ゆうくんちの日常

ショウガイジの居る家庭の日常をありのままに。

在宅生活【困っちゃったとき】

2005年03月30日 | 裕母の気持ち
前記事に書いた通り、今日はユウヤのクラスメイトTっちゃん(♂)のカットに出かけた。
お天気も良かったので、ユウヤとヘルパーさんは団地内のお散歩コースをぐるーっと廻ってきてから、Tっちゃんちにお邪魔する…という計画。
その間に裕母はTっちゃんのカットを進めていた。

この時期、Tっちゃんちは親子で花粉症がヒドく、Tっちゃんも「ゴー…ガー…グワッ」と鼻づまりの状態。
苦しいし痒いし、相当凹んでいるTっちゃんは、髪の毛を触られるのもじっとしているのも、切った髪の毛がチクチクするのも我慢できーん!とキレまくっており、気の毒なほど。
Tっちゃんの急な動きは、自覚している時と不随意運動の時とある。
見慣れていないと、確かにハサミを使うのは危険だと思うしやりづらいだろうと思う。

Tっちゃんは、母に連れられて理容室や美容室に通っていた時期もある。
その度に「こんなに動いちゃ出来ません!」とか「怖くて出来ない!」だとか言われ、最終的にお店に来たことまで母は責められる始末。
お金を払って叱られて、気まずい情けない思いをして「もう懲り懲り…」という経験をした母のことも、こちらこそ怖い思いをして大きな声で「じっとして!」と言われているTっちゃんのことも、想像すると胸が痛い。

昔、一応プロとして仕事をしていた裕母としては、その理容師や美容師の人格さえ疑ってしまう。
「いらっしゃいませ」とお迎えした時には、お客さんがどういう状況の人か判るはずだ。
母も説明をして「カットして頂けますか?」と聞いているのだから。
自信がなければ、申し訳ないと思ってもその場で断った方がどれだけ親切だろう。
受けた以上、それに1円でも料金を頂くのなら、プロとして最後まで責任を持つべきだ。

「この子たち、みんなカットはどうしてるんだろうか?」と思っていた裕母だが、自分が経験していないだけに、そこまで辛い思いをしているとは…と言葉を失った。
それ以来、頼まれたら喜んで引き受けている。
コドモとお喋りしながら(ま、一方的にこちらが喋ってますが)カットして過ごす時間は楽しいし、喜んでくれる母と「あーでもない、こーでもない」と愚痴をこぼしたり「コレ知ってる?」と情報交換したりのひとときも有意義だ。

と、まぁそんなこんなで困っちゃった人が居るとき。
「あたしが出来るんならやりますよ」という心意気みたいなものでやり過ごせるのならば、その方が効率がいい。
今回に関して言えば、たまたま元美容師が居て、ショウガイジのカットに困っている人の役に立った。
が、しかし。そうそう周囲の人間だけでフォローし合えるワケではない。
それが現実だ。

裕母が個人的に【今もっとも必要としている】ことは、医療的ケアの必要なコドモを、緊急時でもさっと看てくれる看護師さんの人数確保だ。
緊急一時ケアのように、施設に連れて行くことなく「我が家」で安心してコドモが過ごせることが望ましい場合のこと。
看てくれる団体は存在するが、いつも人手が足りなくて「この日に」と急な対応は難しい。
「いっぱいです」「忙しくて…」「他の人もお断りしている状況」と聞けば、やっぱり人材確保を早急に望む。
看護師の免許を持っていて、様々な事情から一時お休みしてる人など、其処此処に潜在している元ナースはたくさん居るだろうと思う。
そう、元美容師が其処此処に居るように(笑)。
そういう人がどんどん復帰してくれないかなぁと期待している。

「急な対応」が割とうまく廻るようになれば、歯科通いを中断していたり(今朝歯の詰め物が取れちゃった)口唇ヘルペスのお薬が切れて病院に行かなくては困る裕母も、健康体に一歩近づくことが出来る。
こうして書いていても「遊び」の事情で預かってもらうこともなく、生活感が滲み出ているところに、悲壮感までもが滲み始めている気がしないでもない(笑)。
自分のことはともかく、裕母のトモダチは「のっぴきならない事情」だったり「腰痛で生活が成り立たない(大体こういうのは突然やってくる)」ほど追いつめられていたりと、たった今、この時も助けが必要なのだ。

簡単に人に預けられない重症心身障害児・者の在宅生活は、本人のQOLはもとより、家族のQOLも「医療的ケア」という壁に阻まれていることが多い。
その辺りに耳を傾けてくれる人が、ひとりでも増えることを願っている。

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*在宅生活【変化するココロとカラダ】

ゆうやんのオトモダチのカット

2005年03月29日 | 裕母の気持ち
「ゆうくんママ助けてー!」
れなちんママから電話が掛かってきた。
一体何が起きたというのだ…。こわい。こわすぎる…。
「れなの髪を可愛く切ってやろうと思ったら、すんごいことになっちゃって…」
ふぅーーー。びっくりしたよ…。ホッとしたら笑えてきた。ぐふふ。

れなちんは、4月にゆうやんと同じ養護学校に入学する。
ピカピカの1年生なのだ♪

ということで、今日れなちんとママがひとっ走りやって来た。
本当だ…。自慢のくるくる可愛い、天パというより巻き髪みたいなスタイルがっ!
れなちん落ち武者みたいになってる…。うう。

「こんなに短く切ったことはない」…とママが言うほど、短く切ってみた。
可愛らしくなったと思うんだけど…どうかしら?!
って、写真撮るの忘れてたよぉー。

母二人は沈黙することなく喋りっぱなし。
大体話しても話しても話が尽きることがないのだもの。
あっと言う間にれなちんの注入時間が迫ってきたのでお別れ。
れなちんもゆうやんも久々に会ったというのに、お互いそっぽ向いちゃって。
照れてんのかっ?!
ま、これからは学校で会えるからね。
入学式は、可愛くスタイリングしてきてねー(笑)。

明日もゆうやんのクラスメイトのカットの予約が入っている。
同じ団地内なので、散歩がてらこちらから出向いて「出張美容師(ボランティア)」やってみようかと。
ヘルパーさん(たまたま入ってくれる日)とユウヤも引き連れて(笑)。
というのも、ここの母、腰を痛めていてコドモの抱っこが出来ない。
困った時はお互い様。
人に喜ばれることが、また嬉しい裕母である。

スクールバス試乗の日

2005年03月28日 | ゆうくんのこと
4月からバス通学が出来るということで、初試乗をした。
当日は、あいにくの雨。
裕母はおバカさんなので、雨の日の想定をしていなかった。

前日に、クラスメイトの母から
「明日ゆうやん試乗でしょ?雨みたいだから状況次第でレインコート貸してあげるよ」
とメールをもらう。なんて優しい思慮深い女性…。
レインコートとはいうものの、バギーに装着する雨よけカバーみたいなものだ。
朝早くからそれだけのために持ってきてもらうのは…と、遠慮した。
バスポイントは自宅前の道路だし、土砂降りじゃなければ何とかなるだろう…と、これまた裕母の安易な「賭け」である。

で、当日は霧雨。
出勤前のヒロも参加して、こういう時は長年の付き合いにより息もぴったり(笑)車椅子に乗ったユウヤの上半身、下半身に分かれて二人掛かりで傘を差してバスへ。
学校用の座位保持イス(車椅子タイプ)をスクールバスにも使おうということになっていたのだが、リフトからバスに乗り込むと、思ったより中は狭い。
車椅子乗車の生徒はみんな上級生で、車椅子も幅が広い。
ユウヤの座位保持イスも幅が広い。安全装置のジャックも留めにくい感じ。
バス部の先生達も、添乗員さん達も「うーん…」と唸っている。

「自宅用の車椅子持ってきてくれる?!」と、ヒロに急遽頼む。
そちらの方が幅が狭いのだ。(バス遠足の時に乗ってる車椅子)
自宅用の車椅子にユウヤを移動させ、ジャックを留めてもらう。
「こちらの方がしっかりするね。」
「これだけ幅が狭いと助かるわ…。」
皆さんの評判も上々。ということで、予定とは違ってしまったが、こちらに決定。

でも、スクールバスに乗るには色々安全基準というのがあって、車椅子に手を加えなければいけないことが数点ある。
バス乗車できることが決定したのがつい先日のことだけに、業者さんと療育センターとの都合が今年度中はうまく合わなかった。
新学期が始まってからのことになるが、車椅子の修理になるか新しく作るか…。
ついでに雨の日の対策も、業者さんを交えて相談してこようと思っている。
出来上がるまでは、今の状態でも取り敢えず許可してもらうことになった。

乗車中の注意事項を、添乗員さんに伝える。
■骨折しやすいので、足があちこちぶつからないように注意してもらいたい。
■人工鼻を飛ばすくらい咳き込むことがあるので、その際はガーゼバンダナをカニューレに掛けてほしい。
 (※添乗員さんは人工鼻に触れることは出来ないので新しい物を装着してもらえない。)
■乗車中にてんかん発作が出た場合、その場で迎えが来るのを待っていられるよりは、送ってきてもらった方がありがたい。
 (※乗車時間は5分なので送ってもらった方が早く着く。待ち時間がある方が危険度がアップする。)

きちんとメモをとってもらい、真摯な態度でユウヤに接してくださっていたので安心した。
具合がちょっとでも悪い時は、ヒドくならないためにもお休みさせるし、ユウヤは吸引も気合いで我慢するという術を会得してしまっている…。
発作に関しては、5分の間に…というのは非常に確率が低いと思う。
乗車前に様子がおかしかったら乗せないで、お迎えコールしてもらえば飛んでいくということを伝えた。

「これからよろしくお願いします!」
運転手さんと添乗員さんたちに頭を下げたら、本当にバスに乗れるんだなぁと実感。
ちなみに、この運転手さん。ここにうちの学校のコがいるって判ってくれてから(多分バスにも乗ることになると知ったのだろう)毎日うちの前を通り過ぎる時手を振ってくれていた。
裕母はそれが嬉しくて、手を大きく振り返すのが楽しみになっていたのだった。
「ゆうやん、もうすぐこのバスに乗れるからね。運転手さんも待ってるよ。」と毎日毎日声を掛けていた。
ユウヤの世界が、またひとつ開いたようだ。

バス遠足

2005年03月27日 | ゆうくんのこと
地域の障害児・者の会主催による、福祉バスを利用した遠足へ家族揃って初参加。
一番上の写真は「楽しかったよ♪」のユウヤ。

行き先は立川市の昭和記念公園。
前日よりかなりハイテンションの両親。初めてのことだけに、嬉しさと不安が入り混じる。
ユウヤの体調も安定したことだし、思い切り楽しもう!とポジティブに考えることに。
その代わり(?)買い物に行けないままだったので、お弁当は「塩むすび」のみの可能性大。
それでも良いと言っていたヒロだが、さすがに仕事帰り、コンビニで海苔を買ってきた(笑)。
何だかんだで冷蔵庫の中の寄せ集めで、お弁当箱を埋める。
いいのいいの。メインはおにぎりなんだからっ!

参加者の中には、ユウヤと同じ養護学校のクラスメイト(来年度は違うけど)や卒業生などの、友人家族もいたので、心強かった。
昨年、突然の重い病で危険な状態になった先輩母も、元気に参加!
その姿が嬉しくて嬉しくて、思わずハグで喜びを表現してしまうほど。
興奮したままバスに乗り込む。ユウヤは車椅子のまま乗車。

ユウヤのクラスメイトの姉Kちゃん(今度中3)は、「今日、あたしがユウヤのお世話をする!」と張り切って早起きしたらしい。
彼女は、ダウン症児のダンスグループ「ラブジャンクス」のメンバー。
先日の愛・地球博(だっけ?)の開会式でダンスを披露したそうだ。
持ち前の「フットワークの軽さ」と「お世話好き」で、ユウヤの専属ヘルパーとして大活躍(笑)。
余談だが「どうせこのテンション、帰りまで持たないと思うけど」と母が言っていたが、本当に帰りには疲れと眠さに勝てず、どよよーん。
裕母の隣でくーくーと眠り始めた顔が、まだ幼くて可愛かった。



芝生の上で、ユウヤは注入後お昼寝。つーか、ずっと寝てたし…。
まったり過ごしていると、売店でソフトクリームを買って食べているメンバーを発見。
さっそく「ヒロ、買ってきてー!」とひとっ走り頼む。



口にクリームをくっつけると、ユウヤは自分からペロペロとクリームを舐めた。
「うわーっ!ちょっとちょっと!」と裕母はヒロに合図。
これが動画なら…(涙)。
ユウヤが自分からそんなこと出来るなんて、両親ですら知らなかった。
「冷たいでしょ。甘い匂いするでしょ。」って確認させるための行為だったのだが、これがユウヤの「食べたいキモチ」を引き出したのか?それとも外の開放感からなのか?判らないけれど、この一瞬を家族で共有できたことは、この遠足に参加して得た貴重な出来事だ。

ユウヤのバス乗車は「経験」という実績となった。
往復で4時間半乗車していたのだが、吸引は往復ともに一回ずつ。
辛そうな表情もなく(一番上の写真を見たら判ると思うが乗り物大好き)起きている時間は流れる景色を楽しんでいた。
これで学校の登下校(たったの5分乗車)でのバス乗車に対して、大きな自信が出来た。
(スクールバスの試乗についてはまた別記事書く予定)



帰宅して興奮さめやらぬうちに、訃報が…。
同じ養護学校の中等部の男の子が亡くなったという。
家族揃ってお出かけできた喜びでふわふわしていた気持ちが、シューッと萎む。
春に亡くなるコが多いのはなんでだろうか。
少なくとも、しょっちゅうお休みしているユウヤよりは、みんな調子よくて元気なのだけど…。
彼には、クラスメイトが待っているあちらの世界で、思い切り食べて走って遊んで笑っていてほしい。
ただただ手を合わせて祈るばかり。

血圧計

2005年03月26日 | ゆうくんグッズ
とある筋から(笑)今日ゲットした手首用血圧計。
最近ゆうやんの血圧を測ってもらってないこともあり、自宅で管理しようと計画。
でもっ。
ゆうやんの手首、意外に細くて計測不能。
裕母の手首では問題なく測れる(当たり前)。

仕方がないから、ゆうやんの手首ではなく、足首で計測。
うん。ちゃんと測れる。正しい値なのかは別として。
どーなんでしょ?足首でもそう大差ないもんなの?
知ってるヒト教えて下さい。

何でいきなり足首に行っちゃったんだろうと、ふと冷静に。
その次は二の腕で計測。
んー?!あんまり足首と変わんないみたい。

んじゃ、これから二の腕で測るか。
どっちにしても彼は低血圧。
そんなトコは母に似なくてよろしいっ!

在宅生活【変化するココロとカラダ】

2005年03月26日 | 裕母の気持ち
最近、重症心身障害児を育てている母親達と話す機会が多かった。
自分の気持ちの変化を書き綴ってきたつもりだったが、案外書き漏れていることもあるものだ。

ユウヤがショウガイジとなって在宅生活を送り始めてから数年、「大変ね」と言われても「うーん?」と思うことが多かった。
大変でも可哀想でも相手の感想はどうでもいいのだが、自分の中ではごく当たり前のこととして受け止めていたし、何よりも「ユウヤが生きていてくれる」喜びだけで「大変さ」を考える余裕もなかった。
確かに忙しく目が回りそうで、睡眠時間も取れなくて、(今も変わってないな…)覚えなくちゃいけないことばかりで、大変だったはずなのだ。

それでも、発症したのが小さなうちだったから、おむつ交換も育児の延長線上だったり、移動するのもヒョイと抱っこしてスムーズだったので「介護」している感覚ではなかったのだと思う。
自分の力では動けなくなったユウヤを見て、可哀想というよりも、愛おしさと守ってやらねばという気持ちの方が大きかった。
この気持ちは今も同じだと思う。

育児にプラスされたのは、健常児の頃よりも気を張りつめていなくてはいけない体調管理と、俗に言う医療的ケアだ。
医療的ケア(ユウヤの場合は、吸引・注入・カニューレ交換など)に関しては、「覚えなくてはお家に帰れませんよ。」という暗黙の了解だったし、「やらなきゃ死んじゃう」という強迫観念にすらかられていたと思う。
地味なところでは、膨大な洗い物と洗濯物ね。うちは大家族かっつーの。

在宅生活にも慣れてきて、気持ちにも余裕が出てきたころ。
「何だか大変になってきたぞ」と思い始める。
それは、ユウヤの体が成長してきたから。
おむつ交換ひとつにしても、まだ裕母は一人でぱぱぱっとやった方が早いが、ヘルパーさん等は二人掛かりでやった方が早い。(人にもよるけど)
裕母もいつまでこの手際よさが続くかな?と思い始めた。

裕母が腰を痛めてからは、移動する際(登下校や通院)に、ベッド→車椅子→車(帰りは逆)と、ヘルパーさんにお願いしている。
それ以外は、ヒロがいれば二人で、一人の時は勿論一人で。
小さかったユウヤが(いや、平均よりはデカかったが)急に大きくなった訳ではないので、こちらも慣らされてるところがあるが、身長の伸びや体重の増加は現実的に相当キビシイものがある。
スエーデンだかどこか(うろ覚えでごめん)では、25キロ以上の利用者に対して二人以上で介護すると、ヘルパー事業では決められているそうだ。
ユウヤの体重と骨折しやすいということも併せて、うちが利用している事業所では移動の時はほぼ二人体制である。
それを一人で抱えていると思えば、さすがに「大変だ」と思うのも不思議はないかもしれない。

ピンと来なかった「大変ね」という言葉に対して「大変です」って答えることに、全く抵抗がないわけではないけれど、正直な気持ちとしては間違いはない。
抵抗というのは、裕母の場合、罪悪感とは違う。
これを言うとまた嫌われそうなんだけど(笑)何というか「敗北」を認めてしまうようで悔しいのだ。あはは。
誰に対しての敗北なのか?自分でもよく判らない。
多分、ユウヤの「障害」に対しての敗北なのだろうと思っている。
「障害を治す」と言って必死になるタイプの親ではなかった裕母だが、「障害を持っていても少しでも快適に過ごさせる」事に関しては、生来の負けず嫌いが俄然張り切っていたのだ。

それがねぇ。こちらの体が悲鳴を上げる日の間隔が短くなってくる。
ユウヤは成長しているが、こちらは老化しているワケで当然と言えば当然だ。
1日に続けて3時間眠れたらラッキー♪という生活も、そろそろ鼻血が出そうである(笑)。
以前(2年前まで)ならそれがⅠ時間置きの睡眠でまとめて1日3時間だったのだから、虚弱体質の裕母とはいえ、案外タフだったのではなかろうか?!
今はヒロに全て任せられるので、心おきなく「寝かしておくれ…パタッ」と気を失うように速攻で眠ることが出来る。

これまでの話は「ユウヤが絶好調」が前提だから、具合が悪い時は、細かくて書ききれない作業が加わる。
果てしなく長くなるのでその辺は今回割愛。

心と体は繋がっているというけれど、それを実感する事が度々出てきた。
在宅生活は幸せいっぱいだ
とだけ言っていた数年前。
在宅生活は幸せいっぱいだけど、大変だ
と言うセリフに変化した、裕母のキモチ。

ユウヤ一人育ててるだけでこの騒ぎ。(情けなやー)
キョウダイ児がいる家庭や、二世帯、三世帯の家庭はどれだけ大変だろうと思う。

で。
「大変でもやるしかないもんね。」(←どこかで見たことがある?)
という結末に行き着き、どうにかして何かを手抜きしてやろうと、虎視眈々と狙っているのが裕母の日常だっ!

何にも実りのない話じゃ…。


3年生修了

2005年03月25日 | ゆうくんのこと
今日、無事(?)3年生を修了。
せっかくB組代表で校長先生から修了証をもらったのに、ちらっと一瞥くれただけで(笑)寝ていたヤツ。
相変わらずのマイペースに笑ってしまう。

修了証と共に「後期のあゆみ」ももらう。
総評は「五感を全て使っていろんなことを感じていた」ということかな。
以下、反応が見られたもの。
光、風、プール、でこぼこ道の振動、こんにゃくの感触、砂絵のザラザラ、台紙の糊のベタベタ、お芋掘りの土、枯れ葉を踏む音、入浴剤入りのお湯、お誕生会でのろうそくの火、クラウンさんとの対面、鳴子の音、児童の声…。
などなど、休みがちだった後期だけど、たくさんの体験が出来た。

ユウヤの学習をいつも側でサポートしてくださった先生方、本当にありがとうございました。
直接共に学習することはなかったけど、近くで声掛けや移動のサポートをしてくださった先生にも感謝。

修了式の後、非常勤の先生方と…なんと看護師さんの離任式。
非常勤の先生の場合、また着任してくれるかも?!という期待をして、わざとお別れの言葉を言わない(笑)。
「また4月に会いましょうね!」とお別れしてきた。
行かないでー!先生たち!(良い先生ばっかりなんだもん)

それにしても、看護師さんの退職はイタイ!イタイよーっ。
これまで培ってきたものが全てゼロに。はぅー。
とっても前向きな看護師さんだっただけに残念だ。
とにかく「お世話になりました。ありがとう。」って言わなきゃね…。
4月には新しい看護師さん来てくれるんだろうか?
複数配置を理想としてるって言ってたけど。
ゆうやんの学校生活は(つーか裕母のね)まだまだ前途多難だよ。ふっ。

写真の真ん中に写っているのはマグマグ。
これは9年物。(ユウヤが生まれてすぐ購入)
まさか9年経っても使い続けるとは思いもしなかったが、どこに行くにもこのマグマグは一緒。
学校にも、ランドセルの中にポーンと放り込まれて通っている。
ゆうやんの9年の成長を陰で支えてくれている、大切な存在。
そうそう壊れることもないだろうから、もう少し頑張って付き合ってもらおう。
ゆうやんの4年生初登校も、このマグマグと一緒だ。

本当にゆうやん、がんばったネ。
体調崩しても、入院せずにお家で過ごせたことは大きな喜びだし、裕母にとっては自信になる。
1日1日の積み重ねが、こうして嬉しい結果に繋がったのだと親子(もちろんヒロもね)で胸を張ろう。
それから、登下校や帰宅後のケアをしてくれたヘルパーさん達、看護師さん達にも感謝。

短い春休みは、楽しめるかな。

キリンの乳酸菌

2005年03月25日 | リエの気持ち
ゆうやんの体調下降と共に、仲良くまたしても風邪を引いた裕母である。
というより、風邪がちゃんと治ってなかったのか?
「わたし、絶好調よ!」と威張って言えるのは年に何日あるだろう。
ホントにもう虚弱体質なんだから。
そんなわたしだが…。

アトピー改善、人体で確認 国内初、キリンの乳酸菌 (共同通信) - goo ニュース

この記事にあるキリンのKW乳酸菌ノアレを1カ月以上服用している。
サプリメントだから服用というのが正しいのか判らない。
最初はモニターとして始めたのだが、どうも花粉症に効果が出てきた(リンク先は研究結果)気がするのだ。
この辺からは、眉に唾付けて読んでもらって結構(笑)。

「花粉症」と言えば、「リエさんのマスク姿を思い浮かべる」と言われるほど、わたしは花粉症の重症患者だと言ってもイイと思う。
毎年、人生を絶望するほどヒドい(笑)。
で、何かが良いと言われれば取り敢えず試してみる生活。
もちろん、アレグラという抗ヒスタミン薬も毎年服用。
それでもヒドい、ヒドすぎる…。
飲まなかったらもっとヒドいはずなんだけど、軽減されてる気がしないのは何でだ?!
ということで「何でも試してみよう」に則り、ノアレも試してみたというワケ。

効果があるといっても、目の痒みだってくしゃみだって鼻づまりだって鼻水だって、やっぱり顔を出す。
でも、人生を絶望するほどではないのだっ。
ティッシュだって、減りが遅い。例年なら考えられないくらい。
「たまたま抗ヒスタミン薬が効いてるんじゃない?」ってのも考えられるけれど…。

こんなこと、大っぴらに書いちゃうと人格疑われそうだけど(笑)ちょっと嬉しいもんだから。
わたしのノーマスク姿を見た、ヘルパーさんも母友も「一体どうしたの?!」と言う。
「実はね…」と説明すると、一気に流行ってしまった。
これがまた、効果には個人差もあるだろうから、効果がなかった場合の風当たりを考えると怖い(笑)。
わたしには合ったという事実を書いておこう。

■花粉症についてのサイト■
*花粉症らくらく生活大作戦
*あつまれ花粉症の仲間たち

福岡西方沖地震

2005年03月24日 | リエの気持ち
気象庁、余震活動「山越えた」 玄界島は「6弱程度」 (朝日新聞) - goo ニュース

余震が小さく少なくなってきたとはいえ、「まだずっと揺れているような気がする」って言ってる人は多い。
一番大きな被害を受けた玄海島は復旧するのに大変な日数、予算、人手が要ることだろう。

■地震についての関係リンク■
*Yahoo!ボランティア福岡県西方沖地震情報
---殆どの情報が網羅されているようだ。
*震災義援金(品)の受け付けについて
---福岡市の災害対策本部。
*西日本新聞社・福岡沖地震 福岡市の主な支援策/募金受け付け
---西日本新聞は福岡ではとても多くの人に読まれているので、ここは信頼が大きいと思う。
*日本赤十字社福岡県支部・福岡県西方沖地震災害義援金の受付について
---日赤は、福岡の赤十字病院から救護班をすぐに玄海島に派遣していた。

個人的に出来ることは小さいけれど、出来ることをひとつでも多く…と思っている。
1日も早い復興を願います。

箸置きと…オブジェ?!

2005年03月22日 | ゆうくんのこと
またまたゆうやんの作品である。
夏休み、担任の先生が訪問学習に来てくれた時に作った焼き物。
左の3本の物体は(笑)「箸置き」だそうだ。
ゆうやんが「むにゅうぅっ」ってして出来上がった、クマさん流に言うところのゲージツ作品である。うふふん。

で。その横のでっかい物体…。これは一体何なんだろうか?!
さ、皿?
いや、皿だとしたらあまりにも不安定な…(笑)。

結局「オブジェ」ということで落ち着く。
ん、そうね。ゲージツ作品だからね。
実用性とか意味とか、必要ないのよね。そうよね?
先生がサポートしながら、ゆうやんが「こねたり押したり」した手形がポイント。
うっすらと先生が「ゆうや」って彫ってくれているのもね。(見える?)

3年生は制作の時間お休みばっかりしてたから、残った作品は少ない。
なので、とーっても貴重。

最近のユウヤの体調もちょいと書いておこう。
特に変わったことはしていないのだけど、低体温が続いた。
普段は36度台が平熱なのだが、34度台。(34.3〜34.7度)
日中体を動かせば36度台まで上がってくるからそう気にすることもないのだろうが…。
ユウヤの友達には低体温のコいっぱいいるしね。
夏には38〜39度なんてすぐに上がるくらいの体温調整機能だから、高熱には慣れているんだけど、低体温には慣れてないもんで気持ち悪い。

今日は朝からどうも変な感じだった。どこがどうとは言えないのだが…。
様子を見ながらⅠ時間ほど遅刻して登校。
今日はお楽しみ会で「風船バレー大会」だった。(裕母とA母参加して燃える)
でもユウヤは熟睡。ノリが悪いなぁ…とか思ってたら(←おーいっ)先生が突然
「うわっ!急に真っ青になった!」
と、養護の先生を呼びに行き、パルスメーターも持ってきてくれた。

裕母が見た時は既に顔色も戻っていたから、本当に一瞬だったのだろう。
サチュレーションも悪くないし、眠りに深く入った時はいつもこんな感じなので心配はしてなかったけれど、先生達の連係プレーと小さな事も見逃すまいとする姿勢には頭が下がる。
胸の下の方に痰が溜まっていたのと、貧血かな?という判断。
給食の途中で起きて、デザートをほんの一口食べただけでまた眠る。
帰宅後もおむつ交換と吸引以外は目を開けることもない。
んー。一体どうしちゃったのかね。
例によって気圧がこんなに不安定だから?

まだまだ謎の多いゆうやんとの日常なのであった。