山歩人・吉克の山楽日記

北海道の“山”を中心にオールシーズン山歩(散歩)する・・・単独登山多し、山をテーマに限定した時々気まぐれ日記です!

奧徳富岳・・・災難続き?

2019年04月28日 | BC⛷スキー&冬山

奧徳富岳(尾白利加岳)1346mの山頂から

山スキー日和だったが、災難続きの山行山頂から滑走しようとしたらビンディング破損赤色のデジタルカメラ紛失背中等の鈍痛続く(CT検査結果待ち)簡易GPS修理中・・・しかし嬉しいことに、4月上旬に信砂岳で出会ったSさんらと山頂で再会し、固定バンドなどでビンディングを応急処置していただいた やや快適な滑りを楽しめた デジカメ紛失のためスマホ撮り数枚しかない648pあたりから群別岳遠くに大雪山や十勝岳、夕張岳・・・4月上旬に登った知来岳が眼下に・・・ひときわ大きい暑寒別岳登り8:00-13:00/13:30滑り15:45

奧徳富岳(おくとっぷだけ)=尾白利加岳(おしらりかだけ)

1994年まで、この山は名前のない無名の山であった。空知管内新十津川町と石狩市浜益区(浜益村)の境界にある無名峰だったが、新十津川町内外の登山愛好者が奥徳富岳(おくとっぷだけ)と公募等で名付けた。命名理由は、新十津川の古名がトックであり語感がトップに似ている徳富川の源流に位置徳富岳の西奥に位置・・・などを上げている。個人的には、尾白利加岳(おしらりかだけ)派だが

浜益10名山の冊子には、1956年頃から『尾白利加岳』と呼ぶようになった。1967年、日本百名山著のを深田久弥が雨竜沼から南暑寒岳に登り、増毛町に降りる際に『尾白利加岳』と付けたことに対し、素晴らしい山名と賞賛。画家で小説家の坂本直行氏も同じく褒めている。1950年発行の北海道谷と山には『ポン群別岳』の山名で載っている。国土地理院の地図上には標高点のみで山名表記も無いこともあり、地元山岳会を覗いては『無名山』とも呼ばれていた。1994年、新十津川町で山名公募が行われ、新しい山名として『奥徳富岳』と命名。幕末から現在まで『アアラ山』『尾白利加岳』『ポン群別岳』『無名山』『奥徳富岳』と5つもの名を冠し、山容は群別岳に勝るとも劣らない風貌ながら、大地を俯瞰する様は何故か感傷を誘う。しかるに"尾白利加岳派"と"奥徳富岳派"が存在するとある。帰路の厚田の夕日が素晴らしい


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