今日の記事は、メールをくれた若い人達に対して裕母がずっと思っていたことを、
オリンピックや高校野球をヒントにまとめたものです。
メルマガで配信するつもりだったので、それ風の文体です(笑)。
「きょうのゆうくんち」を書いていると、こんな長い文章を載せるタイミングが
全然やってこないので、ブログに載せることにしました。
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オリンピックや高校野球等は、若い人達に、より見てほしい。
『夢に向かって努力すれば報われる』ということと、
『実力や才能があってもどうにもならないこともある』っていう
対極の現実を、両方一度に知ることが出来るからだ。
その現実を自分にどう消化吸収させるかは、その人の感受性や性質によると思う。
厳しい練習やプレッシャーに耐えても尚、結果に結び付かなかったとしても
「やるだけのことはやったので後悔はしてません」というコメントを聞いて、
【やれるだけのことはやってみようかな?】も、ひとつの答えだろう。
「まだまだやれたはず、もっと強くなって次を目指す」っていうコメントには、
【自分はきついことはやりたくない、そんなにひとつのことに縛られたくない】
という答えもアリだと思う。
「好きなことをやってるんだから楽しみました」というコメントには、
【自分の好きなことを楽しんでみるかな?】くらいの軽い気持ちにでもなるかもしれない。
オリンピックは四年後を目指すチャンスがある場合もあるけど、高校野球の三年生には、
もう次はない。
だからこそ勝っても負けても涙にくれる選手たちの姿は胸に響く。
『時間は限られている』ということも
『今しか出来ないことがある』なんてことも
気付かされると思う。
ユウヤのホームページ【アトリエ F.F.】のメイン「ゆうやのあゆみ」を読んで下さった方から
感想メールが届くと、大体似たようなことが書いてある。(以下は若い人達からのメール)
●「自分は健康なのに、何をすればいいか判らなくて、ただダラダラと過ごしていて
申し訳なく思った。」
●「健康に成長することが当たり前と思っていて、子どもが言うことを聞かないだけで
自由のないイライラから虐待一歩手前までやってしまっていた。反省した。」
●「一生懸命に生きているユウヤ君とご両親を知って、何となく生きている自分が恥ずかしい。」
生死を彷徨って、新しい人生を歩み始めたユウヤは、オリンピック選手や高校野球児の
反対側で生きているのだと思う。
お互いが前進したとしたら、到達点は同じ所のような気がする。
それがどういうことを指すのか、この拙い文章を読んで下さった方の感性にお任せする。
【何となく生きている】【何をすればいいか判らない】という健康な若い人はたくさんいる。
そんなに早いうちに自分が何者で、何をするかなんて、簡単に決められないと思う。
答えは誰にも判らないし、正解があるのかどうかも判らない。
自分の目と耳と心を大事にして、
【人生を活きている人】から何かひとつでも感じ取って、
足元を見つめて、自分の人生を「らしく」生きていってほしい…な。
裕母のモットーは
「生きている限り、今できることを精一杯」だ。
これは他の誰でもない。我が子から教わったこと。
大人になっても、親になっても、こうしてまだジタバタ自分の生き方を模索中だ。
焦らずに、今できることを探してみてはどうだろう?試しに一歩歩んでみてはどうだろう?
音楽がやりたい、芝居が好き、資格を極めたい、自立したい、結婚に憧れる、留学したい…
自分の心の中に、ぽわんと浮かんでくることで一歩踏み出せそうなもの。
悩んで過ごす時間も、何かを探す時間も、同じだけしか時間は進まない。
若い頃は、周囲の大人の意見を素直に聞けない事が多い。(経験済み)
だったら、同世代の人達に刺激を受けるのもひとつの方法かも知れない。
進む道を見つけて、立ち止まったり失敗したら、その時にまた考えればいい。
じっとしている自分がもどかしいなら、そのエネルギーを「道探し」に向けてみては?
頼りにならない大人で申し訳ないけど、裕母から伝えられるのはこれくらいだ。