銭湯

2006-01-30 00:10:16 | その他
我が家から徒歩数分のところに「白山湯」という銭湯がある。

近頃はジェットバスになっていたり、エステが併設されている銭湯もあるそうだが、この「白山湯」は番台を中心に男湯と女湯が左右対称に分かれていて、屋根の上にはねずみ色の煙突がそびえ立つ、そんな昔ながらの銭湯である。僕にとって「白山湯」は古き良き日本の雰囲気が味わえる貴重な場所の一つなのだ。しかし最近はなかなか行く機会がなかった。

先日のことである。久しぶりに「白山湯」に行った。約三ヶ月ぶりということで少し緊張しながら「白山湯」の暖簾をくぐる。しかし「白山湯」は三ヶ月前と何一つ変わっていなかった。何だかホッとした。そして下駄箱に靴を入れ、木の板でできた鍵を抜き取って番台へ向かった。番台には泉ピン子似のおばさんが不機嫌そうな顔をして座っている。これも三ヶ月前と一緒だ。ピン子はまるで三ヶ月前から動いてないんじゃないかというくらい微動だにしない。この昭和の香りが漂うおばさんも「白山湯」の魅力を形成する一つの要素である。

入浴料を払って脱衣所へ行く。そこには誰もいなかった。それもそのはずである。僕が入店したのは開店間もない午後四時過ぎだった。しかし恥ずかしがり屋の僕からすれば誰もいないのはむしろ好都合だった。

洗い場にも浴槽にもやはり誰一人としていなかった。そして体を洗って浴槽にとぷんと浸かる。完全に貸し切り状態である。誰もいない銭湯というのは実に気分がいい。そしてあまりに開放的になった僕に一つの考えが浮かんだ。

せっかく誰もいないんだから普段できないことをしてみたい。

いろいろ考えた。「ばばんばばんばんばん、はーびばのんのん」と大声で歌うというのももちろん考えた。しかし女湯には人がいるかも知れないのでそれは未遂に終わった。

そして閃いた。銭湯には風呂場の入口に無数の洗面器が置いてある。これを全部湯船に入れてみたい。そう思ったのである。後から考えれば馬鹿としか言いようがないのだが、この時はもう止められなかった。

計画は実行に移された。僕は入口に積んである黄色い洗面器を次から次へと湯船に突き落としていった。やがてすべての洗面器を投入する作業が終了すると、湯船は黄色一色となり、水面はもはや見えなかった。実に美しい光景だった。そしてわくわくしながらゆっくりと片足からその中に入っていく。僕の体は無数の洗面器に包まれた。洗面器風呂である。パラダイスである。言い知れぬ満足感と達成感が全身を駆け巡る。

もしもこんなところを番台のピン子に見つかったらこっぴどく叱られるに違いない。この常軌を逸した行動に弁明の余地はないだろう。しかしそのようなスリルが僕の興奮をさらにエスカレートさせていった。


その時である。脱衣場に人の気配を感じた。ふと視線を移すと湯気の向こうでおじさんが服を脱ぎ始めていた。早くも本日二番目の客が来てしまったのである。しかもあろうことか、そのおじさんはまるで般若のような怖ろしい顔をしていた。背中に入れ墨がないのが逆に不自然なくらいだった。

まずい。もしもあのおじさんがこの洗面器風呂を見たら、、、。そう考えると背中に虫酸が走った。しかもおじさんはあと一枚脱いだら全裸というところまで来ている。今からすべての洗面器をすくい上げる時間はない。僕はパラダイスから一転して絶体絶命の窮地に追いやられてしまった。

しかしどんなピンチにもわずかなチャンスというのは残されているものである。そのおじさんは全裸になると脱衣所の脇にあるトイレへと入っていった。

今だ。僕が生きて「白山湯」を出るにはこの機を最大限に活用するしかなかった。もちろんこのタイミングで洗面器をすべて片付けてしまうというのも選択肢の一つである。しかし考えてみてほしい。よしんば浴槽から洗面器が一掃されたところで、残りの入浴時間をあのおじさんと共に過ごさねばならないのだ。無論、僕には般若と同じ湯に浸かるだけの度胸はない。

僕に残された道、それは「白山湯」からの脱出だった。

僕は大急ぎで脱衣所に向かい、一目散に服を着始めた。そして不幸中の幸いとはこのことで、その日はボタンの少ない服だったため、スムーズに着替えは終わった。するとその瞬間、トイレのドアががちゃりと開いた。それと同じタイミングで僕は「白山湯」を飛び出して一心不乱に走り出した。

「ありあとごあいやしたぁ」。後ろからはピン子の面倒臭そうな声が微かに聞こえただけだった。