続きです。うちは交流会の後自宅に戻って寝て、翌日またそれぞれの分科会におばあちゃんと私で別々の講座に分かれて参加しました。
リナは出るときまだ寝ていたので、今日は半日で帰るし、とお父さんと家においてきました。私はバギーの姫と一緒に部屋に入ると、13人ぐらいの方がおられたと思います。軽く皆さんが順番に自己紹介をしていて、(私は建物の中で迷ってしまって少し遅れてその終わりごろ部屋にはいりました)、私も姫が大田原症候群であること、脳梁離断を長崎で受けたことを一言二言話しました。
その後はスライドと口頭での講話で、静岡てんかんセンターの療育を担当されている先生が、早期療育の大切さを話されていました。そもそも早期療育というものを最初に始められたのはこの先生なんですって!割と若々しい印象なのでびっくりしました。先生のお話を要点だけですが●で書きます。
●発作があってもリハビリや療育は継続して続けることが大切。本人もお母さんも大変だと思うけれど、なるべく維持できるようにする。
●てんかん児には二種類ある。①てんかんが脳障害を引き起こしている子と、 ②脳障害があるからてんかんを引き起こしている子。見極めは難しいけれど、そこを踏まえた上での療育でなければならない。
MRIでもCTでも異常がなかったんだし、姫は①であってほしい、①のはずだ、とずっと思っていましたが、発作がなくなってからの姫の様子をみるにつけ感じるのは・・・きっと②なんだろうなぁということ。
発作さえなくなればよくなる、という希望があるからこそ手術に向けてあれだけ動けたわけで、それは後悔していませんが
発作がなくなっても残る「てんかん児」ではなく「重度脳性まひ児」の姫を見るのはつらいです。
先生のおっしゃることは療育の現場で働く方へ向けた専門的なものではありましたが分かりやすくて、自分の中でずっとあったものが言葉になった感じがしました。
●「自閉症」や「ADHD」という障害に加えて「てんかん」を併せ持っている子供が多く、発作に隠れてしまって見づらいその障害についてもサポートをしなくてはいけない。
●人とのかかわりが下手で怒られたり理解されないことが二次障害としておこってくるので、運動面や作業面を伸ばすことだけでなく、精神面も大切にし、生活しやすくすることを目標として療育することでお母さんも子供も楽になる。
●学校、保育園などとも直接連携をとって療育の輪をつくる。その子の持つ障害についての理解を深める。問題児というレッテルを貼られる前に、こうしてあげてほしいという具体的な対処法をお願いしておくことが重要になる。直接説明に行ったこともある。
●基本的に褒めて伸ばす。怒る、怒鳴るなどは逆効果。てんかん療育には自閉症やADHDについての知識も必要となってくるということや、心理面のケアや連携も含めた形の早期療育をもっと広めたい。
私なりにまとめたものですが、細かい部分など違っていたらすみません。
ADHDや自閉症傾向(アスペルガー症候群など)を併せて持つ子が多いという部分では、どきっとしました。「一緒にみえたお母さんのほうが、気づいていなかっただけで実は子供よりアスペルガー傾向が重かったということもありました」と聞いてさらに動揺。
やっぱり遺伝?
最後の質問時間で、「お母さんからも何かあったらどうぞ」と言われ、場違いかもしれませんが
「やっぱり、娘の脳障害はADHDであろう私が持っていたものが遺伝したのでしょうか?ずっと前から気になっていましたが、ADHDとてんかんの関連について初めてお聞きしたので・・・」と質問しました。誰にも聞けなかったことで、ずっと気にしていたこと。こらえても涙がこぼれました。
先生は「あなたはそこまでひどいようには見えないし、生活を送れているということは障害名をつける必要がないということです。きっと大変な中育ててこられたことと思います。あなたのせいかどうかはわかりませんが、それでいいと思います。」という感じで答えてくださいました。
「普通はこうするんだ、という知識で補ってなんとか生活している感じがします。子供の頃は集団生活に適応できず大変な思いをしました。ADHDの本をいくつも読みましたが、ほぼ当てはまっていて、診断は受けていませんがそうだと思います。娘の発作を止めてやりたくて長崎まで行って手術をうけさせました。でも発達が伸びません。やっぱりもともとの脳障害が強いのでしょうか」
あぁ、上手く言えない。どうしよう。療育の先生が少し困った顔をしました。
変なことを聞いてすいませんでした・・・と思ったところに、助け舟を出す形で発言された年配の方。
「眼鏡をかけなくては生活できなくても、それはもう障害とは呼びませんよね。それと同じで、誰もが軽微な障害を持っている。子供にたまたま大きい障害として出てしまったとしても、それを気にしすぎるべきではない。
私も子供の頃のことを振り返るにつけ、今の診断基準で判断すればADHDに当てはまったと思います。あなたや私のように知的好奇心が旺盛で、活動的な子供は一昔前は大勢いたよ。どうしても診断してほしければうちに来たら子供と一緒に見てあげるけど、今のあなたには治療は必要ないんじゃないのかなぁ」
「すいません。てんかんやADHDに詳しい先生にお聞きしたいと思っていましたが、聞く先がなくずっと抱えていました。答えていただいてありがとうございました」といって着席しました。
このおじいちゃんもきっとてんかんにかかわる何かの先生なんだろうなと思っていましたが、自己紹介を聞きそびれていたので終了後にお名前をお聞きしたらなんと森川先生でした。
静岡のてんかんセンターでお勤めの後、今は名古屋で開業されています。
薬のさじ加減が絶妙で、他でダメだった子でも森川先生のおかげで発作抑制ができた、という例がいくつもある!説明や診察が丁寧!だから、待ち時間は長いし名古屋のど真ん中だから駐車場がなくて通うのが大変・・・だけど、それでもかかってみるだけの価値はあるよ!というてんかんママからの情報をオフのときに聞いていましたので、
転院の時は私も、大府の今の病院にしようか、森川クリニックにかかってみようかで随分悩んだものでした。(近い大府にまず行ってみて、それでも発作が止まらなかったら森川クリニックに行こう!と思っていました。)
なので、それはもうお会いできて大変嬉しくて興奮しました。
先生方がおっしゃってくださったように、私はADHDじゃないかもしれないし、ADHDだとしても軽微かもしれません。ある程度本やネットで勉強したおかげでただ「普通っぽく」見えているだけだったとしても、それはある意味喜んでいいことなのかも?
うまくいえませんでしたが、私は別に診断名がほしいわけではないんです。精神に効く薬も、三人目についてまだ諦めが完全についていない今は飲めません。(私が楽になれば、子育てにもプラスになるだろうし、いずれは病院にかかって何らかのサポートを受けたいという気持ちは持っています)
姫の障害を個性と言うことも、自分の性格は個性的です、ということにも激しい抵抗があります。引け目みたいなものはずっとあります。
姫の障害が自分からの遺伝のせいじゃないかと思うのはつらい。
けど、遺伝するかもしれないなら子供を作るなって言われるのは悲しい。(公園で、「上の子がこんなでよく二人目作ったね。怖くなかったの?」と聞かれたりすると悪気はないのだろうけど凹みます・・・)
これ、矛盾しているでしょうか。結局何を聞きたくて何がいいたいのかは自分でもまだうまくまとめられません。
ADHDとてんかんの関連性や遺伝性については、まだこれから研究されて解明されていく部分が多くあると思うけれど、先生に思い切って聞けたことで何かが少しすっきりしました。言葉にできたこと自体が嬉しかった、ということってありませんか。
「あまり分科会にはお母さんの立場の方が参加することが少ないので、聞いていただけてよかった。お話も聞けてよかったです。」といっていただけました(社交辞令・・・だったとしても嬉しいからいいや)。とてもいい経験になりました。大会に参加できてよかった。
沢山悩むし、辛いことも多いけど、友達がいてくれて、夫は変でも別にいいといってくれて、子供は障害を持っている子も元気な子もかわいくて、なんとか生活できているから、ありがたい。
いろんな人との出会いで、支えられて励まされて、生きている。(HPへのコメントにもいつも力をもらっています、頂いたメールも大切にとってあります。ありがとうございます。)
これからも、ありがたく助け合って人生いきていきまっしょい!
※緑川、と最初お名前を間違えていました!正しくは森川先生です、大変失礼しました。