詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

「たかおう山に行きました」

2024-08-24 10:58:36 | 千駄記

昨日の晩御飯。頂きモノの小玉スイカ1個。

もしヨネスケが「隣の晩ごはん」で突撃して来たら

何切れあげれば気が済んだかな。

 

8/24(土) 曇  

 

今日も数人出勤してくれています。だのになぜわが社は・・。

お昼のパワーランチのために早めに出勤してもろもろ処理する。

約束が一つでもあると落ち着かないのは相変わらず。

 

夏休みが長くて苦しい…ディズニーランド行った自慢や

自由研究で露呈する「残酷な格差」なる見出しをネットで見かける。

<体験イベントの値段を眺めるうちに美知子さんは「まるでビジネスの世界だ」

としか思えなくなった。子どもの体験が”消費”の対象になっているのだ。>

との一文があった。いまさら何を言ってんだ?

子供と親の体験を謳う企画が商売なのは当たり前だよ。

ボランティアじゃないんだから。この記事に出てくるのは

そこそこの収入がある家庭ばかりだった・・それを幸いと思え。

 

夏休み明けの憂鬱。令和の世とは比較できないし、ボクの頃は‥

という比較が無意味なのもわかっているが、夏休みの思い出を語ろう。

 

小学校1年か2年の時、「絵日記を書いてきなさい」という残酷な

課題があった。絵を描くのは好きだったが、ネタがない。

両親は稼ぐのに必死だったからどこへも行かなかったし。

仕方あるまいと、家族でのお出かけをでっちあげることにした。

 

タイトル「たかおう山に行きました」。

そう家族で高尾山にハイキングに行ったという物語。

東京のはずれにある高尾山に憧れる坊やだったのだな。

高尾山を「たかおうざん」と思っていた。行ったことねーから。

青空を背景に緑の山、芝生の上に赤、青、白のビニールシートを敷いて

家族五人が仰向けに横になっている構図。

作り話だからこそ憶えている!桶田先生という担任の熟年女教師に

この日のことを質問されてドギマギしたことも忘れない。

 

ボクはいまも、でっちあげ短歌を書いているが、これが追憶の泉なのである。

 

「たかおう山でっちあげ事件」から20数年が過ぎたころ、

初めて高尾山(たかおさん・599m)に登った。姉、妹、ボクと

それぞれのパートナーの6人。こんなメンバーで行動したのは最初で最後。

姉夫婦とは疎遠になった。妹はパートナーが変わり、ボクはひとりになった。

この日の記憶も曖昧だが、たぶん絵日記の話はしなかったと思う。

 

 

おしまい。

 

 


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