昨日の晩御飯。頂きモノの小玉スイカ1個。
もしヨネスケが「隣の晩ごはん」で突撃して来たら
何切れあげれば気が済んだかな。
8/24(土) 曇
今日も数人出勤してくれています。だのになぜわが社は・・。
お昼のパワーランチのために早めに出勤してもろもろ処理する。
約束が一つでもあると落ち着かないのは相変わらず。
夏休みが長くて苦しい…ディズニーランド行った自慢や
自由研究で露呈する「残酷な格差」なる見出しをネットで見かける。
<体験イベントの値段を眺めるうちに美知子さんは「まるでビジネスの世界だ」
としか思えなくなった。子どもの体験が”消費”の対象になっているのだ。>
との一文があった。いまさら何を言ってんだ?
子供と親の体験を謳う企画が商売なのは当たり前だよ。
ボランティアじゃないんだから。この記事に出てくるのは
そこそこの収入がある家庭ばかりだった・・それを幸いと思え。
夏休み明けの憂鬱。令和の世とは比較できないし、ボクの頃は‥
という比較が無意味なのもわかっているが、夏休みの思い出を語ろう。
小学校1年か2年の時、「絵日記を書いてきなさい」という残酷な
課題があった。絵を描くのは好きだったが、ネタがない。
両親は稼ぐのに必死だったからどこへも行かなかったし。
仕方あるまいと、家族でのお出かけをでっちあげることにした。
タイトル「たかおう山に行きました」。
そう家族で高尾山にハイキングに行ったという物語。
東京のはずれにある高尾山に憧れる坊やだったのだな。
高尾山を「たかおうざん」と思っていた。行ったことねーから。
青空を背景に緑の山、芝生の上に赤、青、白のビニールシートを敷いて
家族五人が仰向けに横になっている構図。
作り話だからこそ憶えている!桶田先生という担任の熟年女教師に
この日のことを質問されてドギマギしたことも忘れない。
ボクはいまも、でっちあげ短歌を書いているが、これが追憶の泉なのである。
「たかおう山でっちあげ事件」から20数年が過ぎたころ、
初めて高尾山(たかおさん・599m)に登った。姉、妹、ボクと
それぞれのパートナーの6人。こんなメンバーで行動したのは最初で最後。
姉夫婦とは疎遠になった。妹はパートナーが変わり、ボクはひとりになった。
この日の記憶も曖昧だが、たぶん絵日記の話はしなかったと思う。
おしまい。