福岡沖地震から3日目。
家族・親戚の安否確認の後、友人たちの安否に気を揉んでいたが、昨日今日のうちに続々と報告が入ってきた。
何はともあれ、みんな「命」は無事だった。ケガもナシ。
居住区によって被害の差は激しいようだ。
食器の数点が割れたりひびが入ったりというのが殆どだったが、一番酷い被害に遭った友人は九死に一生を得たという言葉がぴったりくると言っていた。
デザイン事務所をやっている友人は、徹夜明け、いつもなら仮眠を取るはずのソファの上に、資料の本関係がぎっしりと並んだ本棚が3つ、倒れ込んでいたという。
圧死してもおかしくないような状況だったが、たまたまその日に限って眠らずに、録り溜めていたビデオを違う場所で見ていたのだという。
「俺はツイとるなぁと思いましたよ。あっはっは。」と、最後は笑い飛ばしていた。
事務所の大事なMac2台が動かなくなったり、不安定だったりしているらしい。
その他の数台は何とか無事なのが、本当にラッキーだ。
自宅の方が散々な状況で、食器棚は倒れ、ドアは塞がり「嫁さんは腰抜かしたみたいですが、そうじゃなくても簡単には外に出られん状況でした。」とのこと。
彼女はどれだけ恐ろしかったことだろう。
「まぁ、それでもケガもなかったしですね、不幸中の幸いやったと思います。」と彼女。
「あの…。なんかわたしに出来ることはない?なんか必要な物とか?」と聞くと二人揃って
「いやー。どげんかなるでしょう。うん。どげんかします。」
「なら、妹さんとこからイチゴでも(笑)」←勿論冗談です(よ、美香)
という答え。
この「どげんかなるでしょう」というのは「どうにかなるでしょう」という意味だ。
これだけで聞くと「なるようになるさ」みたいなニュアンスだが、後に続く「どげんかします」という言葉は、「自分でどうにかする」という意味で、ケセラセラ的な感覚はないのだ。
人に頼らず、自分で何とかするという、こう前へ前へ!みたいな感覚というのか…。
彼らだけが特別なのではなく、わたしの周囲の人間(【福岡の】という括り)は、殆どこういう考え方や言い方をする。
かと言って、他人を拒絶している訳では決してない。
その証拠に(?)困った人がいればさっさと手を出し口を出し(笑)お礼を言えば「よかよかー!」である。
甘え下手ともちょっと違うような…。人のために何かをするのは気にも留めないが、自分が何かをしてもらうというのは「大丈夫大丈夫」なんて言って、一度ではうんと言わない。
何ともややこしい気質なのだ。
これは離れてみてよーく判ったこと。
自分が住んでいる時はそれが当たり前だったので気にもしなかった。
ユウヤと在宅生活に入ってから、目の回るような忙しさに余裕のなかった時、やっぱり「誰かの手を借りたら?」「手伝うことない?」と言われて「いや、大丈夫大丈夫!」とココロにもないことを言ったわたし(笑)。
完全にその気質がなくなった訳ではないが、今は素直に「助けてほしい」と頼めるようになってきた。
よくよく考えたら、福岡にいる時は「助けて!」と言わなくても、誰かが「ちゃっちゃっちゃっ」と物事を進めてくれていたのだ。(その時ユウヤは居なかったけど)
そういう頼れる人間が居ない今の環境では、こちらから誰かを探して頼まなくてはどうしようもない。
今までのほほーんと人に頼っていたことと、素直に甘える難しさを、実感した数年だった。
福岡の親戚や友達は、そういう意味で「ちゃっちゃっちゃっ」の仲間がたくさんいる、とっても素晴らしい環境にいるのだと思う。
行政が何かをやってくれるのを待ってる人たちは少ないだろう。
(勿論、被害が膨大ではなかったというのは大きい。)
先の友人も、事務所と自宅の両方とも近所の人たちと連係しているようだ。
二次災害の火事でも、消防車が到着するまで、近所の人たちと火が拡がらないように消化器で消火活動に励んだらしい。
そのお陰で被害も拡がらなかったし、けが人も出なかったのだという。
この暮らしぶりはわたしも見習わねばならないところだと思う。
デパ地下の実演販売では、大量の熱湯と油をかぶった人が二人居て、その一部始終を目の前で見て気が遠くなったと別の知人が言っていた。
阪神淡路大震災を経験している、叔母のお店で働くスタッフは、「またなの?」と、もう動けなくなってしまい、涙をこぼして座り込んでいたそうだ。
飼っている猫もフェレットも怖がって物の隙間に入ったまま出てこられないらしい。
「地震の後の精神的ケアが必要って本当ですね…」と友人が言った。
「それでも、どげんかしてやっていかんといかんけん。がんばろうや。」
(それでも、どうにかしてやっていかないといけない。がんばろうよ。)
励まし合う人たち。
どこまでも「よかよか」「ちゃっちゃっちゃっ」気質なのだった。
*TB
AST -Ayumu_s Textile-の地震とあの映画 -『BATTLE ROYALE』のラスト・シーン
家族・親戚の安否確認の後、友人たちの安否に気を揉んでいたが、昨日今日のうちに続々と報告が入ってきた。
何はともあれ、みんな「命」は無事だった。ケガもナシ。
居住区によって被害の差は激しいようだ。
食器の数点が割れたりひびが入ったりというのが殆どだったが、一番酷い被害に遭った友人は九死に一生を得たという言葉がぴったりくると言っていた。
デザイン事務所をやっている友人は、徹夜明け、いつもなら仮眠を取るはずのソファの上に、資料の本関係がぎっしりと並んだ本棚が3つ、倒れ込んでいたという。
圧死してもおかしくないような状況だったが、たまたまその日に限って眠らずに、録り溜めていたビデオを違う場所で見ていたのだという。
「俺はツイとるなぁと思いましたよ。あっはっは。」と、最後は笑い飛ばしていた。
事務所の大事なMac2台が動かなくなったり、不安定だったりしているらしい。
その他の数台は何とか無事なのが、本当にラッキーだ。
自宅の方が散々な状況で、食器棚は倒れ、ドアは塞がり「嫁さんは腰抜かしたみたいですが、そうじゃなくても簡単には外に出られん状況でした。」とのこと。
彼女はどれだけ恐ろしかったことだろう。
「まぁ、それでもケガもなかったしですね、不幸中の幸いやったと思います。」と彼女。
「あの…。なんかわたしに出来ることはない?なんか必要な物とか?」と聞くと二人揃って
「いやー。どげんかなるでしょう。うん。どげんかします。」
「なら、妹さんとこからイチゴでも(笑)」←勿論冗談です(よ、美香)
という答え。
この「どげんかなるでしょう」というのは「どうにかなるでしょう」という意味だ。
これだけで聞くと「なるようになるさ」みたいなニュアンスだが、後に続く「どげんかします」という言葉は、「自分でどうにかする」という意味で、ケセラセラ的な感覚はないのだ。
人に頼らず、自分で何とかするという、こう前へ前へ!みたいな感覚というのか…。
彼らだけが特別なのではなく、わたしの周囲の人間(【福岡の】という括り)は、殆どこういう考え方や言い方をする。
かと言って、他人を拒絶している訳では決してない。
その証拠に(?)困った人がいればさっさと手を出し口を出し(笑)お礼を言えば「よかよかー!」である。
甘え下手ともちょっと違うような…。人のために何かをするのは気にも留めないが、自分が何かをしてもらうというのは「大丈夫大丈夫」なんて言って、一度ではうんと言わない。
何ともややこしい気質なのだ。
これは離れてみてよーく判ったこと。
自分が住んでいる時はそれが当たり前だったので気にもしなかった。
ユウヤと在宅生活に入ってから、目の回るような忙しさに余裕のなかった時、やっぱり「誰かの手を借りたら?」「手伝うことない?」と言われて「いや、大丈夫大丈夫!」とココロにもないことを言ったわたし(笑)。
完全にその気質がなくなった訳ではないが、今は素直に「助けてほしい」と頼めるようになってきた。
よくよく考えたら、福岡にいる時は「助けて!」と言わなくても、誰かが「ちゃっちゃっちゃっ」と物事を進めてくれていたのだ。(その時ユウヤは居なかったけど)
そういう頼れる人間が居ない今の環境では、こちらから誰かを探して頼まなくてはどうしようもない。
今までのほほーんと人に頼っていたことと、素直に甘える難しさを、実感した数年だった。
福岡の親戚や友達は、そういう意味で「ちゃっちゃっちゃっ」の仲間がたくさんいる、とっても素晴らしい環境にいるのだと思う。
行政が何かをやってくれるのを待ってる人たちは少ないだろう。
(勿論、被害が膨大ではなかったというのは大きい。)
先の友人も、事務所と自宅の両方とも近所の人たちと連係しているようだ。
二次災害の火事でも、消防車が到着するまで、近所の人たちと火が拡がらないように消化器で消火活動に励んだらしい。
そのお陰で被害も拡がらなかったし、けが人も出なかったのだという。
この暮らしぶりはわたしも見習わねばならないところだと思う。
デパ地下の実演販売では、大量の熱湯と油をかぶった人が二人居て、その一部始終を目の前で見て気が遠くなったと別の知人が言っていた。
阪神淡路大震災を経験している、叔母のお店で働くスタッフは、「またなの?」と、もう動けなくなってしまい、涙をこぼして座り込んでいたそうだ。
飼っている猫もフェレットも怖がって物の隙間に入ったまま出てこられないらしい。
「地震の後の精神的ケアが必要って本当ですね…」と友人が言った。
「それでも、どげんかしてやっていかんといかんけん。がんばろうや。」
(それでも、どうにかしてやっていかないといけない。がんばろうよ。)
励まし合う人たち。
どこまでも「よかよか」「ちゃっちゃっちゃっ」気質なのだった。
*TB
AST -Ayumu_s Textile-の地震とあの映画 -『BATTLE ROYALE』のラスト・シーン