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あんなこと こんなこと

平凡な日々の中で、ちょっぴり心に響いたことなどを。。。

城巡り 名古屋城

2019-03-30 23:44:13 | 

名古屋城へ・・・。



予定では、無理をしないで
のんびりと 犬山城と その城下町で過ごす予定でしたが・・・

天守閣への思いのほか急峻な階段を
よじ登った(◎_◎;)にしては余力があったので予定変更。
次回にしようと諦めていた名古屋城に急遽行きました。。。

復元工事が終了した、
本丸御殿をぜひ見てみたかったからです。



ここは、1615年に尾張藩初代藩主・徳川義直公と
春姫の住まいとして建てられました。
その後は、名古屋城に来た将軍が宿泊するための
専用御殿になりました。

「近世城郭御殿の最高傑作」と呼ばれるほどでしたが、
空襲で焼失。
文献や実測図・古写真・障壁画などが残されていたので、
忠実に従って、2009年から復元工事が始まり、
2018年に完成しました。





御殿を訪れた人が、まず最初に通される部屋。
「玄関」(虎之間)。
通された人を囲むように、四方に勇猛な虎やヒョウが描かれています。
最初から緊張してしまいますね・・。


障壁画は「山水花鳥図」。桜、松、水鳥の遊ぶ風景、紅葉など。



鍵隠し。


見事な職人技!
この中には、ほとんどすべての彫金技法が駆使されているそうな!



見事な天井!

と、ここで、
突然、箱根の「福住旅館」に宿泊した時に、
立派な天井絵のある部屋に泊まったことを思い出しましたが、

・・・・・・・・
・・・・・・・・

御殿は将軍様がお泊りになるところなんですから
下々のものが、この絵を眺めながら休む・・・なんてことは、
想像することも、夢にも見る事も出来ないことでしたね ・ ・ ・ ・ ・


いよいよ 将軍様がお泊りになる「上段之間」


黒漆で塗られた「二重折上小組格天井」
他とは違います・・・。

「上段之間」への廊下の欄間。


上の欄間の裏側。



こちらは鳥の数も多いし、
将軍様の部屋側から見える方なので手が込んでいます。
差をつけた特別感ていうものでしょうか・・。






こんなに豪華な部屋で、
果たして将軍様はゆったりと休む事が出来たのかしら・・・?

な~んて くだらない感想はこのくらいにして、
素晴らしい芸術品を鑑賞させていただいた
格別な贅沢なひとときでした。

難しい高等な技を駆使した伝統技術を守る、
正に現代の職人技の競演ですね。。。


もう一度、ゆっくりと時間をかけて
一つひとつ丁寧に鑑賞したいものだと
撮ってきた写真を眺めながら思っているところです。












等な



城巡り 犬山城

2019-03-29 21:32:12 | 

春休みになった孫の希望で
名古屋方面に行ってきました。

名古屋駅に到着後 すぐに二手に分かれて、
孫たちはレゴランド、私たちは国宝犬山城へ。

「犬山遊園駅」で下車。
木曽川沿いの道に出ると、遠く小高い山の上に
犬山城を眺める事が出来ました。

木曽川は穏やかな流れで、
優雅に川鳥が遊び、
釣り人の姿も見かけました。



時は戦国時代。
信長、秀吉、家康にとって要となった犬山城は、
小さな城ではありましたが、
威風堂々とした魅力的な佇まいでした。



後堅固(うしろけんご)と呼ばれた犬山城。
天守の背面が断崖絶壁になっていて、
そこから攻めることが難しいことから
そう言われたようです。
天守閣の回廊からも見下ろしてみましたが、
実感でそれが分かりました。

木曽川の対岸は美濃の国。
そこからの侵攻を守る要塞の役目もあったのでしょう。

秀吉軍がこの城を攻めた時に
川を渡って この断崖を駆け上がったようですが、
今の時代だったら間違いなくギブアップですね。


絶壁です・・・。

木曽川は、戦国の時代から「木曽ヒノキ」を運搬する
交通手段として重要視されていたために、
その拠点となる犬山城は
信長、秀吉、家康にとっても大事な城であったのですね。






来週だったら、桜 満開の犬山城でしょうね・・・・・。













津久井城

2018-05-06 20:56:38 | 

汗だくで辿り着いた
津久井城跡は緑一色に輝いていました。



孫、嫁、私の女3人 プラスワンコ一匹で
城山の頂上にある津久井城跡までハイキングしてきました。

パークセンターを過ぎて林道に入ると、
樹々の間からの緑の風がヒンヤリと気持ちいい。
鳥のさえずりが聞こえてくるが、
大木の上なので姿をとらえることは出来ない。



アジサイに似た、こんな花が目に留まった。


ヤブデマリ。

花言葉がいい・・・。
“年齢を美しく重ねる”
“隠された美”
。。。。。。。。

そういえば5月の樹々の花は白い花が多い。
ここにもあったが、ヤマボウシ、ウツギ、エゴノキ・・・・・。



しばらく行くと、眺望が開けて「御屋敷跡」に。


ここは、津久井城主の内藤氏の居館があった場所。
後ろには、丹沢山塊や、塔ノ岳、高取山、
北条氏と武田氏による三増合戦の跡地である三増峠、
そして半原方面などが見えました。


さて さて、いよいよ登山道です。
孫の後方、右側からの道が途中二つに分かれます。


険しいが、短時間で着く男坂か、
時間は倍かかるが平たんな女坂か、
二者択一、 
どうしましょう・・・。

問題は、ワンコと私です・・・。

ま、無理になったら引き返せばいい」ということで、あっさり男坂に決定。

心配したワンコは、時々駆け足で行くほどだが、
私ときたら途中何度も休憩をとる。

孫が手を貸してくれたり、歌ってくれたり、
ワンコが立ち止まって心配そうに待っていてくれたり、
そんな優しさに励まされて何とか頑張れました。

緑の間から見える青空や、湖からも元気をもらって、




途中、本城曲輪とか、堀切、引橋などを見ながら
皆でゴールイン出来ました。

津久井城は、小田原北条氏にとって
大事な城であったようですが、
現在も発掘調査中で貴重な遺物が眠っているようです。

ますます興味津々です。。。


帰りは「水の苑」に寄って遅い昼食を取りました。
ルピナスが咲き誇っていて疲れを癒してくれました。


今回、一番頑張ったのは、この方。


パグ犬は、お散歩も短めにと言われている犬種なのに、
グーの音もあげず、
黙々と歩き続けていた後姿に、
私は感動していました。

でも、帰る直前になって、
やっと気が緩んだのか、
お座りの姿勢から、こんな体勢になっていました。

アイちゃん、よく頑張ったね。














一夜城

2017-05-17 22:55:04 | 

先日の日曜日、
小田原で野暮用を済ませた後、
一夜城に寄り道してきました。

入口から すぐ左に行くと、  
いきなり目の前に石垣 現る!

見上げてるだけでドキドキしてしまいました。

 

1590年、秀吉が北条氏の小田原城を包囲した時、本営として
総石垣の城を築いてから石垣山と呼ばれるようになったそうですが、
一夜にして築いたかのように見せかけたことから、
石垣山一夜城と呼ばれています。

この一夜城は、関東で最初の石垣の城だそうです。
今でも たくさん残っている石積みは、
近江の穴太衆(あのうしゅう)による野面積みと呼ばれるもので、
浜松城、岡崎城、彦根城他などでも見られる石積みです。
規格の無い自然石を適切に組み合わせることで強固になる この技法は、
高度な技術がうかがうことが出来ます。

築城後400年余り経過していますが度重なる大地震にも耐えてきて、
今日まで当時の面影を残しているのです。



今の私たちは だらだらと楽に歩けるように整備された坂を上がって
城に行かれますが、当時はどうだったのかしら?

秀吉がここに滞在した100日余りの間に、
千利休や淀君も訪れたそうですが、
利休さんは男性ですから大丈夫だとしても
か弱い淀殿は歩けたのかしら?

な~んて心配していると、連れが一言。

当然 籠で行ったでしょう。

で、落着。

しばらく歩くと広場に出ました。
二の丸跡です。


そこから更に上へ。
本丸跡です。


シャガが一面
薄紫の花を咲かせていました。

そこには、
連理木なる縁結びの木もありました。
左側がケヤキ、右側がヒノキで、
上の方の枝が繋がっています。



この日は、歩いていると汗ばむくらいの気持ちの良い天気で
本丸跡の緑陰は、時折り吹いてくる涼風と共に
何とも気持ちが良く、ず~っと居続けたい気分でした。

展望台から小田原の市街と相模湾を見下ろしました。

赤の矢印辺りが小田原城です。

ズームインするとこんな感じです。
中央付近が小田原城。


秀吉と淀殿も、緊張の日々の合間に こんな風景を眺めたのでしょうか?

帰途の坂道で、
こんな変わった蝶(蛾?)に出会いました。



秀吉の化身?
一瞬、そんな感覚になりました。


またぜひ!
何度でも行ってみたい、
私の「お気に入り」になりました。