ゆうくんちの日常

ショウガイジの居る家庭の日常をありのままに。

きょうのゆうくんちvol.478加筆

2004年01月28日 | メルマガ加筆・訂正など
長~いメルマガだったにも関わらず、まだ書き足りないというのか?裕母?!
・・・という驚きも聞こえてきそうですが(笑)。

まずは「医療過誤だとどうして思ったか」
褥瘡(床ずれ)は、ずっと同じ場所に圧がかかって出来る。
寝たきりのお年寄りに出来やすいと一度は聞いたことがある人もいると思う。
ユウヤの場合は老人ではないだけで(当たり前)寝たきりという点では同じ状況だ。
褥瘡の出来やすい場所というのも数カ所或る。
痩せていればもっと出来やすい。

今回、ユウヤの褥瘡が壊死まで進んだのは、医師のチェックが出来ていなかったからだ。
硬いギプスを装着している時は、まず中を見ることも出来ない。
だが、シーネという下半分のギプスに替える時にしっかりチェックしてくれていれば
ここまで酷い状態は避けられただろうと推測できる。
その時点で褥瘡が出来ていたにせよ、壊死まではいかなかったと。

ユウヤのような重度の障碍児(者)は、自分で手足を動かすことが出来ない場合が多い。
そうなれば必然的に褥瘡のことは頭に入れて診察するのが常識だと思う。
でも、今の主治医はそういうことは頭に入っていなかった。
壊死した真っ黒な部分を目の当たりにした時に「こりゃまずいことになった」…
と心底後悔したはずである。
いや、主治医が後悔したであろうと思いたいと言った方が正解かも。
だって素人の裕母が後悔し、自分を責めたくらいなのだから。
それが医療過誤じゃないかと思った理由だ。

骨だけを治して踵は壊死させちゃいました~…では
医者として如何なものか?
しかもユウヤにも裕母にも何の説明もなかった。
説明する時間がなかったとしても、ユウヤに「ごめんね」ぐらいは言えたはずである。

裕母がこのまま何も言わなければ、壊死という事実だけが残り、
それまでの経緯などは風化されてしまいそうだった。
過ちを認めるということは、ごく最近医療現場で少しずつ広まってきてはいるが
まだまだ「謝罪をすることの大変さ」を感じさせる。
過ちを認めてはいけない、謝罪はしてはならない…という古い医療現場の
常識は、ここらでしっかりと見直してもらわねば。
その為には患者側も勇気を持って話し合う姿勢が大事だと思った。

医者の少しの配慮で、ユウヤの踵は守られたはずなのだから。
今回、医師も病院側も過失を認めたことは評価する。
だけどユウヤの足が治らなくては何も始まらない。

まだこれから先が長いのだ。
いつまでかかるか判らないが、完治を目指して頑張るのみ。

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