横浜黒船研究会(Yokohama KUROHUNE Research Society)

今までの活動状況は左サイドメニュのブックマークから旧ブロブに移行できます。

ペリー艦隊の箱館公演プログラム4種類

2022-08-29 18:56:16 | コロナ巣ごもりレポート

コロナ巣ごもりレポート

ペリー艦隊の箱館公演プログラム4種類

奥津 弘高

1854年5月29日ペリー提督は日本人役人らを招待し、箱館湾に停泊中の蒸気船ポーハタン号でエチオピアン・コンサートを開催した。

このコンサートの演目を印刷した箱館公演プログラムが4種類見つかった。

帆船マセドニアン号に乗務したジョージ・ヘンリー・プレブル大尉(日本遠征当時の階級)が自身の日記に貼り付けて米国へ持ち帰ったプログラムは中国製の紙に印刷されており、現在ボストンのマサチューセッツ歴史協会が日記と一緒に所蔵している。

 ペリー艦隊が艦内で印刷するプログラムなどの印刷用に用意した紙についての報告がある。

ペリーの伝記『Old Bruin』の著者サミュエル・エリオット・モリソン教授は、論文「Commodore Perry's Japan Expedition Press and shipboard theatre 」で解説している。

 

「国務省は印刷機に使う紙を供給する用意ができていなかったので、ペリー提督は首席通訳官で中国研究家のS・W・ウィリアムズに宛て、広東にて紙を入手するよう大急ぎで手紙を書いた。ペリーの出納係はすでに香港でヨーロッパ製の紙を多数手に入れていたが、必要に十分ではなかった。ウィリアムズは品質の悪い桑の葉でできた少し青黒く、ざらついた紙を入手したが、彼の不十分な供給に対し、ペリーはつなぎに質の悪い白い印刷用紙を香港で買った。」

 

ペリー艦隊は広東や香港で桑の葉でできた中国製の紙を買い求めた。筆者はスミソニアン博物館で数種類のプログラムを調査したが、触った感触ではざらついたわら半紙のようであり、少し灰色がかった色合いであった。函館ではこの紙に印刷されたプログラムが、乗組員に配布されたようである。

モリソン教授の上記論文では、箱館プログラムの大きさは縦8インチ横6インチとあり、換算すると縦20.32㎝、横15.24㎝の大きさと案外に小さい。

 

 ポーハタン号のアシスタント・エンジニア(二等機関士補)であったジョージ・B・ギデオン・ジュニアは、彼が勤務していた機関室の隣にあった蒸気煙突室に印刷機が設置されており、プログラムはコンサート当日の午前中に印刷されたこと、ギデオンと親しい仲であったと思われるミッチ氏が専任印刷者であることを日記に書いている。

 ギデオンは妻ライドに送った手紙に、箱館プログラムを同封したと、次のように伝える。

 

 “I enclose you a bill of the performance printed on a Japanese Lady pocket handkerchief”

 

 「日本女性のポケットハンカチーフに印刷されたプログラムを同封する」と書いているが、これは着物の女性が懐に携えて常に持ち歩く「懐紙」のことをいっていると思われる。手で揉んで軟らかくして鼻をかむティッシュペーパーのように使われる場合もあったため、ハンカチーフに思えたのであろうか。

 もう一人米国に持ち帰った乗組員がいた。

ポーハタン号アシスタントパーサー(事務長)のトーマス・コクラン・ダッドリーである。

 ダッドリーは箱館プログラムを含む数種類の公演プログラムを日本遠征から持ち帰り、それらは米国ワシントンのスミソニアン博物館アメリカ国立歴史博物館に保存されている。

2012年同博物館を訪れ調査した際、実物に触れることができた。

 箱館公演のプログラムが印刷されているこの紙は和紙で、日本古来の麻の葉模様の透かし柄が一面に施されていて美しい。

 上記にある中国製桑の葉のプログラムより少し小さく、縦20㎝、横14.6㎝である。

漢文通訳S・W・ウィリアムズの日記翻訳『ペリー日本遠征随行記』327頁には、箱館にて「ペリーからの贈り物に対する返礼の品が持参された」とある。日本からの返礼品の冒頭に「紙、傘、縮緬、干鱈、鮮魚など」と書かれており、箱館で日本製の紙を入手したことが確認できた。

承応2年(1653)江戸日本橋に創業した老舗紙店である小津和紙の学芸員・一瀬正廣氏に、上記プログラムの紙質について分析を依頼した。

写真データによる分析のため「推測であるが」と前置きして、透けている薄い紙なので和紙の紋典具帖(もん・てんぐじょう)であろうとのことであり、紙全体に施されているのは麻の葉の模様を摺ったものと解説した。透かし模様の製法は彫り抜いた型紙を使って、胡粉(貝殻から作る白い粉)で典具帖に文様を摺ったもので、他にも七宝、亀甲、紗綾形などの模様があるという。

 

『函館開国と音楽』(2010年 函館メサイア教育コンサート実行委員会⁄編)の7頁に和紙の箱館プログラムの写真が掲載されている。亀甲模様が施されている和紙に英字で演目が活版印刷された箱館プログラムで、神奈川県立歴史博物館に所蔵されていると解説がある。

プログラムの説明に「台紙に貼られ、二つ折りにされていた。ノリの跡が茶色く残っている。左半分は空白になっている。」とある。

ペリー来航150周年を記念して、2003年4月26日より6月15日の会期で神奈川県立歴史博物館にて特別展「黒船」が開催され、この箱館プログラムは展示物の一つとして公開された。『ペリー来航150周年記念 黒船』と題した図録には、資料名「エチオピアン・コンサート・プログラム」と写真を添えて紹介され、巻末に「1854年5月29日、箱館湾内にあったポーハタン号上で催された、黒人に扮したアメリカ人兵士によるショー(ミンストレル・ショー)のプログラムである。印刷は、ポーハタン号内にあった印刷機を用いておこなわれており、日本領内で幕府の検閲を受けずに西洋人によって印刷がおこなわれたことを具体的に示す資料である。印刷は亀甲の透かしを持つ美濃紙にされている。この美濃紙をどこで得たかは不明である。」と解説されている。

この箱館プログラムの紙の大きさは横40・4㎝、縦27・7㎝と計測されている。江戸時代に公用紙とされていた美濃紙の横一尺三寸(39・4㎝)、縦九寸(27・3㎝)の美濃判という大きさに大変近い。

再び小津和紙学芸員の一瀬氏に、亀甲模様が施された和紙に印刷された箱館プログラムの分析を依頼した。

紙の厚みは上記の麻の葉模様のプログラムより厚く、透かし模様を漉き入れている美濃の紋書院紙または紋障子紙であろうと推測した。

函館中央図書館のリファレンス担当から紙について情報を得た。

『亜墨利加船箱館碇泊中御用記写 安政元年』(石塚官蔵⁄記)が元資料で、これを解読翻刻した資料として『安政元年亜墨利加船箱館碇泊中御用記写』(田畑幸三郎⁄解読)があるが、解読書の107頁から114頁に、4月24日から5月7日までの間にペリーら一行が箱館の街で買い物をして入手した品々が列記されており、112頁に「紙類 取り合 八品」との記述がある。

 この資料にもペリーらが箱館の街で和紙を調達した記録があり、何種類かの模様の和紙にプログラムを印刷したと想像する。

 

 紙に施された模様が上記の麻の葉模様や亀甲模様とは異なる箱館プログラムが、オランダンの古書店により2019年インターネット上で販売された。

27500ユーロ、当時の日本円レートで換算して約70万円の価格が表示されてあり、プログラムは「和紙に活版印刷されている」と説明が付いていた。

出品されたプログラムは上記の和紙と同様に透けるような薄い紙一面に唐草や花の白い模様が施され、模様が判りやすいように黒色の背景の上に置いて撮影されていた。

商品の解説文によると、ペリー提督の孫息子の妻がアナポリス海軍博物館に手渡したと添え書きがあった。ペリーが日本から持ち帰った箱館プログラムが博物館へ寄贈された可能性があるが、同博物館に所蔵されたプログラムがなぜネット上で販売されたのか知りたいところである。

 前出のモリソン教授の論文には、マサチューセッツ州アナポリス海軍博物館に、蒸気船ポーハタン号で1854年5月29日開催され和紙に印刷された箱館プログラムがあり、オーガスト・ベルモント夫人が寄贈したと書かれている。

 

 アナポリス海軍博物には、いつ誰により寄贈されたかの記録はあるのか、さらに違う模様の和紙のプログラムがあるのか、調査を依頼したが返答が得られていない。

 

函館プログラムネット販売27500ユーロ

 

掲載したプログラムの写真は許可なく複写できません。所蔵先から許可を受けてホームページで紹介しています。)