ふくふく日記

絵本・紙芝居作家のよこみちけいこのブログです
子育てに家事に音楽に創作のことなどなど,マイペースでのんびり更新中

電話が苦手になったわけ

2016-07-22 13:54:17 | 絵本作家への道
大阪に引っ越ししてきて、指導部に移動になり、「よーし、がんばるぞ!」と、はりきって出社!

しかーし!

「営業から指導部に移動になった新人」=「営業で使いものにならなかったダメ社員」

というのが、この会社のお約束的見解なのですよ。
もう営業ができないやつは人類じゃない!ってくらいの勢いですよ。

、転任してきて挨拶に行って、そのあと大阪の所長に
「お前は、できなくてここにやってきたんだ!」
って感じでお昼の定食を食べながら、めちゃ怒られたのを覚えてます。
もうイキナリ!涙目!


でも所長は面白くて、何事にも熱い、人に対して根底に愛のある人でした。
怖いけど、みんなから慕われていて、私も嫌いじゃなかった。

ちなみにこの所長さんは1年くらいで栄転されて、いなくなっちゃいました。

「指導部」の仕事をかいつまんで説明してみると・・・
ファックス指導が主。
50人くらいの中学生を社員一人が担当してます。
そんで子供から送られてくるファックスの添削をします。

担当の子には週に2回、電話する曜日と時間が決まっていまして、勉強の進行具合や教材のわからないところなんかをアドバイス。
大体夕方から夜の9時くらいまで、ずーっと電話。はい、また電話デスヨ・・・。
でもテレアポ営業の時と違って、がチャン!って怒られて切られることはない。
(でも子供が家にいないことは多々ある。)

あとファックスを毎日送ってくるようにと、フォロー電話したりね。
この
「生徒がどれだけファックスをちゃんと送ってきているか」
っていうのも提出率を全部計算して数字化し、グラフにして張り出しですよ!

なので、提出率がよくないと指導不足!ってことで、怒られる。

このファックス指導は基本は3か月だけしかついてないので、3か月たったら
「そろそろ終了ですけど、どうされますか?継続されますか~?」
って、親子さんに何とか継続してもらえるように、アプローチする。
これも「継続率」っていうのを計算して、この数字が低かったら、指導不足!となるわけ。

あと、春と夏・冬に特別講習があり、これはふつうの塾の夏期講習みたいに電話やファックスじゃなくて、
普通の講義をする。
その講義も写真で教科を振り分けて、事業をしますよ。私は国語担当だったかな。
「講習会は別料金ですけど、ぜひ受けましょう!」とアプローチして、受け持ちの生徒を動員しないといけない。
これも「動員率」っていうのを計算し、数字が低いと指導不足!って怒られる。

というわけで、もうすべてが数値化されて、グラフになって張り出されるので、会社の中は営業部のころとあまり雰囲気は変わらない。

仕事は主に電話だし、数字をいつも電卓で計算しては一喜一憂です。

で、「電話で勉強を教えてはいけない」っていう決まりもあってね。
あくまで教材をうまく使えるがためのファックス指導なので、わからない問題はファックスで送ってもらって、書面で指導するってのが鉄則です。

営業と大きく違うのは、外に出ることがほぼない。
ずーっとオフィスで添削して電話する毎日。

それでも営業時代に比べれば、仕事は楽しかったかな。
時々、モーレツなクレームがきたり、継続してくれてても
「塾に行くことにしますんで~」って、やめちゃったり。
ごくまれに「先生のおかげで、志望校に合格したんです!」ってものすごく感謝されることもありましたが、めったいにないです。

受け持ちの子供のために、年度替わりじゃないと退職認めないっていう制度があって、年度替わりの3月にならないと退職できない。

電話とファックスで指導、って当時、なかなか画期的だっと思うけど、
それでもやはり対面で教えてもらえる塾や家庭教師に比べたら、全然弱いシステムだった。


今、もしこの仕事をどうしてもやれ!って言われたら年をとったこともあり、もっとうまくこなせるだろうなーって思ってしまう。
まあ今の時代に、ファックス指導ってね、ないだろうけどねえ。いや、まだあの部署あるのか?

このころ、25歳。
若いだけで、何にも知らない、できない子だったわー。まあ向いてなかったんだと思いますが。この職業に。

周りはほぼ同じ世代の若い人が多くて、仕事終わりにみんなでカラオケいって朝まで飲んで~とか、わやわや楽しい会社でした。
同年代の友達もすごい面白い人が多くって、ひとには恵まれていたのかなあ。

そのせいか、この職場で出会って結婚した人が結構たくさんいましたね。(そしてみんな辞めてる)
「ええ!あの人とあの人!付き合ってたの!!!」
みたいなこともいっぱいあった。

あのころ、仕事は嫌いだったけど、それよりも全然うまくできない自分のことがいやだった。
仕事とはいえ、やりたくないことをやることは、ほんとに辛い・・・っていうことが身に染みてわかったんだと思います。
周りの人たちもやさしくていい人多かったし、仕事もルーチンでこなしていけば、そこまでひどい!ってわけでもなかったのかもしれない。
でも、本当にやりたくない!つまらん!ってのが何より大きかったのかなあ。若かったわね・・・。


ちなみに、電話が今でも大の苦手です。電話をかけるのが特に。
今でも、美容院の予約電話するだけでも、ものすごい心がふさぐんです。
電話するのはいつも「えい!」って勢いつけないとできない。

なんでだろうと思ってたけど、この日記を書いてたら、この仕事の影響だったんだなあーとわかった。

というわけで、年度が変わるときに、思い切って退職してやりました。
退職したら、手続きがいろいろ大変なんだ!と、世の仕組みをもろもろ初めてしったのであった。

つづきます。

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大阪に転勤になるの巻き

2016-07-22 13:46:27 | 絵本作家への道
営業時代の続きの話です・・・

名古屋で営業マンをしていて、営業先で水かけられたり、怒鳴られたり、世の荒波をいっぱいあびたので、
今でも名古屋の「名」の字をみただけで、心がふさぐくらい、名古屋が苦手になってしまったよ(名古屋の人ごめんなさい)
新幹線で名古屋を通って駅名が見えただけで「うっ・・・」って心に刺さる感じね。今はだいぶ和らいでますが。

とはいえ、名古屋の思い出といえば、
・営業先に行って営業トークする
・上司に営業の同行して怒られる

これが私の「名古屋の思い出2トップ」なのでしょうがない。
時々、営業中に名駅や栄でごはん食べたりしたくらいで、ほとんど遊びに行ってなかったな。
今思えばもったいなかったなと思うけど、心に余裕が全くないときだったのでしょうがない。

寮の近所のコンビニに行って、帰りしなに「焼きプリン」を買うのが唯一の楽しみだった。あれおいしかったな。

さてさて、営業部から指導部に移動になり、研修が終わったとき、
「どこの支社の指導部に行きたいのか」
と、打診がありました。

全国のいろんなところに支社があるんですよね。
もちろん地元広島に戻るっていうのもありだったんだけど、私は
「大阪がいい!」
と訴えたら、あっさり大阪支社に転勤することになりました。

もう関西大好きなんですよ。
大学時代の友達もいるし、愛着あるしもう絶対大阪に戻りたい~と

フジパン仲間のAちゃんは地元の埼玉に支社へ。
なので、それっきりもう会ってない。年賀状のやりとりもしていたけど、ここ数年
音沙汰なし。元気かなあ。。。

というわけで、心機一転!指導部で再出発することになりました。

指導部は何をするのかというと、営業部が販売した教材の中に「ファックス指導」なるものが、
3か月分だけ付帯特典としてあるんですよ。
ファックスと電話で、購入した教材をいかに上手に使えるようにするか、を指導するんですね。

大学時代に塾講師や家庭教師もしていたので、ワクワクして指導部へ行ったのでした。


ちなみにここまで「絵本」の絵の字もまったくでてきませんね。
絵も全然描いてません。もちろん「絵本」なんて見る余裕もなし。

でも、ここから7年後には絵本作家デビューが決まるんですよ~~。
面白いですよね。人生ってね。

つづきまーす。




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