横浜黒船研究会(Yokohama KUROHUNE Research Society)

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横浜黒船研究会第157回定例研究発表会 中島家ファミリーヒストリー(中島三郎助のご子孫として)中島恒英氏

2018-02-11 21:18:09 | 終了した講演会

おかげさまで講演は無事終了いたしました。

講演の動画録画を含め、関係資料を取りまとめおきましたので

下記 関係資料をクリックしますとアクセスしていただければ思います。

ダウンロードも可能です。

クリック:関係資料

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案内状:

平成30年1月24日

横浜黒船研究会

会員各位 殿

第157回定例研究発表会 開催のお知らせ

日 時:平成30年2月11日14:00 (13:30入場可)

場 所:横浜市旭区市民活動支援センター「みなくる」 研修室1, 2, 3

TEL:045 – 382 – 1000ただし「みなくる」は、相鉄鶴ヶ峰駅改札口から繋がる「くらしターミナルココロット鶴ヶ峰」の4階にあります。鶴ヶ峰駅は相鉄横浜駅から各駅停車で約20分,快速で17分。下車してから「みなくる」までは

約5分かかります。(13:30から入場可)

参加費:500円

 

研究発表会

 

14:00~14:05  開会のごあいさつ

14:05~15:30 発表者:横浜黒船研究会 会員 中島 恒英 氏

 

題名: 題名:中島家ファミリーヒストリー(中島三郎助のご子孫として)

関ヶ原の戦い以降、美濃、加賀、下田、浦賀、箱館、静岡、巣鴨、武蔵小山

 

参考 中島三郎助1820-1869 幕末の武士。
文政3年生まれ。幕臣。浦賀奉行与力。嘉永(かえい)6年ペリー艦隊の来航の際折衝にあたる。のち軍艦操練教授方,軍艦頭取。戊辰(ぼしん)戦争では榎本武揚(えのもと-たけあき)らと箱館(はこだて)に脱出,千代ケ岡台場で新政府軍とたたかい,明治2年5月16日長男恒太郎,次男英次郎とともに戦死。50歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。名は永胤。号は木鶏。
【格言など】ほととぎす我も血を吐く思ひかな(辞世)

 

15:30~15:40 休憩

16:40~16:00  質疑応答

16:00~16:15 机と椅子の現状復帰

 

以上

 

ご連絡:次回第158定例会(平成30年3月11日

フォーラム南太田 2階 大会議室   講演者 今津 浩一

    題目:黒船来航!-日本の対外政策はどうするべきか?-その2