相談

2006-01-31 20:51:01 | その他
友人が結膜炎にかかってしまった。僕自身も何年か前になった事があるので分かるのだが、ああいう類の病気というのはかゆいのに患部を掻けないというのが何よりつらい。ひたすらかゆみに耐え続けなければならないのだ。周囲の人間にしても見守ることしかできないというのが何とももどかしい。

昨夜、そんな彼から電話がかかってきた。

彼の話ではかゆみは大分おさまってきたそうである。患部の腫れも引き、眼科に通う回数も減ってきたとのことだ。しかし目のことで何やら僕に相談があるらしい。

チャンスである。今まで見守ることしかできなかった結膜炎の患者に救いの手を差し延べられる絶好の機会ではないか。僕は、何でも言ってくれとばかりに彼から相談の内容を聞いた。もちろん多少の無理なら聞き入れるつもりでいた。


しかしその相談というのが実に僕を悩ませるものだった。

彼は普段メガネをかけている。しかし眼帯の上からメガネをかけるのがどうも格好悪い。これが何とかならないものか、というものだった。

難題である。しかし勢いよく受けてしまった相談なのでこちらも引くに引けない。もしも僕が適当な男であったならばこの問題は「我慢しろ」の一言で片付くのだが、何しろ僕は人一倍心優しい好青年である。ここはどうしても彼のためにいい解決策を見つけなければならなかった。

しかしメガネと眼帯の両立というのは部活と勉強、仕事と恋愛、以上に難しい。僕は一人頭を抱えて悩んだ。

しばらくして僕は、前髪で眼帯をしている方の目を隠してみてはどうか、と提案した。いわゆる『ゲゲゲの鬼太郎』スタイルである。しかし彼は「悪いが、ついこの間髪の毛を切ったばかりだから」と言ってこの案を丁寧に断った。まあそれならば仕方ない。

僕は「後でこっちから電話する」と言ってひとまず電話を切った。

さて、ここからが問題である。後で電話すると言った以上、何かいい解決策を用意せねばならない。差し延べる救いの手の主は僕でなければならないのだ。心優しい好青年の名にかけてもこれだけは譲れなかった。

三十分後、彼に電話をかけた。眼帯に目玉を書き入れるのはどうか、と彼に聞いてみた。僕が三十分かけて搾り出した一つの答えである。しかし僕なりに彼の事を思い、熟考した結果だったにも関わらず、電話の向こうの声は心なしか怒気を帯びているようだった。

僕はメガネと眼帯の両立の難しさを改めて実感した。

今回の教訓は二つある。何事も両立は難しいということ。そして深刻な悩みは僕に相談してはいけないということ。

銭湯

2006-01-30 00:10:16 | その他
我が家から徒歩数分のところに「白山湯」という銭湯がある。

近頃はジェットバスになっていたり、エステが併設されている銭湯もあるそうだが、この「白山湯」は番台を中心に男湯と女湯が左右対称に分かれていて、屋根の上にはねずみ色の煙突がそびえ立つ、そんな昔ながらの銭湯である。僕にとって「白山湯」は古き良き日本の雰囲気が味わえる貴重な場所の一つなのだ。しかし最近はなかなか行く機会がなかった。

先日のことである。久しぶりに「白山湯」に行った。約三ヶ月ぶりということで少し緊張しながら「白山湯」の暖簾をくぐる。しかし「白山湯」は三ヶ月前と何一つ変わっていなかった。何だかホッとした。そして下駄箱に靴を入れ、木の板でできた鍵を抜き取って番台へ向かった。番台には泉ピン子似のおばさんが不機嫌そうな顔をして座っている。これも三ヶ月前と一緒だ。ピン子はまるで三ヶ月前から動いてないんじゃないかというくらい微動だにしない。この昭和の香りが漂うおばさんも「白山湯」の魅力を形成する一つの要素である。

入浴料を払って脱衣所へ行く。そこには誰もいなかった。それもそのはずである。僕が入店したのは開店間もない午後四時過ぎだった。しかし恥ずかしがり屋の僕からすれば誰もいないのはむしろ好都合だった。

洗い場にも浴槽にもやはり誰一人としていなかった。そして体を洗って浴槽にとぷんと浸かる。完全に貸し切り状態である。誰もいない銭湯というのは実に気分がいい。そしてあまりに開放的になった僕に一つの考えが浮かんだ。

せっかく誰もいないんだから普段できないことをしてみたい。

いろいろ考えた。「ばばんばばんばんばん、はーびばのんのん」と大声で歌うというのももちろん考えた。しかし女湯には人がいるかも知れないのでそれは未遂に終わった。

そして閃いた。銭湯には風呂場の入口に無数の洗面器が置いてある。これを全部湯船に入れてみたい。そう思ったのである。後から考えれば馬鹿としか言いようがないのだが、この時はもう止められなかった。

計画は実行に移された。僕は入口に積んである黄色い洗面器を次から次へと湯船に突き落としていった。やがてすべての洗面器を投入する作業が終了すると、湯船は黄色一色となり、水面はもはや見えなかった。実に美しい光景だった。そしてわくわくしながらゆっくりと片足からその中に入っていく。僕の体は無数の洗面器に包まれた。洗面器風呂である。パラダイスである。言い知れぬ満足感と達成感が全身を駆け巡る。

もしもこんなところを番台のピン子に見つかったらこっぴどく叱られるに違いない。この常軌を逸した行動に弁明の余地はないだろう。しかしそのようなスリルが僕の興奮をさらにエスカレートさせていった。


その時である。脱衣場に人の気配を感じた。ふと視線を移すと湯気の向こうでおじさんが服を脱ぎ始めていた。早くも本日二番目の客が来てしまったのである。しかもあろうことか、そのおじさんはまるで般若のような怖ろしい顔をしていた。背中に入れ墨がないのが逆に不自然なくらいだった。

まずい。もしもあのおじさんがこの洗面器風呂を見たら、、、。そう考えると背中に虫酸が走った。しかもおじさんはあと一枚脱いだら全裸というところまで来ている。今からすべての洗面器をすくい上げる時間はない。僕はパラダイスから一転して絶体絶命の窮地に追いやられてしまった。

しかしどんなピンチにもわずかなチャンスというのは残されているものである。そのおじさんは全裸になると脱衣所の脇にあるトイレへと入っていった。

今だ。僕が生きて「白山湯」を出るにはこの機を最大限に活用するしかなかった。もちろんこのタイミングで洗面器をすべて片付けてしまうというのも選択肢の一つである。しかし考えてみてほしい。よしんば浴槽から洗面器が一掃されたところで、残りの入浴時間をあのおじさんと共に過ごさねばならないのだ。無論、僕には般若と同じ湯に浸かるだけの度胸はない。

僕に残された道、それは「白山湯」からの脱出だった。

僕は大急ぎで脱衣所に向かい、一目散に服を着始めた。そして不幸中の幸いとはこのことで、その日はボタンの少ない服だったため、スムーズに着替えは終わった。するとその瞬間、トイレのドアががちゃりと開いた。それと同じタイミングで僕は「白山湯」を飛び出して一心不乱に走り出した。

「ありあとごあいやしたぁ」。後ろからはピン子の面倒臭そうな声が微かに聞こえただけだった。





命名

2006-01-27 00:34:49 | その他
知り合いの女性から猫の名前を考えて欲しいと頼まれている。いや、正確に言えば頼まれたのは半年以上前で、それからずっと放置したままになっている。

猫の名前を考えるというのは実に難しい。これがもし自分の子供であれば何日もかけて考えるのだが、他人の、ましてや相手が猫ではなかなか感情移入ができない。

何せ僕はその猫を見たことすらないのである。あまりにも与えられる情報が少なすぎるのだ。僕が猫の特徴を尋ねても彼女は「かわいい猫」としか答えない。毛の色すら教えてくれないのだ。これでは話にならない。そんなにかわいいのならば名前くらい自分で考えたらいいのではないだろうか。

そもそも他人に名前を考えるように頼むくらいなのだからあまりかわいくない猫であることはなんとなく想像できる。しかしそんなこととても言えないので仕方なく猫の名を考えることになった。

最初に思いついたのは「ネイル」という名前だ。これは彼女の趣味がネイルアートであることに由来している。完璧ではないか。これで彼女は即採用してくれると思った。しかし物事はそんな簡単に運ばない。彼女は「引っかかれそうだから」という理由でこの案をばっさり切り捨てた。

いくらなんでも安直すぎたか、と思った僕が次に考えたのは「シッポナ」という名前。これは御存知の方もいるかも知れないが、『ひみつのアッコちゃん』に出てくる猫の名前を拝借した。しかしこれも彼女のお気に召さなかったらしく、不採用となった。

その後も数々の名前を考えたのだが、その中に彼女の納得するものはなかった。僕が必死に捻り出した案を彼女はいとも簡単に却下していった。こうなったらこちらも意地である。何が何でも彼女を納得させる名前を考えてやろうと思った。

そしてある日、一つの答えが出た。

「フロマージュ」。

これは単に言葉の響きがよかった。しかしもうこれしかないと思った。僕にこれ以上の名前は思いつかなかった。そしてこれをおそるおそる彼女に告げた。すると彼女は思いのほか気に入ってくれた。これで決まりだと思った。ついに苦労が報われたと思った。しかし彼女はそんな単純な女ではなかった。「何ていう意味なの?」と訊かれたので僕は、フランス語でチーズという意味なのだと説明した。この瞬間、彼女の表情から笑顔が消えた。

「私チーズ嫌いだからダメ」。

意味なんか言うんじゃなかったと激しく後悔した。何かが音を立てて崩れていった。僕はもう完全に自信喪失してしまった。

そんなわけでその日を境に僕は名前を考えるのをやめてしまい、今日に至っているのである。


今でも彼女から月一回ペースで「名前はまだか」という催促の連絡が来る。果たして彼女は僕が名前を決めるまでの間、猫を何と呼んでいるのだろうか。そっちの方が気になる。

採点

2006-01-25 22:38:34 | その他
いよいよ大学の後期試験も残すところ一日となった。この時期というのはひたすら試験勉強に苦しみ、なんだか自分がどんどん典型的な大学生になっていくのが実感される非常に悲しい季節でもある。

ところでテストといえば僕の通う大学もそうだが、世の中にはセンター試験や自動車免許試験に代表されるようにマークシート形式のテストというのは結構多い。しかしこのマークシートというシステムは実に厄介である。

まず何より怖いではないか。どんなアホでも空欄を塗り潰すくらいは出来てしまう。「あの問題は分からなかったから塗らなかった」なんて人はいないだろう。白紙で出すなんてことはまず有り得ないのだ。受けただけで可能性を与えられるというのは無知な人間にも期待を抱かせるということに他ならない。そしてそんな期待の中で悲劇的な点数を知らされた時のショックは計り知れない。

逆の場合も然りである。皆さんはマークシートを使ったテストで同じ答えが4つくらい連続したことはないだろうか。おそらく一度くらいはあるはずである。この時誰もが「これはちょっとおかしいぞ」と思うに違いない。そしてそれが増える毎に「うそだ。いくらなんでもこんなはずはない」と、言い知れぬ不安が全身を襲っていく。

こういうことである。自信のない人にあらぬ期待を抱かせ、自信のある人には無駄に不安をもたらす。そう考えるとマークシートとは実に怖ろしい。


ただ、僕が指摘したいのはその点ではない。「分からなかったらボケる」という僕のスタイルを貫けないことがマークシートを用いたテストにおける最大の問題なのである。

別に僕は面白い回答を書くためにテストを受けるわけではない。しかしどうしても分からない問題というのは誰にでもあるものである。そんなときは正解を求める思考回路から笑いを求める思考回路へとシフトさせる必要がある。これは採点者へのサービス精神と己への挑戦である。そういった意味では僕にとってのテストとはエンタメとチャレンジなのである。

以前、大学のテストで解答用紙の約半分を使ってグラフを書く問題があった。それは変動相場制における金融政策の効果を表すものだった。もちろんこんなもの勉強してなければ解けるわけがない。僕も問題を見るや否や行き詰まってしまった。どうやっても答えが書ける筈はない。もはや正解を求める必要はなくなった。

さてここからが問題である。この大きな解答スペースを使って何をしたらよいのか。最初に考えたのは絵を描くということだった。しかしこれには2つの問題があった。エンターテインメントの基本は相手を引き込むことである。仮に絵を描いたとして、採点者がそれを見るなり問答無用でスルーしてしまっては困るのだ。これが1つ目の問題だった。そして2つ目の問題は僕に絵心が備わっていないことだった。

僕は考えに考えた。どうやったら相手を引き込むことができるのか。これはグラフを書くより遥かに難しい問題だった。

そして考えた末、僕は先生の名前から始まる人名しりとりを書くことにした。これならば採点者は間違いなく僕の書いたしりとりを下っていくと思ったのである。かくして本来グラフを書くべきスペースは芸能人、スポーツ選手、歴史上の人物などの名前で埋まっていった。

そして完成した人名しりとりは出演者70人を越える超大作となった。

しかしこれだけ苦労したにも関わらず、相手の反応が見られないのはちょっとツライ。


忘れないうちに夢日記

2006-01-24 07:37:26 | 夢日記
飛行機に乗っている。隣の席では井川遥が眠っている。どうやら二人で旅行に行く途中らしい。

空港に着いた。夜だった。街の中には漢字の看板が溢れている。中国か台湾あたりだろうか。

しかし飛行機の中でも旅先に着いてからも井川遥とは並んで歩いているものの一言も会話を交わしていない。彼女はかなり不機嫌そうな表情をしているのだ。かといって「なんで怒ってるの?」と聞いてもますます彼女の機嫌が悪くなりそうな雰囲気だったのでそのまま微妙な空気は続く。

機嫌を直してもらうために二人で夕食を食べることに。漢字だらけの街なのになぜかパスタの店に入る。

彼女はパスタをきれいに平らげたのだが、残念ながら機嫌は直らなかった。そのためか、泊まる予定のホテルはすぐ近くなのになぜか彼女は僕に外で寝袋で寝るように命じた。しかしとても口ごたえできる感じではなかったので、彼女が泊まっているホテルの前の路上で僕は寝ることになった。

翌朝、ホテルから出てきた井川遥はブクブクに太っていた。「あんたがパスタなんか食べさせたからよ」と文句を言っている。

彼女は「ちゃんと責任とってもらうからね」といってダイエットのためのジョギングに僕を付き合わせた。ここでもやっぱり反抗できないので、彼女が走る横でダイエットの必要のない僕まで走った。

結局その日は丸一日ジョギングに付き合わされた。そしてホテルに戻って体重計に乗る。ここでまた悲劇が起きた。井川遥は全然体重が減ってないのに、僕だけ一気に体重が減ってしまった。当然彼女の機嫌は悪くなる。

「なにあんた一人だけやせてんの?」

結局二日目も僕はホテル前の路上に寝かされた。





解決

2006-01-23 18:02:47 | その他
疑問が解けた時の喜びというのは何事にも代え難いものである。


以前、眠る直前になって突如として一つの疑問が浮かんだ。

パトカーはなんで白と黒のツートンカラーなのだろうか?

ほとんどの人は明日以降に調べればいいと思ってそのまま眠りに堕ちる。しかし僕は気になったら眠れなくなってしまうのだ。それはどんな些細な疑問であってもである。ちなみに、さまぁ~ずの昔のコンビ名を思い出せずに2時間近く悩んだこともあった。

パトカーに話を戻す。果たしてこういった類の疑問はどこへぶつければいいのだろうか。今であればインターネットによって瞬時に調べられようが、5年以上前のことなので当時は術が見あたらなかった。なんで白と黒なんだろうか? 頭の中を数十台のパトカーが走り回る。考えれば考えるほど謎は深まっていく。結局この疑問が頭に充満してしまい、もはや睡魔はどこかへ吹き飛んでしまった。

そして考えた末、警察に直接問い合わせることにした。警察のことは警察に聞くのがより確実である。しかし警視庁には問い合わせなかった。というのは警察だって決してヒマではないだろうし、ましてや天下の警視庁である。こんな庶民の一疑問に丁寧に答えてくれるとは到底思えなかった。

そこで僕が問い合わせたのが新潟県警である。それは新潟はなんだか平和なイメージで、事件もあまり起きないだろう、そんな単純な考えからだった。というか疑問を解決してくれるのであればもうどこの警察でもよかった。ちなみに言っておくが決して新潟県警がヒマに見えたわけではない。あくまで平和そうな感じがしたのである。

そんなわけで僕は先の疑問を新潟県警にメールで送った。メールだったら最悪無視してもらえるし、時間が時間だったのでさすがに電話では聞かなかった。その辺の礼儀は弁えている。かくして僕の睡眠を妨げた疑問は東京を出発し、山々を越え、越後平野を横切って新潟県警へと渡っていった。

翌日、新潟県警から返事が来た。それには僕の疑問に対して充分すぎるほどの説明が為されていた。

「日本でパトカーが走り始めた頃、乗用車はほとんどが白い色だったため、他の車と区別するためにパトカーの下半分を黒色にしたのです」

その他にも国内のパトカーの総数やその推移などが詳しく明記してあった。空を覆っていた雲が一気に晴れたような感動である。

僕の胸に疑問が解決できた喜びがあふれ出す。しかしそれ以上に疑問に丁寧に答えてくれた新潟県警の熱心さで胸が熱くなった。この感動は筆舌に尽くしがたい。新潟県警のみなさん、その節は本当にありがとうございました。

しかしまさかこんなに丁寧な返事が来るとは思っていなかった。やっぱり新潟県警はヒマなのだろうか。

受験

2006-01-20 22:48:15 | その他
いよいよ本格的な受験シーズンである。受験生のみなさんには体調管理に気をつけてベストを尽くしてほしいものである。


受験といえば数々の思い出がある。といっても僕はあまり熱心に受験勉強をしていたわけではないので、思い出の大半は試験当日のことである。

ある大学入試試験当日のことだった。

とりあえず定番だが寝坊した。目を覚ました瞬間、しまったと思った。しかし駅まで猛ダッシュをかければ何とか取り戻せる程度の遅れだったので大急ぎで出発の準備をする。顔を洗って歯を磨き服を着替えて家を出る。そして僕がもし一塁ランナーだったらどんな名キャッチャーでも絶対に盗塁を阻止できないだろう、というくらいの猛スピードで駅を目指す。そしてヘッドスライディングをせんばかりの勢いで電車に乗り込んだ。電車に乗ってさえしまえばもう安心である。あとは揺れに身を委ねていれば試験会場の最寄り駅まで運んでくれるのだ。しかしここでトラブルに気づいてしまった。

受験票がない。

慌てて家を出たのでカバンに入れるのを忘れたのだ。最初はこのまま会場まで行って、入口の係員に土下座でもして試験を受けさせてもらうつもりだった。しかしそんなことをしても「土下座されても無理なモノは無理」と言われるのがオチだと気づいた。だいたい見ず知らずの係員に土下座するのも納得がいかなかった。かといって一度家に戻ったら試験には絶対に遅刻である。計算上どうやっても間に合わなかった。しかしここはもう仕方ない。

家に戻るとやはりテーブルの上に受験票は佇んでいた。お前がカバンに入っていてさえくれれば試験に間に合ったのに、と罪のない受験票を責める。しかしそんなことをしてる場合ではない。試験の開始時刻にはもう間に合わないので、今は確定してしまった遅刻を最小限に食い止めるのが課題である。僕は再び家を出て走り出した。警官に見つかったら速度違反で捕まるんじゃないかというほどのスピードで再び駅を目指す。

そしてまた電車に乗り、心の中で運転手に「急いでるんで飛ばしてください」と叫びながら最寄り駅に着くのを待った。もちろんタクシーじゃないので電車のスピードはいつもと変わらない。


ようやく最寄り駅に到着した。だがこの時点でもう試験は始まっていた。最初の教科は英語である。もう受かるか落ちるかという話ではない。受けられるか受けられないかの勝負である。

駅から会場まではバスで約10分と話に聞いていた。しかしバス停の時刻表を見ると僕の乗るはずのバスは数分前にこの停留所を出発してしまっていた。

最初僕が考えたのはタクシーに乗ることだった。タクシーだったら運転手を説得すれば会場まですっ飛ばしてくれる。そして上手く行けば前のバスを追い抜けるかも知れない、そう考えたのだ。しかし残念ながらどこを見渡してもタクシーはいなかった。

次に考えたのは110番してパトカーを呼び、そのパトカーで会場まで送ってもらう作戦だ。しかししばらく考えた後である事に気づいた。パトカーを呼ぶためのウソだったらいくらでも考えつくが、会場まで送ってもらうにはどうやってもその理由が見あたらなかったのだ。

もはや次のバスを待っている余裕はない。僕に残された選択肢はただ一つ、前を走っているバスを追いかけることだけだった。


僕は足がちぎれんばかりの猛スピードでバスを追った。単純に考えれば人間の出しうるスピードで走行中のバスに追いつけるはずがない。しかしたまたまその日は道が混んでいたのか、5分くらい走ったところで信号待ちをしているバスを発見した。

ついに見つけた、もう逃がさないぞ。

おそらく吉良上野介を見つけた時の赤穂浪士の気持ちはこんな感じだったに違いない。そしてやけくそになった赤穂浪士はそこが停留所でなかったにも関わらず、討ち入りとばかりにバスの入口のドアをガンガンと叩いた。

他の受験生がアルファベットと格闘している頃、僕はバスの運転手と格闘していた。「ここはバス停じゃないから乗せられない」と言い張る運転手を説得し、無理を言って乗せてもらった。まったく人間というのはピンチになると何をするか分からない。


こうして僕は制限時間90分の英語のテストに30分以上遅刻して会場に到着した。完全に無謀な受験である。入口の係員も「こいつはもう無理だな」みたいな鼻につく表情をしていたのを覚えている。それでもこの大遅刻は落ちた時の言い訳くらいにはになるだろうと思いながら問題を解いた。


そんなわけで毎年この時期になるとこの出来事を思い出す。今となってはいい思い出である。

そしてどういうわけか、その時受けた大学に僕は今通っている。







伝言

2006-01-19 17:41:33 | その他
他人の勝手な聞き間違いほど迷惑なものはない。


僕が幼稚園に通っていた頃のことである。僕の通っていた幼稚園では「おゆうぎの時間」というのがあり、その日その日によって様々な遊びをしていた。その日する遊びは「今日は鬼ごっこしま~す」とか「今日はみんなで歌を歌いま~す」みたいな感じで先生から発表されていた。

ある日のことである。いつものように先生からおゆうぎの内容が発表された

「今日は伝言ゲームをしま~す」

しかしその先生独特の鼻にかかるような発音が災いしてか、僕の耳にはあろう事か、

「今日はれんこんゲームしま~す」

と聞こえてしまった。ここが運命の分かれ道だった。

僕のまわりにいた園児たちはそれを聞いてきゃっきゃとはしゃぎ出す。しかしそんな中、僕は一人で悩んでいた。れんこんゲームなんて初めて聞いた。れんこんゲームとは一体何なのだろうか。僕が知らないだけで世間ではけっこう有名なゲームなのだろか。れんこんをどうやってゲームに使うのだろうか。さっぱり分からなかった。しかし、恥ずかしがり屋の幼稚園児だった僕に、先生に質問するという選択肢はなかった。周囲の園児もかなり盛り上がっていて、とても「れんこんゲームって何?」と尋ねられる雰囲気ではなかった。かくして意味不明のまま「れんこんゲーム」という謎のおゆうぎは始まってしまった。

僕の幼稚園での伝言ゲームは園児が縦一列になって、前の人から順番に耳打ちで言葉を伝えていくというスタイルだった。そして未だに「れんこんゲーム」の意味の理解に苦しんでいた僕は、とりあえず前の人の見よう見まねでゲームに参加しようと後ろのほうに並んだ。

ゲームが始まると前の人が何かを次の人に囁いているのが見えた。それがまた後ろの人にも繰り返されていく。ここでピンときた。

「そうか!後ろの人に『れんこん』って言えばいいのか!」

大間違いである。しかし僕の頭はそれが「れんこんゲーム」のルールということで勝手に認識してしまった。しかもれんこんというのは細長い穴が空いているので入口で発した言葉が出口からそのまま聞こえる。だから先頭の人の耳に入った言葉が最後尾の人まで伝わっていき、最終的に最後尾の人の口から出るのだと思っていた。

この理路整然とした誤解が僕の間違った解釈を確信に変えてしまった。しかも誤解の割には部分部分中途半端に正解しているので話が余計ややこしくなってしまった。

いよいよ僕の番が来た。前に並んでいた園児が僕に耳打ちした言葉はたしか「すいか」だった。「れんこん」以外の言葉は必要ないのに何を言ってるんだこいつは、と思った。そしてこの状況を立て直すのが自分の使命だとばかりに、僕は迷うことなく次の人に「れんこん!」と耳打ちした。

結局それが最後尾まで伝わってしまい、先生に「答えはなんですか?」と聞かれた最後尾の人は「れんこん」と言った。もちろん不正解である。

しかもそれが一回や二回ではない。何回やっても最後の人の答えが「れんこん」になるのだ。かなり不気味である。

あの時の園児達の不思議そうな表情は今でも忘れることができない。



印象

2006-01-18 02:30:17 | その他
僕がコンビニ以上に神経を消耗するのが書店で本を購入するときである。

御存知の方も多いと思うが、元来僕は気が小さい。気の小さい人間にとって本屋の店員の視線ほど怖ろしいものはない。

どういう事か分からない方のために説明しておく。

例えば『初心者のための料理教室』みたいな本を買うとする。これをレジに持っていったら、おそらく店員の脳裏には、僕がこの本を片手にフライパンから黒い煙を出して大慌てしている姿が浮かぶに違いない。

例えば『JR時刻表』を買うとする。ホントは旅行の計画を立てるために買うのだとしても、おそらく店員には僕が熱狂的な鉄道マニアに見えるに違いない。

例えば『映画が100倍楽しめる方法』みたいな本を買うとする。これをレジに持っていったら、おそらく店員には僕が普通の人間の1%しか映画を楽しめていない人間に見えるに違いない。

こういうことである。簡単な話、本のタイトルを見られたくないのである。自分の買わんとしている本の内容によって店員に小馬鹿にされたような気分になるのだ。その本一冊で自分という人間が評価されるような感じがなんともイヤではないか。

この話をすると大抵の知人は考えすぎだと言うのだが、気になりだすと止まらない。本を裏返して店員に差し出すくらいでは我慢しきれないくらいイヤになってくるのだ。


そこで対処法がある。自分が買いたい本にくわえてまるで関係ないタイトルの本を購入して、本当に買いたい本をあくまで「ついで」に仕立て上げるのである。別の方向に予防線を張ってみるのだ。本命のすり替えとでも言うべきか、この実に有用な方法で僕は何度も救われた。

しかし人間の名誉欲というのはこういう時にひょっこり顔を出すものである。ただ単にカムフラージュするのは勿体ない。どうせなら気取ってみたい。そして店員にちょっと小洒落た好青年だと思われてみたい。そんな衝動に駆られるのである。

そこで以前、大学の授業で必要な経済関連の本を買いに書店へ足を運ぶ機会があった。ここでも例のカムフラ術を使う。僕は経済の堅固なイメージを払拭すべく、家庭的な柔らかいイメージを醸し出そうと『ガーデニングマニュアル~応用編~』みたいな本を買った。この「応用編」というのがミソである。そしてこの2冊を颯爽とレジへ持って行った。このとき、おそらく店員には僕が草や花をこよなく愛し、かつ経済についても知識豊かなさわやか好青年に見えたことであろう。


無論我が家にはガーデニングは疎か、植木鉢一つない。

店員

2006-01-16 01:37:08 | その他
買い物というのは何かと気を遣うものである。


僕は深夜に小腹が減ると近所のコンビニまで自転車を飛ばすことにしている。この時間帯のコンビニは客の数も寡少なので貸し切りに近い状態で買い物を堪能できる絶好のチャンスである。なのでお目当ての商品をカゴに放り込んだあとも、新商品のお菓子をチェックしたり雑誌を立ち読みしたりしてゆっくり店内をぐるりと一周する。そして最後の最後になってからようやくレジへと向かう。

しかしこのレジが実に難関なのだ。

御存知の方も多いと思うが、元来僕は気が小さい。気の小さい人間にとって深夜のコンビニ店員ほど脅威となるものはないのである。あのお疲れ気味の表情とやる気のない声が威圧感を増長させるのであろう。なんでも昨年度の総務省の統計では深夜のコンビニ店員の75%が無愛想かつ不機嫌であるという結果が出たそうだ。

まず店員をレジまで導くのが最初の課題である。僕の放つ買い物終了テレパシーをそれとなく感じ取り、僕が向かうのとほぼ同時にレジに飛んできてくれる店員も稀にいるのだが、大抵の店員はテレパシーを受信するアンテナが故障しているので何分待ってもレジに来てはくれない。そんな場合は意を決してレジに向かうしかない。

わざと店員に聞こえるようにカゴを台の上に「カタッ」と乗せる。しかしこの音は決して大きすぎてはならない。店員の怒りに触れぬよう細心の注意を払う必要があるのだ。なんでも昨年度の総務省の統計では深夜のコンビニ店員の80%がカゴの音を聞くと不快感を覚えたそうである。

買い物の中身も非常に重要である。間違っても買い物内容がガム1コだけなんていう失態を犯すわけにはいかない。それなりにカゴの中身がないとわざわざ来てもらった店員に申し訳ないではないか。かといってカゴの中身は多すぎてもならない。決して店員にムダな手間を掛けさせてはならないのだ。したがって、量はそこそこあるが手間のかからない商品がベストである。なんでも昨年度の総務省の統計では深夜のコンビニ店員の85%が必要以上の買い物をされると憤慨して客にアツアツの肉まんを投げつけたそうである。

支払いの時も緊張は続く。お釣りはできるだけ減らし、店員の手の運動量を最小限に抑えなければならない。間違っても1万円札なんて差し出してはならない。なんでも昨年度の総務省の統計では深夜のコンビニ店員の90%以上が5千円以上の高額紙幣を差し出されるとレジにあるおでんの鍋をひっくり返したそうである。

お釣りを受け取ったあとは店員に深々と頭を下げてから店を出る。これで買い物は無事終了の運びとなる。

ただし、こんな危険な買い物が終わった時、空腹の事はまるで忘れている。


少女

2006-01-13 21:53:41 | その他
街を歩いていると実に様々な人間とすれ違う。

先日、僕の行く先からこちらに向かって歩いてくる少女がいた。彼女は小学校2,3年生といったところだろうか。黄色い通学帽を被り、背中には赤いランドセルを背負っていて、まぁよく見る下校風景である。しかし彼女の手には不思議なモノが握られていた。

コーンバー。

工事現場で黄色と黒のシマシマの棒を見かけたことはないだろうか。アレである。踏切の遮断機のような両端に輪っかのついたあの棒である。

なぜ少女がそんなコーンバーを持っていたのだろうか。

小学生の持ち物としては明らかにおかしい。授業でコーンバーはまず使わないだろう。これで少女が黄色いヘルメットでも被っていれば「あぁ、現場作業員か」と納得がいく(余計に謎が深まった可能性もあるが)。しかし彼女が被っていたのは黄色は黄色でも通学帽のほうだった。

様々な仮説が僕の脳内を遍く駆け巡る。

少女はコーンバーでリレーのバトン受け渡しの個人練習をしようとしていたのではないだろうか。チームワークを大切にする、甚く責任感の強い少女である。もしくは少女の趣味が土木工事で、そのためにコーンバーがどうしても必要だったのではないだろうか。頗る健気な少女である。

しかし現実性という観点からどれも説の力はかなり弱い。

その時、ある経験を思い出した。

僕は何年か前、ある飲み会がお開きになった後、酔っぱらって工事現場のカラーコーンを持って都心をウロウロしていたことがある(正確に言うと後に友人から聞いた話だが)。まさにこれなのではないだろうか。

酔っぱらいというのは何かとモノを動かしたがる。それはアルコールの摂取量に比例して巨大化していく。以前ベロベロに酔ったサラリーマンが自販機を持ち上げようとしているのを僕は見かけたことがある。そういうことである。

きっとあの少女は酔っぱらっていたのだ。彼女はぐでんぐでんの状態で下校途中にコーンバーを見つけ、そのまま持って帰って来てしまったのだ。これならばすべての辻褄が合う。

果たして彼女の通う小学校では給食に焼酎でも出るのだろうか。


初恋

2006-01-12 17:17:21 | その他
僕は小学校1年生の数ヶ月間をイタリアで過ごしていた。なんだか自慢しているような感じがイヤなので、あまり知り合いには話していないのだが事実である。

父の仕事の都合で向こうに渡ったのが僕が小学校に入ってすぐだった。ようやく新しい友達もでき、小学校のクラスというものに馴染み始めた矢先の出来事だ。しかしこればかりは仕方ないと子供心に思ったのか、あまり悲しみに耽った記憶はない。クラスのみんなが開いてくれたお別れ会の翌日、僕は家族共々イタリアへと渡った。

僕はローマの日本人学校へ通うことになった。しかし、僕はまだ遠い日本の事を思い出す日々が続き、とてもローマで友人を作る気にはなれなかった。

そんなある日、授業が終わり家に帰ろうとすると校門の前に一人の少女が立っていた。イタリア人の少女である。そしてその青い瞳は僕を見つめている。その時は特に気にも留めずに通り過ぎたのだが、その少女は翌日もさらにまた次の日にも門の前に立っていた。

そしてそんな日々が約1ヶ月程続き、ついに僕は彼女に声をかけた。

「何でいつもここに立ってるの?」

僕はイタリア語が話せなかったので日本語で彼女に語りかけた。すると彼女は小さな声でつぶやいた。

「トモダチ・・・」

彼女はカタコトの日本語でたしかにこう言った。他の日本人学校の生徒に教えてもらったのだろう。彼女はどうやら僕と友達になりたかったようだ。

それから僕らは学校が終わると一緒に遊ぶようになった。遊びといっても小学生の遊びだ。公園でブランコやシーソーに乗るといった程度である。

相変わらず日本人学校で友達ができなかった僕にしてみればイタリアでできた最初の友達だった。お互いに話す言葉は分からないのだが楽しかった。彼女といるとすべてのイヤなことを忘れられた。まるで時間が止まっているようだった。

僕は彼女に恋をした。

しかしそんな楽しい日々も長くは続かない。イタリアへ渡って約半年、ついに別れの日がやってきた。日本に帰ることになったのだ。あれほど帰りたかった日本のはずなのに何故か僕は複雑な心境だった。そして僕は一生懸命に覚えたイタリア語で彼女に伝えた。

「明日日本に帰るんだ」

彼女は表情を変えずに僕を見つめていた。初めて出会ったときのように美しい青い瞳で。


ついに帰国する日はやって来てしまった。僕は彼女の事を思い出しながらローマの空港で飛行機の出発時刻を待っていた。すると後ろから僕の名を呼ぶ少女の声がした。

振り返るとそこには彼女が立っていた。そして僕に駆け寄るとそっとこう言った。

「私の名前はクラウディアって言うの」

ここで僕は気づいた。今まで僕は彼女の名前すら知らなかったのだ。名前も知らぬまま僕は彼女とローマの日々を過ごしていたのだった。

さまざまな想いが僕の心を打つ。しかし僕は適当な言葉が見つからず、何も言えずに黙っていた。そして一言

「さよなら」

と言うと、脇目も触れずに搭乗口へと向かった。もうこれ以上彼女の姿を見ているのは辛かったのだ。彼女は僕が搭乗口に姿を消す最後まで手を振っていた。

僕は動き出す前の飛行機の中で

「大人になったらクラウディアに会いにまたイタリアに来よう」

そう思った。そして僕を乗せた飛行機は日本へ向けて飛び立っていった。



なんと感動的な話だろうか。なのでこれがまったくの作り話だということは黙っておく。

足元

2006-01-11 23:03:01 | その他
この間テレビを見ていたら一青窈が歌っていた。

彼女の魅力は歌詞や歌声を含めた独特の表現力だろう。しかし、それもさることながら僕がもっとも印象的なのは歌っているときの彼女独特の表情である。

どんな?と聞かれると説明に非常に困るのだが、僕が敢えて吹き出しを付けるとしたら「ひぃ~~っ!!」みたいな感じの表情だ。彼女が歌っているシーンを見たことのある方は是非思い出して頂きたい。彼女はしばしばそういう表情を見せる。しかしそれでもまだ分からない方のためにもうちょっと具体的な例を挙げよう。冬場、外から帰ってきた人に冷え切った手を背中に突っ込まれると突っ込まれた側の人はよくああいう表情になる。そういう表情だ。彼女は時々そういった表情を見せるのだ。

なぜだろうか?

ここから先はすべて僕の想像でしかないが、おそらく彼女は寒いんだと思う。いや、正確に言うと冷たいのだろう。先に述べた背中の例から考えて、きっとどこかが局地的に冷たいのだ。

だとすると一体どこが冷たいのだろうか?

これは想像ではなく自信を持って言える。間違いなく足元だ。

御存知の方も多いかも知れないが、彼女はステージ上で裸足になって歌う。きっとあまりに足元が冷えるので歌の最中にも関わらずつい表情に出てしまうのだろう。しかしあくまでこれは彼女のスタイルだ。彼女にしてみれば裸足が一番歌いやすいのだろう。なので僕がどんなに靴を履くように言っても彼女はそう簡単には聞き入れてくれないだろう。こればかりは致し方ない。

ただ、もし彼女に会う機会があったらこれだけはどうしても伝えたい。

「靴下くらい履いてもいいんじゃないですか?」

ひょっとすると靴下を履いたらもう一段高い声が出るかも知れないし、何か新たな世界を見つけられるかも知れない。そういった意味で僕はどうしても彼女に靴下を履いて欲しいのである。

それと、もう一つついでに僕が彼女に伝えたいのは「窈」という漢字の変換に奮闘していた僕の苦労だ。

封鎖

2006-01-10 21:18:37 | その他
 見ず知らずの他人同士が同時にまったく同じ事を考えるというのはほぼ奇跡に近い。

 しかしその奇跡が今日起きた。

 僕が道を歩いていると行く先に宅配便のトラックが止まっている。そのトラックは道路脇にある電柱ギリギリのところに止まっていたので、電柱とトラックの間は子供が一人通るのがやっとという幅である。当然ほとんどの通行人は電柱のない方、つまり車道側を歩いていく。しかし果敢にもトラックと電柱の間に挑戦しようとする強者が現れた。僕の前を歩いていた主婦だ。
 先に断っておくが、この主婦はただの主婦ではない。身体の横幅が僕の2倍はあろうかという大柄な主婦だった。女相撲大会に出たら地区チャンピオンくらいにはなれそうな立派な体格だった。そんな彼女がより確実にトラックを交わすには言うまでもなく車道側を通った方が間違いない。しかし地区チャンピオンは勝負を挑んだ。なんと彼女はトラックと電柱との間にある僅かな隙間目がけてズンズンと進んでいったのだ。
 彼女があの間を通過するのが無理なのは容易に予想はついたのだが、好奇心旺盛な僕が結末を見ずして車道側を行くはずがない。当然後方から彼女の様子を窺った。
 
 彼女はムギュウと身体をその隙間に埋めてゆく。僕にはトラックが気持ち車道側に傾いた気がした。一方の彼女はというとそんなことは気に留めずにひたすらに突破を図っている。しかし、しばらくするともうこれ以上は進めないといった感じで彼女の前方への動きがピタリと止まった。詰まったのだ。そしてその瞬間、電柱とトラックと主婦は見事に三位一体となった。

 いくらチャンピオンと言えども(僕が勝手に言っているだけだが・・・)、さすがにあの幅では歯が立たなかったらしく、しぶしぶ重心を後ろに傾けた。そして次の瞬間、スポッ!!っといった感じで彼女は隙間から解放された。

「最初から通らなきゃいいのに・・・」

僕はそう思った。

そしてここから事態は思わぬ方向へと発展する。

 チャンピオンはトラックの前方に回り込み、運転席の窓をゴンゴンと勢いよく叩いた。伝票を数えていた運転手はビックリしたように彼女を見つめた。そして彼女は運転手に「こんなところにトラック止めないでよ。通れないじゃないの。」みたいなことを言っていた。運転手は帽子をとって一応は「すいません」と言っているようだった。

しかし彼女が去った後の運転手の口の動きを僕は見逃さなかった。あの運転手は窓を閉めた後に間違いなくこう言っていた。

「最初から通らなきゃいいのに・・・」

融通

2006-01-09 21:13:51 | その他
この時期、日本人の食生活はガラリと変わる。ただ正月というだけで日本人はびっくりするくらい餅を食べる。一年分の餅を正月にまとめ食いしてるんじゃないかってくらい食べる。

餅批判に関しては僕は本が一冊書けるくらいの持論をもっているのだが、今年はそんなに餅を食べてないので文句を言う権利も必要もない。


それより僕がイヤなのは雑煮やお吸い物に入っている「ゆず」である。ゆずが料理に用いられるのは正月に限ったことではないが、この時期は日本の食文化に対して何かと疑問を抱き、僕自身ピリピリしていて非常に敏感になっている。そんなわけでゆずについて思い切り批判ができる絶好のチャンスなのである。

まずは味である。言っておくが、僕はゆずの味自体にケチをつけているわけではない。ゆずを料理に使うことにケチをつけているのである。よく料理番組などで「ここで風味をつけるためにゆずを入れま~す」などと言ってゆずを躊躇無く使っているシーンを見かける。これがそもそもおかしい。ゆずを料理に使ってしまうと風味どころではなく、料理全体がゆず味になってしまう。ゆずが一欠片入った瞬間、それまで苦労して作ってきた味が問答無用にゆず一色に染められてしまう。塩もコショウも醤油もミリンもこの一欠片のおかげで台無しである。そんなにゆず味にしたいのなら直接ゆずを食べればいいと思う。

しかしそれ以上に僕がイヤなのは食以外の文化との兼ね合いだ。ちょっと勘の言い方にはもうお分かりかも知れないが、日本には昔から冬至の日にゆず湯に入るという習慣がある。

風呂にゆずを入れたのと料理にゆずを使ったのと、どっちが先だったかは知ったことではないが、いずれにせよ風呂か料理のどちらか一方に用途を絞る必要があると思う。

この違和感がネックとなって僕自身、ゆず入りのお吸い物を飲む際やゆず湯に入る際、風呂の残り湯を飲んでるような気がするし、自分がお吸い物に浸かっているような気がしてくる。

とにかく、風呂と料理の両方のゆずを堪能できるほど僕は融通が利く人間ではない。