存外暖かな一日、久しぶりに京博へ出向いた。
相変わらずいい建物。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
それで今日の主目的はタイトルに挙げたとおり特集陳列されている泉涌寺のさまざま。
一階にあるというのでそこから見始める。
仏像神像コーナーからである。
愛宕念仏寺の力強い金剛力士像を見る。掌自体はもしかするとわたしの方が大きいというか指が長いかもしれない。
しかしその掌の厚さ・力強さは当然ながら及ぶべくもない。
ガラス玉の眼がわたしを見下ろすが、ただ見られているだけである。
河内の金剛寺の不動尊と阿弥陀がある。
どっしりと座っている。
それで不動尊の手には案外新しそうな綱が巻き付いている。
実はわたしは巨大な不動尊と言うと、手塚治虫「どろろ」の変化のものや星野之宣「ヤマタイカ」の東大寺の廬舎那仏が炎上して憤怒の不動尊に変化する様子をすぐに思い出す。
どちらもその綱や手にした棒で襲いかかってくる。
わたしはいつも身構えながらその前に立つのだ。
ところで今日初めて気づいたことがある。
背後の炎に鳥らしき顔が現れていた。
ああ何とかいう名前の霊鳥だなと気づいたが、その名前が出ない。
そもそも鳥がニガテなので調べる気にもならない。
ツイッターで呟いたら多分何らかの答えが返ってくるだろう、と高をくくっておく。
その鳥たちの顔は見たことのない表情をしていた。
これははっきりと名前が思い出せた。
石森章太郎(当時)の造形した「サイボーグ009」の007と「さんだらぼっち」の青蛙堂だ。
アクの強いあの顔である。
あいつらがここにいると思えば、そうそう身構える必要もなさそうである。
夜になりツイートすると「迦楼羅」だと複数の方から答えが来た。
それそれ、それだ。ガルーダだ。ガルーダはインドネシア航空のキャラ…いやそれよりも「超電磁ロボ コンバトラーV」の敵役ガルーダを思い出す。
それであれは迦楼羅焔というそうで7羽の迦楼羅が舞うということを教わる。
因みに「カルラ舞う」は永久保貴一のマンガ。
隣の金ぴかに光る巨大な大日如来の前に佇むと、憂鬱が重くなる。そう、なにかもう小言を言われている心もちになり鬱屈するのだ。
鑑賞する、ということはほぼなく、ある種の恐れに苛立ちながらその前に立つのだ。
次に「修理完成記念 鳥取・三佛寺の蔵王権現立像」を見た。

<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
両足は地面についている。
先般の地震でここの被害も大きかったという。こちらはそれ以前に修復されていたようだ。
このカタチは古例だそうだ。足を挙げていないものは。
獅子・狛犬がたくさん出ている。
角があるのが狛犬だそうで、大抵が阿吽のウンちゃんの方らしい。アッちゃんは獅子で口をンガと開けているが、
伏見の藤森神社のそれは口元が取り外し可能な構造になっているようだった。
もしかすると日替わりで阿吽交代交代があるのかもしれない。角も折れてるし。
厳島神社のはややナサケなさそう。世間話でもしていそうである。
京都・市比賣神社の女神坐像は赤子を抱っこしていた。なんでもあの神社は餅を与える風習があるそうな。
バス停でお世話になりはしても中に入ったことはない。
おモチ、いいなあ。
大将軍神坐像もある。横から目に入った時「ああ、大将軍」とすぐにわかった。
わかった以上は挨拶をする。何度も見ているからというのもあるが、もしかするとあの兜をかぶっているのを大将軍と認識しているのかもしれない。
誓願寺の毘沙門天立像、秋篠寺のお地蔵さん。親しいような心持で少しばかりほっとする。
さていよいよこちら。

ここでちょっととんでもないことになった。
楊貴妃観音の手前でちょっと俯いていて、「来たな」と顔を挙げると、伏せ目のはずの観音に見下ろされる状況になり、ギョッとした。表情が全然違う。綺麗だとしか思っていなかった相手の恐ろしい一面を見たようだった。始めて知った表情だった。
これはもう本当に怖かった。
以前に奈良博で「聖地寧波 日本仏教1300年の源流 -すべてはここからやって来た- 」展を見たが、あの時は本当に綺麗だとしか思っていなかったのだ。
あーこの位置から見てはならなかった…
花を持つ手は変わらなかったのに。

今回の展示ではお寺の開創・俊芿(しゅんじょう)が宋風にいかに憧れていたかが伝わってくる。

お寺の配置の図面なども倣っている。このヒトは丁度源平合戦の頃に生きていたから、宋風文化を享受してもいたのだ。
道宣律師像、元照律師像と並んだその肖像画はたいへんうまいものだと思った。リアルタイムの肖像だが、清朝の皇帝図のような「似せ絵」だと思った。
1つ怖いものを見た。
三宝荒神坐像と共に伝来した五体の護法神立像である。
この荒神さん、アタマになにか不思議な小塔らしきものを乗せているのだ。そして四本の手はそれぞれ持ち物を持つが、顔は憤怒相に見えた。字の如く荒魂を有した神様に見えた。
五人の御法神は赤い半裸体で髪は逆立っている。歯をバリバリと噛みあわせている者、遠見する者など所作は様々。
月蓋長者像は宋風の大人(ターレン)という風情を見せる。
快慶の阿弥陀や後世の阿難像などを見ると衣装に蒔絵が使われていて、とても繊細で豪奢な様子を見せていた。
「西遊妖猿伝」の袈裟フェチの老僧がファッションショーしてるシーンをちらりと思い出した。
18世紀の長恨歌絵巻があった。後期なのでもう楊貴妃はいなくて、蓮を見て彼女を思い出し、淋しい玄宗が方士に楊貴妃を探しに行かせるところからが出ていた。
彼女は仙界にいて、方士をねぎらい、比翼連理の話を伝える。派手な彩色でよかった。
大堰川遊覧・子の日桜狩図屏風 浮田一蕙 大堰川は秋の船遊び、子の日は櫻狩。それぞれ楽しそうな様子を大和絵で描いている。
桜の下での蹴鞠。平安貴族の楽しそうな様子。
さて三階へ行こう。
この先は別項へ。
相変わらずいい建物。
いつも素敵だ。京博 pic.twitter.com/w0nA1z5LT0
— 遊行七恵 (@yugyo7e) 2017年2月4日
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それで今日の主目的はタイトルに挙げたとおり特集陳列されている泉涌寺のさまざま。
一階にあるというのでそこから見始める。
仏像神像コーナーからである。
愛宕念仏寺の力強い金剛力士像を見る。掌自体はもしかするとわたしの方が大きいというか指が長いかもしれない。
しかしその掌の厚さ・力強さは当然ながら及ぶべくもない。
ガラス玉の眼がわたしを見下ろすが、ただ見られているだけである。
河内の金剛寺の不動尊と阿弥陀がある。
どっしりと座っている。
それで不動尊の手には案外新しそうな綱が巻き付いている。
実はわたしは巨大な不動尊と言うと、手塚治虫「どろろ」の変化のものや星野之宣「ヤマタイカ」の東大寺の廬舎那仏が炎上して憤怒の不動尊に変化する様子をすぐに思い出す。
どちらもその綱や手にした棒で襲いかかってくる。
わたしはいつも身構えながらその前に立つのだ。
ところで今日初めて気づいたことがある。
背後の炎に鳥らしき顔が現れていた。
ああ何とかいう名前の霊鳥だなと気づいたが、その名前が出ない。
そもそも鳥がニガテなので調べる気にもならない。
ツイッターで呟いたら多分何らかの答えが返ってくるだろう、と高をくくっておく。
その鳥たちの顔は見たことのない表情をしていた。
これははっきりと名前が思い出せた。
石森章太郎(当時)の造形した「サイボーグ009」の007と「さんだらぼっち」の青蛙堂だ。
アクの強いあの顔である。
あいつらがここにいると思えば、そうそう身構える必要もなさそうである。
夜になりツイートすると「迦楼羅」だと複数の方から答えが来た。
それそれ、それだ。ガルーダだ。ガルーダはインドネシア航空のキャラ…いやそれよりも「超電磁ロボ コンバトラーV」の敵役ガルーダを思い出す。
それであれは迦楼羅焔というそうで7羽の迦楼羅が舞うということを教わる。
因みに「カルラ舞う」は永久保貴一のマンガ。
隣の金ぴかに光る巨大な大日如来の前に佇むと、憂鬱が重くなる。そう、なにかもう小言を言われている心もちになり鬱屈するのだ。
鑑賞する、ということはほぼなく、ある種の恐れに苛立ちながらその前に立つのだ。
次に「修理完成記念 鳥取・三佛寺の蔵王権現立像」を見た。

白梅から見た灯籠紅梅から見た灯籠 pic.twitter.com/hFhlNy4Odg
— 遊行七恵 (@yugyo7e) 2017年2月4日
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両足は地面についている。
先般の地震でここの被害も大きかったという。こちらはそれ以前に修復されていたようだ。
このカタチは古例だそうだ。足を挙げていないものは。
獅子・狛犬がたくさん出ている。
角があるのが狛犬だそうで、大抵が阿吽のウンちゃんの方らしい。アッちゃんは獅子で口をンガと開けているが、
伏見の藤森神社のそれは口元が取り外し可能な構造になっているようだった。
もしかすると日替わりで阿吽交代交代があるのかもしれない。角も折れてるし。
厳島神社のはややナサケなさそう。世間話でもしていそうである。
京都・市比賣神社の女神坐像は赤子を抱っこしていた。なんでもあの神社は餅を与える風習があるそうな。
バス停でお世話になりはしても中に入ったことはない。
おモチ、いいなあ。
大将軍神坐像もある。横から目に入った時「ああ、大将軍」とすぐにわかった。
わかった以上は挨拶をする。何度も見ているからというのもあるが、もしかするとあの兜をかぶっているのを大将軍と認識しているのかもしれない。
誓願寺の毘沙門天立像、秋篠寺のお地蔵さん。親しいような心持で少しばかりほっとする。
さていよいよこちら。

ここでちょっととんでもないことになった。
楊貴妃観音の手前でちょっと俯いていて、「来たな」と顔を挙げると、伏せ目のはずの観音に見下ろされる状況になり、ギョッとした。表情が全然違う。綺麗だとしか思っていなかった相手の恐ろしい一面を見たようだった。始めて知った表情だった。
これはもう本当に怖かった。
以前に奈良博で「聖地寧波 日本仏教1300年の源流 -すべてはここからやって来た- 」展を見たが、あの時は本当に綺麗だとしか思っていなかったのだ。
あーこの位置から見てはならなかった…
花を持つ手は変わらなかったのに。


今回の展示ではお寺の開創・俊芿(しゅんじょう)が宋風にいかに憧れていたかが伝わってくる。

お寺の配置の図面なども倣っている。このヒトは丁度源平合戦の頃に生きていたから、宋風文化を享受してもいたのだ。
道宣律師像、元照律師像と並んだその肖像画はたいへんうまいものだと思った。リアルタイムの肖像だが、清朝の皇帝図のような「似せ絵」だと思った。
1つ怖いものを見た。
三宝荒神坐像と共に伝来した五体の護法神立像である。
この荒神さん、アタマになにか不思議な小塔らしきものを乗せているのだ。そして四本の手はそれぞれ持ち物を持つが、顔は憤怒相に見えた。字の如く荒魂を有した神様に見えた。
五人の御法神は赤い半裸体で髪は逆立っている。歯をバリバリと噛みあわせている者、遠見する者など所作は様々。
月蓋長者像は宋風の大人(ターレン)という風情を見せる。
快慶の阿弥陀や後世の阿難像などを見ると衣装に蒔絵が使われていて、とても繊細で豪奢な様子を見せていた。
「西遊妖猿伝」の袈裟フェチの老僧がファッションショーしてるシーンをちらりと思い出した。
18世紀の長恨歌絵巻があった。後期なのでもう楊貴妃はいなくて、蓮を見て彼女を思い出し、淋しい玄宗が方士に楊貴妃を探しに行かせるところからが出ていた。
彼女は仙界にいて、方士をねぎらい、比翼連理の話を伝える。派手な彩色でよかった。
大堰川遊覧・子の日桜狩図屏風 浮田一蕙 大堰川は秋の船遊び、子の日は櫻狩。それぞれ楽しそうな様子を大和絵で描いている。
桜の下での蹴鞠。平安貴族の楽しそうな様子。
さて三階へ行こう。
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