ゆうくんちの日常

ショウガイジの居る家庭の日常をありのままに。

ケセラセラ…とは違う気質

2005年03月22日 | リエの気持ち
福岡沖地震から3日目。
家族・親戚の安否確認の後、友人たちの安否に気を揉んでいたが、昨日今日のうちに続々と報告が入ってきた。
何はともあれ、みんな「命」は無事だった。ケガもナシ。

居住区によって被害の差は激しいようだ。
食器の数点が割れたりひびが入ったりというのが殆どだったが、一番酷い被害に遭った友人は九死に一生を得たという言葉がぴったりくると言っていた。

デザイン事務所をやっている友人は、徹夜明け、いつもなら仮眠を取るはずのソファの上に、資料の本関係がぎっしりと並んだ本棚が3つ、倒れ込んでいたという。
圧死してもおかしくないような状況だったが、たまたまその日に限って眠らずに、録り溜めていたビデオを違う場所で見ていたのだという。
「俺はツイとるなぁと思いましたよ。あっはっは。」と、最後は笑い飛ばしていた。
事務所の大事なMac2台が動かなくなったり、不安定だったりしているらしい。
その他の数台は何とか無事なのが、本当にラッキーだ。

自宅の方が散々な状況で、食器棚は倒れ、ドアは塞がり「嫁さんは腰抜かしたみたいですが、そうじゃなくても簡単には外に出られん状況でした。」とのこと。
彼女はどれだけ恐ろしかったことだろう。
「まぁ、それでもケガもなかったしですね、不幸中の幸いやったと思います。」と彼女。

「あの…。なんかわたしに出来ることはない?なんか必要な物とか?」と聞くと二人揃って
「いやー。どげんかなるでしょう。うん。どげんかします。」
「なら、妹さんとこからイチゴでも(笑)」←勿論冗談です(よ、美香)
という答え。

この「どげんかなるでしょう」というのは「どうにかなるでしょう」という意味だ。
これだけで聞くと「なるようになるさ」みたいなニュアンスだが、後に続く「どげんかします」という言葉は、「自分でどうにかする」という意味で、ケセラセラ的な感覚はないのだ。
人に頼らず、自分で何とかするという、こう前へ前へ!みたいな感覚というのか…。
彼らだけが特別なのではなく、わたしの周囲の人間(【福岡の】という括り)は、殆どこういう考え方や言い方をする。

かと言って、他人を拒絶している訳では決してない。
その証拠に(?)困った人がいればさっさと手を出し口を出し(笑)お礼を言えば「よかよかー!」である。
甘え下手ともちょっと違うような…。人のために何かをするのは気にも留めないが、自分が何かをしてもらうというのは「大丈夫大丈夫」なんて言って、一度ではうんと言わない。
何ともややこしい気質なのだ。

これは離れてみてよーく判ったこと。
自分が住んでいる時はそれが当たり前だったので気にもしなかった。
ユウヤと在宅生活に入ってから、目の回るような忙しさに余裕のなかった時、やっぱり「誰かの手を借りたら?」「手伝うことない?」と言われて「いや、大丈夫大丈夫!」とココロにもないことを言ったわたし(笑)。
完全にその気質がなくなった訳ではないが、今は素直に「助けてほしい」と頼めるようになってきた。
よくよく考えたら、福岡にいる時は「助けて!」と言わなくても、誰かが「ちゃっちゃっちゃっ」と物事を進めてくれていたのだ。(その時ユウヤは居なかったけど)
そういう頼れる人間が居ない今の環境では、こちらから誰かを探して頼まなくてはどうしようもない。
今までのほほーんと人に頼っていたことと、素直に甘える難しさを、実感した数年だった。

福岡の親戚や友達は、そういう意味で「ちゃっちゃっちゃっ」の仲間がたくさんいる、とっても素晴らしい環境にいるのだと思う。
行政が何かをやってくれるのを待ってる人たちは少ないだろう。
(勿論、被害が膨大ではなかったというのは大きい。)
先の友人も、事務所と自宅の両方とも近所の人たちと連係しているようだ。
二次災害の火事でも、消防車が到着するまで、近所の人たちと火が拡がらないように消化器で消火活動に励んだらしい。
そのお陰で被害も拡がらなかったし、けが人も出なかったのだという。
この暮らしぶりはわたしも見習わねばならないところだと思う。

デパ地下の実演販売では、大量の熱湯と油をかぶった人が二人居て、その一部始終を目の前で見て気が遠くなったと別の知人が言っていた。
阪神淡路大震災を経験している、叔母のお店で働くスタッフは、「またなの?」と、もう動けなくなってしまい、涙をこぼして座り込んでいたそうだ。
飼っている猫もフェレットも怖がって物の隙間に入ったまま出てこられないらしい。
「地震の後の精神的ケアが必要って本当ですね…」と友人が言った。

「それでも、どげんかしてやっていかんといかんけん。がんばろうや。」
(それでも、どうにかしてやっていかないといけない。がんばろうよ。)

励まし合う人たち。
どこまでも「よかよか」「ちゃっちゃっちゃっ」気質なのだった。

*TB
AST -Ayumu_s Textile-地震とあの映画 -『BATTLE ROYALE』のラスト・シーン

スプリングコンサート

2005年03月20日 | モブログ
昨日、地域のとある会が開催する、スプリングコンサートに家族揃って出かけた。
ボランティアグループによる演奏、歌、読み聞かせや、会員である知的障害者2名のピアノの演奏等など楽しいひとときだった。このチュウリップはユウヤに贈られたもの。

どうもiMacの調子が悪い。
・・・
恐怖。

緊急伝言ダイヤル対応遅い(ちょっと追記)

2005年03月20日 | モブログ
福岡地方の大きな地震の報道を見て、すぐに家族親戚の自宅、携帯に連絡をしてみたけど、既に回線パンク中。
こうなったら伝言ダイヤルだ…と思って掛けてみたら、まだ被災地とされてないらしい。遅っ!
パンクした時点でそっちを動かせるようにしようよー。
ヒロのおばあちゃん、おかあさん、大丈夫かな。一人暮らしの叔母も心配。後は家族が傍にいるはずだから…。
津波の被害が広がらなければいいけど…。
離れているとこんな時本当にもどかしい。


■追記■
結果的に、ヒロんちもわたしんちもみんな無事でした。ほっ。
固定電話も携帯電話も繋がらないことが判った時点で、携帯メールに方向転換。
ヒロ方のいとこ、わたし方のいとこが連絡係を率先してかって出てくれた。
いつもはふざけた遊びメールでしか使わないわたしたちだが、今回ばかりは真剣。
いや、温度差は感じていたのだけど(笑)。
無事であるいとこたちは、目の前に拡がっている状態でおおよその検討をつけるから
「多分そんなに被害はひどくないはず」という前提でメールを送ってくれる。
こちらは散乱した映像をテレビで見ながら…だから、想像力は逞しくなるばかり。
気が付くと救急指定の病院をチェックしていたり。(←悪気はないのです、ホントに。)

最後まで連絡が取れなかった叔母。
叔母の方から電話を掛けてきてくれ「いやぁ、シビレたね。」と【らしさ】炸裂。
叔母はメールが嫌いで利用していない。何度もアドレスだけでも取得しろと言っているのだけど。
「電話が繋がらないこんな時は171に電話してよ」と口を酸っぱくして言っておいた。
「急にはピンと来ない」というので「もーっ!何の為に救命病棟見ようとねー!」と叱ってみたりして(笑)。
ドラマが役に立った…と報告したかったが、全然ダメだった。がくっ。
あんなに進藤センセ【ラヴ】のくせして。まったく。

真面目な話。
あれでも緊急伝言ダイヤルは、対応早かったのかな?
(この記事を上げて数時間後に設置されてた。)
こっちが先走りすぎてた?
びっくりするぐらい早くても、こちらはよくってよ。

joy

2005年03月18日 | 裕母の気持ち
哀しい切ないニュースだった。
歌手YUKIの愛児が1歳11カ月で突然死 (サンケイスポーツ) - goo ニュース

ユウヤが大好きなYUKI。
彼女の声が好きで、ニコニコしながら体を左右に揺らせていた、ユウヤ。
その頃のユウヤとほぼ同じ年の息子さんが、いつも通り「おやすみ」って言った後に、永遠のお別れをしたそうだ。
発症直前のユウヤの姿が目に浮かぶ。
きっと片言でもいっぱいおしゃべりしていたんだろうなぁ。
思い出は次から次へと溢れていることだろう。

つい先日、新作のアルバムjoyを聴き始めたばかり。
ユウヤは何回聴いているだろう?わたしと並んで聴いただけでも数回。
彼がリクエストする度に、ベッドであの可愛らしく挑発的な声が鳴り続けている。

コドモが亡くなるというのは、本当に読んで字の如く「胸が痛む」。
アルバムタイトルにもなったjoyという曲を歌う度に、これから彼女はいろんな思いを胸にするんじゃないだろうか。
そして彼女の歌声を聴く度に、わたしも言葉にできない思いを胸にしそうだ。

父親であるYO-KINGは、「24日から行う予定だったツアー「春祭り三本勝負!」を中止した」とある。
YUKIは、「25日の埼玉・三郷市文化会館から始まる全国ツアーを予定通り敢行」するそうだ。
彼女が本心からツアーをやっていたいと思っているならいいけれど…。
何となく余計な心配までしてしまう、【裕母の気持ち】なのである。


卒業式

2005年03月17日 | ゆうくんのこと
今日は小学部・中学部・高等部の卒業式だった。
うちの学校の高等部は、K養護の分教室という形で存在している。(実際は中等部からエスカレーター式)
先輩方や教職員の方々の熱心な活動で、ようやく認められた高等部の今年度の卒業生は第二回生となる。

ここからは、地域の通所施設に通うことになるのだが、通うところがスムーズに決まったことはラッキーだったと思う。
施設の数に比べて、学校を卒業するヒトの数は年々増えるばかり。
ゆうやんがその年頃になった時には、「通う」ところがあるかどうか?!という状態なのだ。
ま、そんなことはさておいて、高等部を卒業するということは、もう滅多なことでは顔を合わせないということ。
寂しくなるなぁ…と、卒業生の保護者気分。←想像力豊かな裕母ですから。
ユウヤの調子が悪くて登校できないことも多かったし、給食注入のため皆さんとお食事に行く機会も殆どなかった。
話せる時は、PTAの集まりの時くらい。時間が足りなくてなかなか細かいことは話せない。
それでも「ゆうやくん、バスに乗れるんだってね!よかったね!」と、卒業生の母に声を掛けてもらう。
「卒業おめでとうございます!」とこちらが言おうとしたその前に。
何だかじ〜んとしちゃった。

中学部の卒業生は、3年前にも卒業式を経験しているしまだ後3年在校するので、そんなに涙に暮れることもないだろうと思っていたが、それがそうでもないらしい。
「分教室」という響きが、少し離れてしまうような寂しさを感じるのだとか。そんなものかなぁ。

小学部の卒業生は、入学当時から6年間の思い出の写真をスライドで見ていると「うわ〜!このコこんなに小さかったの?可愛い〜!」と、びっくりするやら感動するやら。
他人が見てもこうなのだから、保護者の気持ちはどれだけ感動で胸一杯なことだろう。
「これ、自分達のコドモだったら号泣間違いなしだね。」と同級生の母と笑う。
あのコもこのコも本当に成長したね。

さて。うちのゆうやん。
久々に卒業式仕様?で編み込みして登校。
昨日「ねぇ。髪切ってもイ〜イ?」とユウヤに聞いたら、どんな聞き方をしても「パチ(イエス)」しない。
「えーっ。何で?!髪伸ばしてるの?」「パチ」ほんまかいな。

それをヒロに報告すると、入浴中に男同士の会話を始める。
「ユウヤ、髪短くしたくないのか?」「パチ」
「でも、あんまり伸び放題なのも格好良くないぜ。少〜しだけ切ろうか?」「…パチ」

どうやらね。もう裕母はなめられてるっぽい。軽くゆうやん反抗期入ってるっていうか。
でも、ヒロには反抗しないんだよなぁ。お風呂に入れてくれるから?だとしたら計算高いオトコだ(笑)。
ここまであからさまにされると、もう髪を切る気もなくなった。←コドモかよ
ということで、編み込みが復活したのだった。

あんまり長時間編んでいると頭が痛くなるから、帰宅後ほどいてやると↓

こんなことに↑(ケータイのヒト見られなくてゴメンね)
ウエラもびっくりっすよ。つややかなウェービー。そして栗毛色(笑)。
画像が悪いからつややかさ加減はイマイチ伝わりませんが。

反抗期の始まったゆうやんも、もうすぐ3年生修了だ。
残り少ない3−Bの思い出を作っておくれ。



全国の卒業生の皆さん、そして保護者の皆さん。
ご卒業おめでとうございます。
あなたの人生(イノチ)が輝き続けることを願っています。

春を探しに

2005年03月16日 | モブログ
今日はぽかぽかとあったかかった。
学級活動では、自然に恵まれた学校の敷地内、ご近所周りなどを「春を探しに」お散歩したらしい。
帰りの会で何の花が咲いていたか、先生達が一人一種発表。花に詳しくない先生二人がオロオロしていて、微笑ましい光景に裕母爆笑。先生をフォローするかのように拍手するJくん。キミはいいコだね。
ゆうやんは学級活動に満足し、給食も食べ、帰宅。ヘルパーさんが「あそこにミモザの花が咲いてるから、ゆうくん頂きに行かない?」と誘ってくれる。下校後も春を満喫。大袈裟みたいだけど、ゆうやんが生きている実感。

ゆうやんの作品

2005年03月16日 | ゆうくんのこと
クリスマス前くらいだったかな。学校の授業で作った「砂絵」。
ゆうやんとF野先生の共作(合作?)。
赤い☆星がポイントだとか。
小さな天使がいっぱい集まってる、ウツクシイ作品。
「ユウヤのが一番キレイ!」と親バカ爆弾発言をした思い出深き作品でもある(笑)。
爪の間にきれいな砂をキラキラと入り込ませて帰ってきた時、とっても嬉しかった。
今日持ち帰ってきたのだが、何だかもう随分懐かしく感じる。
ついこの前のことなのにね。

ユウヤの意思表示

2005年03月15日 | モブログ
今日は小児科外来受診。
問題ナシということでいつもの薬の処方。来年度用に学校提出しなければならない医師の指示書を書いてもらう。「面倒な事ばかりよく考えるよね」とは主治医の本音。思わず笑ってしまう。大人のやり取りをユウヤは寝た振りしながら聞いていた。点滴の件を根に持っているのではないかな。その証拠に診察室を出たら目をパッチリ。どこも悪いトコないぜ!というユウヤなりの意思表示だろう。
風邪を引いている時はウソみたいに体の緊張が抜けるユウヤだが、治ってしまうとやっぱり時間や気圧に左右される。先程も軽く舌を噛んで出血した。ビビるよ…。

吸引器退院

2005年03月14日 | モブログ
画像とタイトルは一切関係ありません。
一週間振りにユウヤ&裕母の相棒である吸引器が退院。
待っておったぞ。治療代は痛かったが相棒の命にはかえられぬ。
やっぱり静かだ。音楽を掛けながら吸引してもストレスにならない。
ということで、ゆうやん今日から復活しました。
・・・ま、明日は外来のため、いきなり欠席しちゃうんだけどね。

今年度のサタデーコンサート終了!

2005年03月12日 | モブログ
また当日告知になっちゃいました。本日3/12AM11時よりサタコンです。
場所は新治養護学校。出演は新治養護、地域小の先生達や保護者代表?!などなど。
思いついて出かけられそうな所にお住まいの方は(ギリギリ過ぎてゴメンナサイ)どうぞ遊びに来て下さい。
今年度最後と言うことで盛り上がる…予定です(笑)。

ユウヤはパパとお留守番ですが、裕母は広報の取材担当なので参加します。
カメラ片手に走り回りますよ(笑)。←そんな元気があればですけど?!