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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

2021.8月末の東京ハイカイ録

2021-09-07 16:49:00 | 展覧会
一週間経ったし、やっとワクチン接種一回目もクリアーしたしで、先週の東京ハイカイについて綴ることにしました。

いやもう本当にね、わたしが完全な独り身なら東奔西走しますよ、この状況下でも。
でもねえやっぱり意味不明な婆さんとネコとを抱えてるので、自重しましたわ。
だけど、それでも行かねばならぬものがある。
・神奈川近代文学館「佐藤さとる展―『コロボックル物語』とともに―」
・弥生美術館「大正ロマン・昭和モダンのイラストレーター 高畠華宵展 ―ジェンダーレスな まなざし―」「夢二×文学 「絵で詩をかいてみた」 ― 竹久夢二の抒情画・著作・装幀―」「少年☆少女雑誌 ふろく花伝 ~明治から令和へ続く日本文化~」
・三鷹市芸術ギャラリー「デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉」
これだけはどんなことがあろうと見なくてはならないわけです。

というわけで久しぶりにexicで予約取ってまずは新横浜へ。
乗り換え時の人の多さを考えて菊名で乗り換えて元町・中華街へ直行。
菊名乗り換えはなかなかいい感じの空間なんだが、やはり混んではいるな。
それにしても新横浜の手前くらいはまだまだ緑も多いね。
ホームに立つと八王子行きの文字が見えて、ああそうかと思う。ここからの方が近いかもしれない。
菊名を往くと今度は大倉山の表示を見て、あの建物を思い出したりする。
どちらももうノスタルジーの範疇に入ったんだよなあ。

元町・中華街に来るのも久しぶり。
外人墓地をちらりとながめる。墓碑の形態の美を想う。
墓マイラーではないのでパスしたが、随分昔に一度だけ中へ入ったことがある。
客死した人々のための墓地というべきか、異国の地で墓に入ることを求めた人々か。
それぞれの違いはたぶんあるだろうな。

横浜地方気象台は日曜なのでお休み。
以前見たときの記録はこちら





港の見える丘公園。
ここへ来るたびあの歌声が聴こえるのだよなあ←脳内再生。
あなたとわたしの来た丘 港の見える丘…
そしてそれと同時に久世光彦の書いた「マイ・ラストソング」での四谷シモン歌う「港の見える丘」の幻聴が起こる。

もう夏と言うより秋薔薇が咲いていた。綺麗わ。庭園を少しばかりぐるぐる。噴水もじっくり。

なんしか入館には時間指定のくくりがあるからね。
さて10時前に入りました。
ここのは二重のセキュリティというか面倒なのだが、まあなんとか。

コロボックルとの付き合いもわたしもとうとう40年以上になったなあ。大好き。
村上勉さんの絵がやっぱりいちばん好き。
どうしても他の方の絵では世界観が壊れてしまう。
例によって展覧会の感想はまた別項で。
作品にはいくつかの傾向があるのだけど、佐藤さんは技術者をとても尊敬しているし、その技術を誇りに思っていることを改めて感じる。
わたしはいわゆる「異世界ファンタジー」があまり好きではなくて、リアルな日常の隣にあるファンタジーが好きなのよ。
それはやはり佐藤さんの作品にのめり込んだことでいよいよ確かになった性質だと思う。
つくづくいいものを見て生きてきたなあ、わたし。

中庭にはコロボックルのフィギュアをそっと置いて探し当てるクイズとかもあって楽しい。

リアルサイズの彼らを見るわけですからね。
どこにいるかわかるかなあ?

わかった人はかれらが誰かわかるかなあ?
楽しいわ。

さて時間がないので残念ながら常設展はあきらめて、お昼を食べに駅まで戻る。
最初に目に入ったのがスタバ。久しぶりにスタバで散財。酸味の強い紅茶、謎のフォカッチャ、バナナケーキをよばれる。美味しかったわ。
そして快速で武蔵小杉、そこから乗り換えを続けて東大前に到着。
弥生美術館へ。

今回はまさかの撮影可能。メモるのを止めてひたすら撮る。

三階の華宵室では付録展示。こちらのみ撮影禁止。夢二のところもぱちぱち。
ものすごーーーくありがたかった。
ずっと好きな割に手に入らなかったものが来てくれたのでね。
これもいずれ。
つくづく自分が東京通いをするようになった理由がこの美術館にあることを想ったよ。
初めて来たときに縁が出来た作品にも再会できたしね。
やっぱりどんな無理をしてでもここには通いたい。
会員になって30年。今後もずっと会員でいたいよ。

さて今度は四谷から三鷹へ。
諸星大二郎だーーーっ
デビュー50年か。
わたしが最初に読んだのは「妖怪ハンター」を雑誌ででしたな。
それも「死人返り」から。
小学生のときに読んだので印象が強いのなんの。
最初に買った単行本も「妖怪ハンター」だったな。それから「暗黒神話」「徐福伝説」「マッドメン」…
それからずーーーーっと好きなまま。
初めて東博に行ったとき、旧の東洋館にあった巨大な銅鼓、饕餮文のついた殷代の文物…
ああこれが「孔子暗黒伝」の、と感慨深く眺めたなあ。

「妖怪ハンター」も「暗黒神話」もジャンプで連載していたというのが、やっぱりジャンプの凄いところだったな。
わたしは同時期に本宮御大、車田御大の作品に熱くなってたのだよ。

顔出しできるヒルコ。

せーへんけどな。←ヒルコになったら困るから。

今連載中の「アリスとシェエラザード」は英国の世紀末が舞台と言う、大好きな環境の物語で、バジル氏と同時代なのに全然違うところがまた面白いなあ。
この婦人二人は栞と紙魚子のような感じで、だから余計好きになったのよ。
それにしても現代日本、古代日本、古代中国、パプアニューギニア、近世中国、古代アフリカ、古代オリエント、どこかの異邦、どこかの宇宙、そして近代英国まで物語の舞台は無限に広がる。
いつまでも追い続けたい。

三鷹から東京まで速いのに乗って、19時過ぎの新幹線で帰る。
エンガワ寿司も買えてよかった。今度いつ東京へ行けるかわからないが、いくつも行きたい展覧会がある。
どうなることか。
まあ絶望の時代であっても希望を持って生きてゆこう。

フランソワ・ポンポン展は楽しいぞ

2021-09-04 23:22:17 | 展覧会
フランソワ・ポンポンといえばシロクマ、というくらいにあのイメージが強い。
作者の名前を知らずとも、石鹸のような白さを見せる滑らかなボディのシロクマ、同じく滑らかで光るクロヒョウなどをどこかで見た人も多いに違いない。
わたしも最初に見たときあまりに滑らかなので大理石、鋳造、などとは思わずこれはきっと石鹸を削ったに違いない、それを撫でに撫でて滑らかにしたのだろうと思ったくらいだ。
そして作者がフランソワ・ポンポンという名だと知ると、「ポンポン」とは可愛い名前だと思い、北摂民ゆえに「…高槻の奥にポンポン山ってあるなあ」と思うのだった。
むろんポンポン山とも無縁だし、幼児語でおなかを意味するポンポンとも、働く小船のポンポン船とも無関係だ。
今回の展覧会で彼の名前の表記を初めて知った。
François Pompon
ぽむぽん、なのである。日本人はMとN、LとRの発音の区別が出来る人がとても少ないそうだ。VもBに変えられるくらいなのだから推して知るべしである。
つまりポンポンと軽く発音しつつ本当はちょっと違うんだと思わなくては申し訳ない。


ところで今回はありがたいことに京都市美術館にポンポン展が来た。
次は名古屋、そして佐倉市美術館に行くという。
名古屋はともかく佐倉市美術館へ巡回と言うと、個人的になんだか喜ばしく思う。
というのは、以前そこで津田信夫展が開催されて、かれの動物彫刻を堪能したからだ。
あの時のポスターも熊だった。
11年前にその展覧会を見たときにも津田は「ポンポンの影響を受けたらしい」とわたしは記している。
そして「ああ、あのシロクマ」とわたしは納得している。
当時の感想はこちら。
津田信夫 近代金工の巨匠

シロクマは見た目がなかなか愛嬌もんだが、実はこれぞ陸の王者だそうで、物凄く強いらしい。そういう描写を描いたのは望月三起也「ワイルド7」だけで、後は相原コージ「勝手にシロクマ」、ヒガアロハ「シロクマカフェ」などでのほほんとした姿を見せている。
関係ないが、わたしの会社の何代前かの社長に大熊さんという人がいたが、これが色白で首が長いので、わたしは「シロクマさん」と呼んでいた。すると社長は「わたしはグレートベアだ、大いなる熊だよ」と宣うていた。

話を戻し、展覧会の感想を挙げたいと思う。
例によってマクラの長い脱線だらけの感想なので、あんまりマジメに読まないでください。


ポンポンはロダンのところで働いていたそうで、工房長にまで上がった。
この展覧会のあちこちで記されているように、当時は人間の像を拵えるのが偉くて、動物彫刻は下に見られていたそうだ。
なのでポンポンも人間の彫刻を拵えている。ここにもそれらがあるが、特に凄い・素晴らしいというわけではない。
だが決して変な感じはしない。

師匠から動物園行ってじぃっと見ておいでと言われたポンポンは毎日通うようになったそうで、そうなると見られる側のどうぶつも「あっまた来てる」と覚えるようになり、中には「あいつ、なんかエエ感じ」と親しみを懐くのも現れる。
そういう状態を「なつく」と言うわけで、ポンポンは毎日通うからどうぶつたちに親しまれ、なつかれたらしい。
どうぶつもバカではない。嫌なことする奴には寄らないが、親しみを見せる者にはいい顔も見せる。

動物園通いで得たのはそれだけではない。
動物園が出したどうぶつたちの写真絵葉書をコレクションしてアルバムに貼っていた。
それが出ているのでそちらも楽しく眺めた。

そういえばこの時代の動物園はどうぶつたちへの愛情を大事にして飼育する方向にあったのだった。
日本でも京都市恩賜動物園に竹内栖鳳が塾生たちをつれて毎日スケッチに出かけていた。
栖鳳もそして東の横山大観もどうぶつが大好きで可愛がって育てもした。

ポンポンはどうぶつたちへの愛情をこめた作品を拵える人だった。
リアリズムから離れてシンプルな曲線で構成された形態だが、それがまたどこからどう見てもそのどうぶつの姿にしか見えない。
若い頃は売れなかったが、21世紀になり、アールデコの時代になって、とても人気が出た。
しかし彼は驕りもせずアトリエで機嫌のよいどうぶつたちの姿を拵えた。

少し前に目黒区美術館で見た前田利為氏のコレクション展にもポンポンのどうぶつ像が三点ばかりあったが、あれもリアルタイムの発注品だった。
わかるなあ。卓上の工芸品として手元に置きたくなるよねえ。


2012年のメトロポリタン美術館展にもポンポンのシロクマが来ていた。
当時の感想はこちら。メトロポリタンだってポンポン欲しいよね。

2009年に都美で「日本の美術館名品展」が開催されたとき、群馬県美からシロクマが来ていた。わたし、この時にポンポンのシロクマ可愛いーっと騒いでましたわ。
西洋絵画篇
さてそれから干支も一回り。
ついにこうして展覧会を見れたわけでなによりでございます。

ところで今回リストは紙ベースは無くて会場でQRコードで読み取りなんだが、それが結局スマホに残らず、タイトルも時代もどこの所蔵かもさっぱりわからんわ状態になった。
デジタルに依存しすぎるとこういうことになるから嫌なんよ。
なので自分のよくわからんメモだけを基本に記してゆくことになる。
今後こう言うのが増えるのなら、ちょっと考えないとダメだな。

一応メモにその作品NOついてたのでそれも記すが、どこまで役に立つか。
いやそもそも自分以外のどなたにも役に立つものはないブログなのである。
もぉいい、とにかく書いてゆこう。

51 羆がいた。そのすぐそばに 54シロクマがいる。
どちらもカメラ目線。つまり慣れた態度の熊たち。

58 身体を丸くする豹。ネコ科にままある体勢。

59 豹1927年 これはちょっとばかり朝倉文夫の猫像に似ている。
朝倉は東洋のロダンと謳われたが、彼は彼で自分の大好きな猫たちをリアルなタッチで造形した。
そしてただリアルなだけでなく、そこに偏愛があるから、ますます猫が可愛くて可愛くてならぬのだった。
この豹にはそういう可愛らしさがちょっと漂っている。
跳ぼうと構える豹

ポンポンのどうぶつたちには不思議なユーモアがある。
ちょっととぽけたようなセンスが好きだ。
何も鋭いもの・悲哀が胸を打つものばかりが尊いわけではない。
可愛いと言っても媚があるわけではなく、のほほんとしたところがあって、そこが魅力の一端でもあるのだ。

60 この豹の尻尾はくるんとしている。巻いている。
61 「クロヒョウ」とあるが、どうも茶色いのが少し剥落気味。尻尾は垂れている。
解説によると、最初は巻尻尾だったのが、だんだんこのように垂れ尻尾になって来たそう。

62 可愛いな。赤茶色の豹。耳がやや後ろに下がる。
63 石膏だから白いクロヒョウ。

64 これも耳が後ろに下がる。右前足を挙げて歩く虎。
65 ピカピカのクロヒョウ。耳が立つ。足元が可愛い。


うつむくクロちゃん




この辺りの豹たちの配置が絶妙で楽しかった。
豹たちの関係性とか考えたよ。

さてこの時に撮影可能だった豹をぱちぱち撮りました。
シロクマも一頭だけ撮影可能。


手先の可愛さ

こっちからも。


おお、動いている



と、ここまで書いたところで月猫さんからご連絡。

ありがとう、助かります。

以下、それに準じます。

ポンポンはどうぶつが大好きなのだが、身近なのも動物園にいるのもどちらも好きだという話だった。
で、そうなると若冲系のとりがいて、これはもうわたしは逃げます。
さいなら。

しかしさすがにフランス人だけにホロホロ鳥とか七面鳥とか出現。
日本人でこの手の鳥を描くのは上村淳之さんかな、現代だと。
それで彫刻にはデッサン、スケッチが必要で、二次元のものを三次元に起こす力があるのが彫刻家のすごいところですよね。
ロダンのスケッチはなんか妙にえっちくさいけど、ポンポンはそうでもなさそう。
かっこいいのがあった。
躍動感あふれるスケッチ。ニガテないきものだけど、この動きはいい。

モグラ 1908 ベルギー産硬石  爪の長いところが印象的。モグラの造形物など見るの初めて。
どこぞの動物園の「モグラ先輩」を思い出す。あとは熊田千佳慕「おやゆびひめ」のモグラ紳士。
…モグリ紳士ではないが、ロりオヤジではあるな、作中。

豚の母子 授乳中。1929  これは豚だけど、ローマのロムルスとレムスの像に通じるものを感じた。

眼の突き出たフクロウ 1923 石膏 こういうのも面白い。
フクロウは夜目が効くのでこうなるのか

こちらはワシミミズク

ミミズクにしては耳がぴんとしてはいない。

ペリカン 1924  この首の感じが巧いよね。


前田利為氏が購入した鷭も好きだが、足の感じが巧いと思う。
1960年代のアメリカのカートゥーンアニメを思い起こさせる軽妙さ。

猪があった。躍動感あふれる猪で同時代に拵えた他のどうぶつたちとは雰囲気が違う。リアルな感じで、絵で言えば森徹山ぽいな。1925-1929年の間に拵えたそうで、設置するのに一段の階段型の台が付属品になっている。
ついでに言うと東洋の亥年は1923年なのでポンポンの造形とは無縁でした。

ポンポンがアトリエに飾ってた巨大なシロクマのアタマもある。
これが剥製なら不穏だが、彫刻だから「シロクマの家、ポンポンのアトリエ」という楽しい証明になる。

そして1933年にポンポンはこの世を去るが、晩年の作品人気を当人が享受できて本当に良かった。
なにやら和やかで楽しいいい雰囲気の作品世界を堪能出来て嬉しい。

9/5まで京都で、その後は巡回がある。

2022.4.18 山梨県に巡回中。そのポスターはこちら。



「旅の美術」を大和文華館で楽しもう

2021-08-20 22:47:01 | 展覧会
大和文華館の夏は「旅の美術」展で彩られていた。
今回は日本と明代の作品が少し。


日本人は旅を好む民族だと言っていいと思う。
ゲルマン民族のような「民族大移動」と言ったものではなく、物見遊山も含めての旅である。
江戸時代の以降の双六を見ても東海道を往復したり、講を組んでどこそこへ出かけたり。
平安時代には既に紀行文学も生まれていた。
奈良時代には旅の歌も詠まれている。
好きで行く旅、行かざるを得ない旅、様々な形はあれど、一つ所にとどまらず出かけることを「旅」というならば、なんと多くの旅があったことだろうか。
そしてその旅をモチーフにした作品も多く生まれ、随分と好まれた。

今、コロナ禍により移動の制限がある。しかしそれでも人は旅をしたいと思うものなのだ。
引きこもる人も少なくはないが、かれらはかれらで自分の心の中で「ここではないどこか」を思っているかもしれない。
わたしも出かけたい。旅に行きたい。
叶わぬならば旅番組を見よう。そして遠隔地をモチーフにしたものを眺めよう…


・物語の旅
思えばトールキン「指輪物語」から生まれた「ホビットの冒険」の副題は「行きて帰りし物語」であった。
行ったきりではなく帰ることもまた大事なのだ。
そして本家の「指輪」の第一部のタイトルは「旅の仲間」であり、最後は「王の帰還」。

明妃出塞図巻 明代  王昭君の悲しい物語を巻物にした連作。匈奴の国へ王妃として贈られることになった王昭君の悲しみと、このような美女を贈られたことで匈奴の王とその兵たちは中国に対し、感謝の念を懐く。むろん王昭君はとても大切にされた。
匈奴の旗は虎が立ち上がって威嚇する姿。右足を上げて立つ絵である。その旗を幾本も立てながら馬やラクダで国へと去る。
王昭君は丁寧な設えのほこりよけの天蓋のついた囲いの中に納められ、故国から見知らぬ異国へと連れられてゆく。新しく彼女に仕えるらしき侍女たちはいずれもニコニコ。
ごくあっさりした淡彩とはっきりした線描で綴られる物語絵。


文姫帰漢図巻 明代  こちらは誘拐されて匈奴の国へ連れてゆかれ、そこで家庭を持った蔡文姫が十数年後に人質交換の対象となって、夫と二人の子供を残して故国へ帰る話。
彼女も匈奴ではたいへん大事にされた。今回は全18拍(シーン)の内1拍から5拍まで。
・実家から連れ出される・豹の毛皮の敷物に座しての旅・王の妻として宴席へ・夜空を見て嘆く・王による慰めの宴
こちらは派手ではないが彩色豊か。

砂漠を往くような描写を見ると、中央アジアから天竺へ向かった三蔵法師とその一行の「西遊記」を思う。なんと豊かな創作だろう。あの物語もまた「旅」を描いているのだ。
シルクロードを往くとは旅そのものなのだということを思う。

さて輝ける天平時代の後には、鎖国したがゆえに国風文化が華やかに開いた平安時代がある。あくまでも都すなわち京を中心にした時代である。
太宰府、土佐、陸奥などに赴任する人々はその先で豊かな郷土文化を知ることになるが、それでもあくまでも京にいてなんぼなのである。
そして京から少し離れた須磨明石でさえも流謫の地なのだ。

源氏物語も伊勢物語も主人公は旅をする。
楽しい遊山ではなく、政治的な立場がまずくなってのことである。
流謫地でも楽しく遊んで和歌も詠むが、あくまでも京都第一主義。
その地で綺麗な女人とねんごろになっても都へ帰ることばかり考える。
でもやっぱりその地その地で楽しいことをしているので、それが詩歌になり絵にもなる。

土佐光吉の源氏絵、伝・宗達の伊勢絵。綺麗なものです。
女をおんぶする昔男くんなぞは、その後女を取り戻されてくやしまぎれにトンでも話を付け加えるが、これは彼のいつものパターンでもある。
正直な話、こいつらまとめて殴りつけてやったら楽しいだろうな、とわたしなぞは思うことがある。
魅力的な絵や工芸があるばかりに好きでもないこいつらの恋バナを読むので、たまに虚無るが、ああこれが無常観かと悟る。

扇面貼交手筥 尾形光琳筆  モノクロだが、この笈を背負って歩くのが箱の蓋絵。
八つ橋図、住吉明神と白楽天、枯れ芦に雪図などが見える。


武蔵野・隅田川図乱箱 尾形乾山筆  兄とはまた違ういい絵を描く乾山。ネコ手のような波を描く。それが隅田川。

幕末の岡田為恭の八つ橋図がある。ごくシンプルな構成だからこその良さ。描表装は墨で小さく花しょうぶの群れを描く。そして絵の方は群青色横縞と霞の中に、殆どピクニックな一行。松の下の草の上でランチ。各自が小さな台をそなえて、そこに飲み物セット。童子が柄杓でお酌。三人きこしめている。

曽我物語図屏風  元禄頃のかと勝手に思っているが、眼鼻のはっきりくっきりしたキャラがごろごろいる富士の裾野の巻狩図である。曽我兄弟もいれば朝比奈も新田もいる。
ロン毛の美少年たちもぞろぞろ。「金平浄瑠璃」の挿絵にも似たキャラ達。

善財童子絵巻断簡 鎌倉時代 52番目。唐服風なものをまとう弥勒。善財童子の旅もいよいよ終わりに近づく。
ところでわたしは華厳経の善財童子の旅を知る前に、高橋睦郎の「善の遍歴」から善財童子を知ったのだ。めくるめくような展開の、奇人怪人の登場するゲイ小説で、九州から一人上京した善財少年は山手線をぐるり一周し、最後の手前で悲惨な目に遭う。そこからやっと脱出し、かれは大日如来ことマハーヴァイローチャナと共にこの穢土をさらば…

遊行上人縁起絵断簡 鎌倉時代  柳の前でドカドカ踊念仏してるのを見る三人の女たち。
結局のところ、遊行上人の踊念仏に熱狂したのは男女比どうだったんだろう…

さてここまではわりと大和文華館でおなじみの作品群でございましたね。
次からあまり見ないのが続くのでした。

西遊記表紙絵 富岡鉄斎  七冊の本の表紙絵を描く。それぞれのキャラの立ち姿など。
これを見ると藤城清治さんが邱永漢「西遊記」の表紙絵や挿絵担当したのを思い出す。
明治16年の作。1八戒風な悟空の立ち姿 2楼 3梅と雲 4滝に落ちる猿(悟空か) 5月下の藤 6朱と緑の寿老人と茶色の鹿 7火鉢に数珠青い浄瓶

「西遊記」は唐からシルクロード経由で天竺へ向かうのだけど、ほんと、大好き。
わたしが最初に知った「西遊記」は東映動画の長編アニメーションで手塚がキャラ設定したもの。
それとは別にとんでもギャグアニメ「悟空の大冒険」。歌がまたよかったなー。
次に子供向けのを読んで、それから君島久子さんの翻訳のを読み、堺正章主演ドラマ「西遊記」であの当時の子供の多くが「うおおお」になったのよ。
夏目雅子さんの三蔵法師があまりに綺麗で…それ以来イメージがある程度決まったのではないかと思う。
本来「西遊記」とはちょっとズレがあるけど、ED曲のゴダイゴ「ガンダーラ」も名曲だったし、憧れが募ったところへ今度はNHKが満を持して「シルクロード」を放送したのよね。
そしてその直後に教科書掲載の「幻の錦」龍村平蔵と大谷探検隊の話を読んでめちゃくちゃ感動したのだよ。
これはもう今日のわたしの基底の一つ。今思い出しても胸が熱くなる。
その数年後には諸星大二郎が「西遊妖猿伝」を開始したし。そして中島敦の「悟浄出世」なども読み、近年には平岩弓枝もいかにも平岩的なキャラの「西遊記」を出した
まあやはり「西遊記」は面白いのですよ。

2.名所の絵画
洛中洛外図の昔から、江戸時代の名所図会、浮世絵師の各地名所図、大正から昭和の新版画で表現した旅の風景。
なにもかもが素晴らしい。

南都八景図帖 吉田元陳のと狩野栄信のが並ぶ。去年の「梅と桜の美術」以来の再会。
奈良の名所はわりと近くにまとまっている。
 
京奈良名所図扇面冊子 江戸前期  60点の内34点が出ていた。金地に綺麗に名所図会。

都名所図会 1786版  石山寺、高尾、三井寺、野々宮のまつり、東寺、吉野、奈良大仏(大仏殿がない)、六角堂、舟が寄る竹生島、何故か富士山が右端に見えるどこか。

大和名所図会1791、河内名所図会1801、東海道名所図会1797…みんなこの時期に熱が高まったのだろうなあ。いい感じの本ばかり。

3.絵師と旅
多くの絵師が旅に出た。出ないままどこかを描く絵師もいたが、やはり旅に出ると気分も大いに変わる。

美人画で高名な鏑木清方は少年時代に脚気になった。江戸から東京になって30年ばかり経ってもやはり江戸の人々は白米を食べすぎて脚気を患い、旅に出て治した。
17歳の清方は「牡丹灯籠」で名高い圓朝師匠に誘われて栃木への旅に出た。
その旅については「こしかたの記」に詳しい。
後年挿絵の仕事が忙しすぎて神経を病み、電車に乗れなくなった清方だが、若い頃にはこのように旅にも出たのだ。
圓朝は少年にやさしく、清方はよい思い出を長く残した。
因みに清方の旅は、昭和五年にハイヤーを駆って数日をかけて京都へ出て、日本ローマ日本画展に向かう画家仲間を見送るというものがある。
電車に乗れずともハイヤーを何台か連ねれば東京から関西へ行ける、と言う見本である。
清方の傍らには夫人がついたが、二人の令嬢はそんな辛気臭いツアーは嫌だと、関西出身で鏑木家の信頼が非常に高い弟子・寺島紫明の案内で一足先に列車で関西入り。
この辺りは「続こしかたの記」にある。

殿様蛙行列図屏風 渡辺南岳  リアルな人体に顔だけトノサマガエルの大名行列。ちゃんと身分も分けられている。この屏風はなかなか楽しくて好きだ。

神奈川風景図 谷文晁 1802  手前に小さく房総半島もある。これをみて思い出すのは浦賀の果てまで行ってから船に乗って金谷まで出たこと。30分ちょいの船旅で鋸山の町へ出かけたのだ。東京湾フェリーで往復。楽しかった。2010年の話。

名所図を見ると、時代を越えて個人的記憶・感慨と絡まり合うのでとても楽しい。

暑中芙蓉峰図 森徹山・鄭嘉訓賛  鄭氏は中国名、琉球の官僚で書家の古波蔵爾方。
親方(うぇーかた)は称号で高い身分であることがわかる。
「琉球の風」で知った。その前に「ウンタマギルー」でも親方と呼ばれる人がいたので、旧時代での称号のこととは思いもしなかった。
こういうこともいちいち学ばないとわからないことだ。

富嶽図 宋紫石 1776  ああ、あの悲しいような大きい目をした虎の絵の人か。
チラシに。使われている。
豆州 田子浦 そして年月日


江の島図 小田野直武  こちらもそう。思えば富士山にしろ江ノ島にしろ、お江戸の人には旅なのだよなあ。むろん大和文華館の奈良からはとんでもなく長旅。

司馬江漢のあやしい絵もある。
海浜漁夫図  3.5頭身くらいの人々がいる。
七里ヶ浜図  波の静かな風景。
生命体が停まってる感じがするのよな。

攀嶽全景図 鉄斎 1889  大きいなあ。富士山図。大きいわ。
富士講の人だけでなく一般の人が富士を上るようになったのはいつからかな。
いや富士講も一般人か。

東遊雑記 古川古松軒 1789成立 写本  主に羽黒山ツアーを記している。
とはいえそれは「奥の細道」のような情緒のあるものではなく、比較検討してたり色々とリアリスティックな内容。
近藤重蔵がこの本を持って蝦夷地へ出かけたそう。他方松浦武四郎は彼の描いた内容を批判してもいる。
現物をきちんと読んだこともないので、わたしにはわからない。
なお弘前大学図書館は写本の一つで綺麗な挿絵入りのを所蔵してデジタル公開している。

京畿遊歴画冊  吉野山を中心にしたツアー 江戸後期、誰かがこうした絵を描いてくれたのが残っているのです。こういうの、本当に大事。


書き込みをみる。


翰墨随身帖 田能村竹田  今回はカニたちと奇岩の二点。2018年のこの展覧会以来かな。
生命の彩 ―花と生きものの美術ー 

イメージ (222)

最後に讃岐の源内焼、緑釉日本地図文角鉢  方位盤まで描き込みされてましたわ。そういうちょっと科学的な感じが「源内」焼ぽくて楽しいよ。

8/22まで

あやしい絵展に溺れる その5

2021-08-13 11:56:25 | 展覧会
眼差し一つでこちらを魅惑する絵がある。
高畠華宵の描く少女の目に見惚れて、随分長くこの道を歩き続けている。


華宵「サロメ」である。かれのサロメは浅草オペラのサロメなのでビアズリー、モローとは無縁な美を見せる。
そしてこのサロメは便箋の表紙絵であり、わたしもひの便箋の復刻版を弥生美術館で購入した。
同時代のノイエ・タンツを思わせもする。素晴らしい。


「少女画報」1925年8月号 大正末期の海水浴。薔薇柄のケープ。
この眼差しに惹かれた高校生のわたしは真似をしようと必死だった。
あやしい眼差しは得られなかったが、怪しい目つきの人にはなれました。

こちらは1928年4月号。「ばらの園」

優美な娘がこちらへ目を向ける。

パリに暮らしながら日本の少女たちの為に作品を提供したのがこの時期の蕗谷虹児だった。
「少女倶楽部」1926年12月号「夜会の仮装」旧字の美にもときめく。
アールデコの洗礼を受けつつ、愛らしいドレスやりぼんで飾られた少女たちを描く。


アールデコの前のムーブメントはアールヌーヴォーだった。
日本では特にこのアールヌーヴォーを深く受容し、独自に構築した芸術家が少なくない。

化粧品文化と深い関係がある二人の作家の絵を紹介する。

山名文夫 「アフロヂテの誕生」プラトン社「女性」1923年7月号
関東大震災前の大阪での仕事である。

そして同じく「女性」1922年12月号には山六郎「妖姫タマル」がある。

プラトン社は中山太陽堂から生まれた出版社である。

1925年1月号「女性」表紙 山六郎のカラー作品

1920年代へのときめきが止まらないのはこうした作品が現れるからなのだ。



プラトン社からは「苦楽」も出た。
発行期間は決して長くはないが、そこから現れた作品に囚われた人は少なくはなかった。

マッチ箱にも魅力的な意匠があった時代。
荻島安二という人を知らないが、この図様をみて「残していたい」というキモチがわくのは当たり前だ。




こうして見ると武井武雄、村山知義とも共通するセンスの良さがある。
お店も工夫して魅力的なものを選んだのだ。

こちらは山名文夫


商業デザインの魅力は罪深い。

撮影禁止なので挙げなかったが、鏑木清方の退廃的な「刺青の女」「妖魚」(共に福富太郎コレクション)があったのも本当にうれしかった。
わたしが最初に見た清方の絵はこの二点なのだ。
そこから他の作品を知り、清方の美に溺れた。
挿絵画家から出発し、鏡花作品を愛した人が描いた「あやしい絵」は実は数多い。
「卓上芸術」を標榜し、晩年は心ゆくまで好みの絵を描いた。
「雨月物語」の「蛇性の淫」、半ば蛇体となって泳ぐ「清姫」、谷崎の「少年」の挿絵などに「あやしい絵」がある。

わたしは見ることが出来なかったが、速水御舟の不気味な「舞妓」、松園さんの「花筐」、村上華岳「裸婦図」も並んでいたのだ。
福富太郎コレクション、弥生美術館、京都、大阪の知られざる作品群、この展覧会だからこその邂逅。
まことに素晴らしい。

大阪歴史博物館では8/15まで開催している。
見に行くことが叶う人は見てほしい。
近年まれにみるトキメキの展覧会なのだった。

あやしい絵展に溺れる その4

2021-08-12 16:22:49 | 展覧会
今回は商業芸術から。
こちらは宣伝するという大義があるが、表現は奔放なものが多い。
そして宣伝のための作品であることから、一目で見るものの心を掴まねばならず、その分面白さが強い。


北野恒富の「クラブ歯磨」の宣伝ポスターである。
かれは「浪花の悪魔派」と謳われたが、たいへん魅力的な婦人たちを数多く描いた。
それもこのように大正時代のポスター美人だけでなく、舞妓をモデルにした美人画、様式美に則っての安土桃山頃の風俗の美人画など、画風を色々に調整して魅力的な作品を多く生み出した。

クラブ歯磨とは中山太陽堂から発売された歯磨き粉で、中山太陽堂は創業者・中山太一が宣伝の力の重さを知り抜いており、その宣伝芸術は一時代を築き上げた。
2021年8月現在、中山太陽堂の後身たるクラブコスメチックスの文化資料室が大阪の阿波座にあり、展覧会を開催中である。
そしてこのポスターも出ている。
人気が高いポスターだったのだ。

その北野常富の屏風絵
死と性の匂いが濃厚に漂う。

道行 1913 二人の行く先には何もないのだ。このあとは情死しかない。
随分昔の話だが、京都文化博物館で春のひな人形展に行くと、立雛を寝かせて展示したのを見た。
女雛の髪がほどけて広がり、にっ と笑うその頬に後れ毛が張り付いていた。
どうみても心中の姿、情交の果ての行き止まりの死の様相にしか見えなかった。
あの人形をこのように展示した人の意図は知らない。
ただの偶然だったかもしれない。
しかし視てしまう者がここにいる。
凄いものをみた、と今もよく思い出す。目に意識に焼き付いている。

往々にして上方画壇の人の絵が「あやしい絵」だと目されることが多いのかもしれない。
女性の日本画家として名高い大阪の島成園の絵が来ていた。
この女の顔は特にわたしの好きな顔だ。

黒髪を梳く女。これは福富太郎コレクションの所蔵品だが、堺市にも確か別バージョンがあったような気がする。
調べればよいのだが、怠惰なわたしは動かない。

挿絵を見る。
小村雪岱の絵が多く出ている。たいへん嬉しい。
彼の絵の良さを深く知るようになったのはこの20年ばかりだ。
以前はそうは思わなかった。
成人後にそれまでと違いとても好きになった画家といえば
小出楢重、岸田劉生、小村雪岱の三人がいる。
そしてこの三人、偶然にも筆が立ち、随筆が面白いのであった。

先般、雪岱の研究者でありコレクターの真田さんがご自分の素晴らしいコレクションを展示してくださり、そちらもわたしは撮りに撮った。
しかしいくら死後数十年経って著作権が切れていようとも、この膨大な作品群を集められた真田さんの労苦に対し、気軽に挙げることは良くないと思い、わたしは自分で眺める楽しみの中に入れた。
挿絵や商業芸術の運命の悲しさがそれだ。つまり本画と違い軽くみられ、失われてしまうことが多いのだ。
だが、その挿絵、口絵、ポスターには「一目で魂を掴め」という使命がある。それで生涯を掴まれることも少なくないのだ。


雪岱の挿絵はやはり邦枝完二、子母澤寛の作品で輝いたと思う。
装丁家としては鏡花作品で素晴らしい花を見せた。カラフルな美はこちらで。
モノクロの美は邦枝、子母澤作品の挿絵で痺れればよい。







「お傳地獄」のこの刺青シーンは後に彩色されたものが版画で現われもした。
そして93年11月にわたしはニューオータニホテルの外国人向けのショップでその彩色した絵の絵葉書をみつけた。
それを買ったのが、雪岱作品集めの始まりだった。



弥生美術館は挿絵専門美術館である。
近年は往年の少女マンガの原画展示もあり、ますますかつての少女たちの胸を焦がす。
わたしが最初に行ったのは1989年5月だった。
竹中英太郎の挿絵展が開催されていた。
当時すでに乱歩「孤島の鬼」の挿絵に惹かれていたので、それが見たくて友人らと東京へ行ったのだ。
そしてその年の暮れには会員となっている。
当時の「竹中英太郎懐古展」のポスターは横溝正史「鬼火」のお銀を描いたこの絵だった。

「鬼火」は手元にあるが、それよりも同じ本に収録されている「蔵の中」に熱狂しているわたしは、「鬼火」の面白さを理解していなかった。
だがこの挿絵を見て、俄然「鬼火」の面白さに目覚めた。
今でも「蔵の中」はわたしの中では特に偏愛する作品の一つだが、「鬼火」はこの英太郎の挿絵を見て初めて、その魅力を知ることになった作品である。
いかに挿絵が重要なものかがわかると思う。




続く