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山や山野草、名湯を求めて,九州を中心にうろついてます。

「一路」(浅田次郎)を読む。木曽路を懐かしく思い出した。

2015年12月16日 | 日々雑感

久しぶりに浅田次郎を読んだ。


参勤交代の道中を描いた「一路」である。

浅田次郎は好きな作家の一人で、これまでに多くの作品を読んでいる。

彼の作品で最初に読んだのは、10年以上も前のことだが、
多分「天国までの百マイル」だったと思う。
軽妙なタッチでユーモアがあり、その上、人間味あふれて、
すごく郷愁と共感を感じることができた。

それからの一年くらいは、「写真館の女」、「月島慕情」などと
20冊くらいは読みあさった。
特に同世代の作家なので、淡い青春時代の物語が特に共感できた。


そして先日、友人の一人が、「読んでおもしろかったけど、貸そうか?」と言ってくれた。

「一路」か。「中山道」を舞台とした話だよね。おもしろいのかな?」という感じがした。

しかし、読み始めるととてもおもしろく、一気に読んでしまった。

「さすが、浅田次郎!」。チョット褒めすぎかな?


それとは別に、木曽路には、深い思い入れがある。
それは遠い45年も昔のこと。

高校山岳部に所属していた私は、高校2年の時に初めて北アルプス遠征に参加した。
博多駅19時半発の寝台急行「阿蘇」で名古屋まで行き、中央本線から松本に入った。

その時に初めて、車窓から木曽路を見たのだけど、
「あぁ、これが「島崎藤村の夜明け前」の世界か!。」

その時、いつかはこの道を歩きたいと思ったことを覚えている。

それが実現したのは、25年後の私が43歳の時だった。

たまたま出張で東京に行った帰りに、少しだけ時間がとれたので、
真夏の暑い中ではあったが、妻籠から馬籠の旧道を2時間くらい歩いた。

そして、4年前には、車ではあったけど、「これより北 木曽路」から
「これより南 木曽路」をじっくりと味わった。


その時の写真があるので、今日はそちらを主に紹介する。

国境の碑


中山道の説明文



本当は石碑だけで良いのだけど、これしかなかった!


この「これより北 木曽路」の碑は、昭和15年、当時68歳の島崎藤村の
揮毫によるものだそうだ。それが昭和32年に建立されている。


そして北に歩いていくと、「馬籠」へと入っていく。



夏の風景なので、季節感がないのはすみません。



この「但馬屋」にはずっと前に泊まったことがあるなぁ!



北へ上がっていく途中にある「寝覚ノ床」。



「一路」と無理に関係つけて、木曽路の景色をいくつか紹介したい。



福島の関所



こんな木橋もあった。



木曽路は、保存建物が多いのだけど、「奈良井宿」はとても良かった。



この店で、昔からの薬「百草丸」を購入。



またいつの日か行ってみたいものだ。






そして、「これより南 木曽路」

「これより南 木曽路」の説明文。


そしてその石碑。



「一路」の詳しい中身にはもうふれないけど、
本を読みながら一つだけ考えたことがある。

それは、「本」が先か、「映画」(ドラマ)が先かということ。
個人的には、やっぱり「本」のほうが先が良いかな。

「本」を読むときには、想像力をフルに使う。
話のスジがわかってしまうと、本を読む気力が萎えてしまうような気がする。

なので、BSであったドラマ「一路」は見ていない。


チョット長くなったので、この時の「木曽駒ヶ岳」の写真をいくつか。
逆さ宝剣。


「宝剣岳」の頂上で。
4年前なので若いね!


木曽駒ヶ岳の朝焼け



そして「コマクサ」。


この本を読んだ後、「木曽は山の中」(葛城ユキ)をよく聞いている。

♪♪
 「春が来ましたお風呂場の窓の外の
 遠くに見える あれば恵那の山の
 淡雪がやけに目にしみて
 苦しいことなど そのうちに解けるだろう
 人待ち顔の店で甘酒飲む
 やるせない味も変わるだろう
 木曾は山の中です 誰も来やしません
 だからあなたに会いたくて熱くなるのです ♪♪

歳をとってきたのか、とても懐かしい。


さぁ、いよいよ、今年も残りわずかになってきた。

いつもの「山中間」との忘年登山も終わったが、

今年の最後の締めに、「天山」に登りたいと思っている。
でも、時間がとれるかが問題だ!
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