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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

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あやしい絵展に溺れる その4

2021-08-12 16:22:49 | 展覧会
今回は商業芸術から。
こちらは宣伝するという大義があるが、表現は奔放なものが多い。
そして宣伝のための作品であることから、一目で見るものの心を掴まねばならず、その分面白さが強い。


北野恒富の「クラブ歯磨」の宣伝ポスターである。
かれは「浪花の悪魔派」と謳われたが、たいへん魅力的な婦人たちを数多く描いた。
それもこのように大正時代のポスター美人だけでなく、舞妓をモデルにした美人画、様式美に則っての安土桃山頃の風俗の美人画など、画風を色々に調整して魅力的な作品を多く生み出した。

クラブ歯磨とは中山太陽堂から発売された歯磨き粉で、中山太陽堂は創業者・中山太一が宣伝の力の重さを知り抜いており、その宣伝芸術は一時代を築き上げた。
2021年8月現在、中山太陽堂の後身たるクラブコスメチックスの文化資料室が大阪の阿波座にあり、展覧会を開催中である。
そしてこのポスターも出ている。
人気が高いポスターだったのだ。

その北野常富の屏風絵
死と性の匂いが濃厚に漂う。

道行 1913 二人の行く先には何もないのだ。このあとは情死しかない。
随分昔の話だが、京都文化博物館で春のひな人形展に行くと、立雛を寝かせて展示したのを見た。
女雛の髪がほどけて広がり、にっ と笑うその頬に後れ毛が張り付いていた。
どうみても心中の姿、情交の果ての行き止まりの死の様相にしか見えなかった。
あの人形をこのように展示した人の意図は知らない。
ただの偶然だったかもしれない。
しかし視てしまう者がここにいる。
凄いものをみた、と今もよく思い出す。目に意識に焼き付いている。

往々にして上方画壇の人の絵が「あやしい絵」だと目されることが多いのかもしれない。
女性の日本画家として名高い大阪の島成園の絵が来ていた。
この女の顔は特にわたしの好きな顔だ。

黒髪を梳く女。これは福富太郎コレクションの所蔵品だが、堺市にも確か別バージョンがあったような気がする。
調べればよいのだが、怠惰なわたしは動かない。

挿絵を見る。
小村雪岱の絵が多く出ている。たいへん嬉しい。
彼の絵の良さを深く知るようになったのはこの20年ばかりだ。
以前はそうは思わなかった。
成人後にそれまでと違いとても好きになった画家といえば
小出楢重、岸田劉生、小村雪岱の三人がいる。
そしてこの三人、偶然にも筆が立ち、随筆が面白いのであった。

先般、雪岱の研究者でありコレクターの真田さんがご自分の素晴らしいコレクションを展示してくださり、そちらもわたしは撮りに撮った。
しかしいくら死後数十年経って著作権が切れていようとも、この膨大な作品群を集められた真田さんの労苦に対し、気軽に挙げることは良くないと思い、わたしは自分で眺める楽しみの中に入れた。
挿絵や商業芸術の運命の悲しさがそれだ。つまり本画と違い軽くみられ、失われてしまうことが多いのだ。
だが、その挿絵、口絵、ポスターには「一目で魂を掴め」という使命がある。それで生涯を掴まれることも少なくないのだ。


雪岱の挿絵はやはり邦枝完二、子母澤寛の作品で輝いたと思う。
装丁家としては鏡花作品で素晴らしい花を見せた。カラフルな美はこちらで。
モノクロの美は邦枝、子母澤作品の挿絵で痺れればよい。







「お傳地獄」のこの刺青シーンは後に彩色されたものが版画で現われもした。
そして93年11月にわたしはニューオータニホテルの外国人向けのショップでその彩色した絵の絵葉書をみつけた。
それを買ったのが、雪岱作品集めの始まりだった。



弥生美術館は挿絵専門美術館である。
近年は往年の少女マンガの原画展示もあり、ますますかつての少女たちの胸を焦がす。
わたしが最初に行ったのは1989年5月だった。
竹中英太郎の挿絵展が開催されていた。
当時すでに乱歩「孤島の鬼」の挿絵に惹かれていたので、それが見たくて友人らと東京へ行ったのだ。
そしてその年の暮れには会員となっている。
当時の「竹中英太郎懐古展」のポスターは横溝正史「鬼火」のお銀を描いたこの絵だった。

「鬼火」は手元にあるが、それよりも同じ本に収録されている「蔵の中」に熱狂しているわたしは、「鬼火」の面白さを理解していなかった。
だがこの挿絵を見て、俄然「鬼火」の面白さに目覚めた。
今でも「蔵の中」はわたしの中では特に偏愛する作品の一つだが、「鬼火」はこの英太郎の挿絵を見て初めて、その魅力を知ることになった作品である。
いかに挿絵が重要なものかがわかると思う。




続く

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