空模様

わがまま老女の視野狭窄ときどき日記

思いのままに生きるには

2011-07-14 21:40:44 | 日記

この年になると、自分の思うままに生きるにはどういう義務が生じるか と、最近は特に考える。

静かに他人煩わされないで生きる

つましい生活であったとしても、最低限の我儘な喜びも少しは持って生きて行きたい

清潔な生活を続けたい

親から引き継いだ暮らしを自分流にではあるけれど続けて行きたい

 

なんて

 

でも、それを叶えようと思えば

毎日とは言わなくても、家の中の掃除、片付けはこまめにせねばならぬ

部屋の掃除片付け、トイレの掃除、お風呂の掃除、ゴミだし分別、衣服の整理整頓衣替えも

健康のために毎日の食事に注意し、食材を考えて作る

季節の環境により、防虫剤購入したり、

庭の雑草処理、木々の剪定、落ち葉を掃いたり片付け

それら行うための道具の手入れ、点検

町内の行事への最低限の参加と、役回りの引き受けなど、後々ご近所との関わりで助けになることも考えること。

少しでも自分の趣味や何かで喜びを感じたいと思うなら、節約怠らず、我が身の老いを理解しながらで。

 

そんな事は、この私もちょっと前まで、いや50代になる直前まで思いつきもしなかった。

けど、父が逝き母が逝き、娘が嫁ぎ孫を産んでくれて・・・本当に最近になって気が付いたのだから。

 

息子の鳥は、未だに結婚せず、聞いても、まだ結婚してまで、自分の今の自由気ままな生活を捨てる気がないようである。

結婚をするということは、自分の生き方行動に責任を持ち、自分にとって負であってもそれを背負うことである。

それをする気がないということは、人間が普通に社会に責任を持たないと言う事か。

 

鳥がもし、このまま結婚しなかったら、私が70,80,90になる時、

彼はこの家の庭の手入れをし、部屋の掃除をし、米や野菜や肉を買い、トイレットペーパーを買いに行かねばならない

そしてトイレの掃除も季節の模様替えや料理もしなくてはならないし、役場に行き、銀行へ行き、

社会保険事務所からとか役場からの書類に目を通し理解し、自分と老いさらばえた私を施設に入れるべき手続きをし、

それを全部一人でこなすと言う事だ。

 

一人で生きていくと言うことは、すでに今から社会に適応できる知識や行動力を身に付けるということだと、思う。

今日、夕食にラーメンが食べたいと鳥が言うので外食となったが、車の中でそんな話をした。

 

しかし、一向に真剣に考える様子も無い鳥

これから、何年か掛かってでも判らせないといけないと、しみじみ思う。

昔、私が結婚した時は24歳、家を建てようと決心し土地を購入したのは26歳の時だった。

家を建てるとき元旦那は私の段取り手続きを見ているだけでそれも実感が沸かないようであった。

その時彼は30歳超えたばかりだったかな。

子供を持つ事さえも喜んでわが子を迎えるという意識もなかったようだ。

 

あの当時でさえもそうだったから、現代の子供、特に男性の自立と言う認識はほとんど無いのではないか。

そう育てたのは私たちの年代なのか。

人間として、一人前の行き方をしたいと思うならばしなければならないこと山ほどあるのに

今からでは、それを教える期間が足りなさ過ぎる。

子供で居る間から親はそういう生き方を見せていかねばいかねばならなかったと愕然とする。

安易に生きられると思う子供を見るたびに

悩みたくは無いが、悩まずには居られない現実が見えるのである。


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