相談

2006-01-31 20:51:01 | その他
友人が結膜炎にかかってしまった。僕自身も何年か前になった事があるので分かるのだが、ああいう類の病気というのはかゆいのに患部を掻けないというのが何よりつらい。ひたすらかゆみに耐え続けなければならないのだ。周囲の人間にしても見守ることしかできないというのが何とももどかしい。

昨夜、そんな彼から電話がかかってきた。

彼の話ではかゆみは大分おさまってきたそうである。患部の腫れも引き、眼科に通う回数も減ってきたとのことだ。しかし目のことで何やら僕に相談があるらしい。

チャンスである。今まで見守ることしかできなかった結膜炎の患者に救いの手を差し延べられる絶好の機会ではないか。僕は、何でも言ってくれとばかりに彼から相談の内容を聞いた。もちろん多少の無理なら聞き入れるつもりでいた。


しかしその相談というのが実に僕を悩ませるものだった。

彼は普段メガネをかけている。しかし眼帯の上からメガネをかけるのがどうも格好悪い。これが何とかならないものか、というものだった。

難題である。しかし勢いよく受けてしまった相談なのでこちらも引くに引けない。もしも僕が適当な男であったならばこの問題は「我慢しろ」の一言で片付くのだが、何しろ僕は人一倍心優しい好青年である。ここはどうしても彼のためにいい解決策を見つけなければならなかった。

しかしメガネと眼帯の両立というのは部活と勉強、仕事と恋愛、以上に難しい。僕は一人頭を抱えて悩んだ。

しばらくして僕は、前髪で眼帯をしている方の目を隠してみてはどうか、と提案した。いわゆる『ゲゲゲの鬼太郎』スタイルである。しかし彼は「悪いが、ついこの間髪の毛を切ったばかりだから」と言ってこの案を丁寧に断った。まあそれならば仕方ない。

僕は「後でこっちから電話する」と言ってひとまず電話を切った。

さて、ここからが問題である。後で電話すると言った以上、何かいい解決策を用意せねばならない。差し延べる救いの手の主は僕でなければならないのだ。心優しい好青年の名にかけてもこれだけは譲れなかった。

三十分後、彼に電話をかけた。眼帯に目玉を書き入れるのはどうか、と彼に聞いてみた。僕が三十分かけて搾り出した一つの答えである。しかし僕なりに彼の事を思い、熟考した結果だったにも関わらず、電話の向こうの声は心なしか怒気を帯びているようだった。

僕はメガネと眼帯の両立の難しさを改めて実感した。

今回の教訓は二つある。何事も両立は難しいということ。そして深刻な悩みは僕に相談してはいけないということ。

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