おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

意識と感情が分岐点を超えたときに、何かが動く。-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑱-

2024-03-21 06:37:14 | 日記
私たちは、永遠ということばを用いる。

しかし、それは、私たちが、永遠ではない存在だ、と知っているからこそ、永遠を夢見て、用いるのである。

永遠という不可能への挑戦のために、私たちは、瞬間の中に永遠を見出そうとする。

ファウストの
「瞬間よ、止まれ、お前は実に美しい」という台詞は、ドイツ・ロマン派の中核を成す考え方のひとつであろう。

また、あるいは、
「私はかつて永遠でした。
そして今もまた永遠なのです」
と、ジークフリートに語りかけるブリュンヒルデのように、私たちが経験するのは、現在だけである。
過去はすでに手元にないものであるし、未来は本当に訪れてくれるか、も解らないのである。

つまり、私たちにとって、確かなものは、永遠を信じる現在しかないのである。

ところで、
アルノルト・シェーンベルク(1874~1951年)は、ドイツ・ロマン派最後の輝きであり、無調音楽の先駆者とも言うことが出来、さらに、19世紀の扉を閉じて、20世紀の扉を開いた作曲家である。

『浄夜』は、シェーンベルクが25歳のとき、詩人リヒャルト・デーメルの同題の詩に感銘を受けて作曲されており、実質的には、標準音楽としての性質を持っている。

弦楽6重奏『浄夜』は、ワーグナー、ブラームス、マーラーたちに影響を受けつつ、ワーグナー的に半音階が多用され、時には調性を失いかねない場面も現れるのであるが、それにより音楽は混乱するのではなく、より一層、喜びと苦悩の間を揺れ動く感情を描き出す効果を得ているのである。

デーメルの詩が5部に分かれていることに対応して、弦楽6重奏『浄夜』も5つの部分から構成されている。

しかし、デーメルの詩が描き出す楽観的すぎる人間像は、リアリティを持って、私たちに迫ってくるであろうか??(→少なくとも私はデーメルの『浄夜』という詩は美しいけれど、楽観的に過ぎて、迫るものを感じない。)

私は、シェーンベルクが弦楽6重奏夜『浄夜』という音楽を用いて、デーメルの『浄夜』という詩の批評を行っていることに着目したい。

やはり、ことばが限界に達したところから芸術(ここでは音楽)は始まるのかもしれない。

確かに、音楽は詩に即して、5部に分かれてはいるが、詩のように、女の心理描写があり、それから男の心理描写がなされているのではない。

女が、心が引き裂かれるような気持ちで、愛する男に捨てられることも覚悟して、ついに告白するときに、
それを聞く男の心も、ずたずたに切り裂かれている。

シェーンベルクの激しい苦悩をそのまま表現したかのような旋律は、女のものであると同時に、男のものである。

むしろ、音楽は全般にわたって、男の苦悩を描いているとさえ言ってよいだろう。

デーメルの詩の『浄夜』をよむときでなく、シェーンベルクの『浄夜』を聴くとき、
ことばがひとたび、人の意識と感情がある分岐点を超えたとき、ところから「芸術」(ここでは音楽)は始まる、と、私は、思うのである。

『浄夜』のなかで、冷たい月の光のなかを歩いていた2人は、温かい太陽の光の中を歩くのかもしれない。

夜は、やがて、朝を迎え、昼を迎えるであろうが、そのとき、2人は、まだ、「浄められた」ままなのであろうか。

時間の経過とともに、浄夜のなかで男が到達した、赦しともいえる想いも、変遷してゆくかもしれないのである。

確かに、この夜に2人の心は浄められ、それが永遠に続くことを信じている。

そこに、人間の悲劇も、また、存在する。

永遠を信じる愛が、やがて喪われることを、分かっているからこそ、その瞬間はその分だけ、却って崇高な美しさを得るのではないだろうか。

シェーンベルクはデーメルの詩を超えて、弦楽6重奏『浄夜』を聴く私たちに、その崇高な美しさを看取らせようとし、さらに、私たちひとりひとりが抱く愛も、やがて何らかの形で終焉を迎えるという苦さと、それゆえの甘美さに溺れるということを追体験させようとしたのであろう。

ひとたび、意識と感情がある分岐点を超えたとき、世界が動くことは、他にもある。

以下は、市民の公共意識と怒りがある分岐点を超え、予想外の連鎖反応から、世界規模の永続的な取り組みへとつながったひとつの、しかし、大事なことをある教えられる話である。

約50年前、1匹の大型グレートデンがところ構わず町を汚すことに、ニューヨーク市郊外にある小さな町の市民が怒りの声を上げた。

その後、市民は団結し、犬を飼う住人に対して、通りを汚すことを禁じることに成功したのである。

目立たない片隅での小さなひとつの取り組みが、まったく予想外の連鎖反応を引き起こし、世界規模の永続的な取り組みへとつながる。

この新たな社会運動は、すぐにハドソン川を越えてニューヨーク市にも広がった。
当時のニューヨーク市では、50万匹の犬が飼われ、1日に100トンの犬の排泄物が発生していた。

ニューヨーク市では、多少の議論と政治的内紛があったものの、世界初の「犬の排泄物処理法(Canine Waste Law)」を可決したのである。
この犬の排泄物に関する法律は、急速にアメリカ国内、そして世界に広まった。

とても小さな町の1匹の大型グレートデンに対する怒りが、約1000年にわたる犬の飼育習慣をほぼ世界規模で覆すきっかけを作ったのである。

意識と感情がある分岐点を超えたとき、どんな分野でも、何か、が起きることは、確かなようである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から数日間(いつものように)不定期更新となります( ^_^)

またよろしくお願いいたします(*^^*)

今日は特に描いていて、重くならないように、重くならないように、と考えていたら、うーん、という終わり方になりました^_^;

まだまだ修行が足りてません(T_T)
こんな私の文章ですがこれからも読んでいただけると嬉しいです。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

ソーマよりもシェークスピアを求める高貴な蛮人に倣うために-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑰-

2024-03-20 06:47:04 | 日記
現代のディストピアに最も直結する小説のひとつとして、オルダス・ハクスリー(1894~1963年)が1932年に書いた小説『すばらしい新世界』がある。

資本主義のアメリカの恐ろしい未来を予測したような作品であるが、私たちは、この小説をかなり身近に感じるであろう。

なぜなら、ハクスリーの第2の故郷であるハリウッドをモデルにした、アメリカの夢と悪夢の世界の物語だからである。

「今日楽しめることを明日に延ばすな」を鉄則とする社会を想像してみてほしい。

そこでは、衝動のままに好きなものを何でも買うことがよしとされ、一夫一婦制どころか、恋愛も非難と嫌悪の目で見られる。
また、与えられる仕事はクローンの作成、行動の条件付けによって作られた個人の能力にぴったり合ったものである。

周りの人たちは皆親しみやすく、温和で、気が合い、過去の悪い記憶もない。

現在には何の問題もなく、少しでも悲しみや不安を感じた人には、呑めば幸せな気分にしてくれる魔法のような薬ソーマがある......。

ハクスリーは、『すばらしい新世界』のなかで描いた世界は地獄だと考え、大義を抱いて反抗するヒーローを登場させる。

彼は、国家による管理から自己のアイデンティティを守り、ソーマよりもシェークスピアを好む、高貴な「Savage」(名前だが、「蛮人」という意味もある)である。

彼は
「僕は、不幸になる権利を要求しているのです......欲しいのは詩です。本物の危険です。自由です。美徳です。そして罪悪です......僕は僕でいい。情けない僕のままがいい。
どんなに明るくなれても他人になるのは嫌だ......僕は不幸のほうがまだいい。
あなたがこっちで愉しんでいた嘘っぱちの幸福よりは」
と、ハクスリーの思いの丈を打ち明けるように、語るのである。(→私はこのことばが大好きである。)

ハクスリーにとって、際限のない愚かな快楽と、芸術の創造、科学の進歩、人間の尊厳の維持は両立しないものなのであろう。

快楽主義の下で人間が幸せになるためには、それと引き換えに、まともな人間以下の存在に甘んじることを受け入れなければならないのかもしれない。

ところで、
マルクスは、
「宗教は民衆のアヘンだ」と言った。
このことばで、かつて、マルクスは、宗教によって、民衆が世の中の問題に目を向けなくなり、受け身の姿勢をとって、受け入れ難い現状を受け入れるようになることを指摘した。

今では、向精神薬が人々をよい気分にさせて、社会を否認することを増長している。

先に述べたように、『すばらしい新世界』のなかで、ハクスリーは、気分がよくなる万能薬を「ソーマ」と呼んだ。

この名前は250年前にサンスクリット語で書かれた聖典から取られたものである。

ソーマは神の名であり、祭式で供される飲み物でもあった。

行動を刺激し薬効や精神的効果の高いソーマは、聖典にある数多くの賛歌で讃えられている。

ちなみに、ソーマに含まれる刺激成分はおそらくマオウ(麻黄)で、今でも薬品に使用されている化学物質であり、パフォーマンス向上薬として、またメタンフェタミンを作る原料として用いられている。

ハクスリーの向精神薬についての態度はかなり幅のあるものであり、明確ではなかったが、彼が生きてゆく中で向精神薬によって自らの体験が広がったと認識し、その考え方は大きく変化してしまった。

1932年に出版された『すばらしい新世界』の中では、ソーマは人間の精神を麻痺させ、人間以下の存在に貶めるものであり、とどのつまり、人々を危険に導くものであった。

しかし、26年後、ハクスリーは『人間の精神を形成する薬物 』というエッセイのなかで「薬物は人間がみずからの魂を見出し、知覚を研ぎ澄ます一助となる有益な手段である」と述べている。
薬物に十分に触れてしまうと、薬物にきわめて懐疑的で自制していた人でも、極めつきの信奉者に変わってしまうことを、ハクスリーは自ら示してしまったようである。

現在、オピオイド中毒の蔓延が全世界に広がっている。

これは、医薬品業界が薬物を強力に売り込んだことに加え、ますます強い効果を持つオピオイド誘導体(例えばカンフェンタニルの作用の強さはモルヒネの1万倍である)を合成したことも、大きな原因である。

しかし、やはり、鎮痛剤の不用意な処方の根本的な原因は、
医者や患者をはじめとして、多くの人々の間で、
「どんな痛みや苦痛もすぐに抑えらる対処法がある」
という期待が広まっていることにある。

私は、個人であろうと、社会であろうと、複雑な問題に対して簡単な解決策を求めると、事態をさらに悪化させることが、多いように、思う。

オピオイド中毒の蔓延に代表されるように、その場しのぎの痛み止めは人々に、化学物質が即座に(苦痛という)問題を解決してくれることを期待することを教えてしまった。
しかし、その代償は個人にとどまらず、社会にも波及するであろう。

さらには、化学物質が即座に問題を解決してくれる、と期待することは、政治が、すぐに問題を解決してくれるということを期待する社会にもつながりやすいだろう。

なぜなら、仮に、1日を乗り切るために、市民の多くが、何らかの薬物を必要としている世界があるならば、その世界において、成熟し、苦境にめげない、責任感のある市民層を形づくることは難しいであろう。

社会の成熟を否認することを止めて、ありのままの現実に向き合える成熟した社会を実現したいと思うとき、は、
Savageの、つまり、ハクスリーの、
「欲しいのは詩です。本物の危険です。自由です。美徳です。そして罪悪です......僕は僕でいい。情けない僕のままがいい。

どんなに明るくなれても他人になるのは嫌だ......僕は不幸のほうがまだいい。

あなたがこっちで愉しんでいた嘘っぱちの幸福よりは」
ということばが、重く響くとき、である、と、私は、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

私にはいつものことかもしれませんが、ふらふらしたテーマが多くなりかけていたので、このブログを始めさせていただいた頃の、いわゆる初心、に立ち帰ってみようかな、と思い、今回は描いてみました( ^_^)

いつも読んで下さりありがとうございます(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は、最近お洒落をサボりまくっているので、1年以上前の写真を使いました^_^;
見る人もあまりいないからと、少々、最近の自分のおしゃれに関心が薄れていることを反省しました^_^;
服でもたまには見に行こうかな( ^_^)

アレグリの「ミゼレーレ」を聴きながら考えたこと-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑯-

2024-03-19 07:04:31 | 日記
システィーナ礼拝堂において秘曲中の秘曲として、限られた機会にしか演奏されず、
また、その楽譜も門外不出であり、持ち出した人は破門されることになっていた曲が在る。

グレゴリオ・アレグリ(1582~1652年)の「ミゼレーレ」である。

現代の私たちが、アレグリの「ミゼレーレ」を聴くことが出来るのは、モーツアルトという天才のおかげである。

14歳のモーツアルトは、この10分ほどの9声部の音楽を1度聴いただけで暗譜してしまい、記憶を元に楽譜を再現してしまったのである。

そして、その楽譜は、イギリスの出版業者の手に渡り、広く世に知られることになった。

なお、モーツアルトの暗譜の正しさは、ローマ教皇庁自らによって認められた。

モーツアルトの楽譜が完全なものであることを認め、また、モーツアルトの才能を讃えて、ローマ教皇自ら14歳の少年に黄金軍騎士勲章を授け、門外不出の音楽を外部に出したことを不問に付したのである。

さて、「ミゼレーレ」を聴けば、アレグリも天才作曲家だとは思えるものの、天才アレグリの生涯は天才モーツアルトとは異なり、記録はほとんどないのである。

ローマ教皇ウルバヌス8世に寵愛され、システィーナ礼拝堂専属の聖歌隊の歌手として、そして作曲家として活躍したことだけが記録として存在している。
カストラートであったとも伝えられはいるが、それすらも定かではない。

ただ、「ミゼレーレ」はアレグリの最も素敵な生きていた記録のひとつである、と言えるであろ
う。

「ミゼレーレ」は、9つのパートから成る合唱曲なのであるが、それによって音楽は複雑になるどころか、むしろ素朴さと、抑揚の効いた感情表現に留められており、音楽はドラマチックではなく、
「miserere mei,Deus......(神よ私を哀れんでください)」
という神へのすがるような、ひそやかな思いが全曲を貫いている。

もうひとつ確かなことは、アレグリは死ぬまでシスティーナ礼拝堂を離れることはなかったことである。

そのことから、私は、
ミケランジェロの作品に囲まれながら、世俗を離れ、静かに神への音楽を書き続けた、ひとりの中世人の魂のかたちが、「ミゼレーレ」となって表出したのだと、思っている。

ところで、
アレグリが、もし、生きていて、
ローマ教皇フランシスコの
「『私は正真正銘のカトリック教徒で、いつもミサに行っている』と言う人がいる......だが、彼ら/彼女らは、従業員に適正な給与を支払わず、人々を利用し、汚いビジネスに手を染め資金洗浄を行っている......そんなカトリック教徒になるくらいなら、無神論者にであるほうがましだ」
という、蔓延る宗教上の偽善に対する嫌悪感を述べたことばを聞いたらどう思うであろうか......。
......。
私でも、え、本当にローマ教皇のことばなの!?と驚いたのである。

さらに教皇の(偽善者に対してだが)
「あなたは天国に辿り着いて、その門を叩き、
『神様!私です』と話しかける。
『覚えておられませんか?私は教会へ行きあなたのおそばにいました......私が献金したことをすべてお忘れになったのですか?』

『覚えています。しかし、その献金はすべて貧しい人から巻き上げられた汚い金です。私はあなたのことを認めません』。
これが、裏表のある人生を送る恥ずべき者に帯する神の答えである」
ということばを聞いたら、アレグリは失神するであろう......。

ローマ教皇でなくとも、アレグリでなくとも、あまり宗教に関心があるとは言えない私のような者でも、
いわゆる「原理主義者」の宗教的政策や、億万長者の意志を受けた主張を後押しするために、貧しい人々や抑圧された人々が、必要とするものを駆け引きの材料にすることは、あってはならないことだと考える。

しかし、アレグリが絶望の淵に沈むような出来事がアメリカでは起こっている。

2016年、トランプはクリントンの4倍という驚くべき大差で福音派の票を獲得し、白人のカトリック教徒からはクリントンの2倍の票を得た。

これは、神ではなくトランプに魂を売り渡したような身勝手なキリスト教指導者が、
中絶や同性愛者の権利に反対する彼ら/彼女らの強硬な立場をトランプが支持することと引き換えに、
彼ら/彼女らが何千万という信者になんとしてもトランプを支持させようとした結果を反映しているとも言えるのである。

こうした駆け引きは、アメリカの多くのキリスト教指導者の宗教上の偽善だけではなく、彼ら/彼女らの政治的手腕をはっきりと物語っている。

銀貨30枚で裏切るようなことはしなかったにしろ、間違いなくイエスの教えは、ないがしろにされた、と言えるであろう。

実際のところ、イエスは中絶も同性愛も気にかけていなかった。

イエスが活動していた当時、中絶は合法で広く行われていたし、同性愛も容認されていたため、イエスは多くの説教のなかで、1度もそれをとがめたことなどなかったのである。

イエスはトランプのような特権に浴した金持ちから、弱者や身分の低い者を守ろうとする、いわば「与える者」であった。

「与える者」の教えが、「奪う者」に利用されるとは皮肉である。

アレグリが現代に生きていたとしても、怒り心頭でシスティーナ礼拝堂から出て来てくれず、現代ならば、どんな曲を作っているか、を知ることは、出来ないのであろう。

さまざまな分野で力のあるひとたちは、自らが、世界に影響を与えることの意味をいま一度、考えてみて欲しい、と、私は思う。

直接手を下してはいないが、例えば、安直なモデルに拠って医療保険を奪う試みは、多くの国民の命を奪い得、目先のGDP優先で長期的には地球温暖化を促進する行動は、最終的に、何千万人、あるいは何億人もの人々を死に至らせる可能性が、あるのである。

同じ天才ならば、その手が紡ぎ出した、非経済的だけれども、ときに、経済的なものよりも大切であることもある芸術に、たまにはひたる時間を作ってみようと思う。

まずは、アレグリの「ミゼレーレ」から聴いてみよう。

今、私が、ブログを描いている、このスマホからも、聴けるはずだから。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

アレグリの「ミゼレーレ」は急に、今朝、ネットを見ていて描きたくなり、描きました^_^;

毎回、ふらふらしたテーマでも読んで下さり、皆さまには感謝しかありません( ^_^)

ありがとうございます(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

非経済的活動のちから-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑮-

2024-03-18 06:50:30 | 日記
シューマンは、モーツアルトの音楽を
「どんなに暗い世であっても、この世に歓びを振りまかずにはいられない天使のいたずら」
とまで呼んでいたのだが、
モーツアルトにも数は少ないものの、翳りと哀しみに満ちた曲が在る。

1778年7月3日、パリ滞在中のモーツアルトは友人に
「私と一緒に泣いて下さい。
今日は、私の人生で最も悲しい日です。」
と始まる手紙を書き送っている。

モーツアルトの時代、作曲者は近代的な意味での芸術家ではまだなく、貴族や教会というパトロンの庇護のもと、彼ら/彼女らの求めに応じて作曲することが多かったようである。

したがって、暗く悲しい曲ではなくて、パトロンの宴を盛り上げるに相応しいBGMや、聴けば心が晴れやかになるような曲が好まれ、
また、モーツアルト自身の天性に陽気な性格は、そのような仕事をこなすのには適していたのかもしれなかった。

しかし、22歳の青年にとって、母との死別は、今まで知ったどんな悲しみや苦しみとも比較出来ないほどのものだった。

モーツアルトは他人のためではなく、生活のためではなく、自分の悲しみを昇華するためだけにヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調K.304の作曲を始めた。

この曲はモーツアルトが透徹した心理学者でもあることを、も、表すかのように、微かな心のさざなみまで表現されているように私には、思えるのである。

怒りにまかせて拳を振るうことも人間の肉体言語によるひとつの表現であるが、人間は、別の表現方法を持っている。

詩人はペンを走らせ、画家はキャンバスに色を塗り、そして、モーツアルトのような作曲家は五線譜に音符を記すのである。

勿論、芸術家が表現をしたからといって何かが解決されたり、癒されたりするわけではない。

むしろ、逆に、(作品に昇華出来ようと、出来なかろうと)表現された作品により、心を激しく動かされた原因へと、心を立ち返らされ、何度でも心を揺さぶられるのかもしれない。

しかし、引き裂かれた心を楽譜の上に留め、何度でもそこへ立ち帰って来ることが出来るようにモーツアルトは、ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調 K.304を創り出したように、私には、感じられるのである。

モーツアルトは、この曲を、たぶん、誰かに伝えるためではなく、自らのために書いたのであろう。

だからであろうか、いつもの他人のための大げさな表現や劇的効果の必要性がないことからか、その書法は簡素極まりないのである。

極限まで切り詰められた音楽は、どこかしら異様な緊張感が張りつめてさえいる。

ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調 K.304は全体で15分程度と短い。

第1楽章は心の動揺を表すようにやや激しい表現もあるのであるが、全体的に抑制されている。

そして第2楽章は沈んだ調子のまま、ひたすら哀しみがため息のように執拗に変奏し続けられる。

通常、器楽ソナタは3つの楽章を持ち、第3楽章は、大雑把な言い方をするならば、「解決」として、明るく勢いのある音楽が配置されることが多いのだが、この曲は第3楽章を欠いている。

つまり、第2楽章のため息までで、全曲は終わる。

このことは、悲しむ心に解決などそもそも無いことを教えてくれているようである。

人間は、激しい感情に突き動かされたとき、それにかたちを与えずにはいられないのかもしれない。

感情という、心に在る、得体の知れないものを、どんなかたちであれ、明確なものとして表現せずにはいられないのが人間の性なのかもしれない。

ところで、
「幸せなら手をたたこう」という曲(以下、坂本九さんバージョンを指す)がある。

「幸せなら手をたたこう」は心に在る「幸せ」という感情をボディーランゲージ(身体言語)で共有出来る曲である。

感情の発露を動きで表すことで、ポジティブな感情を示してみようと歌っているのである。

曲を通じて、言語、人種、性別、年齢、障がいなどの「境界」を超えて「幸せ」を共有しようとするこの曲の姿勢にいつも私は、感動するのである。

私たちはあまりに「幸福」を商業化し、まったく見当違いの場所で幸福を探しているのかもしれない。

日々流れている広告で、どんなことが謳われていようとも、そもそも、幸福は、店舗で購入したり、インターネットで注文したりすることは出来ないし、買えるものではないであろう。

人間の遺伝子は、5万年前には小さな集団で世界をさまよっていた祖先が入手することが出来たものと全く同じものから最大限の喜びを得るように出来ている。

人生で最良のものはプライスレスなのであろう。

それを表現するから、モーツアルトの曲はやはり美しく、またプライスレスで、芸術の尊さを感じさせてくれる。

自分の内部から生まれるシンプルな喜びや、心を満たし長く続く快感以外は、はかなく消えてしまうことを、知ってか知らずか、
国連の持続可能な開発ソリューション・ネットワークは、2011年から、
「世界の幸福プロジェクト」を開始し、参加国に対して、国の開発目標として「幸福」に重点を置くように推めているのである。

このプロジェクトは、おもにギャラップの世界世論調査をもとにしていて、毎年『世界幸福度報告』を発表している。

国民総幸福量(GNH)の指数は、国の長期的な成功を測る指数として、現在の標準である国内総生産(GDP)とは異なる有用な視点として用いられているし、用いられることになるであろう。

GDPには、経済活動の利点を強調するあまり、気づかないうちに人々に大きな幸せをもたらしている(文学や芸術などに代表される)非経済的活動を著しく過小評価している面があり、私たちも知らず知らずのうちに、GDPばかり追い求めるようになってしまったのかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

久しぶりに、坂本九さんの「幸せなら手をたたこう」を聴いてみて、素敵だなあ~、としみじみ感じました( ^_^)

ときにゆっくりと何かを鑑賞する時間も大切かもしれないなあ、と思いながら描きました。

ロシア大統領選の頃には、ロシア、徐々に日本に寄るはずが、前回、今回、と、どんどんズレてます^_^;
(前回、イタリア→レスピーギ『ローマの松』→能の『羽衣』→三島由紀夫『天人五衰』→日本、の予定でしたが、文章はイタリアからアメリカに行ってしました(T_T))

こんな私の段取りから拙いブログですが読んで下さりありがとうございます。

よろしければ、これからも、読んでやっていただけると、嬉しいです(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*前回と今回の見出し画像は私が好きな神田のもうすぐ夕暮れの街並みです( ^_^)

芸術が世論という抑圧を斥けるとき-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑭-

2024-03-17 07:02:12 | 日記
1929年、ベニート・ムッソリーニが権力を掌握し、「強いイタリア」建設に着手した時、イタリアに重ねられたのは、かつてのローマ帝国の栄光の記憶であった。

当時のイタリア人の興奮は推しはかるしかないが、最近のトランプがよく用いる「アメリカを再び偉大にする」という台詞に、一部のアメリカ人は熱狂し、トランプがあまり好きではない人々も、どこか満更もない様子を想起するに、
バイオリンを弾き、哲学に造詣が深く、乗馬を嗜む偉大な文化人でもあった総帥ムッソリーニのもとで、文化的にもローマ帝国の栄光を取り戻そうとする機運が高まったことは、想像に難くない。

そのような機運の中、オットリーノ・レスピーギ(1879~1936年)は、政治的な作曲家ではなく、ファシスト党党員でもなかったのだが、純朴な愛郷心ら、
『ローマの噴水』、『ローマの松』、『ローマの祭』という、通称「ローマ3部作」と呼ばれる一連の交響詩を書き上げたのであるが、
(私の独断と偏見によれば、)「ローマ3部作」の中で最も完成度が高い『ローマの松』についてみてみたいと思う。

ローマ市内には、松がたくさん植えられているが、その松は、ローマの歴史を眺めてきた証人でもある。

『ローマの松』は、まず、ボルゲーゼ庭園の松、時刻は昼間、現代のローマからはじまる。

子どもたちが「軍隊ごっこ」などで遊んでいる声に混ざり、いつの時代も歌い継がれてきた小唄のようなものも歌われ、そんな喧騒が最高度になった瞬間、舞台はカタコンベ周辺、地下洞窟近くに生える松へと移る。

時刻は夕暮れ、キリスト教が弾圧されていた時代、闇が迫るとともに地下からグレゴリオ聖歌が玲瓏と、しかし哀感をたたえつつ響いてくる。
やがて信徒たちの祈りの声がざわめき、その声が徐々に大きくなる。

そして、それは勝利の凱歌として響き渡るかのようになる。
キリスト教がローマの国教となったのである。

祈りの声が静まると、ジャニコロの丘の松へと移る。時刻は深夜、静まり返った松林に月光が静かに降り注ぎ、時折吹き抜ける松風に混ざって、ナイチンゲール(小夜啼鳥)の声がきこえてくる。
人間世界とは違い、常に美しい自然の姿が語られているかのようである。

さて、『ローマの松』の4曲目にして圧巻な、アッピア街道の松に移る。時刻は明け方、アッピア街道の彼方から、大軍勢がやって来る姿が浮かび上がってきた。
先頭を歩いているのは、今しがた、戦争によって奴隷にされてしまった敵国の民のようで、うめき声をあげている者もいる。

その後には、ローマ軍の整然たる行進、である。

威風堂々とローマ軍は最高神ユピテルを祭るカピトリウムの丘へと凱旋し、勝利を高らかに宣言するのである。

『ローマ松』という曲は、第二次世界大戦後、不幸な運命を辿ることになった。

レスピーギにしてみれば愛郷心の発露として作り上げた曲だったのであるが、
いわゆる、世論による
「直接ファシズムとの関連性は薄いとはいえ、イタリア人の愛国心を鼓舞したには違いない、
そんな戦争に利用されたような曲は演奏してはならない」
という自粛が働いたのである。

もはや、世論の強制のようにして演奏がされなくなる時期を経て、1970年代頃から徐々に「ローマ3部作」は解禁され、今やレスピーギの音楽にファシズムや「軍靴の足音」をききつけて非難するような無粋な人が非難されるようになった。

芸術は、決して、イデオロギー的に正しいから、素晴らしい、などということにはならないはずなのである。

私は、レスピーギの『ローマの松』という曲が紡いでゆく歴史に、「芸術が世論という抑圧を斥けるとき、や、その姿」を見るように思う。

ところで、
「デマゴーグ」という言葉は、「民主の指導者」を表す古代ギリシャ語に由来し、それは当たり障りの無い意味にも思えるのであるが、あまりよくない指導者がもたらしたつらい経験から、「急速に」悪い意味合いを帯びるようになった。

しかし、この世にまったく新しいものなど、ない。

デマゴーグはあらゆる時代や場所を通じて似通っており、それを生み出す状況も似ている。

民主主義が在るところにはどこでも、そしていつでもデマゴーグは存在していたし、存在するのである。

(芸術に政治が介入しては欲しくないが、その政治の正体も少しずつ視ていけたら、と、思う。)

ある人にとっては、良い意味を持つポピュリズムでも、別の人からは民衆扇動と見なされることがあるようである。

本来のポピュリズムは、一般市民の日常を守る政府を目指すものであるはずである。

しかし、偽ポピュリズムは、政権を取る前にはどんなことでも約束するが、そのあとは搾取すること以外なにももたらさない「デマゴーグ」による民主の誘導ではないであろうか。

デマゴーグは、皆、感情、雄弁、守れない約束を用いて、自分勝手な目的のために人々を利用する。

2400年前にアテネのデマゴーグであったクレオンに関するアリストテレスの
「壇上から汚い言葉を叫んだのは彼が初めてだった。
彼以外の者は、これまできちんとした作法で演説をしてきた」
という記述は2016年のトランプの登場の際の驚きを彷彿とさせる。

歴史的に見ると、ポピュリズムは、独裁者が使う方法であり、民主主義の墓場とされる。

アテネは僭主になりそうな者から市民と民主主義を守るために、陶片追放という巧妙な制度を設けなければならなかった。
しかし、だからこそ、危機に満ちたペルシア戦争の間、ギリシャ連合軍の救世主となったデミストクレスは、1番の成功を収めた指導者であったにもかかわらず、戦争に勝ったも直後に民主主義に脅威を与える者として追放されたのである。

民主主義はもろく、簡単に崩壊してしまうものだということをアテネは解っていた。

市民は、権力者からも、それに追随しようとする自らの本能からも守られなければならない。

アリストテレスは
「民主主義国家における革命は、概してデマゴーグによる節度のない言動によって起きる」
と述べている。

ポピュリスト運動は、市民のニーズに無関心であったり、それに敵意を示したりする政府に対する不満を大衆が共有するところから起こる。

ポピュリストの運動の契機となる危機はどこでもよく似ているが、右派と左派で、
政権を取るまで、はかなり違って見える。
しかし、独裁者になったあとは極めてよく似ている。

スターリン、ヒトラー、ムッソリーニ、毛沢東、フランコ、ピノチェト、ペロン、イディ・アミンといった近年のデマゴーグ、および第三世界の独裁者たちが想い起されるのだが、さらに名前を付け加える独裁者が増えないことを、私は、願っている。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

天気予報によれば、今日は、気温が4月上旬並みに上がり暖かい1日となるようです( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。