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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

府中市美術館「与謝蕪村展」を思い出す

2021-05-12 00:08:29 | 展覧会
もう「振り返る」どころの騒ぎではない。
「例によって」ならぬ「令によって」終わらされた展覧会の感想である。
わたしは前期をかなり早い目に行ったのに書けなかった。
無理算段して出かけてそれ。
更にそこへコロナの奴めが状況を悪化させるだけさせて、ついに会期半ばで閉幕と言う憂き目に。
なので「既に終了した展覧会だが」とわたしが書くのはもうおこがましいにも程がある。
それで振り返るではなく思い出す、ということにしたのさ。
実際にはなんだかんだと色々と覚えてるけど、そこに例によって色々脱線したり追加されたりだからなあ。
まあ前書きは長いけれどそういうことです。



それにしても恨み節は続くぞ。
文化を中止させ、運動会を開催する政府にはも呆れ果てたが、それでも言葉を失くしてはいかん。
イキドオリははっきりと政府に向けて言わねば、なかったことにされる。
とりあえずこうして終わってしまった展覧会の感想をあげるのも、わたしなりの政府への「バカヤローふざけんな!」の所信表明でもある。←書くのが遅いから、というツッコミはここではナシである。

本当に長い前置きだが、いよいよなんとか感想へ向かえそうになってきた。

日本の春の三大祭りの一つと言うても過言ではない(どの界隈でだ?)。
さて今年は与謝蕪村の展覧会で、そこに冠されたタイトルが
「与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家」
これなのね。
ヘタウマとかへそまがりとか色々興味深いイメージを付与して展覧会を開いてきた府中市美術館が、今度は俳人でもある与謝蕪村。
蕪村の展覧会は関西ではわりと小規模でもよく見かけるが、関東では近年だとサントリーでの「若冲と蕪村」展、通称「ジャクソン」展か。
だから府中市美術館で取り上げるのもよいねえ。


さて桜を見ながら美術館へ向かいますと、ロビーにいくつかパネル展示がある。
今回はウサギさんが目立ってるな。


ところでわたしは蕪村の書き文字がなかなか好きだ。
読みにくいことは読みにくいが、なんとなく楽しい字で味わい深いと思っている。
以前に天理図書館で蕪村の字をメインに見たときも思っていたし、もっといえば昔の逸翁美術館(雅俗山荘)で見た、奥の細道絵巻の絵の良さと文字の良さに惹かれたままずっと来ている。
俳画を作った人の絵も文字も味わい深いのはそれらが分かちがたく結びづいているからだろう。
そしてここで思うのは府中市美術館がテーマに挙げた「ぎこちなさ」なのだが、これはあくまでも技巧的なぎこちなさであり、選択肢の一つとしての「ぎこちなさ」を言うわけだが、申し訳ないがわたしにはあまりそこらはわからない。


大阪の毛馬出身の蕪村は色々と住まいを変えた。
丹後にいた時代と言うのも存外長いのである。丹後は母親の出身地だという。
そこで育った時代もあるし、長じて後に出向いて絵を描いたりもしている。
与謝郡という地名が丹後にある。

どうでもいいことだが、馬琴「八犬伝」は方々を旅する物語でもあり、様々な地での逸話が重ねられているが、蕪村のいた丹後、出向いた下総結城も物語に登場する。
ただの偶然だが、そんなことを思い出しもしている。←逸脱はいつものことだ。

方士求不死薬図屛風  施薬寺(京都府与謝野町)  ここのお寺との関係は深いそうだ。
施薬だからというわけでもなかろうが、不死の薬云々の画題を選んだのかと思いきや、これはあれか、徐福なのか。
石のベンチに布をかけてツボを置き、その端に方士つまり徐福が座す。松に寄りかかる侍童もいるが、これが頭頂部を剃髪ししていて、その松の枝先に括り銭を下げている。
これが何を意味するのかまではわたしにはわからない。また左には同じような立場らしき少年も二人いる。
徐福は大勢の子供をつれて船出したというからそのうちの子供なのか、それとも方士として使っていた子供なのか、そこまではわからない。
徐福と言うと諸星大二郎「徐福伝説」はとても面白いので未読の人はぜひ。

山水花鳥人物図押絵貼屛風    1 鯉の滝登り。その鯉の目が印象的。5 少年と方士風の男がいるが、もしかすると彼は黄初平くんか。他にも波の上の岩に止まるカモメなどがある。

田楽茶屋図屛風   おお、これはまた多くの人々を描き分けている。つんとした人が傘をさしかけられて歩いていたり、餅売りもいればそれを食べる者もいる。餅やなく田楽か。するとあれは麩なのか。「田楽茶屋」だものなあ。
田楽はわたしも好き。鎌倉の八幡様のところの田楽もおいしかった。箱根神社のからみ餅も好き。
サントリーなどで開催された「若冲と蕪村」展でもこの絵を見ているが、その時もやはりおいしそうと思っていたらしい。

風虎図屛風   足の爪がいい。牙もちょっと出ている。虎だのう。

―倣王叔明山水図屛風  京都国立博物館  まんま写しと言うのではなくエッセンスをくみ取っているそう。家のたたずまいがなかなかいい。

採薬図   ほらほら出た出た、蕪村らしい、けったいな爺さんと少年。
正直な話、山の中にいるけったいな爺さんの絵を見てもどうええと思えばよいのかが長くわからなかった。今もあまりわからない。禅画もそうだけど、山の中で高士だか方士だかがいたところで、ああそうですかくらいしか思わないのである。
俗っぽくて賑やかなのが好きなわたしは。

山中採芝図   あら珍しや二重瞼のおじさんである。蕪村はたまに現代にもいるような顔立ちの人を描く。

後期に出たという「狗子図」が見たかったな。残念。

野馬図屛風  京都国立博物館   林の中に馬たちがそれぞれ好きなようにいる。家族もいれば仲良しと集まる馬もいる。ウマが合うというやつだ。幹にゴロゴロ背を当てるのもいる。これは痒いからか。ウマい会話でもしてそうな雰囲気もある。

山水人物図  ちょっと不思議な絵である。枯葉が桜に見えるくらいのマジックがある。
左端でだらーんと三人茶を飲んでいたりもする。右には小さい茶席の支度をした家もある。

酔老図   酔っぱらいの爺さんたち。この画題が好きなのか構図は違うがけっこう見る。
めんどくさい爺どもである。世話なんぞ絶対しないぞ。

福禄寿図   これまた色々言いたいことがある。鶴よ…爺さんのはだけた胸を見て何か楽しいことがあるのか。爺さんは爪長。
どうもねえ…近年コロナのせいでか、爪長いのを見ると切りなさいと言いたくなるのよ。

山水花鳥人物図   10点並ぶ。夜半亭のサイン入り。暗いめの色。トンビが二羽、カラスが三羽。五枚目の山水画、右上に飲み込んだものを吐くような顔の岩が見える。

ああ、国宝の「十宜帖」は後期だったか。残念。本当なら5/9までは展示されてたんだなあ。

柳陰渡舟図   漢詩がある。もあもあした柳が左側にあり、そちらへ向けて小舟が。六客いる。
柳陰渡舟図の漢詩 
東岸客既去
西岸客得△
渡頭日如此
不見王孫図

これグーグルの自動翻訳したらこうなったよ。

ヨルダン川東岸に行くとヨルダン川西岸から来訪者が訪れますが、ドゥトウの日には王スンユは見えません。

なんじゃこりゃー になりましたなあ。

深林孤屋図   つまり「ぽつんと一軒家」です。

さていよいよいいのが出てきた。
奥の細道図屛風  山形美術館(長谷川コレクション) この頃くらいからの字がまたよいのよ。
尊敬する芭蕉の旅を己もゆく。今でいう聖地巡礼。
そしてこの旅は非常に大きな恵みを後に蕪村に齎すことになる。
これは屏風なのだが、巻物の形の「奥の細道」は逸翁美術館にもある。
佐藤兄弟の妻二人、琵琶法師などの挿絵がある。

芭蕉像  金福寺(京都市) リアリズムの肖像。15ばかりの句も。
このお寺に残る扇柄の文台とハマグリ柄の重硯箱も展示されていた。

「日の春を」画賛   あんまり綺麗ではない鶴が登場。
ところで赤江瀑「禽獣の門」には山中に隠れ住む巨大な鶴が登場する。それを読んで以来、どうもわたしは鶴が怖くなってしまった。まあここに描かれた鶴はそんな恐怖心も持たせない鶴なのだが。

「女倶して」自画賛  ははははは。女倶して内裏拝まん春の月 
大臣とおつきがいる。ただしこれは願望なのである。

弟子の呉春とコラボして書いたのもある。
呉春は爺さんが女をつれて共に歩くのを描いている。願望の実現だね。蜘蛛の巣柄の女…

俳画の面白さはさすが。俳句専門の柿衛文庫で俳画の展覧会ばかりを見たが、蕪村の俳画は味わい深く面白かった。
個人的に芭蕉より蕪村の句の方が好きなので、蕪村の句のbotをフォローしている。

話は飛ぶがわたしは大体こういうところがある。
ちょっと乱暴な挙げ方をすると、
樂だと初代長次郎より三代目の道入、ノンコウが好き。
利休より遠州くらいがいい。
家康はきらいだが、幕末になると可哀想な気持ちがわく。
…全然比較になってないので何が言いたいかも伝わらないだろうが、まあそういうことです。

絵物語風な解説。


「たちはなの」自画賛扇面   白地に紅葉柄で、どことなく乾山を思い出すようなところもある。女と爺さん。

円山応挙画・与謝蕪村賛  「銭亀や」画賛扇面  文化庁  泳ぐカメを応挙、賛は蕪村。
ご近所さんの楽しいコラボ。

近江の蕪村と呼ばれた横井金谷の三顧の礼の絵もあった。草深いところへ訪ねてくる劉備。
山中のずっと奥の建物で孔明が。…ここの敷地大きいな。

与謝蕪村著・呉春画  新花摘(写真展示)  早稲田大学図書館  いい感じの師弟本。ゆるい感じが楽しい。 日記と言う暦風。
19日は坊主に木魚で、「狸の戸に音つるるは尾をもて叩くと人云めれど尤もにはあらず。戸に背を打つくる音なり」
尻尾やなしに背中でゴンゴンするんかい。

加藤逸人  虫の声(写真展示)  早稲田大学図書館  こちらも本で、中村芳中の出した光琳の本のダブルパロでもある。あれ自体が芳中の描いた絵で、こちらは更にそれを蕪村が描き替えての…二次創作の二次みたいなもんかな。

安永三年春興帖(写真展示)  早稲田大学図書館  俳文集。楽しい日々を書き留めている。句も色々ある。江戸時代の文化レベルの高さがよくわかるわ。
りぼんをつけたぶち猫が寝てるのも可愛いし、井筒をのぞく烏帽子の男とかもいる。

また蕪村の肉筆画に戻る。

与謝蕪村  寒山拾得図  文化庁  出た―!けったいな二人組。スリッパとつっかけの二人組。サンダルでもわらじでもないぞ。

松林帰樵図  逸翁美術館  柴刈りの親子。根上松が並ぶ中を。

与謝蕪村・呉春  白箸翁・元政身延詣図  逸翁美術館   タイトルは隷書風。しわしわ爺。ちょっとルパン三世の「マモー」を思い出すくらいのしわしわ。

「又平に」自画賛  逸翁美術館  赤い頭巾を載せた又平が機嫌よく…
この絵は逸翁美術館の。同じのは伊丹にもあるが、「うちの方が可愛いでしょ」とどちらの方も言われたの、とても好き。

「雪月花」自画賛  逸翁美術館  雪月花 ついに三世の ちぎりかな  義経と弁慶の二人ね。好きな作品よ。共に風流を楽しむ…そう、わたしのフジョシ心直撃よ。

今回これは見れなかったの。こいつ。
「火桶炭団を」自画賛  東京黎明アートルーム
可愛いよねえ。この火桶と化け猫は蕪村の二大キャラだと思うよ。

「四五人に」自画賛  躍る人々。琵琶法師、奴さん、女、月下で踊る。

薄に鹿図  愛知県美術館(木村定三コレクション) これも好きでね。よく肥えた鹿。
鹿のおしりと小さい目がポイント。

「涼しさに」自画賛   今回のイメージキャラクター、Tシャツのうさぎさん。その名も「卯兵衛」さん。
九十九袋(やしゃぶくろ)という土地に言った話が記してある。人間の「宇兵衛」さんが麦をつくのをみての俳句も。
「涼しさに 麦を月夜の 卯兵衛かな」
可愛いなあ。
そういえばうさぎのファッションも色々ある。
ちゃんちゃんこだと「カチカチ山」。廻しだと浮世絵のうさぎのお相撲さん。シャツはこの卯兵衛さん。ウサギ

やはりこのあたりの俳画がいちばん好ましいな。
字も絵もいい感じで。


タイミンぐが合わず見れなかったのはこれ。
「春の海」自画賛  
「春の海 ひねもすのたりのたりかな」
蕪村の俳句で一番最初に衝撃を受けた句。
なんというか、のんびりした風景なんだが、打ち寄せ返す波の和やかさがそのまま自分の中にも来たのだよ。
「永遠」の観念というものを感じたなあ。


そしてこの句を知った直後に今度は筝曲「春の海」をオルゴールで聴いて、これまた撃たれた。サビをネジが止まるまで無限ループするオルゴールなんだが、波が打ち寄せる様子が変幻万化しつつ、しかし一つのものでもあるということに、衝撃を受けたのかもしれない。
宮城道雄の名曲。

「岩くらの」自画賛  愛知県美術館(木村定三コレクション) これは名古屋で見て絵葉書を持っている。以前にも感想をあげたが、今もほぼ同じことを思う。
紫陽花が咲く空間を杜鵑がシャッ と飛ぶ。
そこに「岩くらの狂女恋せよほととぎす」
構図はスカッとしているが、色はスカッとはしていない。
解説に「杜鵑一声」は暗いイメージのようなことが記されているが、それはちょっと違うような気もする。ただ啼く時間が時間でもあるからか。
杜鵑は「杜鵑一声」という言葉もあるが、一声鋭く啼いて真っすぐに飛んでゆくのだ。
伊藤彦造に非常にかっこいい少年武士の絵があり、そのタイトルも「杜鵑一声」。
京都の岩倉は昔から精神病者の療養地で有名。上村松園さんも「花筐」の照日の前の顔を描くためにスケッチに行っている。



続きもののような絵がある。鳶とカラスの寒そうな絵。
鳶鴉図  北村美術館  これは実に名画と言うよりない名画で、非常にいい。北村美術館はチラシはくどくどしくなく表紙に一点もので裏は白というのをだすが、この絵を使ったチラシは特にカッコよかったなあ。
右の鳶の目が丸くて可愛い。猛禽とはいえなんかいいのよ。

風雨鳶・雪中烏図   これはもしかすると初見。鳶は雨の中に止まり、カラスは雪の中を飛んで行く。鳶は一羽、カラスは二羽。

アテレコするとこんな感じかも。
カラス「うーんうーん、寒い…」
鳶「いや、おれは耐えるぞー」
カラス「もぉアカンー」
鳶「ううう、おれは我慢するぞぉぉ…」

たぶん、そう。

山野行楽図屛風  東京国立博物館  右 月下に馬に乗って道を往く。草の道。
左 山の中を往く酔っぱらいたち。こいつら「商山四皓」メンバーなの。
世話をする若い奴らは人柄良さそう。
蕪村の描くいきものはヒトもどうぶつもみんなけっこう人柄良さそうで、悪人面とまでは言わんけど、ちょっとイケズなのは高士のような気がする。

富岳列松図  愛知県美術館(木村定三コレクション)  ずらーっと並ぶ松がどうもキャラが立ってるようにも見えるのよ。右には白い山があるが、その名前は知らない。
あれかね、神話の時代に富士山に蹴られて低くなった山かね。

月下観梅図   丸顔のおっさんが家から梅を楽しむ。

いいものを楽しませてもらったが、それだけに途中で閉幕は本当に残念…
早くコロナが収束して好きな処へ行き来できるようになってほしいわ。
長々と脱線したり好き勝手書いたりしたけど、とりあえずここまで。

以前の蕪村展の感想など
ひねもす蕪村
俳人 蕪村
俳画のたのしみ 近世編
若冲と蕪村 第三期
俳画の美 蕪村と月渓
蕪村と呉春 雅俗山荘での最後の展覧会
今年は蕪村、呉春展の当たり年なのだ

「絵画 村山家ゆかりの画家たち」をみる その2

2021-04-22 00:23:39 | 展覧会
続き。


小磯良平 薔薇 1955  
丁度労働者の絵や抽象表現も始まりだしてたかな。その時代でもこうした重厚な薔薇の絵を描いている。
この翌年から小磯は武田薬品の薬用植物園に咲く花々をその機関誌に描くようになる。

川口軌外 柘榴1 1939  ナマナマシイ爆ぜ方の柘榴。スペインのボデゴンを思い出させる。


杉山寧 鯉 1959  エメラルド色の水中に泳ぐ白い鯉。しぃんとした光景。後のスタイルがこの頃すでに確立されている。

川西英 薔薇 1958頃  白に青の濃い背景に黄色と赤の薔薇。明るくていいなあ。

栗原忠二 芍薬 1923  ふわっとした花びらの質感がよく出ている。綺麗な花。

ここで肖像画が並ぶ。
宮本三郎 村山長挙氏 1944.12.14  
東郷青児 姉妹(村山美知子、富美子) 1944
どちらも水彩画でそれぞれの画家の特性が出ている。全く知らない人々なので画家の仕事以外は何もわからない。
ただ、姉の方が柔らかく、妹の方がしっかりめなのはやはり「姉と妹」らしくて面白い。

山下摩季 富士越龍 1960  横長の画面に広がる龍。竜のまとう空気感のようなものが伝わる。

ここからは近世絵画
花鳥図屏風 18世紀  三段に分かれている。一番上は金地、中辺りが飛ぶ鳥、下には花々やその蜜を吸う鳥などがえがかれている。雀が可愛い。

葛飾北斎日肉筆画帖 1835  最晩年の仕事なのだが、力の衰えは感じない。

鷹が可愛い。これはアタマをかいているのかもしれない。なんとなくちょっと甘えてるようにも見えて、そこが可愛い。猛禽でも可愛いものは可愛い。

伝・円山応挙 菜花に猫図 19世紀  これは好きな絵で以前から絵葉書をめでている。かわいいなあ。菜の花だけでなく菫も咲いていて、ねこもにゃあとした顔つき。
蝶々はいないね。いたら吉祥画になるのかな。


伝・応挙 歌仙図  文屋、遍照、業平の三人がいた。

渡邊南岳 観桜美人図  枝垂桜を愛でる二人。一人は女中だろうか。

黒田稲皐 群鯉図 1823  この人の絵も仲間入りか。鯉狂いの絵師。府中市美で見た時にはギョッとしたな、魚だけに。←金カムの尾形のようなことを言う。

原在中 鯉図 1832  これは前々からここで見ていた。二匹の鯉を腹を合わせるようにして括ってる。
たぶん鯉こくにでもするんだろうなあ…

原在泉 立雛図  明治のお雛様図。

伝・狩野探幽 戯画図巻 なんか野原で宴会してるんだが。
猩々と陶淵明と人麻呂(人丸)


西行にお酌するのは牛若丸?酒呑童子の横には婆さんの小町、もう一人の名が読めない。


給仕するのは鬼たちかな、よく働くがおこぼれちょうだいもいるな。


将軍塚絵巻模本 17-19世紀  この元本は高山寺のか。前にも他で見ているな。
塚を拵えようと働く人々。田村麻呂だったかな。そういえばわたし将軍塚行ったことないわ。

今はもう後期開催中なので展示替えされた分を見に行きたいと思う。

「絵画 村山家ゆかりの画家たち」をみる その1

2021-04-17 16:25:36 | 展覧会
御影の香雪美術館では村山家から寄贈された絵画を今回初めて展示している。
「絵画 村山家ゆかりの画家たち」
このタイトルにある通り、様々な画家たちが朝日新聞社主・村山龍平とその娘婿・長挙をはじめ一家に贈ったり、依頼に応じてその場で即興的に描いた作品が集められている。
これらはHPによると、昨年亡くなられた村山美知子さんが寄贈されたとのこと。
長寿を保たれた美知子さんは長年にわたって村山コレクションの保存に熱心に取り組んで来られたそうで、おかげでわたしたちはこの御影そして中之島の香雪美術館で素晴らしいコレクションを愉しませてもらえている。



チラシ表に選ばれたのは池田遙邨「朝日新聞大阪本社」1960
池田遙邨は「美の旅人」と呼ばれ、50代以降は山頭火の足跡を追ったり、東海道を徒歩で何度も往来したりする人だったが、大大阪の都市美をも楽しく描写する人でもあった。
89年の京近美の池田遙邨の遺作展の宣伝をTVで見て衝撃を受けたのも忘れられない。
92年の高島屋での「美の旅人」展もまことによかった。
この二つの池田遙邨展がわたしの中で、ある種の世界観の変移を起こさせたのだ。

夜の土佐堀川に浮かぶボートも可愛いな。それを柵から見る二人も。
(ここはカップルではなく、ぜひとも「アベック」と言いたい)
ほのぼの大阪。
ちなみにこの頃の大阪朝日新聞社はこれか。

現在はフェスティバルタワー。

中村不折 神武天皇御即位 1916  神武天皇と言えば八咫烏だが、その八咫烏はJリーグの象徴にもなったけれど、ここにはいない。多くの人が集まる中での御即位。中村不折は古代中国、日本神話などに材を取った堅固な油彩画と洒脱な挿絵と書と、三つの方向でいい作品を多く残している。久しぶりに彼のコレクションや作品があつまる書道博物館に出かけたくなった。

安彦良和「神武」は「ナムジ」の続編と言うか同じキャラの現れる物語ではあるけれど、時代は流れ、そこではナムジの息子ツノミが神武の為に命がけになる話が綴られる。
「天孫降臨」はあくまでも勝者側の見方で、敗者は受け入れるしかないわけだが。

ラビンドラナート・タゴール 仏陀に帰命す(ナモ―ブッダ―ヤ) 1916  詩聖タゴールが来日した際にベンガル語で綴ったものがある。
仏教的な言葉をここに記したのはタゴールがそれだからではなく、村山達日本人への言葉であるのだろう。
この時に撮った集合写真はwikiのタゴールの項目に出ている。
大観、川口慧海らも一緒。
また個人的には、タゴールと言えばサタジット・レイの映画や、アンジェイ・ワイダ「コルチャック先生」でユダヤ人の子供らが自分らの暗い運命を前に、死を恐れぬよう、理解しようとタゴールの作品を演じるシーンが、深く印象に残っている。

横山大観 正気放光 1955  金色の光が一斉に放たれている富士山。

画像になるとまた違うように見えるな…
タイトルは同じ水戸の藤田東湖の詩「正気の歌」から。冒頭を写す。
「天地正大の氣、粹然(すいぜん)として神州に鍾(あつま)る。
秀でては、不二(ふじ)の嶽(がく)となり、巍巍(ぎぎ)として千秋に聳(そび)え、
注ぎては、大瀛(だいえい)の水となり、洋洋として八洲を環(めぐ)る。」
水戸の書生っぽさが老大家となっても残っていたという大観だから、それでよろしいんや。

岡本一平 村山朝日社長 1912-22  肖像画。洒脱な筆致で夏目漱石のそれを思い出させてくれる。いい感じの「漫画」なんだよなあ。
かの子、太郎というヒトビトと家族だというのを思うと、逆にものすごく真っ当な人なのではと言う先入観があるのだよ…

大谷尊由 大瀧図 1934  171.4x71.5の大きな掛け軸いっぱいに水しぶき、下に青波、イワツバメ飛ぶ光景。
村山龍平の息子・長挙に贈ったもの。
大谷光瑞の弟。彼の書画は思文閣のカタログでよく見たが、かなりたくさん書画が残っている。
兄の大事業・大谷探検隊の財政援助をしたが、例の疑獄事件のため、兄の後も継がず、その後は貴族院議員となった。この絵はその時代のもの。
ああ、やっぱり大谷探検隊が好きだ。
茶の湯で使う羽箒も大小揃って村山に贈り、それがここにある。アメリカの鷲羽根らしい。

ラファエル・コラン オデオン座天井画の素描 1889頃  美人画。最初に資料で見たとき小磯風な美人にも見えた。いいなあ。天井画自体は行方不明となったそうなので、こうした素描は大事だ。


河合新蔵 風景(初夏の散策) 1910  緑の濃い風景。洋装の人々の後ろ姿。木の影がゾウの神様に似ている。
かれは吉田博の妻・ふじをの姉の夫。
…次女が婿を取って跡取りになってる、というのではなく、やはり博少年の才能に吉田が惚れ込んだというのがいい話だなあ。

吉田博 往く秋 1910  茶色い風景。向こうに白い山々、平地に遠く村。明治の洋画。遠近の面白さ。


堂本印象 藤娘 1955  大津絵のそれを印象風に描く。顔を隠して藤を担ぐ娘。
ここで歌舞伎舞踊「藤娘」について解説が入っている。
六代目による偉業の一つ。演出の変更。

印象 清風 1940  白鷺が一羽、木に止まる。後ろの跳ね毛が風を感じさせる。
薄紫の背景がそっとあるのもいい。

印象 ベニス グラン・カナル 1953  外遊した成果の一。来たゴンドラを眺める・待つ二人の女の後ろ姿。ここではその先は水上のみで建物は見えない。

同じシチュエーションでもゴンドリエのポーズが異なるのが印象美術館に所蔵されているそう。わたしは未見。そちらは建物も描かれている。
時間の推移のようにも思える二作。

印象 回春 1952  …川と土手とを描いている。小高い丘。小屋もぼんやりと。水面には白い木が映る。素直にタイトルをみることにしよう。

印象 背戸の水車 1955  これはもうモダンな筆致・表現のもの。金と黒と緑の抽象的な作品。かっこいいよ。

土田麦僊 黎明 1925  丑年だから元旦に牛の絵。二頭の牛が並ぶ。目元に個性がある牛たち。


山口華楊 白梅 1950  メジロかウグイスか実はよくわからないくらいの小鳥が止まる。
ほっとする一枚。

伊藤廉 栗と柘榴 1935  濃いなあ。開いてるのと閉じてるのとがある。ああ、この時代の洋画だなあ。

長くなるので一旦ここまで。

東京藝術大学大学博物館で渡辺省亭展を楽しもう

2021-04-02 23:33:43 | 展覧会
近年少しずつ世間の認知度が高まりつつある渡辺省亭の大きな回顧展が東京藝術大学大学美術館で開催されている。
これまでなかなか彼の作品を目の当たりにすることは出来なかったが、この展覧会があることで彼の画業の魅力が多くの人に知られるようになれば、とてもめでたいと思う。

開幕前の26日に内覧会へ出かけ、許可を得て撮影させていただいた展示風景などを手掛かりに、渡辺省亭の魅力について、勝手ながら記したいと思う。

まず地下二階から展示が始まる。エレベーターで降りると、まずはイントロダクションとして映像展示がある。
省亭の仕事やその方向性などについてのことがここからわかる。
そこを過ぎると赤坂の迎賓館内部を飾る七宝額の原画たちがこのように素敵な設えで観客を出迎えてくれる。



そういえばわたしが最初に省亭を知ったのは、NHKスペシャルの迎賓館の特集番組だった。
加賀美幸子さんのナレーションでね。
原画を省亭が担当し、それを濤川惣助が無線七宝で拵える。
花鳥画の粋を改めて目の当たりにするような作品と建物空間の美にときめいた番組。
前後期でここの作品も入れ替わるので、どちらも観たい人はぜひ。
それにしても明治の職人の凄腕には驚くばかりなりよ。

前掲のチラシを見てもらってもわかるように、何と言うてもやはり省亭は花鳥画の、それも薄紅色の使い方も艶やかな、牡丹の絵が素晴らしい。
こういう色調を絹の上に表現できる技能の高さに、ただただ息をのむばかり。
今、古い時代のものの方に美を感じる人が多いのは、やはりこうした作品を知るからではないかとも思う。

一方、省亭は美人画も素晴らしい。
ここにあるのは江戸の四季美人や故事来歴に登場する美人たち。



一瞬すっきりした表現に見えるけれど、目元の艶めかしさにときめく女人ばかり。
じっくりと眺めてほしい。
「塩冶判官の妻」の風呂上り姿の図。芝居で言う「顔世御前」というところだが、これは「前賢故実」から採ったもので、わたしが最初に観た省亭の美人はこの人だった。
あれは奈良そごう美術館で見た気がする。

室津の遊女も白衣観音も本当に皆とても綺麗。
ここでイヤホンガイドが活躍する。
省亭の奥さんはかなりの美人だったそう。
その奥さんの面影を美人画に投影させているという息子さんの話などもこれで知る。
美人の奥さんを自作にという画家は少なくない。
日本画だと山川秀峰が有名だし、洋画では山下新太郎がいる。むろん他にも…
こういうことをちょっとばかり知るのも楽しい。イヤホンガイドからはそうしたこぼれ話も聞くことが出来る。

主に明治に活躍した人だけに明治20年代の雑誌興隆期にも大いに関与した。
本画ばかりが持て囃されるご時勢ではあるが、省亭はそんなことも気にせずよい仕事をしている。
明治の四大文豪の一人で今では逆に知る人も少なくなった山田美妙、彼の本の挿絵や口絵を担当している。



なんとこの時期に裸婦を描いている。
いいものを見れて嬉しいわ。

今回の展覧会でこれまで何故省亭が「忘れられた」存在だったかについても解説がある。
かれは展覧会に出品することで世に作品を知らしめようとする人ではなかった。
個人的な受注を受けて作品を制作する人だったのだ。
これは上方、特に大阪に多いパターンなのだが、浅草育ちの省亭もそういう仕事のやり方を選んだのだろう。
そのために個人コレクションが主体となり、当時素晴らしい実力と名声と需要があっても、後世になかなか伝わらなかったようだ。
所蔵先を見ると、諸外国に納められているもののほかに、白澤庵、培広庵の名が出ていた。
世田谷の斎田記念館からも作品が来ている。これは嬉しい。
斎田記念館は江戸時代の名残を思わせる大きな大きな邸宅の一隅にある記念館で、蒐集品は幕末から明治のご当主が集められたものなのだった。
納得する。

他に動物画も戯画も素晴らしく、また作品はこの対幅だけだが、書にも深い味がある。


濤川の無線七宝の壺は省亭の原画。二人のコラボは奇跡の美を生み出した。


今の世になって再びこうしてスポットライトが当たるようになったのはとてもめでたい。
図録は小学館から刊行。いい造りの本。

往ける方は明治の素晴らしい作品をぜひとも目の当たりにしてほしい。
5/27まで。
その後巡回などもある予定。

2021.3月東京ハイカイ録 その2

2021-03-29 17:18:12 | 展覧会
さて今月二度目の東京ハイカイ録。
今回は3/26金曜日にお出かけでござる。
この日はもともと休暇を取っていたのだけど、そこへありがたくもTakさんから東京藝大美術館のブロガー内覧会のお誘いが来ましてね、お受けしました。
というわけで青天白日の下、東京へ向かう。
新幹線が静岡過ぎたとき、運転手さんが富士山が見えますと案内が入る。
ああ、綺麗ね。均整の取れた富士山をぱちり。

そういえば先週の帰りの新幹線はN700Sという最新号で、座席全部にコンセントがついていた。椅子はまだ固いけど、色々新しくなっていてこれからはこのタイプが主流になるのならよいなと思ったよ。

東京駅につきまして、小川町経由で東府中へ。笹塚乗り換えがいちばん気楽。新宿乗り換えは凄いニガテなの。
調布まで準特急、それから普通に乗っていくと菜の花畑も見えて綺麗だった。
府中。自衛隊のところの桜もキレイし、公園は桜並木だけでなく黄色い花も綺麗。
いいなあ。


府中市美術館、恒例の春の江戸絵画祭。今年は与謝蕪村。上方のわたしには親しい絵師・俳人だけど関東では数年前の「若冲・蕪村」展くらいしか大掛かりなのないから、期待は大きいのではないかな。
感想の詳細はまた後日。なるべく早くしたい。たぶん蕪村はわりに早く書けそう。
ミニ屏風拵えました。

時間の都合で常設を見ずにそのまま駅へ向かう。初めて中華の食堂「スンガリー」に入る。
丁度一時過ぎたところなので逆に空いていた。最近はこの辺りもだいぶお店が増えてきたね。
具が多いおかずでした。わたしはご飯少ない目たのんだら10円割引に。
また次も行こう。

乗り継いで今度は九段下経由で竹橋へ。
2時半からの予約に従い、東近美「あやしい絵」展へ入る。
今回かなりの作品の撮影が可能なのにも「ををを」になったね。
作品のチョイスもいいが、先行して刊行されている長谷川Q蔵さんの「あやしい美人画」本とラインナップがやはり等しいところがある。あたりまえだわな。
弥生美術館からもたくさんの作品が来ていたし、上方の画家たちの作品が多いのや青木繁コーナーがあるのもよかった。
清方「妖魚」「刺青の女」、甲斐庄楠音「畜生塚」、青木繁「大穴牟遅命」が同じ会場にある、と言うだけでもドキドキするよ。

少しばかり北の丸公園を散歩。乾門にもちょっと立ち寄ったり。

桜、椿、サツキが咲いているのがよろしい。
もう閉鎖された工芸館…旧近衛師団司令部庁舎を眺め、それから戻る。

竹橋から日本橋経由で上野の9出口、パンダ橋を過ぎて藝大美術館へ向かったが意外に時間がかかったな。
わたしの足がイマイチなのも理由の一つか。
近年少しずつ人気が高まりつつある渡辺省亭の展覧会。
わたしもまだ美術ブロガーとして認識されているようで、ありがたく参りました。

虹さんにお会いしたけれどマスク越しでお話がままならぬのも淋しいものです。
しかもわたしのつけ方が悪いのかイヤホンガイドが全然挟めない。おかしいなと思ったら、マスクに擦れてたのか、耳の後ろが怪我してるじゃないの。…あっ某薬の後遺症でのあちこち出血の一端かも。

思えば省亭の作品を最初に知ったのは迎賓館の七宝焼きの花鳥画装飾からか、奈良そごうでみた展覧会からか。どちらにしろ80年代末から90年代初頭の話だよなあ。
近年は加島美術さんが力を入れて推しておられるが、やはり綺麗なものを見ると心が浮き立つよ。
機嫌よく拝見いたしまして、Takさんにも久しぶりにご挨拶したり、あべまつさんにも再会できたり。
だけどタイムアップ。皆様さらばー。


上野駅で崎陽軒のシウマイ弁当購入してから大丸寄ったり色々する間に新幹線の時間。
…めちゃくちゃぴったりやったな、我ながらこのタイムテーブル。
あとはもう機嫌よく乗って帰るしかないけど、けっこう混んできてて、状況としてはどうなんやと思いつつもまあ22時過ぎには帰宅できました。
多忙を口実には出来ないけど、なんとか全部感想を早い目に挙げたいと思う遊行でした。