ふくふく日記

絵本・紙芝居作家のよこみちけいこのブログです
子育てに家事に音楽に創作のことなどなど,マイペースでのんびり更新中

フジパンの民話を聞く日々

2016-07-21 15:07:21 | 絵本作家への道
営業部に入って、半年くらいすると・・・

もう日々がつらくって、ストレスでどんどん太っていくのであった。

ちなみにお給料は現金支給でした。
トップ営業マンの先輩社員は100万とか200万とかの月給で、ものすごーく分厚い給料袋をもらうわけ。
で、売れない営業マンはペラッペラ。
この差を見せつけるために、現金支給だったんですねえ。

もう毎日毎日、電話をかけてはお客さんに嫌がられ、怒られる日々・・・。
契約もとれず、上司にも怒られる。

まあ、たまーに売れることもあるんですよ。
でも、売ったら売ったで
「こんなもんを売ってしまった~~~~~」
と、自己嫌悪になってたりね。

お休みもぐったり~として、どこにも遊びに行く元気もなし。

もう、もうムリダ。やめたい~~って、実家に電話した時に
「もうすぐお姉ちゃんが結婚するから、それがすむまで待って!」
って母に言われたのを覚えていますよ。姉の結婚と私の離職は関係ないのになー。

わたしの人生が本だとしたら、このころはページ真っ黒だなあ・・・。(保健体育の呪い?)

日々、営業電話を掛け続ける・・・。
アポが取れても、そのアポ先輩に回して~とか言われたり。

そしたら、同期のAちゃんがこそこそっと、
「この番号にかけてみ、営業してるふりをすればいいよ」
と、教えてくれたのが、「フジパンの世界の民話」の番号だったというね。


時々、ここにかけて、さまざまな民話を聞きながら、電話応答してる演技をしてました。
フジパンの菓子パンを買うと、袋の裏に民話の電話番号が今でも載っていてるんですよ。
こないだ、スーパーでフジパン買ったらまだ載っていて、
「お世話になったなー」と、懐かしい気持ちになる。

ま、そんな感じな日々で、民話きいてるわたしたち、だんだん病んできてましたね・・・。
23歳のうら若き日々が、民話聴いて終わっていくなんて!どうなの。

だんだん、
「なんか、カルーク交通事故にあいたいよね。そしたらしばらく入院してもう電話しなくていいもんねえ」
って、寮で集まってはぼそぼそ言うまでになってました。

そしたら!
同期のMちゃんが本当に営業中にカルーク交通事故にあってしまい、2週間くらい休むはめに!
言霊ッテオソロシイ。。。。

こうして営業部で頑張っている(素振り)は見せるものの、明らかに向いてないなコイツ。。。
と部長に判断され、半年たったら「指導部」に移動になることに。
民話仲間のAちゃんも一緒でした。

「やったー!」
と思ったのものつかのま

そこは指導部という名の「営業部」だったのでしたよ~。どこまでも続く営業な日々。

つづきます

営業一年生

2016-07-21 15:00:45 | 絵本作家への道
社会人一年目の話を。

名古屋の某教育系出版社に入社した私。
職種は営業。
営業もいろいろあるんですけど、私の配属された部署は、まず名簿を見て、かたっぱしから電話をかける。いわゆるテレアポですね。
片っ端からかけるので、まあ大体の場合はほぼガっチャン!って切られる。
でもときどき、「話きいてみようかな」って人が現れる。
そこがチャンス!
「お話しだけでも・・・じゃあちょうど近くを回っているので(回ってないけど)
○○日の××時くらいに、少しだけ伺ってもいいですか~?」
とか言って、アポイントをとるわけです。
そんでアポがとれたら、教材を抱えて、営業に行く。(クローズという)

私はこの「アポとり」だけはめちゃめちゃうまかったの。
なんかね、電話かけたら、結構アポはいっぱいとれるんだよね。
でもクローズがほんとへたくそというか、そりゃまあ気持ちの底に
「こんな高価なもの売りたくないな」
って思いがあったわけで、どうしても「ぜひ!」っていう押しがないわけですよ。

アポとり専門の部署があったから、そっちの部署に配属されてたらかなり好成績だったのになー。
わたしの部署は残念ながら、クローズが成功して契約とってこないとダメで。
そして契約とれないと、朝礼でめちゃめちゃ怒られる。
「給料泥棒!」「腐ったみかん」呼ばわりされたり(涙)。

ほぼ一日中、電話をひたすら掛ける日々。毎日100件くらいはかけてたか。
でもアポさえとれたら、
「クローズいってきまーす!」
って、外に出られるの。それがうれしくって、自由、自由、自由~~~♪

重い教材抱えながら、電車にゆられて名古屋のあちこちに行ってた。
最寄り駅が近いとこならいいんだけど、「ここはどこ???」っていう田舎にいくこともあったり。
でも、オフィスにこもって、ひたすら何十件も電話してるよりは全然楽しい。

なのでばんばんアポとって、うきうき出かけてクローズ行く。でも契約はとれない。。。
の日々を送っていました。

営業に向いてるのか向いてないのか、わかんないですね。
たぶん「これは絶対売りたい!」って思えたら、ものすごいできる気はする。

ちなみに離職率の高い職場でしたので、もうどんどん同期のメンバーはみんな辞めていってました。
同じ寮にいたメンバーもどんどん減っていき、3日でやめた子もいたなあ。

続きます・・・。

社会人一年目

2016-07-21 14:56:32 | 絵本作家への道
社会人一年目で、名古屋にやってきましたよと。

今、思い返しても全くもって、自分の中身は空っぽだったな!ってくらい、何もできない人でした。

ようやく内定もらえた会社だから、あまり調べもしないで入社したわたくし。
当時はPCも持ってなくて、卒論すらワープロで書いてたからね。携帯もない時代です。
ポケベルが全盛期だったのかな~?
♬ポケベルが~鳴らなくて~♪って歌まであったな。

教育系の出版社だったのですが、結構なブラックだったなと思われます。
最初は新人は全員営業からスタートで、そのあと指導部に言ったり、編集部にいったりと
希望の部署に行けるのだ!と、希望を胸いっぱいにして入社ですよ。

名古屋の社員寮に入ってました。新人女子社員が10人くらいいたかな?
みんないい子だったんだけど、女が集まればまあドロンドロンいろいろあった。
緊急寮会議!とかが、たびたびあって、よく招集されてました。

・お風呂の時間が長すぎる人がいる!
・トイレットペーパーを使う長さを決めるべき!
とかとかいうのが議題でしたね。

今思えば、凄いな…。
みんな慣れない仕事に、慣れない集団生活で、アップアップしてピリピリしてましたねえ。
このころはあんまり人見知りなく、だれとでもフレンドリーに楽しくできる性格だったんですよ。

同じ部署のAちゃんが隣の部屋だったので、ほぼ毎日夜中にあれこれ愚痴ったりしゃべったり、
気持ちを吐き出せる場所があるのはありがたかった。

とはいえ!仕事はほんときつい!
教育系の出版社なんだけど、私の担当は中学生向けの教材。
「これさえやれば、テストもばっちり!」
っていううたい文句で、中学生のいるご家庭に教材を売るわけですよ。
それがまあ高いの!
一番安いので38万円。セットをどんどんつけると70万円とかするのね。
それだけの価値があるのだ!って最初の新人研修(山の温泉宿に1週間軟禁研修)で、叩き込まれるわけですが、もう全然そう思えない。
こんなぺらっぺらの問題集がこのお値段!?!?っていう思いがあり、その営業トークも
「詐欺?」って思っちゃうくらいのもので。
最初は先輩の営業についていくんだけど、この詐欺まがいのトークで、ふつうの家庭のみなさんが
ポーン!って何十万の教材を契約しちゃうのを目の当たりにして、「えええええ」ってびびってました。

あーそうか・・・。勉強ができないって気持ちに付け込んでるなあ。
うまいこと考えてるなあこのトークは!
と、妙に感心。
でもそれを自分がやるのはほんとつらかったです。



続きます・・・。

マンドリンな毎日

2016-07-21 14:49:01 | 絵本作家への道
寝てばかりいた高校時代を経て、何とか女子大生になれた私。

ちなみに今もよく寝てます。
そのせいで旦那さんから
「前世はセミだったんじゃないのか?」
と、言われる始末。。。

まあ、それはいいんですけど、大学時代の話をさらりと。

何とか大学生になって、大阪で一人暮らしをスタート!
ちなみに「芸術学」という、ちょっと変わった学科が専門でした。

大学時代はようやく私も「青春!」って感じの「ピンク色」なページの毎日に。
仲間と夜通し語りあったり、恋したり、友達とケンカしたり遊んだり、泣いて笑ってけんかして~~って感じの
楽しい日々でしたよ。

一人暮らしって、ほんとになんて自由!
実家はいろいろ厳しかったので、ほんとに土から這い出たセミのように、自由を謳歌してましたねえ。

そんでもって「マンドリン」って楽器知ってますかね?
この超どマイナーな楽器でできたオーケストラ「マンドリン倶楽部」に入ってしまい、開けても暮れてもマンドリンを
弾きまくってました。
卒論も「管弦楽曲におけるマンドリンの音色の役割」みたいなマンドリンをテーマにしたくらいなので、どんだけ、はまっていたのかって感じですが。


そして・・・4年生になって、再び悩む進路・・・。
この私の生まれた1972年代って、第二次ベビーブームのピーク時だったんですね。
なので多いの!子供が!!
もちろん受験戦争も競争率高かった。
そしてちょうど「就職氷河期」って言われる、もう女子大生の就職たーいーへーん!な時期にまるかぶりでした。
まあそのせいだけじゃなく、自分の力量不足なんですけど、まあ就職試験は落ちまくりましたねえ。

大学4年間、楽しくって浮かれて過ごしていたら、あっというまに4年がすぎておりました。。。
自分の将来について、特にまあなーんも考えてなかったせいです。
「大学時代に考えよう!」って思っていたのに!
ええ、なーんも考えてませんでした。

自分が自分で、やりたいことも見えてないんだからね、
そりゃ就職活動しても、ふわふわしてて決まるわけないですわな。あかんやん!

22年生きてて、しかもせまーい世界しか知らないんだから、
人生の選択をズバッ!って決定できるわけもないな、と今なら思いますが。

そんなわけで、何十社と受けて、落ちて落ちて、そして何とか内定もらえた某会社に就職が決まり、なぜか名古屋に行くことになったのです~~。




ピンクのページ

2016-07-21 14:40:50 | 絵本作家への道
高校の時の話。

保健体育の授業の時、熱い先生がいましてね。

「君たちの人生がこの一冊の本だとしたら、今、君らのページはピンク色なんだ!」
っていう話があって。

まあ、つまりは「青春まっさかりだ!」
ってことが言いたかったんだと思うんですけど。

そのときは、ふーーんって思って全然心に響かず、むしろ高校時代の私はデブっちょでさえない感じの
真面目女子高生だったので、
「全然ピンクちゃうがな!」
って思ってました。

でも、今でもこの話を覚えているってことは、心に残っているってことなんかしら???

高校生の頃は勉強も運動もできないし、自分が何がやりたいのかさっぱりわかんないし、
自分にもう全く自信がなかった。
そして面白いくらいによく寝ていた。
ほんとにもうね、ずーと眠ってたね、授業中とかもね。

3年生あたりになると、進路を考えないといけない!ってなって、
高校は地元では進学校だったので、大学に行くんかなーっておぼろげ。
友達は看護学校に行く!とか、進路が明確な子もいて、「あーすごいなあ」ってまぶしかった。

そのころ、3歳くらいから、ずーっと続けていた趣味のピアノも受験勉強するから、
やめることになった。

母から「やめたら?」って言われて、
「うんそうだね~」っていうくらいだから、
全然、自分も執着なくピアノをやめられた。

音大に行きたいって気持ちもうっすらあったのかも…、
しかし、なんせ自分に自信がないわけで、
そんなアカデミックな進路に行けるだけの才能もないしなあーっていう思いのほうが強かったのかもしれない。

そんなわけで、何がやりたいのかよくわからないので大学に行って考えるか!っていうね、
ものすごーく安易に進学しました。
うちは母子家庭だったのに、そんなんで四年生の大学に進学して、しかも県外に出てしまって!
今、自分が親になって家計を預かっていると「ほんとうに申し訳ないな!」と思わずにはいられないです。

あの時、快く私を好きな大学に進学させてくれて母にはほんとうに感謝です。

しかし、ずーっと寝てたせいで、第一志望の学校には見事に落ちちゃいましたけども~。

絵本作家への道!

2016-07-21 14:35:44 | 絵本作家への道
心機一転!

最近、ブログ滞りがちなので~、ちょっとテーマでまとめて書いてみようと思います。


「絵本作家になるまでの自分の進路選択」について!
という話を。

あれこれなんやかやと、紆余曲折をえて、今に至ったののか~について、
改めてまとめてみようかなと。


今、この年になって、改めて昔の自分のことを振り返ってみると

「なんにもできなかったな!」

と、愕然としてしまう。

新人社員のころは仕事がぜんぜんできなくって、よくそんな私を雇ってくれていたなあ・・・と
あのころキライでたまらなかった会社と上司に、ちょっと申し訳ない気持ちになったりします。
今の若いひとたちは優秀だよなあ。。。としみじみと思います。

というわけで、高校時代くらいから振り返って、連続で書いてみようかなーと思いまーす。