ふくふく日記

絵本・紙芝居作家のよこみちけいこのブログです
子育てに家事に音楽に創作のことなどなど,マイペースでのんびり更新中

よーし!絵本作家になろう!

2016-07-29 08:55:54 | 絵本作家への道
絵本作家への道!第15巻

こころの法則を実践してみるの巻!

「よーし!心の法則とやらをやってみるかー」
って思ったんだけど・・・あれ?私の夢ってなんだっけ?願いってなんだっけ?
このころ、それすら何にもない日々だったんですよね。

なので、「小さいころって、私はなにが好きだったのかな、なにがしたいって思ってたのかな?」を、掘り起こしてみました。

もう今のダメダメな自分のことはいったん忘れて、自分ができるできないとかできそうと、そういうのを全部取っ払ったとき、
果たして、自分の本当にやりたいことって、なんだ???

と、考えてたら
「そうだ。昔は作家になりたいって思ってたなあ」
と、思い出しました。
そんで絵を描くことも好きだったんだなあって。
絵を描く仕事がしたいなあ~って、あこがれてたことを思い出したんです。
家でできる仕事がしたいなって思ってました。おお、思い出したぞ!

でも専門に絵を習ったこともない。、
それどころか、今の毎日の中で、もうまったく、絵を描くことも、お話しを作ることもしてませんでした。
なんと!絵本だって家には一冊もなかったんですよ。
もちろん絵の具とか絵を描く道具も一切もってませんでした。

夢って呼べるほど何の努力もしてなくて、ただ憧れて遠くから
眺めていたような、そんな昔昔の、夢のかけらが「絵本作家」でした。

そんな今ゼロの状態の私が、こころに強く「絵本作家になりたい!」って願ったら、どうなるんだろう。
必ず実現するのかしら?
こころの法則って、ほんとに誰にでもあてはまるの?
私にもできんの???

よーし、実験実験!
半信半疑だけど、こころに願うだけなら、まあね、タダですからね。

「強くしっかり願うために、毎日ノートに書くといいよ」
と、校長先生が最後にちらっとおっしゃってました。

なので毎日、日記帳の最後の3行くらいに「絵本作家になって、毎日楽しいなあ」っていう感じで、なりきり日記を書くようにしていました。
当時、ブログなんてものもないので、ふつうにノートに日記をせっせと書いてました。
読み返すと、昔の日記はグチグチ愚痴ばかり書いてましたよ!
愚痴ばからい書いてると、それがどんどん増幅するんですねえ。
言葉の力ってほんとにすごいんだなと、改めて思いました。

そんなスタートです。私の絵本作家になろうって動機は。


よく、「どうして絵本作家になろうと思ったのですか?」って聞かれることがあるんだけど、
「実は、こころ法則の証明のために、実験がてら始めまして~」
とは言えないので、いつもごにょごにょごまかしています。

でも、ほんとは絵を描いたり、お話しを作ったりするのが大好きだった、こども時代の夢のカケラがまだ自分の中に
残っていたんだなと思います。

やっと「絵本作家への道!」らしい話が出てきました~~。長かった~~~。
さあ、果たして!絵本一冊持っていなくて、絵もまったく描けないこの私、
心の法則の力で、どうやって絵本作家になったのでしょうか~~!!じゃじゃん!

つづきます・・・

こころの法則の話を知る

2016-07-28 11:13:20 | 絵本作家への道
絵本作家への道!シリーズ第14回。
勝手にシリーズで書いてますが、まだまだ長いので、つまらなかったらすいません。。。


続きです。。。

20代の後半、自分はダメダダメダダメダダメダ~~~~~~!!!
言い聞かせるように、生きてました。
今思うと、恐ろしい・・・。なにしてたんでしょうかねえ。

今、40代ですけど、20代なんてもうなんて楽しい!なんて輝かしい!若さがまぶしい最高に素敵な時期ですよ。
なんでもできそう。可能性の塊じゃ。
それなのになにやってんだい!って気持ちですよ。
もっと日々、目の前のことを楽しんで、自分のやりたいことをすればいいいのに~~。もうもう!

そんなうつうつしてた頃、会社で勉強会がありました。
勉強会というか研修会みたいなもので、朝9時から夕方17時まで、みっちり各県にいる講師が集まって日ごろの成果発表や、指導の勉強なんかをするわけです。

私の教室からの発表もあったりして、なかなか大変!
2日間、みっちりみちみちのスケジュールで、なかなかハードな勉強会です。

で、最後の日の夕方に校長先生の講義がありました。
校長の話方はソフトで柔らかく、その声色がまるで子守歌のように・・・。
もう研修会も二日目でみんな催眠にかかりそうなくらい、眠い。。
ぼーんやり聴いておりました。

その中で
「今から、『心の法則の話』をしますよ~。これすごく大事なところだから~!」

ん???心の法則~???

半分寝ながら聞いてたけど、このときだけ「はっ!」としました。

「心の法則を使えば、なんでもどんなことでも、自分の夢は必ずかなうんだよ~、
そのことを子供たちにしっかり伝えてくださいねー」

なになになに?それってなに?

校長の話を、おおざっぱですけどかいつまんでいうと

・心に強く強く願って、思い描いたことは、必ず実現する。
・なりたい自分を潜在意識にインプットするだけでいい

という話。
「え???」って感じですよね。
それを聞いて
「そんなんうそやろー。心に思い描くだけで、夢がかなうわけないじゃん」
って、鼻ほじほじするくらいの気持ちで「へっ」って感じで聞き流していたんだけども・・・

ふと
「これがほんとかどうか、まず自分が証明しないと、子供らにも教えられないなあ」
って思いました。
そのとき、私は小学生のクラスを受け持っていたので、子供たちにしっかり教えるには、まず実践してみせてみないとねえ。

こんな何もとりえもなくって、何にもできない私でも、何か心に強く願えばかなうのかな?
夢って実現できたりするのかしら?
ほんまに?
本気で???

そう思ったら、なんだか楽しくなってきたんです。

よーし、だまされたと思って、この「こころ法則」とやらをやってみよう!

とにかくまあやってみることにしました。
このとき、わくわくしてうきうきして、こころが高揚してきたのを覚えていますよ。

今まで自分サゲの日々だったけど、やってみるか!って思った瞬間、スゴク楽しくなった!


は~,やっとここの話まで来ましたわ~。
も、もうすぐ絵本の話が出てきますんで!

つづきます・・・。


サゲサゲな日々・・・

2016-07-28 11:06:12 | 絵本作家への道
転職したけど、なんだかうまくいかない話の続き。。。

このころ、もう自分に全然自信がもてない人でした。

まわりの同世代の友達は結婚したり、出産したり、仕事で頑張っていたり、
もうね、自分以外のみんながすごくまぶしい~~~!

あーあ、自分はなんでこうなってしまったんだろう・・・。
私の人生って、つまんねえな!・・・と思っていました。

もう27歳だというのに!自分探しか!

あ~あ、もっとこうしてたらよかった・・・とか、
もっと違う人生があったんじゃないか・・・とか。
そんなことばかり考え始めていましたよ。

自分には何の力もなくて、自分には何もできなくて、こんな自分が子供たちに何を教えておるのだ!?!?
っていう自己嫌悪感、自己肯定感はもともと低かったけど、さらに加速!

一人暮らしでお金もなかなか貯まらない、大体お給料が高くない。
やりがいで選んだ仕事だったのに、結局はまた前回の仕事と同じ気持ちになってしまってました。

結局、仕事のせいじゃないんだなってことですよね。
今なら、わかりますよ。
自分の考え方のせいだって。

でも、そのころは
「自分の何がダメなんだろう。なんで自分がダメダメなんだー!」
ってことしか、見えてない。
仕事がうまくできないのも、自己肯定感がかなり極端に低かったせいもあるなあ。

自分のやりたいことを見つけたかったのに・・・結局、みつかってない。
というより、自分が何をしたいのかすら、わからん。もう、わからーん。
どうやって生きていけばいいんだろう。

友達も多くない、趣味もない。彼氏もいないし、未来が見えない。
そんな感じで日々、激しく自分サゲしては欝々としてました。

占いにもよくいってましたねえ。
占い行くと、占い師には
「あなた、何も心配ないわよ、未来はあかるいわよ」
みたいなことを、よく言われてましたが、
「そんなの信じられない!」
と、思ってました。なら、占いに行くなよ!って感じですけども。

今思えばさ、20代なんて、なんでもできるし未来は何でも手に入れられるのに。
何をうつうつしてるんじゃ!って張り倒したくなるんですけどね。

この当時の私ときたら、まわりと自分を比べては、あれができない、これもできない、
あれも持ってない、これもしてない・・・と、どんどん自分で自分を下げまくっては、落ち込む・・・
という、ひじょ~うにマゾヒスティックな楽しくない日々を送っていました。


転職したものの・・・

2016-07-26 19:48:52 | 絵本作家への道
新しい仕事に転職した話。

心震えた求人は幼児教室の講師のお仕事。
ちょうど、うちの姉がこの教室の通信講座を受けていて
「すごいいいよー!楽しいよー!」
って絶賛おすすめしてくれたんですねえ。

そこの校長の本とかも貸してくれて読んでいたので、入社試験の時も
ちょっと難しい質問にも、すらすら~と答えられたので、のちに教室の室長が
「あのときの面接での回答があなたほんとうに完璧で、感動したのよ~」
と言ってたくらいですいお。おお!おかげですんなり採用になりましたよ、ありがとう姉!


幼児教室の講師なんですが、ここの対象年齢はなんと胎児から!
胎教指導から、小学生向けの教室。
教室の内情を詳しくは書けないのでちょっと省くとして~
人間の脳の話や潜在意識の話を使った指導でした。

わたしの初めて担当したクラスは赤ちゃん!
6か月の赤ちゃんと4か月の赤ちゃんですよ。
めちゃめちゃかわいかったです。

このとき担当した赤ちゃんのお母さんとは、年賀状のやりとりもしていて、もうかなりおっきくなってます。
はやいな~。あっというまだなあ。。。

まだ20代の新米講師の私はもうアップアップでしたけど、保護者のお母さんたちの
やさしいまなざしのもと、一生懸命レッスンしておりました。

まわりの上司も先輩も変わった人が多いけど、でもいい人ばかり。

ちびっこ相手のレッスンなので、準備することが多すぎて、時間との勝負!みたいな感じでした。


まあ、いろんな保護者の方がいらしてね、ほんとに心折れることも多々あった。
「顔が気に入らないから、担当変えて!」
とか
「あの先生じゃなくて、○○先生のがいいわ~」
とか、あからさまに言われる。きついわ~~。。。

子供はかわいいんだけど、お母さまたちはなかなかスゴイ人が多かった。。。
教室のお月謝も結構なお値段だったので、今思えばそりゃそうだよなあとも思うんですけどね。
だれでも自分にとって合う先生がいいよね。。。でも傷つくわ~~ん。

この会社も、変な人は多かったんですけど、みんな楽しい人ばかりでした。
途中、先輩がいろいろやらかしてクビになっちゃって、その人の仕事全部ドバーっと来たり、
大好きだった先輩が、なんと独立して教室を開くことになったり~
後輩が結婚して、先に辞めてしまったり~。

みんなが20代の女性ばかりなので、どんどんどんどん辞めて行く~~。
そして、会社の同僚だけでなく、自分のまわりの友人たちも、みんなどんどん結婚したり出産したり独立したりと、人生の節目を迎えていってました。
20代も後半になると、そろそろみんな次のステージに行くんだなあ。

と、何にも考えてなかった私。人生ノープランだったんです。
相変わらずぼんやーりしているよ、とほほのほ・・・。


仕事に慣れてきたころから、
「私はずっとこの仕事、続けていくつもりなのかしら?」
「なんで、大阪で一人暮らししているのかしら?」
「これからどうするんだろう。どうしたいんだろ~」
とかとか、色々考えるようになってきました。


こういう「先のことがどうなるのか不安」って若いころはアルアルですよね~。
このころ、男運も最悪で、ほんとろくでもない人とばかり付き合っては分かれて~ってしてたので、
結婚とか全くイメージもできなかったなあ。

ほんとにまあ、私の中身、すっかすかのからっぽでしたね。
今、思い返すと、大丈夫か?と心配になるレベルね。。。
タイムマシーンがあったら、乗り込んでいって「しっかりしろやー!」と喝をばしばし入れたいくらいです。

つづきます・・・。

心が震える

2016-07-26 10:27:54 | 絵本作家への道
保母資格をとった!よーし転職するぞー!

このころもですが、求人見に行くと、保育園や託児所のお仕事はいろいろありました。

でも、前回の仕事で失敗してしまったので、安易には決めないように、ここは慎重に。。。
このころの愛読書は「とらばーゆ」っていう転職雑誌でした。

ハローワークもまだまだ電子化されていないころでした。
大きな太いファイルが、職種ごとにわけてドドーンと置いてあってね、はさんである求人資料をいろんな人が回し読みしてお仕事を探すんです。
ものすごいアナログな世界!でもそこからほんの数年で、電子化されていきましたねえ。

今は仕事探すのは、PCで条件いれてポチンと検索!できますよねえ。
あまりの便利さに感動すら覚えましたよ。
今なら、スマホで仕事も探せるというね。
こうして振り返ると、ここ10年くらいの世の中のデジタル化はすごい進化だなあ。

近所の学習塾で事務のバイトをしながら、これだ!って思える仕事を探してました。
この学習塾で、パソコンの使い方を初めて学んだのでありましたよ。
パソコンの使い方を教えてくれた副塾長が左ききだったので、今でもパソコンのマウスは左じゃないとうまく使えない。


そうしてある夏の夜、仕事帰りにとらばーゆをコンビニで立ち読みしていたときに、

「幼児教室の講師募集!」の求人が出てました。
・ピアノが弾けて、
・保育士資格持ってる人、
っていう条件。

おおお!これだこれだ!
ここで働いてみたい~~~!!!

コンビニでこの求人広告を見たとき、心がうわ~~んって震えた気がしました。
武者震いみたいなのがして、あ、私今めちゃめちゃ興奮してるわ!って感じです。

自分の心にズキューン!って来るものがあったときって、こういう風になるんだなあと。
なかなかそういう経験って普段はないので、あの時のショーゲキ波は貴重な体験だったなと思います。
まだその仕事が決まったわけでもないのにね。もう心が震えてました。

このとき、全く給料みてなかったんですよね。
仕事の内容が、自分のやりたいことなのかどうか。
そこだけ見てました。

そんな感じで転職です。

この会社で学んだことが、ようやく絵本作家になりたいってところにつながっていきます。
やっとここまで~~~。

つづきまーす






資格とったどー!

2016-07-25 18:06:06 | 絵本作家への道
保育士(当時は保母)資格をとるために、ユーキャンで勉強するためだけの日々の続きの話。

このころはパソコンも携帯も持っていなかったので、どうやって情報収集していたのかしら。。。
今となっては記憶もおぼろげなんだけど、保母試験対策講座とか、ユーキャンに質問したりとかして、保母試験の情報を集めてました。

保母資格は各都道府県によって、問題が違っていました。
そこでいろんな県の過去問を解きまくって、傾向を比較。
その過去問もどこにも売ってないので、各県に問い合わせたりして、閲覧したりする。

とにかく足を使わないと、情報が手に入らないの~~~!
ほんと今って便利ですよねー。
グーグル様で検索したら、たいていの情報は入ってくるんだもんなあ。

というわけで、大阪・京都・滋賀・兵庫の近県の受験日を調べ、問題の傾向を見た結果、自分に合っていそうな
滋賀と京都で受験することに。

このとき、大阪の試験は四択問題なんだけど、ものすごく細かい問題やひっかけ問題が多かったんですよ!
なので、大阪で受けても受かる気がしないなーって近かったんだけど受けず。
兵庫はリズム運動の実技があって、運動が苦手なのでここもパス。
滋賀の問題はオーソドックスな筆記試験だったけど、基本を押さえていれば解けそうな問題が多かったかな。

受験科目が多いので、2日間にわたって朝から夕方まで試験があるんですわな。
もう受けるだけでくたくたです。
滋賀県まで出かけていくだけで、ふらふらですよ。遠い~~~!

でも試験の手ごたえはありました。
3か月の勉強で、ここまでできるんだなあ・・・と自分に感動よ。

10月になったら、郵便で結果が送られてきまして~~~
結果は~~~~

見事一発合格でした!!!!!うおー!やったー!
私、保母さんになれるよ!うおおお!!!

やったわ!ってめちゃめちゃうれしかったんですけど、これまた合格したこを、特に誰にも言うでもなく。

いや~無職の一人暮らしって、孤独ですね。人に会わないしね。
だれとも喜びを分かち合うことなく、一人達成感を味わいのでありました。。。


あのころの私、本当におめでとうおめでとう~~~~!

ちなみにユーキャンのテキストは本当にわかりやすくて、添削もスムーズで丁寧。
ほんとうにいい教材でした。おすすめです。
今は値上がりしていてまして、6万円近くするみたいですが。


自分で「これ!」って決めれば道は開けるものだなと、身に染みた体験でした。

この保育士資格を取得したことが、この後、私の人生のあらゆるところで
かなりのお役立ちアイテムとなっていくのであります

つづきます。

無職な日々

2016-07-23 13:40:08 | 絵本作家への道
仕事をやめた話の続きです。

もうやめたくてやめたくて、いやでいやで、毎日が、生きてるのがしんどくて、何やってんだ自分は!!
と、思いながら働いていたので、辞めたときは本当に気分爽快!

仕事やめて、大阪市内で引っ越して、まっさらな状態デスヨ。

しかも!
なんと!
次の仕事決まってない!っていうね。

さて、どうするか。

社会人になって、働いてみて、仕事ってほんま大変やな!ってことを、遅ればせながら知った私ですよ。
ほんと遅いですな。気づくの。

身に染みて、人に感謝もされず、怒られてばかりの仕事はもうするまい・・・と思いました。

じゃあ、次はどうするのか。私、どうしよう。どうしたいんだろう。

もう、お客さんに嫌がられて、迷惑がられることはしたくないなあー。
せめて、ちゃんと人から「ありがとう」って言われてみたい。そういうお仕事がしたいなーと。
そんでピアノを弾く特技が生かせると、なおいいかなー。

などなど考えていて、そこで思いついたのが、「保母の資格をとろう」ってことでした。
でもお金ない。無職だから。
手持ちのなけなしの貯金をちびりちびりと使いながら、暮らしてましたからな。

今は「保育士」って呼び名が変わりましたが、このころは「保母」でした。
で、保母資格を取るには、
専門学校とか短大に行って、勉強して資格を取る。って方法と、
国家試験を受けて、資格を取る。
っていう方法があったのでした。今はちょっと変わっているのかもしれないんですけど。

もちろん、学校とか通えないからさ、よーし!勉強して、国家試験を受けて資格とろう!
そこでユーキャンの保母資格取得講座を開始。
どっさりのテキストと通信講座がついて、39800円だったかな?これで資格とれるなら安い!

試験があるのは夏です。7月!
勉強始めたの4月!準備期間3か月です。

仕事辞めて、毎日ヒマ。
他にやることもないんだから、この3か月みっちみちに勉強すれば絶対試験通るはず!
とユーキャンの講座を信じ、資格取得のために勉強を始めましたよ。


この保母資格試験、なんと国家試験での合格率10パーセント未満だそうで!
結構、ハードな試験なんですよね。
受験科目がとにかく多くて、栄養学から、教育学から、看護衛生とか、10科目くらいあったのかな。
もちろん実技試験もあって、ピアノも課題曲とか初見演奏とか即興伴奏つけとかね。あと絵描いたり、リズム運動のある県もある。

なかなか大変な試験なのでしたよ。
でもまあ、ほかにやることないんだし、もうそれやるしかないですよね。
仕事も家事も子育てもない。ほんとに自由のみがありました。
このころ、ネットもないし携帯もないので、誘惑するものもありません。
唯一の楽しみが、お昼にやってた昼メロドラマを見ることだったかなあ。

「やるぞーーー!」
って決めて自分の時間をすべてこの勉強にささげてました。
でも、このことを私はだーれにも言いませんでした。親にも友達にも。

一人暮らしで、無職。もう、孤独にもくもくと勉強しておりました。
好きな時間に起きて~
好きなものを食べて~
お金はあんまりないけど、時間だけはありあまるくらいあった。

とにかく目標に向けてまっしぐら~~~!!!
ストイックな無職生活でした。






電話が苦手になったわけ

2016-07-22 13:54:17 | 絵本作家への道
大阪に引っ越ししてきて、指導部に移動になり、「よーし、がんばるぞ!」と、はりきって出社!

しかーし!

「営業から指導部に移動になった新人」=「営業で使いものにならなかったダメ社員」

というのが、この会社のお約束的見解なのですよ。
もう営業ができないやつは人類じゃない!ってくらいの勢いですよ。

、転任してきて挨拶に行って、そのあと大阪の所長に
「お前は、できなくてここにやってきたんだ!」
って感じでお昼の定食を食べながら、めちゃ怒られたのを覚えてます。
もうイキナリ!涙目!


でも所長は面白くて、何事にも熱い、人に対して根底に愛のある人でした。
怖いけど、みんなから慕われていて、私も嫌いじゃなかった。

ちなみにこの所長さんは1年くらいで栄転されて、いなくなっちゃいました。

「指導部」の仕事をかいつまんで説明してみると・・・
ファックス指導が主。
50人くらいの中学生を社員一人が担当してます。
そんで子供から送られてくるファックスの添削をします。

担当の子には週に2回、電話する曜日と時間が決まっていまして、勉強の進行具合や教材のわからないところなんかをアドバイス。
大体夕方から夜の9時くらいまで、ずーっと電話。はい、また電話デスヨ・・・。
でもテレアポ営業の時と違って、がチャン!って怒られて切られることはない。
(でも子供が家にいないことは多々ある。)

あとファックスを毎日送ってくるようにと、フォロー電話したりね。
この
「生徒がどれだけファックスをちゃんと送ってきているか」
っていうのも提出率を全部計算して数字化し、グラフにして張り出しですよ!

なので、提出率がよくないと指導不足!ってことで、怒られる。

このファックス指導は基本は3か月だけしかついてないので、3か月たったら
「そろそろ終了ですけど、どうされますか?継続されますか~?」
って、親子さんに何とか継続してもらえるように、アプローチする。
これも「継続率」っていうのを計算して、この数字が低かったら、指導不足!となるわけ。

あと、春と夏・冬に特別講習があり、これはふつうの塾の夏期講習みたいに電話やファックスじゃなくて、
普通の講義をする。
その講義も写真で教科を振り分けて、事業をしますよ。私は国語担当だったかな。
「講習会は別料金ですけど、ぜひ受けましょう!」とアプローチして、受け持ちの生徒を動員しないといけない。
これも「動員率」っていうのを計算し、数字が低いと指導不足!って怒られる。

というわけで、もうすべてが数値化されて、グラフになって張り出されるので、会社の中は営業部のころとあまり雰囲気は変わらない。

仕事は主に電話だし、数字をいつも電卓で計算しては一喜一憂です。

で、「電話で勉強を教えてはいけない」っていう決まりもあってね。
あくまで教材をうまく使えるがためのファックス指導なので、わからない問題はファックスで送ってもらって、書面で指導するってのが鉄則です。

営業と大きく違うのは、外に出ることがほぼない。
ずーっとオフィスで添削して電話する毎日。

それでも営業時代に比べれば、仕事は楽しかったかな。
時々、モーレツなクレームがきたり、継続してくれてても
「塾に行くことにしますんで~」って、やめちゃったり。
ごくまれに「先生のおかげで、志望校に合格したんです!」ってものすごく感謝されることもありましたが、めったいにないです。

受け持ちの子供のために、年度替わりじゃないと退職認めないっていう制度があって、年度替わりの3月にならないと退職できない。

電話とファックスで指導、って当時、なかなか画期的だっと思うけど、
それでもやはり対面で教えてもらえる塾や家庭教師に比べたら、全然弱いシステムだった。


今、もしこの仕事をどうしてもやれ!って言われたら年をとったこともあり、もっとうまくこなせるだろうなーって思ってしまう。
まあ今の時代に、ファックス指導ってね、ないだろうけどねえ。いや、まだあの部署あるのか?

このころ、25歳。
若いだけで、何にも知らない、できない子だったわー。まあ向いてなかったんだと思いますが。この職業に。

周りはほぼ同じ世代の若い人が多くて、仕事終わりにみんなでカラオケいって朝まで飲んで~とか、わやわや楽しい会社でした。
同年代の友達もすごい面白い人が多くって、ひとには恵まれていたのかなあ。

そのせいか、この職場で出会って結婚した人が結構たくさんいましたね。(そしてみんな辞めてる)
「ええ!あの人とあの人!付き合ってたの!!!」
みたいなこともいっぱいあった。

あのころ、仕事は嫌いだったけど、それよりも全然うまくできない自分のことがいやだった。
仕事とはいえ、やりたくないことをやることは、ほんとに辛い・・・っていうことが身に染みてわかったんだと思います。
周りの人たちもやさしくていい人多かったし、仕事もルーチンでこなしていけば、そこまでひどい!ってわけでもなかったのかもしれない。
でも、本当にやりたくない!つまらん!ってのが何より大きかったのかなあ。若かったわね・・・。


ちなみに、電話が今でも大の苦手です。電話をかけるのが特に。
今でも、美容院の予約電話するだけでも、ものすごい心がふさぐんです。
電話するのはいつも「えい!」って勢いつけないとできない。

なんでだろうと思ってたけど、この日記を書いてたら、この仕事の影響だったんだなあーとわかった。

というわけで、年度が変わるときに、思い切って退職してやりました。
退職したら、手続きがいろいろ大変なんだ!と、世の仕組みをもろもろ初めてしったのであった。

つづきます。


大阪に転勤になるの巻き

2016-07-22 13:46:27 | 絵本作家への道
営業時代の続きの話です・・・

名古屋で営業マンをしていて、営業先で水かけられたり、怒鳴られたり、世の荒波をいっぱいあびたので、
今でも名古屋の「名」の字をみただけで、心がふさぐくらい、名古屋が苦手になってしまったよ(名古屋の人ごめんなさい)
新幹線で名古屋を通って駅名が見えただけで「うっ・・・」って心に刺さる感じね。今はだいぶ和らいでますが。

とはいえ、名古屋の思い出といえば、
・営業先に行って営業トークする
・上司に営業の同行して怒られる

これが私の「名古屋の思い出2トップ」なのでしょうがない。
時々、営業中に名駅や栄でごはん食べたりしたくらいで、ほとんど遊びに行ってなかったな。
今思えばもったいなかったなと思うけど、心に余裕が全くないときだったのでしょうがない。

寮の近所のコンビニに行って、帰りしなに「焼きプリン」を買うのが唯一の楽しみだった。あれおいしかったな。

さてさて、営業部から指導部に移動になり、研修が終わったとき、
「どこの支社の指導部に行きたいのか」
と、打診がありました。

全国のいろんなところに支社があるんですよね。
もちろん地元広島に戻るっていうのもありだったんだけど、私は
「大阪がいい!」
と訴えたら、あっさり大阪支社に転勤することになりました。

もう関西大好きなんですよ。
大学時代の友達もいるし、愛着あるしもう絶対大阪に戻りたい~と

フジパン仲間のAちゃんは地元の埼玉に支社へ。
なので、それっきりもう会ってない。年賀状のやりとりもしていたけど、ここ数年
音沙汰なし。元気かなあ。。。

というわけで、心機一転!指導部で再出発することになりました。

指導部は何をするのかというと、営業部が販売した教材の中に「ファックス指導」なるものが、
3か月分だけ付帯特典としてあるんですよ。
ファックスと電話で、購入した教材をいかに上手に使えるようにするか、を指導するんですね。

大学時代に塾講師や家庭教師もしていたので、ワクワクして指導部へ行ったのでした。


ちなみにここまで「絵本」の絵の字もまったくでてきませんね。
絵も全然描いてません。もちろん「絵本」なんて見る余裕もなし。

でも、ここから7年後には絵本作家デビューが決まるんですよ~~。
面白いですよね。人生ってね。

つづきまーす。





フジパンの民話を聞く日々

2016-07-21 15:07:21 | 絵本作家への道
営業部に入って、半年くらいすると・・・

もう日々がつらくって、ストレスでどんどん太っていくのであった。

ちなみにお給料は現金支給でした。
トップ営業マンの先輩社員は100万とか200万とかの月給で、ものすごーく分厚い給料袋をもらうわけ。
で、売れない営業マンはペラッペラ。
この差を見せつけるために、現金支給だったんですねえ。

もう毎日毎日、電話をかけてはお客さんに嫌がられ、怒られる日々・・・。
契約もとれず、上司にも怒られる。

まあ、たまーに売れることもあるんですよ。
でも、売ったら売ったで
「こんなもんを売ってしまった~~~~~」
と、自己嫌悪になってたりね。

お休みもぐったり~として、どこにも遊びに行く元気もなし。

もう、もうムリダ。やめたい~~って、実家に電話した時に
「もうすぐお姉ちゃんが結婚するから、それがすむまで待って!」
って母に言われたのを覚えていますよ。姉の結婚と私の離職は関係ないのになー。

わたしの人生が本だとしたら、このころはページ真っ黒だなあ・・・。(保健体育の呪い?)

日々、営業電話を掛け続ける・・・。
アポが取れても、そのアポ先輩に回して~とか言われたり。

そしたら、同期のAちゃんがこそこそっと、
「この番号にかけてみ、営業してるふりをすればいいよ」
と、教えてくれたのが、「フジパンの世界の民話」の番号だったというね。


時々、ここにかけて、さまざまな民話を聞きながら、電話応答してる演技をしてました。
フジパンの菓子パンを買うと、袋の裏に民話の電話番号が今でも載っていてるんですよ。
こないだ、スーパーでフジパン買ったらまだ載っていて、
「お世話になったなー」と、懐かしい気持ちになる。

ま、そんな感じな日々で、民話きいてるわたしたち、だんだん病んできてましたね・・・。
23歳のうら若き日々が、民話聴いて終わっていくなんて!どうなの。

だんだん、
「なんか、カルーク交通事故にあいたいよね。そしたらしばらく入院してもう電話しなくていいもんねえ」
って、寮で集まってはぼそぼそ言うまでになってました。

そしたら!
同期のMちゃんが本当に営業中にカルーク交通事故にあってしまい、2週間くらい休むはめに!
言霊ッテオソロシイ。。。。

こうして営業部で頑張っている(素振り)は見せるものの、明らかに向いてないなコイツ。。。
と部長に判断され、半年たったら「指導部」に移動になることに。
民話仲間のAちゃんも一緒でした。

「やったー!」
と思ったのものつかのま

そこは指導部という名の「営業部」だったのでしたよ~。どこまでも続く営業な日々。

つづきます

営業一年生

2016-07-21 15:00:45 | 絵本作家への道
社会人一年目の話を。

名古屋の某教育系出版社に入社した私。
職種は営業。
営業もいろいろあるんですけど、私の配属された部署は、まず名簿を見て、かたっぱしから電話をかける。いわゆるテレアポですね。
片っ端からかけるので、まあ大体の場合はほぼガっチャン!って切られる。
でもときどき、「話きいてみようかな」って人が現れる。
そこがチャンス!
「お話しだけでも・・・じゃあちょうど近くを回っているので(回ってないけど)
○○日の××時くらいに、少しだけ伺ってもいいですか~?」
とか言って、アポイントをとるわけです。
そんでアポがとれたら、教材を抱えて、営業に行く。(クローズという)

私はこの「アポとり」だけはめちゃめちゃうまかったの。
なんかね、電話かけたら、結構アポはいっぱいとれるんだよね。
でもクローズがほんとへたくそというか、そりゃまあ気持ちの底に
「こんな高価なもの売りたくないな」
って思いがあったわけで、どうしても「ぜひ!」っていう押しがないわけですよ。

アポとり専門の部署があったから、そっちの部署に配属されてたらかなり好成績だったのになー。
わたしの部署は残念ながら、クローズが成功して契約とってこないとダメで。
そして契約とれないと、朝礼でめちゃめちゃ怒られる。
「給料泥棒!」「腐ったみかん」呼ばわりされたり(涙)。

ほぼ一日中、電話をひたすら掛ける日々。毎日100件くらいはかけてたか。
でもアポさえとれたら、
「クローズいってきまーす!」
って、外に出られるの。それがうれしくって、自由、自由、自由~~~♪

重い教材抱えながら、電車にゆられて名古屋のあちこちに行ってた。
最寄り駅が近いとこならいいんだけど、「ここはどこ???」っていう田舎にいくこともあったり。
でも、オフィスにこもって、ひたすら何十件も電話してるよりは全然楽しい。

なのでばんばんアポとって、うきうき出かけてクローズ行く。でも契約はとれない。。。
の日々を送っていました。

営業に向いてるのか向いてないのか、わかんないですね。
たぶん「これは絶対売りたい!」って思えたら、ものすごいできる気はする。

ちなみに離職率の高い職場でしたので、もうどんどん同期のメンバーはみんな辞めていってました。
同じ寮にいたメンバーもどんどん減っていき、3日でやめた子もいたなあ。

続きます・・・。

社会人一年目

2016-07-21 14:56:32 | 絵本作家への道
社会人一年目で、名古屋にやってきましたよと。

今、思い返しても全くもって、自分の中身は空っぽだったな!ってくらい、何もできない人でした。

ようやく内定もらえた会社だから、あまり調べもしないで入社したわたくし。
当時はPCも持ってなくて、卒論すらワープロで書いてたからね。携帯もない時代です。
ポケベルが全盛期だったのかな~?
♬ポケベルが~鳴らなくて~♪って歌まであったな。

教育系の出版社だったのですが、結構なブラックだったなと思われます。
最初は新人は全員営業からスタートで、そのあと指導部に言ったり、編集部にいったりと
希望の部署に行けるのだ!と、希望を胸いっぱいにして入社ですよ。

名古屋の社員寮に入ってました。新人女子社員が10人くらいいたかな?
みんないい子だったんだけど、女が集まればまあドロンドロンいろいろあった。
緊急寮会議!とかが、たびたびあって、よく招集されてました。

・お風呂の時間が長すぎる人がいる!
・トイレットペーパーを使う長さを決めるべき!
とかとかいうのが議題でしたね。

今思えば、凄いな…。
みんな慣れない仕事に、慣れない集団生活で、アップアップしてピリピリしてましたねえ。
このころはあんまり人見知りなく、だれとでもフレンドリーに楽しくできる性格だったんですよ。

同じ部署のAちゃんが隣の部屋だったので、ほぼ毎日夜中にあれこれ愚痴ったりしゃべったり、
気持ちを吐き出せる場所があるのはありがたかった。

とはいえ!仕事はほんときつい!
教育系の出版社なんだけど、私の担当は中学生向けの教材。
「これさえやれば、テストもばっちり!」
っていううたい文句で、中学生のいるご家庭に教材を売るわけですよ。
それがまあ高いの!
一番安いので38万円。セットをどんどんつけると70万円とかするのね。
それだけの価値があるのだ!って最初の新人研修(山の温泉宿に1週間軟禁研修)で、叩き込まれるわけですが、もう全然そう思えない。
こんなぺらっぺらの問題集がこのお値段!?!?っていう思いがあり、その営業トークも
「詐欺?」って思っちゃうくらいのもので。
最初は先輩の営業についていくんだけど、この詐欺まがいのトークで、ふつうの家庭のみなさんが
ポーン!って何十万の教材を契約しちゃうのを目の当たりにして、「えええええ」ってびびってました。

あーそうか・・・。勉強ができないって気持ちに付け込んでるなあ。
うまいこと考えてるなあこのトークは!
と、妙に感心。
でもそれを自分がやるのはほんとつらかったです。



続きます・・・。

マンドリンな毎日

2016-07-21 14:49:01 | 絵本作家への道
寝てばかりいた高校時代を経て、何とか女子大生になれた私。

ちなみに今もよく寝てます。
そのせいで旦那さんから
「前世はセミだったんじゃないのか?」
と、言われる始末。。。

まあ、それはいいんですけど、大学時代の話をさらりと。

何とか大学生になって、大阪で一人暮らしをスタート!
ちなみに「芸術学」という、ちょっと変わった学科が専門でした。

大学時代はようやく私も「青春!」って感じの「ピンク色」なページの毎日に。
仲間と夜通し語りあったり、恋したり、友達とケンカしたり遊んだり、泣いて笑ってけんかして~~って感じの
楽しい日々でしたよ。

一人暮らしって、ほんとになんて自由!
実家はいろいろ厳しかったので、ほんとに土から這い出たセミのように、自由を謳歌してましたねえ。

そんでもって「マンドリン」って楽器知ってますかね?
この超どマイナーな楽器でできたオーケストラ「マンドリン倶楽部」に入ってしまい、開けても暮れてもマンドリンを
弾きまくってました。
卒論も「管弦楽曲におけるマンドリンの音色の役割」みたいなマンドリンをテーマにしたくらいなので、どんだけ、はまっていたのかって感じですが。


そして・・・4年生になって、再び悩む進路・・・。
この私の生まれた1972年代って、第二次ベビーブームのピーク時だったんですね。
なので多いの!子供が!!
もちろん受験戦争も競争率高かった。
そしてちょうど「就職氷河期」って言われる、もう女子大生の就職たーいーへーん!な時期にまるかぶりでした。
まあそのせいだけじゃなく、自分の力量不足なんですけど、まあ就職試験は落ちまくりましたねえ。

大学4年間、楽しくって浮かれて過ごしていたら、あっというまに4年がすぎておりました。。。
自分の将来について、特にまあなーんも考えてなかったせいです。
「大学時代に考えよう!」って思っていたのに!
ええ、なーんも考えてませんでした。

自分が自分で、やりたいことも見えてないんだからね、
そりゃ就職活動しても、ふわふわしてて決まるわけないですわな。あかんやん!

22年生きてて、しかもせまーい世界しか知らないんだから、
人生の選択をズバッ!って決定できるわけもないな、と今なら思いますが。

そんなわけで、何十社と受けて、落ちて落ちて、そして何とか内定もらえた某会社に就職が決まり、なぜか名古屋に行くことになったのです~~。




ピンクのページ

2016-07-21 14:40:50 | 絵本作家への道
高校の時の話。

保健体育の授業の時、熱い先生がいましてね。

「君たちの人生がこの一冊の本だとしたら、今、君らのページはピンク色なんだ!」
っていう話があって。

まあ、つまりは「青春まっさかりだ!」
ってことが言いたかったんだと思うんですけど。

そのときは、ふーーんって思って全然心に響かず、むしろ高校時代の私はデブっちょでさえない感じの
真面目女子高生だったので、
「全然ピンクちゃうがな!」
って思ってました。

でも、今でもこの話を覚えているってことは、心に残っているってことなんかしら???

高校生の頃は勉強も運動もできないし、自分が何がやりたいのかさっぱりわかんないし、
自分にもう全く自信がなかった。
そして面白いくらいによく寝ていた。
ほんとにもうね、ずーと眠ってたね、授業中とかもね。

3年生あたりになると、進路を考えないといけない!ってなって、
高校は地元では進学校だったので、大学に行くんかなーっておぼろげ。
友達は看護学校に行く!とか、進路が明確な子もいて、「あーすごいなあ」ってまぶしかった。

そのころ、3歳くらいから、ずーっと続けていた趣味のピアノも受験勉強するから、
やめることになった。

母から「やめたら?」って言われて、
「うんそうだね~」っていうくらいだから、
全然、自分も執着なくピアノをやめられた。

音大に行きたいって気持ちもうっすらあったのかも…、
しかし、なんせ自分に自信がないわけで、
そんなアカデミックな進路に行けるだけの才能もないしなあーっていう思いのほうが強かったのかもしれない。

そんなわけで、何がやりたいのかよくわからないので大学に行って考えるか!っていうね、
ものすごーく安易に進学しました。
うちは母子家庭だったのに、そんなんで四年生の大学に進学して、しかも県外に出てしまって!
今、自分が親になって家計を預かっていると「ほんとうに申し訳ないな!」と思わずにはいられないです。

あの時、快く私を好きな大学に進学させてくれて母にはほんとうに感謝です。

しかし、ずーっと寝てたせいで、第一志望の学校には見事に落ちちゃいましたけども~。

絵本作家への道!

2016-07-21 14:35:44 | 絵本作家への道
心機一転!

最近、ブログ滞りがちなので~、ちょっとテーマでまとめて書いてみようと思います。


「絵本作家になるまでの自分の進路選択」について!
という話を。

あれこれなんやかやと、紆余曲折をえて、今に至ったののか~について、
改めてまとめてみようかなと。


今、この年になって、改めて昔の自分のことを振り返ってみると

「なんにもできなかったな!」

と、愕然としてしまう。

新人社員のころは仕事がぜんぜんできなくって、よくそんな私を雇ってくれていたなあ・・・と
あのころキライでたまらなかった会社と上司に、ちょっと申し訳ない気持ちになったりします。
今の若いひとたちは優秀だよなあ。。。としみじみと思います。

というわけで、高校時代くらいから振り返って、連続で書いてみようかなーと思いまーす。