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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

「よみがえる正倉院宝物ー再現模造にみる天平の技ー」をみた その2

2020-07-22 01:25:48 | 展覧会
続き。

2.  仏具・箱と几・儀式具
今度は仏教系。国家の宗教として仏教が定められてから既に百年だったかな。きちんと調べず適当な数字を挙げる。
金物が多い。

黄銅合子 おうどうのごうす 1合 高15.5 径8.5 平成16年(2004)鋳造:般若勘溪 彫金:浦島紫星 宮内庁正倉院事務所
鋳造の人の名字が「般若」なのにときめく。
何がかというと埴谷雄高の本名が「般若豊」だったから。それでこの合子の滑らかな曲線をみながら色々と妄想にふけるわけです。

金銅大合子 こんどうのだいごうす 1合 高27.8 径17.8 身:明治時代(19~20世紀) 蓋:昭和時代(20世紀)か 東京国立博物館
明治と昭和、時代を超えての再現。

大小並ぶのが可愛い。
それでこの度の再現でわかったことがあるそうだが、この部分、物凄い数のパーツで構成されているそうな。
やはり完全に分解しないとわからないことがある。


佐波理加盤 さはりのかばん 1口 高14.3 径17.2 平成12年(2000) 般若勘溪 宮内庁正倉院事務所

二彩鉢 にさいのはち 1口 高14.2 胴径27.8 昭和63年(1988) 加藤卓男 宮内庁正倉院事務所
これがもう本当にきれいで。やはり加藤卓男はいいなあ。見込みに釉溜まりがあって少しばかり貫入も見えて…欲しいなあと思ったわ。


漆彩絵花形皿 うるしさいえのはながたざら 1枚 縦39.8 横37.9 高7.1
平成2・5年 (1990・1993)素地・髹漆:塩多慶四郎 彩色:大山明彦 截金:江里佐代子
宮内庁正倉院事務所
江里さんのお仕事だ…亡くなられたのが本当に惜しい。

白檀八角箱 びゃくだんはっかくのはこ 1合 高9.3 径34.0 昭和47年(1972) 坂本曲齋(二代) 宮内庁正倉院事務所
もちろんガラスの向こうだから白檀の香りというものはこちらには伝わらない。
しかしこの大きさの白檀を使えたということ自体が尊い。

凝った箱がこの後も現れる。
蘇芳地金銀絵箱 すおうじきんぎんえのはこ 1合 縦30.3 横21.2 高8.6 昭和57年(1982)素地:坂本曲齋(三代) 彩色:岩井弘 宮内庁正倉院事務所


黒柿蘇芳染金銀山水絵箱 くろがきすおうぞめきんぎんさ んすいえのはこ
1合 縦17.9 横38.7 高12.3 昭和7年(1932) 吉田包春 東京国立博物館
金銀絵籠箱 きんぎんえのこばこ 1合 縦33.2 横17.2 高11.7 明治時代(19~20世紀) 東京国立博物館
緑地彩絵箱 みどりじさいえのはこ 1合 縦34.8 横38.2 高14.1 明治時代(19~20世紀) 東京国立博物館
蘇芳地彩絵箱 すおうじさいえのはこ 1合 縦35.1 横38.5 高14.2 明治時代(19世紀) 東京国立博物館

色の嗜好がやはり古代だと思いもする。明治の仕事はそのまま現代から見れば既にいにしえの名技術になる。

天平宝物筆 てんぴょうほうもつふで 1本 長56.6 径4.3 昭和53年(1978) 藤野雲平 宮内庁正倉院事務所 
筆も再現。これで大仏の開眼供養しはったのか。
イメージの絵は野間記念館所蔵の大仏開眼図なのだが、いまちょっとその絵が出てこない。

紅牙撥鏤尺 こうげばちるのしゃく 1枚 長29.7 幅2.5 厚0.7 昭和53年(1978) 吉田文之 宮内庁正倉院事務所 前期 (~8/2)
ああ、綺麗。可愛いなあ。この対の緑のは後期に。

子日手辛鋤 附 粉地彩絵倚几 ねのひのてからすき ふんじさいえのいき 1口 1枚
長144.0 倚几幅23.7 明治8年(1875) 森川杜園 奈良国立博物館
仏教ではなくこれは儀礼の方の道具。
758年正月の行事に使われたと伝えられている。
それに付随するのがこちら。
子日目利箒 附 粉地彩絵倚几 ねのひのめとぎのほうき ふんじさいえのいき
1口 1枚 長60.0 倚几幅30.3 明治時代(19世紀) 森川杜園 奈良国立博物館
天平の人々の農業への想いがつたわる。

2022.2.22 サントリー美術館でのチラシをこちらにも。



「よみがえる正倉院宝物ー再現模造にみる天平の技ー」をみた その1

2020-07-19 02:02:37 | 展覧会
奈良国立博物館は一年の展覧会で必ず決まった展示をする。
冬には「おん祭り」春には「お水取り」秋には「正倉院」展。
これらは欠かすことなく続けられている。
そしてその隙間の季節に興味深い特別展や特別陳列がある。
とはいえ、ことしは近代まれな状況で、当初の予定が色々崩れていっている。
開始が遅れたが、ついに始まったのが「御大典記念 特別展 「よみがえる正倉院宝物ー再現模造にみる天平の技ー」(令和2年7月4日~9月6日) 
これですよ、これ。
わたしは7/5に出向いた。
で、十日以上経ってからようよう感想をまとめようとしている。
会期は長いのでまた行くし、というのがわたしの遅筆と怠惰を招いたわけです。


さてこの素晴らしい展覧会はすべて正倉院宝物の再現品・復元品で構成されている。
「複製品だから偽物」と考えてはいけない。
奈良時代の日本、中国、ずっと遠くの国から来たものたち、それらが年に一度一部だけ世に出るのが「正倉院展」であり、それも本来は正倉院の虫干しの間のご褒美なのだ。
そのお宝は人類のお宝であり、後々までも守り続けねばならない。
そしてそれらがどのような構造で構成されているかを知ることもまた大切だ。
修復とは全部知ってないとできないことなのだから。

今回の展示の意義についてはサイトから引用するとこうなる。
「正倉院宝物の本格的な模造製作は、明治時代に奈良で開催された博覧会を機に始まりました。当初、模造製作は修理と一体の事業として取り組まれ、昭和47年(1972)からは、宝物の材料や技法、構造の忠実な再現に重点をおいた模造製作がおこなわれるようになります。以来、人間国宝ら伝統技術保持者の熟練の技と、最新の調査・研究成果との融合により、芸術性・学術性の高い優れた作品が数多く生み出されてきました。
 本展は、これまでに製作された数百点におよぶ正倉院宝物の再現模造作品の中から、選りすぐりの逸品を一堂に公開するものです。再現された天平の美と技に触れていただくとともに、日本の伝統技術を継承することの意義も感じていただけますと幸いです。」


明治の技術から平成の技術までをこの展覧会で見ることが叶うのだ。
とても凄いことではないですか。
そんなの他ではなかなか見ることは出来ない。
(だから特別展なのだが)
喜んで見に行った。



始まりは映像だった。
正倉院の外観、模造された経緯、その材料集め、意義などを映像と共に解説するのをみる。
繊維物は現在の糸では再現できないそうで、これが解決したのは皇居内の蚕の存在だった。
歴代皇后が育てるお蚕さん。その中でも純日本種の「小石丸」の吐き出す糸が古代の絹織物の再現の大立者になった。
更に染料の二ホンアカネ。これも皇居にわずかに自生するのを上皇様が知っておられて、提供してくださったそう。
ご夫妻で大事にされてきたお蚕さんと野草とが古代の再現を可能にしたのだ。
映像を見ていてちょっと胸が熱くなった。

いよいよ場内へ。
何やら管弦の音色が響く。
きっと再現された琵琶などの演奏の音なのだろうと見込む。

1.楽器・伎楽
秋の正倉院展でも再現された音色が奏でられることがあり、そのたびに喧騒の中でじっと耳を澄まして古代の(再現されはしたが)音曲を聴く。かなり楽しい。
再現された音色というものは大体において現代の西洋音楽に慣れきってしまった我々の知る音階から離れたものなので、見知らぬ音の集合となり、それはそれでとてもた魅力的なのだ。
泉屋博古館の鹿ケ谷の本館の青銅器室には古代の鐸の音色の再現があり、現代の音階とは全く異なることをしる。そしてその音階の不思議さを面白く思う。決して不快ではないのだ。
こうした音階を心地よく感じるのは右脳だか左脳だかよく知らないが、その関係からくるものだという。
東洋、就中、東アジア人と西洋人の好む音声とは隔たりがあったのだが、今は西洋音階にすっかり脳を変えられてしまった。
しかしながらここで流れる音声を心地よく感じる人も少なくはないようだった。

作品名や資料などはサイトのリストを引用。

磁鼓 じこ 1口 高38.3 口径22.5 昭和62年(1987) 加藤卓男 宮内庁正倉院事務所
のぞくと綺麗な釉溜まりがみえた。外側も綺麗。
加藤卓男はラスター彩の復元で有名だが、その名手だけにこの人がそれを
再現した、それ自体が素敵だ。

洞簫 どうしょう 3管 ①長38.3 ②長39.0 ③長40.6 明治時代(19世紀) 奈良博覧会社 奈良国立博物館

甘竹簫 かんちくのしょう 1口 幅31.0 高28.0 厚2.3 昭和48年(1973) 坂本曲齋(二代) 宮内庁正倉院事務所
昔の雅楽の楽器というものは形もすでに遠い物であり、その音色を想像することも実はできなくなっている。明治と昭和の復元品の違いは、実際に使えるかどうかということも含まれているそうだ。

漆槽箜篌 うるしそうのくご 1張 総高173.0 横80.5 明治27年(1894) 稲生真履 宮内庁正倉院事務所
実は箜篌というものを知ったのは絵からだった。
藤島武二「天平時代」からだった。
「ビルマの竪琴にも似ているなと思ったが、実際のサイズなどはわからないままだった。
2017年の正倉院展で箜篌の残欠が出て、ようようサイズの見当もついたが、今回の展示でやっと現物を見ることが叶った。
なおその前年に
古楽器の絵葉書からの追想
で、自分の見たアジアの古楽器の写真などを挙げている。

参考までに描かれた箜篌
藤島武二 天平時代


青木繁 享楽

右側に箜篌がある。月琴は弐つばかり。


吉川霊華 箜篌


やはり大きいのは大きいな。
漆槽箜篌 うるしそうのくご 1張 総高173.0 横80.5 明治27年(1894) 稲生真履 宮内庁正倉院事務所
全体に素晴らしい装飾が為されている。これが箜篌なのかという驚きがある。弦楽器はやはり経年に負けるのだ。
それが今こうして再現されている。非常に綺麗な象嵌などがみられる。漆芸の美。
特にサイドの方をよく見てほしい。

螺鈿槽箜篌 らでんそうのくご 1張 総高183.0 横80.0 明治28年(1895) 稲生真履 宮内庁正倉院事務所
こちらも同じく明治の再現品。既に125年経っている。それだけでもこれは価値がある。
キラキラしたものは意外に潜んでいてシックな感じがするが、やはり素敵。

金銀平文琴 きんぎんひょうもんきん 1張 全長113.3 縦28.5 明治12年(1879)小川松民・神田重助・太田儀 之助・石黒政近 東京国立博物館
東博にあるのか。見たこともなかった。

檜和琴 ひのきのわごん 1張 長155.5 明治時代(19世紀) 森川杜園 奈良国立博物館
一刀彫の森川杜園の作品。木彫の良さを堪能。ガラスの向こうなので檜の匂いはわからない。
ただ、一目見ただけでどうしてか森川の鹿の置物が思い浮かんだ。彼の製作だと知る前に。
なにかそんな木の感じがある。

行ったのは二日目だったからか、まだ人も集まってはいないし、ソー・ディスも考えないとあかんのだろうけど、ぐるぐると遠巻きと近くで見るのとの枠組みが出来ているのがこちら。
螺鈿紫檀五絃琵琶 らでんしたんのごげんびわ 1面 全長108.0 最大幅30.9 平成23~30年 (2011~2018)
木地:坂本曲齋(三代) 象嵌:新田紀雲 加飾:北村昭斎・松浦直子 絃:丸三ハシモト株式会社 宮内庁正倉院事務所

あー、これはもう21世紀の芸術品。素晴らしい。北村さんが参加しているだけでも嬉しい。
じっくりと眺める。こんな所にと思うような所にも手が入る。蝶々がいた。知らなかったなあ。
すごいなあ、こんなにも豊潤な拵えだったのか。
現物の美を知っていて尚、そう思った。


模写 紫檀木画槽琵琶捍撥画 もしゃ したんもくがのそうのび わのかんばちえ 1枚 長41.9 幅18.0(画部分) 平成30年(2018) 松浦直子 宮内庁正倉院事務所
琵琶の腹の部分の絵。つい近年の仕事。現代にもこの仕事が続いていて、本当に良かった。

琵琶袋 びわのふくろ 1口 長93.9 幅43.9 厚5.1 平成3年(1991) 株式会社龍村美術織物 宮内庁正倉院事務所
さすが龍村美術。嬉しい。こういう仕事を見るたび、初代平蔵の獅子狩文錦の復元の苦難の道を思い出して涙ぐむのよ。

紅牙撥鏤撥 こうげばちるのばち 1枚 長20.0 上端幅5.7 厚0.1~0.4 昭和58年(1983) 吉田文之 宮内庁正倉院事務所
象牙に染色して細い細い刃面で絵を。丁寧な仕事。

酔胡王面 すいこおうめん 1口 縦37.0 横22.6 奥行29.4 平成14・15年 (2002・2003)財団法人美術院 国宝修理所 宮内庁正倉院事務所

カラフルすぎて笑ってしまった。赤トンガラシくらいな朱。
十二神将も当時のままの彩色で再現したら「なんじゃこりゃー」になったが、これもその仲間。
つまり日本人の美意識はいつのまにか古びの着いたもの、剥落を尊しとするものに変化していったということなのだな。

伎楽人形 呉公 ぎがくにんぎょう ごこう 1具 昭和時代(20世紀) 株式会社龍村美術織物 奈良国立博物館
前期のみ。おじさんのマネキンでもある。ちょっとまえのめり。

続く。

いちからわかる応挙と芦雪展前期を振り返る その2

2020-07-06 09:29:44 | 展覧会
ちょっと日が空いてしまったが、最近は怠惰なもので。
まあ記録と記憶のブログということで、別に最新を目指しているわけではないし。
そう、現在開催中の「いちからわかる応挙と芦雪」展後期を応援するために、前期のハイライトをまとめておるのです。
わたしのイマイチな写真で申し訳ないけれど、これで前期の良さを少しでも感じてくれて、後期展示を見に行かれる方がいたらええなあと思っています。


今回は芦雪特集になりますね。

わんこ  師匠のわんこ

可愛い喃。

二階は座敷展示。


えてこたち。


左右合わせるとこう。


まずモンキーズから細部を見よう。

この濃淡とさいしきの対比がよいよね。
サルたちは薄く描くことでその毛並みの質感まで感じさせる。
岩は濃い墨でザクッザクッと描いてそこに滲むような朱で蔦を描く。何か一心にみつめるサルの面白さ。
じーっとなにをみてるのだろう。


表情のあるサルたち。何を言いたいかわからないが、何か言うてるのはわかる気がする。

そして左隻。こちらはお子達とわんころたち。

こういうのを見て素通りできるようなヒトとはつきあえんな。
可愛すぎるやんーっ

そしてこの兄弟、お兄ちゃんなかなかの美童。


こっちの子はてっきり目隠ししてるかと思いきや…


わんこ怖がり組に対し、


わんこだっこしたい組のめんめん。


わんこも迷惑やと思てるのではないかな。


あーっ可愛いっ

ここで例の「可愛いは正義」という格言が出ますね。

さて冒頭の師匠のわんこに対する絵としてはこちらのわんこ。

撫でたいわ

応挙先生は家で猫を飼うてたが、隣家のわんこをスケッチすることが多かったそう。
これはなんかわかる気がする。
猫好きであっても、猫を題材にするのをあえて避ける人もいるからね。
わたしもそう。書くのは犬、飼うのは猫。

芦雪は群衆というか集団というか群れが好きなのではと思う。当人は孤高気取るわけでもないだろうけど、絵はとにかく群れが多い。

亀。comecome
寄り集まる亀。四天王寺さんところもこんな具合。

さて今度は中国のどこかを描いたお軸、対幅だが、その細部がやっばり群れいろいろ。
こちらは全体


右の群れ

家並みと松並と。

左を見る。

よく咲いているなあ。

石垣の下では牛とこれはもめてるのかな、子供ら。


あっちではわたってくる人。


さて高士というものは歌を詠んだり酔っぱらったり煎茶飲んだりして山中で過ごすわけだが、若い少年を働かせてのこれだから、なんかもうただのダメな人にしか見えんのだよなあ、ぼくにわ。


こちらは打って変わって大変な状況のお母さん。
常盤御前ね。逃亡中。


小さい子供三人も抱えて逃げている。

この後捕まるが、色々あって案外この人本人は平穏に暮らせる。

セミだよセミ。


どんな鳴き方するかな。
関西ではミンミンゼミよりアブラゼミが多い。今は九州からきたクマゼミに席巻されてる。ただし町中の話。


貼り交ぜ屏風
色んな人がいてます。右隻








左隻








やっぱり芦雪はフザケてるよな。そこが不逞のヤカラぽくていい。

最後にもう一度わんこと坊やたち。
これを見ることが出来、撮影できたのが嬉しい。


ありがとう嵯峨嵐山文華館。

いちからわかる応挙と芦雪展前期を振り返る その1

2020-06-27 01:15:32 | 展覧会
コロナのせいでいろいろとだめになったが、ようよう行けるようになったので出かけました。
嵯峨嵐山文華館

師弟の展覧会は奈良県美以来かな。
撮影可能なので、前期分をまとめましたよ。(6/22まで。)


わんこ、可愛すぎて噛んだろかと思うよね。←キュートアグレッション

まずは二階、師匠の応挙先生と弟子の芦雪の同じ題材の作品から。

孔雀でも亀でもそれぞれの個性が出てるなあ。

こんにちはーとやってくる亀 応挙

対して
潜航しながら近寄る亀 芦雪


個性の違いというよりこれはもう・・・


応挙の虎は可愛く


芦雪の虎はなにをしでかすかわからない。


習ってるから師匠に似た絵を描いているのだが、それでもここまで違う。

応挙の若い頃の絵 名も若き僊嶺の絵


目つきが違うね。不穏ですがな。


眼鏡絵で四条河原風景 水彩画の風景画で大正のものだと言われても納得しそうな感じ。
これに対となるのは村上華岳の円山の花見図だと思う。


ところで応挙先生にはスポンサーがいくたりかあったが、中でも大口は三井寺の祐常門主。
そのひとの描かれた赤い鸚哥と緑の鸚哥
こうした高い身分のヒト、大名などもよく絵を描いた。
異国情緒あふれる鸚哥を描いた大名も少なくない。
サントリー美術館、和歌山市美術館でそんな展示をみている。


中心

色鮮やか。蘋風。

こちらは鶴一家


黒いのがこども


お軸にもなんか飛んでるが、どうもガッチャマンの「火の鳥」ぽいなあ。


塗り残しで白を表現


えべっさんとお鯛さん

お鯛さんのめつきがいいよね。
結局食べへんで自分の小脇に抱えるようになったけど、これがそのお鯛さんかも。

珍しく金屏風に富士山。

裾野とも言えぬくらいの距離感に小さな人間の群れ
描くのはあくまでも風景。

つづく。

「新青年」と世田谷ゆかりの作家たち展を振り返る

2020-06-19 01:38:28 | 展覧会
横溝正史には三本のシリーズがある。その主人公の名を挙げる。
金田一耕助、人形佐七、由利麟太郎、いずれも人気を博した。
特に金田一耕助のシリーズは映画にTVにと大人気で、現在に至るまで何度もリメイクされ、多くの金田一耕助役者が生まれるだけでなく、年に一度岡山県で大勢の金田一耕助コスプレーヤーが集合するお祭りまである。
わたしも角川映画の金田一耕助、TVシリーズから始まって原作に溺れ、今もしつこく読み返すファンである。
聖地巡礼もしたほどだが、実は弊社歴代社長の一人の御実家が岡山の奥地の大豪邸で、それがどうみても「八つ墓村」の多治見家モデルではないかと思われる要塞のような邸宅なのだ。
実際の映画ロケ地は現在一般公開されている広兼邸なのだが、あのクラスだと思っていただきたい。
なおその広兼邸に関してはこちらのブログが詳しい。

話を戻し、シリーズもののことだが、捕物帳の人形佐七も何度か映像化され、人気も高かったが、割を食ったのが由利麟太郎を探偵とする連作だと思う。
というのは、映像化されたものもムリカラ金田一耕助シリーズに改編されたりしているのだ。
「蝶々殺人事件」「仮面劇場」「夜光虫」「真珠郎」などが由利先生の活躍した作品だが、わたしが最初に知ったのは「夜光虫」をマンガ化した「血まみれ観音」、「仮面劇場」をマンガ化した「真珠色の仮面」であった。どちらも高階良子さんの名作である。
以前「血まみれ観音」に関してはこのブログでも記事にしているのでご参考までに。

さて、この度、由利麟太郎を主人公としたドラマが放映され始めた。
主演は吉川晃司で舞台を現代の京都に置き換えての作劇である。
第一夜の「花髑髏」では御影の旧乾邸が使われているので、我々近代建築ファンには嬉しい映像でもある。

…と、ここまでが前置き。いつもながらやたらと長い。
今回は既に終了したが世田谷文学館で開催されていた「新青年」と世田谷ゆかりの作家たち展の感想をこの機にあげることにした。

「新青年」がずらずらと並ぶ。表紙はたいていが松野一夫。モダンなセンスである。
ドイツのユーゲントシュティール式なのやフューゲラー風なものもあるかと思えば、表現主義的な夜の街角もある。
横溝正史が編集長になってからはとてもモダンな雑誌になったという。
大阪府立中央図書館に「新青年」をまとめた叢書がずらりとある。
以前に茂田井武の展示をそこへ見に行った時、ちらりとめくり、全巻読みたさに震えていた。
こちらはその当時の現物なのである。

「冒険世界」もある。明治41年1月号、その号は白サルの盾を持つ戦士の表紙絵。
なんだか面白そうな作品がある。
「韓山虎猟珍譚」断水漁史 平塚断水という人か。
これかな…
世界の奇譚や不思議な話、冒険譚などが集まっていたりするそうだ。前田光世の話も連載したのか。コンデ・コマね。
主筆は押川春浪だった。
「怪人鉄塔」という作品も出ている。
この雑誌には三津木春影という作家も探偵小説を書いているが、もしかして由利麟太郎の相棒・三津木俊助はここから名前を採ったのだろうか。
そして「冒険世界」の廃刊後に「新青年」が博文館から出るのだ。
思えばいかにも明治から大正モダニズムへの移行だなあ。
明治、大正、戦前の雑誌の変遷はそれだけでも面白い。

講談社の「キング」もある。「キング」は野間記念館でいろいろ見てきたが、早く野間記念館が再開してほしくて泣く。

戦前の横溝の耽美退廃の極北でもある「鬼火」の紹介がある。
挿絵が出ていた。竹中英太郎の傑作である。
実はわたしが最初に弥生美術館に行ったのは89年の竹中英太郎展だった。
当時すでに「孤島の鬼」の挿絵にのめりこんでいたので、その原画が見れると喜んで出かけたのだ。平成元年の話。
ついでに言うと弥生美術館に行くと、偶然にも池袋三越で新発見の挿絵展が開催されている情報をもらい、友人らと別れて一人で池袋へ出向いたのだった。

「鬼火」の挿絵いろいろ。
菊五郎格子の着物を着るお銀や仮面を外すのを見るシーンなど、妖艶にして怪異な表現が続く。

挿絵はいいのだが、実は作品自体は案外ニガテである。「鬼火」の肝である悪意の応酬が怖いということだ。
だが、何かの折に「代ちゃん、あばね」のあのシーンが何度も蘇るので、やはり嫌ではないのである。
「鬼火」をはじめ初期の短編を一冊にまとめた中では「蔵の中」が最愛だ。
「蝋人」「かいやぐら物語」「面影双紙」などもいい。
「蔵の中」は好きが高じてしまい、常に文章が頭に蘇り、蔵の中の様子が絵として頭に浮かぶくらいだ。
(そのくせ推理部分は中抜きしてしまい、笛二の回想とラストシーンばかり偏愛しているのである)

「本陣殺人事件」の挿絵は松野一夫だったのか。
パブリックイメージの金田一耕助がいる。
わたしは石坂浩二、古谷一行どちらの金田一も好きだ。

単行本、ポスター、生原稿…資料の宝庫、ファン垂涎のブツがぞろり。
横溝遺愛の丹前も出ている。意外に背丈もあるようだ。

「女王蜂」の挿絵が富永謙太郎なのにはびっくりした。
他に「人形佐七」もある。

横溝と関係の深い作家に小栗虫太郎がいる。
互いによい仲間だったが、小栗は戦後すぐに亡くなり、横溝は以前のお返しに彼のピンチヒッターとして「蝶々殺人事件」を書いた。
小栗虫太郎と言えばなんといっても「黒死館殺人事件」が真っ先に浮かぶ。
青空文庫にも入ったが、わたしはどうしても先へ進めず挫折してしまったが、それでもたまに挑戦はしているのだった。
その原稿と松野一夫による挿絵などが出ていた。

松野の挿絵じたいは以前に弥生美術館でも見ている。
面白い技法での作画である。不思議な魅力が横溢している。

そしてこれら挿絵を見るたびに「…読もう」と思い、読み始めては挫折するのであった。
「人外魔境」シリーズもある。ああ、これは少しだけ読んでいる。今は亡き教養文庫でだったと思う。

他に白井喬二、木々高太郎の生原稿もある。
水谷準の「渡辺啓助さんのこと」の中で事故死した渡辺温のことが記されているが、そこでは「オン」と呼んでいたのを知る。
「可哀想な姉」の温、啓助にとっては「可哀想な弟」だったろう。
…「可哀想な姉」は無惨な話だが。

海野十三の作品も色々。元々この世田谷文学館にはムットーニによる海野の「月世界旅行」もある。
海野はSF作家だが、「電気風呂の怪死事件」がデビューで、それもここにあった。
今回ちょっと調べて知ったのだが、わたしなどは電気風呂が大好きだが、あれは関西ではメジャーと言うか好まれているが、関東ではそうでもなさそうらしい。
この海野は戦時中横溝とよく文通し、かれに成城に住むよう勧め、色々な親切をしたそうな。横溝は後々まで海野の親切を恩に着ていたという。
そして海野の最期の手紙は横溝へあてたものだった。
なんとなく悲しい。

この展覧会では小冊子が作られていたが、残念なことに横溝の没年が間違って記されている。
1976年表記だが、横溝はその頃大ブームの最中の人で、がんばって新作も書いた。「悪霊島」である。1979-1980年に「野生時代」で連載している。例の「鵺の鳴く夜は恐ろしい」のキャッチコピーが当時流行った。
亡くなったのは1981年である。

ムットーニの作品も増えたことだし、またじっくりと時間をかけて見に行きたいものだ。