月の明治座で中村屋兄弟の桜姫、これは是非ともと久しぶりに早々とチケットを取ったらたいへん良い席で、明治座は行ったことがないが味噌漬けの魚が美味しいと聞いたのでお昼の予約を取ったり、なんだかんだと楽しく支度していたのに、怨むべきコロナのせいで上演中止の憂き目をみた。
あまりに惜しく、今もだいじにチケットやチラシを手元に置いている。

40年近い雌伏の果て、ついに2021年に孝玉、いや、今は仁左玉の桜姫に出会えることになったのは、わたしの人生における快挙の一つだと思っている。
洛外に住まう友人を通じてチケットを頼み、6/13に二階の一等席を取ってもらった。
なんでもチケットは即日完売だったそうだ。
ああ、本当に嬉しい、ありがとう。

物語についてはこちらのサイトが詳しいので是非ご一読を。

あの上演は82年だったようだがその年の暮れの放送がまた新たなファンを獲得し、83年は大いに盛り上がった。実際その年に山本鈴美香さんが「愛の黄金率」で「桜姫」を作中で紹介したのがリアルな時代の反応の一つでもあった。
後年、木原敏江さんが「花の名の姫君」で通しをコミック化されているが、ここではラストに姫の心模様が描かれている。
姫は「お家の為に身を落としてまで」と称賛され、生き残った弟松若丸からも「自慢の姉上」と誇られ、あちこちの名家から降るような縁談があり、お上からもお褒めの言葉がある。
しかしそんな外とは別に内心で姫は権助を想い、死んだ赤子の後生を秘かに祈り、清玄にも気の毒なと思うのだが、「どうで何を言おうとわらわは」と、明るく開ける未来に黙って乗ってゆくのである。

南北の芝居は孝夫時代から仁左衛門丈は得意とし、四谷怪談の伊右衛門、累の与右衛門、合法衢の立場の太平次と二役で大学之助、他にも三五大切、亀山鉾と見事にヒットしている。
役を離れればすこぶる人柄の良い方だと評判も高いが、芝居では本当に悪人がよく似合う。それもこの大南北の描くドライで色と欲にまみれ、女も道具に玩具にし、最後は怨み怨まれても「首が飛んでも動いて見せるわ」と嘯く色悪が最高に素敵だ。
わたしなどはもうずうっとその色悪ぶりにときめいてクラクラしたままだ。

悪を描くと言っても仁左衛門丈は南北役者であり、黙阿弥の世界とはまた少し色合いが違う。ニンが合わなくても芸の力でやってしまうだろうが、やっぱり観客は南北の造形した、反省しない強悪で最後の最後まで運命を足蹴にするような、しかし途轍もなく男ぶりのいい仁左衛門丈が見たいのである。
黙阿弥の悪人は村井長庵以外はみんな改心したり、運命を受け入れたりするが、南北の悪人は最後まで抵抗する。

前半での見せ場の一つに新清水寺の一室で姫と権助の再会がある。
今回わたしは上の巻を観ていないので実際とは違うかもしれないが、自分の記憶に残ることを記す。
姫と二人きりになった権助は姫からあの夜のことを話しかけられ、盗みに入った吉田家でついでに深窓の姫君を犯したことを思い出す。
姫は別に怒っても怨みにも思っておらず、怖かったけれど忘れられなくなったことを告白する。
そして男のことを忘れぬようにも腕に小さく釣鐘の刺青までしてしまうのである。
それをそっと見せられて権助もびっくりする。
更に姫はあのとき妊娠し、身二つになったことを言う。
「なに、ぽてれんになった」「あい」
今回ここでこのセリフがそのまま使われたかどうかは知らないが、80年代ではまだこの言葉は通じた。
権助は呆れるが、姫が満更でもない様子をみせるので辺りを見回し「久しぶりだの」と色事に誘うのである。
姫は決して抵抗しないどころか、これまた嬉しそうに受け入れる。

南北の芝居では徹底的に赤子は邪魔者である。「愛のお荷物」どころの騒ぎではない。
ここで既に権助からそんなものはいらないという意思表示をされている。
四谷怪談でも、伊右衛門は当初お岩を舅に取り戻されたのを怨んで舅を殺したほどだが、いざ同棲して子供が出来ると、途端に邪険になる。
「常から邪険な伊右衛門殿」と言うお岩だが、彼女が子を産んだのが悪いのだ、とばかりの伊右衛門なのである。

文化文政という時代の悪どく際どい面白さを思う。
そして仁左衛門丈は南北の芝居のうち「霊験亀山鉾」でこう抱負を語る。
『悪人が活躍するお芝居ですが、色気もありますし、そして冷酷さも混じっていて、華やかさと暗さ、陰と陽がうまく入り混じって構成されています。本当に残酷なお話しではありますが、お客様には残酷と感じさせずに、『ああ、綺麗だな、楽しいな』と思っていただけるような雰囲気が出せるように、そして退廃的な美といいますか、そういう昔の錦絵を見ているような色彩感覚、そして芝居の色、そうしたところを楽しんでいただければと思っています』
これは全ての南北劇に共通する言葉だと思う。
欲と色の二本立て。

さて上の巻で寺の中でみだらなことをした姫は罰せられることになり、前世の因果を示す香箱(清玄の名入り)が決め手となって、気の毒に無実の清玄が寺を追われることになる。
姫にしても実はそうではないと言えない事情がある。
あくまでも権助は下人なのである。
下人といちゃついていることが知れるのは恥ずかしいのである。それならまだ高僧と間違いを起こした、の方が姫の身分に傷はつかない。
ただし姫は罰として日本橋で晒し者になり、お家の没落もあって一旦はに落とされる。
だがこれはいつか回復可能な状況だということを踏まえていなければならない。

姫は放浪の身の上となり、前世の罪の償いのためにあえて罪をかぶった清玄もまた流浪のヒトとなる。
破戒坊主には破れ唐傘一本が渡される。更にその手には姫の赤子までいる。
隅田川上流の三囲神社の石段での一瞬の邂逅。
この場を篠山紀信が撮った写真もよかったなあ。

そして下の巻はこの後から始まるのだ。
上の巻での状況を軽く説明し、初見のお見物にも話が通りやすくする。結構なことである。

身分を剝奪され放浪の身となった姫が山女衒と共に、清玄の弟子・残月と姫の局・長浦が同棲する庵へ現れる。その直前にこれまた不義密通がばれて追放された中年カップルは市井の人となっているわけだが、この庵にはもう一人、今や病を養う失意の清玄がいる。
清玄は白菊丸の生まれ変わりだということを姫が拒否し、自分を拒んだことから深い失望に苛まれ、今では寝込む日々を過ごす。心の慰めにと姫が逃げる際に落としていった香箱を眺めるばかり。
ところがそれを金目のものと勘違いされ、不埒な弟子の野合夫婦に毒殺される憂き目に遭う。
青蜥蜴の毒である。
これが本当にどこまで毒性が強いか知らないのだが、芝居ではとりあえず強い毒と言う決まりである。
実は今月の番付に毒について記したコラムがあり、面白く読んだ。
とりあえずこの青蜥蜴の毒では死なず、ただ額に不気味な痣が浮かび上がる。
夫婦はもうめちゃくちゃ。
殺し場でのドタバタは南北のお得意。殺しが巧い奴は不気味だが、へたくそなのはどこか笑えるように作られている。
凄惨な場でありながら笑えるのだ。

南北の芝居は殺し場と濡れ場が特にいい。
濡れ場などは実際には手を取るとか「久しぶりだの」で屏風なり襖なりで隠すわけだが、ああその奥で・裏で色々とあーんなこととかこーんなことをやっておるのですね、と想像させるわけだ。
芝居のいいところはこれだ。
映画やTVドラマでは役者さんががんばって色々なさっておいでだが、それより舞台のこういうのを見る方がよっぽど官能性が高いと思う。

さてようやっと扼殺した挙句金目のものと思ったものがただの香箱でがっかりした夫婦は、墓掘りを折助の権助に依頼する。この折助というものは武家の下男のうちの蔑称の一つだが、江戸時代の言葉とはいえ、近代まで活きていた言葉でもある。
狂言「武悪」などは成立したのがもう少し前なのでこの呼び方はないが、主人からすれば「武悪」は「折助根性」のついた悪い奴に過ぎない。
その権助はカネになれば何でもする男で、言われるままに家のすぐ裏を掘り始める。誰を埋めるかは別に問題ではないのである。

ところがそこへ山女衒がいいタマを連れてきたうえ、小耳にはさんだ話が儲けになりそうだと見極める。陰に回って話を盗み聞き。
連れてこられたのは桜姫で、お姫様の装束も吹輪もなにもなく、みすぼらしいなりをしているが、やはりたいへんきらきらと美しい。とんでもない目に遭いながらも特に気に病む様子もない桜姫だが、凄みをきかせて登場する権助を見て歓喜し、「会いたかった、会いたかった」とすがりつく。
残月らに腕の刺青の釣鐘を見せつける二人。
結局この庵を乗っ取る権助だが、姫はただただ権助に会いたかっただけなので彼の言うことにも唯々諾々。
権助は今は貧乏人の折助なのでお姫様とは暮らせないという。
品を落とせと言われてもピンとこない姫は「学ぶこと」を連歌などか、と口にする。
この「連歌などかや」の言い方は雀右衛門丈の桜姫が非常に良かった。
それを思い出しながら様子を眺めた。

やがてこの庵に一人取り残される桜姫。権助は清玄の死体を誰の者とは知らぬながらも見出して、これはまずいと屏風の影にしまって、姫に近づいちゃだめだよと優しく言い置く。
そのまま家を出たのは姫を売る算段をつけに行ったからだが、この辺りの呼吸がやっぱり南北の芝居だと嬉しくなる。

薄暗くなってきた。どこかで雷の音がする。昔のことだから照明と言えば行灯くらいか。
そこへ落雷。ひええと姫がうずくまるのとは対照的に、この落雷のショックでまさかの清玄蘇生。
二役なので仁左衛門丈が清玄になって、さっきとは逆に桜姫から嫌がられる嫌がられる。必死で縋りついても桜姫からは強く拒絶される。
元祖ストーカーと言われるだけあって、自分の体調のわるいのもあって、ついに無理心中を迫る。だが結局は清玄一人が包丁で死ぬことになる。
ここでも刃物を持ち出したものが死ぬという状況がある。
四谷怪談でも相好の変わったお岩を殺す名目の為に、按摩の宅悦に不倫を仕掛けろと命ずる伊右衛門だが、お岩さんは貞女であり武家の婦人であることから非常に憤る。
ところがこれが全て伊右衛門と伊藤家の描いた絵だと知り、更に持った刃物が喉に。
悶死する者たちは必ず亡霊となる。
憤りを懐いたお岩さんは怨霊となり、めちょめちょした清玄は影の薄い亡霊になる。

その清玄が死んでパニックが続いている中へ帰宅した権助の顔には、さっきまでなかった痣がべったり…
因果も因果。とうとう姫はやけくそになる。「毒喰らわば皿までも」と叫ぶ。
それを聞いて権助は笑いながら「去りゃあしねえよ」と洒落。
南北はダジャレが好きだったようで、他の芝居にもその当時の観客にしか通じない洒落が入っていて、それがまたそのまま上演されるので、多少めんどくさいところがある。
「藤八、五文、奇妙」などがそれ。文化五年に流行った薬の宣伝言葉である。
意味が分からないまま使うのは演者にも観客にもどうかと思うが、仕方がない。
なおこの由来やどのような声掛けだったかを調べたのは八世三津五郎。
この人は本当に博学でものを調べることに熱心な人だった。
亡くなられたとき、子供心にびっくりした。
ついでに言うと、「桜姫」の復活上演のとき、前述通りこの人が権助を演じた。そして当時桜姫を演じた雀右衛門が思い出話として色模様の時「兄さんの逞しい足が絡んできました」と言っていた。
八世三津五郎、孫の十世三津五郎、池上季実子みなさん脹脛がとても逞しいのはよく知られている。

話を元に戻して小塚っ原といえば処刑場だった。そこの女郎と言うとこれはもう本当に格が低いところで、なるほどお姫様を品悪くするにはぴったりの場所である。
どうでもいいことだが大阪人のわたしがお江戸の小塚っ原のことを知ったのは石森章太郎「さんだらぼっち」から。吉原でツケをした客の借金を回収する「始末屋稼業」を描いた作品で、その一編に幇間・与の字が本気で惚れた遊女の為に指を買いに小塚っ原に出向く話があった。小学生の時に連載で読み、中学生で単行本を買い、今もよく再読している。

そういえば南北は高級な見世の話は書かず、大抵は地獄宿か。
露悪的なのかその方が親しいのかは知らない。

ここで休憩。
久しぶりなので喜んで廊下トンビをした。古い言葉だなあ、「廊下トンビ」というのも。
飾られている名画をぱちぱち。山種美術館での展示も懐かしい。
思えば90年代なのよ、歌舞伎を観に行くのにのめりこんでたのは。

今では大家さんとして実入りもちょっと良くなった権助。きちんと羽織なども身に着けている。なんだかんだと欲に目が向いて赤ん坊を預かったり(実は桜姫との間の実子)、儲け話を探したりと言うところへ、小塚っ原から桜姫が判人と共に駕籠で帰ってくる。
腕の彫り物の小さな釣鐘が可愛いので「風鈴お姫」として売り出されたのだが、必ず枕元に清玄の幽霊が出てきて、客が震え上がり、いくつもの見世を変わったがどうにもならないので返されたのである。金がかかっているので代わりに女郎屋へ連れてゆかれるのがその場にいた葛飾お十という女だが、これは実は元の忠臣の女房。桜姫はそんなことは知らず、お姫言葉と女郎言葉をチャンポンに、権助に文句を言う。
子供を見て一言「みずからなぞは子供など嫌いじゃぞえ」。
まあまあ、と権助もニヤニヤ笑いながら戻されてきた桜姫をなんとかいなす。
この辺りの玉三郎丈の声が姫君の時とトーンが変わっているのが面白い。姫君はあくまでも高い声で、市井の女は低いのである。

折助だった頃の権助の魅力が失われ、今はただの欲ボケになった男を目の当たりにし、「会いたかった、会いたかった」は無くなった桜姫である。
とはいえ別に嫌いになったわけでも飽きたわけでもないのはその少し後の様子でわかる。
権助は桜姫の機嫌を取るために布団をしいて二人で並んでごろごろする。

実は1983年当時、この辺りのことがけっこう気になった。
「演劇界」か新聞か、評論家の誰かが「もう飽きた二人」というような意味合いのことを記されていたのだ。
当時まだそういうことを思いたくなかったわたしとしては、「ええー」だった。
やがて他の演者のそのシーンを見ると、案外さらっとされていた。しかしずっと気になっていた。
このシーンは今回も新聞にも写真が挙げられていたが、「もう飽きた二人」とまでは行ってない気がする。
実際1985年に刊行された篠山紀信の玉三郎丈の写真集でもこのシーンがあるが、二人とも口ではああは言うもののまだまだ飽きてはいない感じがあった。
「会いたかった、会いたかった」は無くなってもまだいちゃついているのである。
とはいうものの、色と欲にまみれた権助はここで桜姫の機嫌を取るために相手をしているのかもしれない。そこらは実際にはわたしにはわからない。

そして何やら町内の会合に出ないといけない予定が権助が遅刻しているので迎えに来た人がある。
「八百善のお膳ですよ」
これで喜んでいそいそと出かけるのだが、この辺りのせりふがちょっと変わった気がする。
とりあえず八百善の仕出しが出るとは豪勢な話で、喜んで権助は羽織を着て出てゆく。
残された桜姫は久しぶりに一人寝の自由を味わう。

独りなった途端ヒュードロドロである。
また出やがった、と「風鈴お姫」は煙管を使いながらいいかげんにしやがれとあしらう。
折角人気が出たのにお前が出るおかげで、というのである。
姫は別に女郎として働くことを苦にもしていないのである。
最初は哀れにも思い、と同情もしていたが毎晩のことなのでとうとう鞍替え鞍替え…
姫のそのイヤミに対し、亡霊は何も言わず、しかし何かを示す。
音声のない言葉なのである。
それで姫はそこに転がる哀れな赤子が自分の生んだ子だと知り、更にまさかの権助が清玄の弟だとも知る。
亡霊はそれで消える。

そこへしたたかに酔っぱらった権助が帰宅。
「酔った酔った素敵に酔った、豪的に飲んだわい」などと言いながら口が軽くなり、ついつい秘密をぺらぺら…
つまり権助はかつて信夫の惣太という盗賊であり更には元は武士だったことも口にし、吉田家のお宝「都鳥」の一巻を盗み、「追いかけてきた梅若丸と言うガキも」と斬り殺した手付きを見せる。
さすがにそこではっとなって「嘘だ嘘だみーんな嘘だ」と取り繕うも、聞いてしまったのよねえ…
都鳥の一巻もそこに出てきたし、事件の告白もあるし、ついに桜姫は思い切って権助に切りかかる。
最初の一撃が致命傷になるのだが、権助もまさか桜姫にこんな襲われるとは思っていなかったとはいえ元は屈強な男なので手向かいして狭い座敷中を…
ついに絶命する権助。そしてこの騒動の様子を垣間見た近所の人の通報もあり、更に赤子も死んで立ち往生する桜姫。

大詰、浅草雷門の場  バタバタと敵味方入り乱れてのちに、ついに桜姫主従と吉田家の跡取りの弟松若丸も大友頼国により身分回復・お家再興が成ることを知らされる。
この時の大友の役は仁左衛門丈。最後はこうしてカッコいい姿で再登場するのだ。
姫ももう元のように吹輪をつけた赤姫のなりで美しくその場にいる。

ああ…満足したわ。桜姫の業の深さとそれを軽々と乗り越えて幸福と称賛が約束された未来へ向かう姿のラスト。
南北の芝居は本当に面白い。
仁左衛門丈、玉三郎丈のこの芝居を観ることが出来て本当によかった…
これから先の人生で何度でも脳内再生し、思い出しては楽しめるのだ。
ありがとう…、本当にありがとう。

また時勢がよくなれば芝居を愉しみたいと思う。

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